第4話 予知能力

 予知能力などというものを、まともに信じているわけではないくせに、客時系列の考え方が自分の考えであり、基準となるものが、減算法であると思うようになると、大学を卒業してからの自分に、予知能力が芽生えるのではないかという、まさかの、

「予知能力の予知」

 のようなものがあった。

 その時は自分に予知能力があるという意識はない。ただ、予感があったというだけだ。たったそれだけの意識が自分に土地能力を感じさせ、いずれ、

「自分には何かを予言できる力が備わってくるのではないか」

 と、少しウキウキしたものを感じさせた。

 そして、実際に大学を卒業してすぐの頃、

「俺には予知能力が備わったのではないか?」

 と思える時がやってきた。

 その時、自分の心に予知能力を感じさせる傾向として、

「百時系列の原点に立っている」

 をいう意識があった。

 将来、予知能力が備わると感じたその時点に、自分がた辿り着いた証拠として、逆時系列の原点が見えたのだ。そう思うと、これから感じる予知のようなものには信憑性があるということになるのであろう。

 その時に感じた未来の予感は、言葉に出すのもおぞましいようなことであった。

「どうして、よりによってこんなことを想像しなければならないんだ?」

 ということであった。

 それは何と、自分が殺される予知であった。

 その予知はまるで夢を見ているかのように、目の前に映像が映し出された。

「いや、夢を本当に見ているんだ。ただ、予知が夢というだけで、いわゆる予知夢というものであろう」

 と感じた。

 その夢を見た時、どれほどの汗を?いていたか、自分でもびっくりするくらいの汗だった。夢を見ている時に汗を掻くということは今に始まったことではなく、子供の頃からだった。

 一番酷かったのは、高校生の緒頃だっただろうか。着ているパジャマを絞れば、

「洗面器に水がたまるくらいではないか」

 と感じられるほどであった。

 その夢の中で見たもの。それは、自分にソックリな自分。性格にいえば、将来の自分であり、暗い誰もいない倉庫のようなところで転がっていて、床がしとどに濡れていた。それは雨でも汗でもない。もっとぬるぬるしたもので、ぬめりを伴っているのを見ると、近づくのも気持ち悪い。光がないのに、光って見えるのは、やはりそのぬめりを感じたからだろう。表面張力でかなり浮いて感じられるそのドロッとしたものが、鮮血であるということに気付くまでに少し時間がかかった。

「俺は死ぬことになるのか?」

 と俄かには信じられない夢である。

 そう、これはただの夢であって、断じて予知夢などではないと信じたい。そんな思いから、必死になって夢を否定していると、例の自分のことを全否定してくる先輩を思い出していた。

 だが、この夢を見たその日、会社に出社してみると、新たな主任が、他の部署から転属されてきていた。

 倉敷が入社二年目のこと、一年が経って、いよいよ研修期間も終わって本格的に自立という時期だった。

 研修期間というのは、本当は半年なのだが、この年はちょうど関連会社の倒産、他社からの合併などと、会社始まって以来の混乱だったこともあって、研修もままならない中、何とか一年で一人前になっていった。

 そんな時、今までであれば内部昇格の主任だったのが、他の部からの転属という普段とは違った人事になったのも、まだ会社が混乱していたからなのかも知れない。

 その新しい主任というのは、元から性格的に短期だということで有名な人で、同僚や一つ上の先輩などが、

「あの人や面倒くさい人だ」

 とウワサしていたことからも、波乱万丈であることは分かり切っていた。

 そのうちに、その主任を見ていると、かつての嫌な記憶が思い出された。

――この主任、誰かに似ている――

 と思ったがすぐに思いさせなかった。

 それもしょうがないことで、その似ていると思った相手の顔は、今から十数年前のものだっただけに、記憶の奥に潜んでいた意識を引っ張り出すことだけでも難しいのに、その記憶をよく結びつけられたものだと感じたのも、実に面倒くさいというだけの相手に似ているのも無理のないことだった。

 何とその人というのは、自分の父親、小学生の頃に自分を苛めていた父親の顔だった。その顔は、焦るということもなく、記憶の中で鮮明だった。

「親父を思い出すなんて」

 あの時の苛めは、実に陰湿なものだった。小間荒思い出してもたまったものではない。その腹いせに苛めっ子になったというのも、子供としては無理もないこと、それなのに、年齢を重ねるごとに、苛めっ子だったという意識はあるのに、自分が父親から苛められていたという意識は消えていた。

 夢で苛められていた意識があるのに、それが同級生から苛められていたという夢を見たことで、苛めていた自分が実はいじめられっ子だったのではないかなどという捻じれた意識が生まれたのも、父親から受けた迫害を思い出せなかったからに違いない。

 だが、思い出せないということに何か意味があるような気がする。

 苛められていたというのは、小学生の頃の一時期だけのことであり、自分が友達を苛めるようになってから、父親は自分にまったく手を出さなくなっていた。自分を見るその目がいかにも自虐的で、

「お前が苛めをするようになったのは、この俺のせいなのか?」

 とでも言わんばかりの様子に、自分が息子とどう対応すればいいのか分からないという思いを抱いているということを感じているようだった。

 別に倉敷は父親を責めている気はない。自分がまわりを苛めるようになってから、もう父親の存在は自分の中にはなかった。苛めていたということも記憶から消去されていくように感じられ、黒歴史を葬り去る自分がそこにいるのだった。

 そんな父親に顔が似ている主任。そんな主任であれば、少々のことを言ったとしても、別に気にならない。

「俺は親父を克服したんだ。もうトラウマなんて存在しない」

 と感じていた。

 その主任は、相手かまわず攻撃する。そういう意味では個人攻撃とはいえ、一人だけが集中的に狙われているわけではないので、それほど恐れることはない。

 ただ、その人も、倉敷のことを全否定した。父親のその顔で全否定するのだ。それを感じた時、

「俺って、まわりの誰かに睨まれたり嫌われたりすると、基本、全否定されるタイプなんだろうか?」

 と感じさせられた。

 全否定というものが、どれほどのトラウマを呼ぶか、一番知っているのは自分だけだと思っていたが、本当にそうなのだろうか。

 一生のうちに何度も、しかも別の人間から同じような全否定をされると、さすがに、自分が普通の人間ではないのではないかと思えてくる。人によっては、

「俺は人と同じだと嫌なタイプなので、そっちの方がいいけどな」

 と嘯くような輩もいることだろう。

 しかし、倉敷はそこまで図太くできてはいない。

「どうしようもない男」

 というイメージが付きまとってはいるが、決して図ぼとく生きる方ではない。下手をすると、虚勢を張りたがるような、木の小さな男であった。

 それなのに、どうして、

「ほら吹き男」

 などのような異名を授かったりしたというのだろう。

 自分の中で、ひとかrあ全否定されると、人のいうことが信用できなくなる。それはもちろん、自分が信用できないからだ。自分のことを否定するようなやつのいうことは信用できないと思っているくせに、なぜ自分が信用できなくなるのか、まるでその男のいう通りになってしまうことが、自分にとって信用できない理由であった。

 要するに自分が何を考えているか分からないことが頭に混乱を招いて、必要以上に余計な心配をさせる相手に対しての苛立ちと、そんなやつのいうことを気にしなければそれでいいと思えない自分へのジレンマが渦巻いてしまうからだった。

 だが、倉敷という男、急に何かを思いついたり閃いたりすることがたまにあった。だから、自分のことを常識の塊りだというようなことを感じている男こそ、倉敷の考えていることが分からないのだ。

 相手のことが分からないと、その人を否定することでしか、自分を理解できない人はいないだろう。

 そう考えると、人生のうちに何度も、しかも別の人間から全否定される自分という存在は、そんな連中から見れば、さぞや異色に写るだろう。

 そもそも、

「他人と同じでは嫌だ」

 と、日頃から思っている倉敷なので、全否定という態度自体はありがたいのかも知れない。

 だが、さすがに開き直ったとしても、精神的には辛いものがある。開き直って、精神的に少しは楽になったとしても、それは一時的なものに思えてくる。

 開き直って一瞬、自分が苦しむ必要はないと感じ、楽しいことを思い浮かべると、急に我に返ってしまった時、またしても、憂鬱な自分が戻ってくる。どんなに開き直ろうとも何度も戻ってくる憂鬱さ、どうしたものだろうか。

 その元凶にいるのが、

「父親から受けた虐待」

 だった。

 中学時代、高校時代、大学生になってからすぐの頃まで、父親から受けた虐待を忘れていた。

 その分、自分が行った数々の悪行は、今でも記憶に残っているかのようだった。ただ、そんな内容だったのか、細かいところまでは覚えていない。ただ意識しているところとしては、

「父親の因果が子に報いというところではないか」

 ということであった。

 父親にされたことを他人にも味合わせるという感覚と、自分は知らないが、父親が本当にしていたことなのか、それとも妄想として抱いていたことが、自分を苛めることで、その思いをぶつけられ、いつの間にか、、自分の中でその落とし前をつけなければいけないことのように思えていたようだった。

 高校時代の女性に対しての暴行などの記憶、明らかに鮮明なのだが、なぜか警察に捕まったりも、警察が自分のところに赴いてくることもなかった。

 もし警察に尋問されていると、その辛さに耐えられる、やったかどうか分からない状態で、白状してしまったかも知れない。それほど記憶だけは鮮明なのであった。

 そんな自分しか知らないと思っているようなことを、どうしてネットで上がってしまったのだろう。会社の人は誰も知らないのか、それとも、

「そんなバカな」

 と言って、その記事を信用していないのか分からない。

 倉敷が、

「ほら吹き男」

 なる異名を取っているのも、もし、本当にウワサを信用しているのであれば、こんな中途半端な中傷はしないであろう。

「ほら吹き男」

 たる異名を取ったのは、自分の中に予知能力があるという思いがあり、それを誰かが立証してくれないかという思いからの苦肉の策だった。

 自分が感じる予知能力は、その頃は身近な人に起こりそうなことであり、どんなことが起こるのかは分かっているのだが、それが誰の身に降りかかってくるのかということが分からなかった。

「たまには、あいつのいうこと、俺の身に起こったよ」

 というやつはいたが、その的中率はかなり低いものだった、

 しかも、誰の身に起こることなのかが分からないということは致命的だった。

「誰なのか決められないんじゃ予知にも何にもなりはしない。ただ、起こりそうなことを言えば、そりゃ、そのうちに誰かの身に起こることだろうよ」

 と言われてしまえば、それまでだった。

 皆、その人の言う通りだとして、せっかく当たったのに、ウソつき、ほら吹き呼ばわりである。

「しょうがないか」

 とは思ったが、どうにも納得がいかない部分もあった。

 だが、

「ほら吹き男」

 と言われても、別に気にすることはない。倉敷としては、自分に予知能力のようなものが潜在しているということが分かっただけでも収穫だったからだ。

 たまに何か大きなことを言っては、その通りにならずに、結局形見の狭い思いをすることがあるようだが、その意識は倉敷にはなかった。自分でそれを口にしたという意識もないのだ。

 予知能力の部分。そして大きなことを言って的中しない部分、それらを掛け合わせてみれば、十分に倉敷は、

「ほら吹き」

 と言われても仕方のないことになるであろう。

 そういえば、子供の頃、自分を苛めていた父親も、

「ほら吹き」

 と言われていたような気がした。

 父親も、時々大きなことを言っては、的中もせずに、まわりから嘲笑われているのをよく見ていた。

「そんな親父に俺は虐待されているんだ。よほど俺って惨めじゃないか」

 と思い、自分が親から虐待されていることを、誰にも知られてはいけないと思った。

 知られてしまうことは、どんな屈辱よりもこれ以上の屈辱はありえないと思われた。自分が頭の上がらない人が、世間では惨めな姿をさらしているのだ。そんなことを許せるはずもない。

 ほんの少しでもプライドらしいものが残っていなければ、虐待には耐えられなかっただろう。それも父親の計画にあったのかも知れない。父親自身がまわりからバカにされることで、息子が殻に閉じこもって、

「自分の悪行を決して表に曝け出すようなことはしないだろう」

 という計算があったのではないかという考えだ。

 だが、あの父親がそれほど頭のいい、計算高いことを考えるだろうか。

「いや、それを悪知恵と考えたのだとすれば、父親の考え方は確信犯に近いものに思えてくる」

 と、倉敷は考えた。

 倉敷は、自分が父親に対して抱いているのが憎しもなのか、それとも同類のようなものだと考えているのか。少なくとも今の倉敷にとって父親を思い出すことは、懐かしさという思いが深まっていることのように思えて不思議な感覚だった。

 自分のことを全否定した人を見ていると、思い出すことがなかった父親の影を感じる。父親の自分に対する虐待は、精神的な倉敷への全否定と同じではないか。

 どっちに足を踏み出しても、そこは地獄、全否定も、逃げることのできない虐待も、夢に出てくる光景は同じなのかも知れない。

 そういえば、何度も夢に見た、前にも後ろにも進めないという光景、それが虐待を受けている頃と、全否定をされている時に多かったような気がしているが、何しろ夢を思い出しているのであるから、そこに信憑性は感じられない。

 しかも、

「夢というものは、目が覚めるにしたがって忘れていくものである」

 という思いがあることから、余計にそう感じるのであった。

 予知能力も絡んで、夢との絡みはそのような感情を生むことになるのであろうか。

 そんな倉敷も、就職してから、自分では、丸くなったと思っていたが、思わぬところで人に迷惑をかけていたり、相手が何も言わないのをいいことに、自分の考えを押し付けるようなところがあった。

 就職してからの倉敷は、それまでの

「とんでもない男」

 というイメージとは裏腹に、結構大人しくなった。

 ただ、言動だけはたまに大きなことを言ってしまったり、過去のウワサがどこからか流れ出ているため、

「ほら吹き男」

 の異名を取るようにあった。

 しかし、これが、

「ほら吹き」

 というところで止まっていないのは、意味があるところで、男という言葉が後ろにつくと、本当のほら吹きではないということを表している気がする。

「ほら吹きもどき」

 とでもいえばいいのか、本当のほら吹きであれば、後ろに男はつけないものではないかと思うのだった。

 それだけに、少々大きなことを言っても、中には的中することもあるのだろう。その確率が彼も信憑性を評価できるところまできていないので、受け入れられないが、

「ほら吹き男」

 という異名も、一種の愛称としてつけられているとも考えられるが、それを倉敷は額面通りに受け取っていて、愛称という意識に至っていないのかも知れない。

 就職してから大人しくなったのは、一つは、大学生の頃までとまったく違ってしまったことが挙げられる。

 大学時代は実際に自由であった。

 しかし、その自由をそのまま堪能してしまうと、まわりに明訳を掻けても気にならない自分がいる。そのことに気付いて、ドキッとするのだが、その時は時すでに遅く、友達を失ってしまうことになっていた。

 それでも、友達はその連中だけではない。他にもたくさん友達はいて、

「他の連中とつるめばいいや」

 と、すぐに友達を失ったことを忘れてしまう。

 他に友達がいることで、反省したことまで忘れてしまうのだ。そうなってしまうと、友達がなくならない限り、ずっと同じことの繰り返しであった。

 だが、さすがにそんな中でも、どんどん減ってくる友達をふいに寂しく感じないこともない。

 特にまわりは、すでに倉敷を見限っている場合もある。そうなってくると、どこからか、倉敷の中傷するネット記事が出てくるのだった。

 元々あったのを誰かが見つけてくるだけなのか、それとも最初から見つけていて、誰も話題にしなかっただけで、いつかは明かされる運命にあったものを、その扉をあけたのが自分だということになるのだろうか。倉敷は考えさせられた。

 それを知った残っていた友達も次第に一人一人と自分から去っていく。それも、先を争うように去っていくのだが、それはきっと後になればなるほど、去ることが難しいと考えるからだろう。

 普通の相手であれば、いつ去ってしまおうがあまり関係のないことなのだろうが、倉敷のような相手であれば、きっと、最後は話してくれないという相手に対して信用できないという思いからそんな妄想に駆られてしまう。

 それだけ、変なウワサを流されたことで、倉敷は自分の信用を失墜させることになったのであろう。

 ウワサというのは一人歩きをするものである。

 そのウワサというのは、小学校の頃は苛めを行っていたということ。中学時代にはお金で繋がった相手をまるで奴隷のような扱いをしていたということ。そして、高校生になると、空くになった女生徒を略奪し、暴行したなどという、本当に、

「とんでもない」

 というような話であった。

 倉敷の記憶は、一番鮮明なのが、小学生の頃の記憶だった。親に迫害されていたという記憶とともに、自分がクラスで苛めをしていたことは鮮明なのだ。逆に中学、、高校の記憶はさらに古い記憶のように思え、どちらかというと、

「作られた記憶」

 というイメージが強く、実際のことのようには思えなかったのだ。

 それだけ記憶に残っているとしても、ひどい黒歴史になるということなのか、逆時系列が頭の中で発動されたのかの、どちらかであろう。

 そんな倉敷が三十歳になった時、自分に何が訪れるのか、本当に分かっていたのだろうか?

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