指咲病

橘スミレ

第1話

 指咲病


 今日はいい日だ。休日の空はよく晴れていて、暖かく小鳥のさえずりまで聞こえてくる。隣には大好きな彼女が座っている。珍しく黒いワンピースを着た彼女はとてもかわいい。穏やかな風が私を揺らす。今日はいい日だ。




 わたしが終業式の終わった学校で彼女とデートの計画を話していた頃、世界ではとある病気が蔓延していた。

 その病気は指咲病と呼ばれていた。発病すると、左手の薬指から花が生えてくる。その花は宿主の命を吸い取り、開花と同時に宿主を殺す。開花は発芽から一週間後である。発病する条件、治療法はともに不明である。

 わたしはだいたい計画がまとまった時に、彼女にその噂をした。彼女はいつも通りやわらかく笑っていた。

 ちなみに今度のデートは桜を見にいくことになった。


 デート前日、わたしは着ていく洋服を迷いに迷った。結局、真っ白なワンピースにしたが、その後もカバンはアクセサリーはと迷い続けてなかなか眠れなかった。だが、それでもきちんと休日にしては早めに起きて、お昼ご飯を食べ、メイクをしてから家を出た。ちゃんと目の下のくまも隠れたはずだった。

 駅で待ち合わせした彼女は桜の似合いそうな黒いワンピースと手袋をしていた。手袋は手が荒れていて見せたくないから、ということらしい。手を繋いでも彼女の温もりが感じられないのは残念だが、彼女に無理をいうのも良くない。

 わたしは彼女に手を取られて電車へと乗り込んだ。


 川沿いに植えられた桜が暖かい風に揺られて花びらを散らしている。

 その桜の隣を彼女と二人歩く。彼女と指を絡ませていると緊張して離れたくなる。それでも彼女の桜よりも淡い笑顔を見た途端にもっと近づきたくなるのだから不思議だ。

 しばらくの間、わたしたちは人の流れに任せて桜を見ながら川沿いを歩いていた。

 彼女の方を見ると何かをじっと見つめていた。視線の先にあるのは三色団子。それを美味しそうに頬張る小さな子供がいた。

「お団子食べる?」

「うん、食べたい」

 はぐれぬよう手をかたく繋いでから、人混みをかき分けてお店の方へと歩く。

 お店についてから彼女の方を見ると、少し疲れているようだ。前に彼女は人の多いところが苦手と言っていた。ここは店内で少し休むべきだろう。

「先に席とっておこう」

「歩きながら食べないの?」

 彼女が首をかしげる。無理しなくてもいいのに。

「あなたが人が多くて疲れたって顔してるから。ちょっと休もう」

「私は大丈夫」

 彼女はそう言っているがわたしには疲れているように見える。中学一年生から五年間も付き合っているわたしの勘が彼女を休ませろと言っている。

「わたしが休憩したいの。だからいいでしょう?」

「なら、休憩する」

 笑顔で了承してくれた彼女を見て一安心した。

「ここの席はどう? 桜も見えるし、人も比較的少ないよ」

「ここが良い」

「じゃあ買いに行こう」

 荷物をおいて席をとり、彼女の手を引き、お団子を買いに行く。

「どれにする?」

 入ったお店には三色団子の他にもみたらし団子や桜餅、草餅などが置いてあった。

「私はこれ」

 指差したのはみたらし団子。そういえば前に彼女は甘ければ甘いほど好きと言っていた。

「ならわたしは三色団子にする」

 注文し、お会計をしてそれぞれ団子を持って席へ座る。

 彼女と並んで桜と川と人の流れを眺めていると時間の流れが遅くなる気がした。

 彼女はみたらし団子に夢中だ。それでも口を汚すことなく綺麗に食べているから感心する。

「ねえ、三色団子の色の意味って知ってる?」

「うん。赤と白が縁起物。緑が邪気を払う」

 さすがは物知りな彼女。だがわたしが話をしたいのはそちらではない。

「正解。でももう一個説があって、赤が春の桜、白が冬の雪、緑が夏の葉を表しているって説。今年もあなたと全部見れたらいいなって思ったんだ」

 わたしはお団子を一つ頬張った。優しい甘みが美味しい。

 彼女はなぜか俯いていた。

「どうしたの?」

「なんでもない。全部一緒にみたいね」

 彼女は作り笑いを浮かべた。こう言う時絶対に何かあるがいつも彼女は教えてくれない。別れ話じゃなければ良いのだけど。

「お団子美味しいね」

 別れはいつ来るかわからない。そんなこと考えても無駄だ。もう一つお団子を頬張った。

 彼女は最後のお団子を食べるのに苦戦している。可愛い。彼女の可愛さに小さな引っ掛かりは全て流されてしまう。


「もう、大丈夫? 元気?」

 お団子を食べて満足げな彼女に聞かれた。

「充電完了したよ。さあ、行こうか」

 わたしもまだまだ歩ける。今日のお散歩デートでとある神社に行きたのだ。その神社は縁結びの神社として有名で、死んでも一緒にいられるのだとか。

 わたしたちはまた歩き出した。

 しばらくまた川沿いを歩いたあと、大きな橋を渡りさらにその先へと歩いて行った。道沿いに古風な雑貨屋さんがあった。

 彼女の希望で中に入ると、彼女は何者かに引っ張られたように歩き出した。追いかけた先で彼女が見ていたのはかんざし。なるほど。確かに黒くまっすぐに伸びた綺麗な髪を持つ彼女にかんざしは似合いそうである。

「綺麗だね」

「うん。かんざし、憧れてて」

「そうなんだ。これとか似合いそう」

 わたしは数あるかんざしの中でも白のガラス玉とタッセルのついたものを指差した。

「綺麗。あなたはこれが良い」

 そう言って彼女が手に取ったのは同じデザインの黒のもの。

「色違いで買おっか」

「そうする」

「まだ何か見る?」

「いや、いい。これ買うから」

「わかった」

 彼女と色違いのかんざしをとって、レジへ向かう。

 会計を終え、わたしにかんざしを渡そうとする彼女を止めて少し歩く。彼女も意味を知っているのだろうか。繋いだ手から緊張が感じられる。


 道沿いに歩いて行くと人がほとんどいない、こじんまりとした公園が見えてくる。小ぶりな桜の木が両手いっぱいに花を抱えている。

 その木のすぐそばまで歩き、彼女の方へ向いてかんざしを差し出す。

「わたしと結婚してください。一生あなたを守ります」

「ありがとう。喜んで」

 少し恥ずかしそうに笑って答えた彼女。わたしはそっと彼女を抱きしめた。

「ずっと一緒だよ」

「わかってる」

 かりそめのプロポーズ。だがそれでも嬉しくって幸せで、涙がこぼれ落ちそう。だめだ。メイク崩れちゃう。

「愛してる」

 ああ、だめだ。彼女にこんなこと言われたら泣いてしまう。

「ありがとう。わたしも、愛してるよ」

 涙で可愛い彼女のワンピースが濡れないよう離れつつ答える。

 ああ、これほど幸福な日があっていいのか。涙を拭っていると彼女がわたしにかんざしを渡してくれた。

「わたしからも。これ」

「ありがとう。本当にありがとう」

 彼女から手渡されたかんざしでわたしの髪をまとめる。何度か使ったことがあるので久々だったものの簡単にまとめることができた。

 だが彼女はうまくつけれないみたいだ。だんだん髪が絡まってきた。

「ちょっと貸して」

 彼女からかんざしを受け取る。ボサボサになっている髪を手でとかす。そして、かんざしをつける。

「やっぱり似合う。可愛い」

「あなたも似合ってる」

「ありがとね」

 お揃いのかんざしをつけたあと、メイクを直すためにベンチへ。

「ごめんね。すぐ終わらせるから」

「そんなことないよ。気にしないで」

 彼女の言葉に甘えてメイクを直す。

 すると彼女が何やら話し始めた。

「前に話してた噂の話、していい?」

「聞きたい!」

 デートの計画を立てていた時に話していた、指咲病の話。

 彼女はあの噂の詳しい話を聞かせてくれた。あの後、春休みで時間があったからといろいろ調べたらしい。

 その話によると未だ感染経路は不明のまま。ただ、指咲病は発芽前日に爪のあたりから種が見えるようになるらしい。それから生えてきた花を抜こうものならすぐさま死んでしまうらしい。そして、花は宿主が死んでも枯れないらしい。

「不思議な病気」

「かかったら死ぬしかないって怖いね」

「そう。だから患者が家族に追い出されることもある」

「そうなんだ。私だったら残りの一週間を大事に過ごしたいって思うけどな」

 わたしがそういうと、彼女はどこか安心したような顔をしている。疑問は残るがメイク直しが終わってしまった。

「行こう」

 彼女にそう言われたら行くしかない。その疑問の答えも一緒にいればいつかわかるだろう。


 わたしたちは手を繋いで歩き出す。少し歩けば人通りが増えてきた。はぐれぬようしっかり手を繋いで神社へ向かう。

「ここが縁結びの神社?」

「そう。わたしたちの縁を固く結んでくれるの」

 縁結びの神社らしく大通りを超えればカップルと思われる人たちが増えてきた。お着物を着ている人も多い。彼女は着物も似合うだろうな。

「人酔いしそう」

「大丈夫?」

「うん。まだ歩けるし、一緒に歩きたい」

 ああ、なんて可愛いことを言ってくれるのだろうか。

「じゃあ、行こうか」

 わたしたちは鳥居をくぐった。まずは手水屋で手と口を清める。そして鈴を鳴らし、お賽銭を入れて二礼二拍手。そして神様にお願いする。心の中で、彼女といつまでも一緒にいられるようお願いした。お願いが終わったら一礼して戻る。

「おみくじ引く?」

 彼女に問うと静かにうなずかれた。少し寂しそうなのはもうすぐ帰る時間だからだろうか。

 列に並んで順番におみくじを引く。わたしは中吉だった。書いてある内容はある一点を除いて平凡なものだった。

「どうだった?」

 彼女はなぜか諦めきったような笑顔で引いた紙を見せてくれた。

「大凶」

 ここの神社で出てくる中で一番悪いもの。しかも詳しく見ていけばさらに悲しい結果だった。


願望:願い叶わず

恋愛:茨の道

待人:来ず

縁談:さわりてあり

商売:利あらず

失物:出でず

旅立:帰りほどしれず

健康:はかばかしからず

学問:難しい

争事:負けるべし


 ここまで凄惨な結果になることがあろうか。ただ、わたしが唯一引っかかった点である恋愛が一致していたのは幸いかもしれない。きっと二人で茨の道を進むことになるのだろう。

「駄目だった」

 まるでわかっていたとばかりに笑う彼女。落ち込んではいない。それが余計に心配になる。

「まあ、きっとしばらくしたらまたいい方向に向かうよ。今は底にいるだけだよ。それこそ、一週間もすればいいことがあるよ」

 彼女と次会う始業式の日、何かプレゼントしようと考えながら励ます。だが彼女はまだ無理に笑顔を作っている。

「たかがおみくじ。気にすることはない」

 彼女なりに割り切ろうとしているのだろう。ならば、話題を変えるのが吉だ。

「あそこにベビーカステラ売ってる。一緒に食べない?」

 目についた屋台を指差す。

「食べる」

 彼女の手を引き、屋台へ走る。美味しそうな匂いが暗い雰囲気を和らげてくれる。屋台で一袋買い、駅まで歩きながら二人でシェアして食べる。

「あったかくておいしいね」

「うん。おいしい」

 夕日に照らされて、ゆっくりと時間が過ぎてゆく。駅に行って、電車に乗って、降りて、お別れ。もう少ししか時間がない。

 少し、寂しくなる。

「一日、あっという間だったね」

「時間がはやい」

 自然と歩みが遅くなる。まだ、二人でいたい。それでもいつしかベビーカステラを食べおわり、駅についてしまう。

「帰ろう」

 駅のホームでぼんやりしているうちに電車が来ていた。彼女がわたしの手を引いていた。

「あ、うん。帰らなきゃね」

 急いで電車に乗り込む。すぐさまドアが閉まり、発車する。わたしたちは空いている席に座って電車に揺られた。

 彼女は歩き疲れたのだろうか。わたしの方によりかかってきた。

「可愛い」

「あなたも可愛いよ」

「大好き」

「わたしも大好きだよ」

「愛してる」

「わたしも愛してる」

 最寄り駅に着く前に、彼女がつぶやき出した。どうしたのだろう。彼女に聞いても教えてくれなかった。ただ恥ずかしそうに頬を赤く染めるだけだった。


「着いちゃったね」

 最寄り駅につき、いよいよお別れの時間だ。もうずいぶん暗くなってしまった。

「こっち向いて」

 彼女にそう呼ばれて顔を向けると唇に柔らかいものが触れた。彼女の唇だ。彼女がキスしてくれたのだ。

「おやすみ。さよなら」

 なぜか涙声になりながら、彼女は走り去ってしまった。

「おやすみ。またね」

 彼女に向かって叫ぶも振り返ることはない。やっぱり恥ずかしかったのかな。そう結論付けたのは駅から彼女の後ろ姿が見えなくなってからだった。わたしも彼女と反対方向に歩き出す。

 電車が静かに通っていった。


 ちょうど一週間後の始業式の日、わたしは一人で彼女を待っていた。彼女に似合いそうな、また先週のデートを思い出してくれそうな桜がモチーフの髪飾りをプレゼントしようとずっと待っていた。だが彼女がくることはなかった。いつも遅れことのない彼女が来ないまま、チャイムが鳴った。担任が入ってくる。出欠をとっている時、なぜか教頭先生に呼ばれた。

 廊下に行くと彼女のお母さんがいた。彼女のお母さんはわたしに静かに告げた。

「あの子は、花になりました」

 頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。先週のデートで気になっていたこと、それが全て繋がった。

「この花があの子なのです」

 心臓が針金で縛られたように苦しくなった。彼女はもう、この世から去ったとわかった。もうこの桜の髪飾りをつけることもないのだ。

「そう、ですか」

 泣く余裕すらなかった。代わりに胸に大きな穴が空いたような気がした。

「あの子がね、花になったら鉢に入れてあなたに渡してってずっと言ってたの。私たちが持っていてはだめと言って泣いてね。しまいには駄目なら今ここにあなたを呼んで花を抜いて直接渡す、とまで言い出してね」

 彼女に愛されていたんだな。そう思うと胸が苦しくなった。

「あの子が言っていたわ。あなたならきっと受け取ってくれると。ねえ、あの子をお嫁に貰ってくれるかしら?」

「いいんですか?」

 彼女の形見を、彼女の母親から受けとっていいのか。私にはわからなかった。

「色々話し合ったのよ。それでも最後はあの子の意思を尊重しようってことになってね」

 わたしが受け取ることが彼女の意思ならば。それをご家族の方々が認めてくださるならば。

「彼女を一生大切にします」

「よろしく頼みます」

 わたしは「彼女」を受け取った。

 その後は始業式に出席せずそのまま帰った。両親にも話が行っており、なにも言われなかった。

 花になっても相変わらず美しい彼女。花の名前はシオンというらしい。綺麗なうすむらさきの花を咲かせるシオンが彼女そのものなのか。

 わたしは鉢植えに桜の髪飾りのピンの部分をさしてみて、やめた。

「やっぱり桜の似合うあなたにもう一度会いたかったよ」




 長い年月が過ぎた。何度桜を見ようともシオンの花は枯れなかった。

 今年も桜が咲いたので渡せなかった髪飾りとかんざしをつけ鉢植えを持って公園に来た。

 今日はいい日だ。休日の空はよく晴れていて、暖かく小鳥のさえずりまで聞こえてくる。隣には大好きな彼女が咲いている。いつも通り青い花を咲かせた彼女はとてもかわいい。穏やかな風が彼女を揺らす。今日は彼女の命日だ。

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指咲病 橘スミレ @tatibanasumile

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