エピローグ


 一か月が過ぎた。


 あのあと、リリカが祓われることはなかった。


 力を抑えられたうえで土志田さんの監視のもと、引き続き普通の学校生活を送ることになったのだ。巨乳撲滅党党首の土志田さんもさすがにエクソシスト協会の人魔共生の方針には従うしかなかったと嘆いていた。


「いやー死んだかと思ったー。エクソシスト協会まじ神」


 生還した彼女は心境をそう表現した。首に巻いた銀色のチョーカーが妖力抑制の聖具とのこと。色欲を失った彼女は普通のギャルに生まれ変わった(というか俺からすればその姿がリリカそのものなんだけど)。これからも友達として一緒に遊んだりするだろう。


「本当は胸を押さえつけるようなさらし式の聖具がよかったんだけどね。問い合わせてみたけどなかったよ」


 巨乳を恨めし気に見つめる土志田さん。リリカとともに行動する時間が増えたことに「目が腐る」と嘆いていた。でも「目薬貸してあげよっか?」「サキュバス直伝の巨乳成分が含まれているなら是非」「入ってるわけないじゃん。バカじゃないの?」「生活を送るうえで邪魔にしかならない脂肪を無駄に発達させるバカには言われたくないね」といった感じで、凸凹の二人は意外と相性悪くなかったり……凸凹ってそういう意味じゃないからね。凹んでないから、平らだから。


「平和で楽しい毎日だ」


 喧騒から一か月。個性豊かな友達と騒がしい毎日を送る最中、ふと屋上に立ち寄った。

 もうじき梅雨が訪れる。

 空が曇る前にこの場所から青空を見ようと思った。


 昼の屋上には誰もいない。

 初夏の日差しを独占しながら柵に肘を乗せる。アイスクリームみたいな形の雲がゆっくりと流れている。最近暑くなってきたな。天気予報でも気温は平年以上って言ってたし、そろそろ夏服に衣替えだ。


 リリカの夏服は楽しみだな。汗で透ける白いワイシャツ。派手な色のブラジャー。サキュバスの色欲が抜けたとはいえ、ガードが緩い彼女は気にもしないだろう。土志田さんは……ノーコメントで。

 え? 夏服から下ネタを発送するなんて気持ち悪い? バカ。男なら誰もが一度は通る道だ。強面系の俺だって心は普通の男の子。これっぽちも悪くない。

 え? 恋人の妄想はしないのかって? そうだなあ。


「喜律さんの夏服姿か……リリカというより土志田さん寄りだよな。正直そこにはアンテナが立たない」

「はて? 私と土志田さんの共通点とは何でしょう」

「うわあ!」


 背後でキョトンと首をかしげるは、純真無垢の実直娘・喜律さん。


「夏服? 土志田さん? アンテナが立たない? それは土志田さんに伝えてもいいことですか?」

「俺を殺したくなければやめてくれ」

「死んでほしくありません。ですのでやめておきます」


 ああ、なんていい子。一生ついていきます。


「いい天気ですね」


 喜律さんは隣に立った。

 晴天の屋上は俺たちにとって思い出の場所。


「二か月前だよな。俺が告白したのって」

「今学期の始まりの日でしたね。いきなり無記名で呼び出されてびっくりしましたよ。せめて差出人の名前は欲しかったですね」

「怖かったんだよ」


 最初は顔を合わせることすら怖くて逃げだそうとした。高校受験の日に助けられたってだけで一方的に恋心を抱いたストーカー気質の強面クン。絶対拒絶されると思った。


「人を見た目で判断しない。それが私のポリシーです……朝久場さんに目移りしがちな成仁さんとは違って」


 そう言ってツンと顎を突き出す。

 その横顔を見て微笑んだ。

 喜律さんは本当にいろんな表情を見せてくれるようになった。笑顔はもちろん、怒ったり悲しんだり嫉妬したり。

 俺は最初、喜律さんを前向きな感情のみで構成された正義のヒーローのように見ていた。どんな時でも明るく元気に前向きに。勉学スポーツ何事も決して弱みは見せず、困った人にはすかさず手を差し伸べる優しさを持つ。

 みんなから頼られる完全無欠の存在。そんな彼女に憧れての告白だった。

 でもこうして一緒にいるとそんなことは決してなくて、喜律さんも普通の女の子。好きな人が浮気したら怒るし嫉妬する。好きな人が襲われたら敵意をむき出しにして攻撃する。

 人間味のある姿を見て憧れは薄れた。

 憧れとは恋愛から最も遠い感情だよ……どこかで似たようなセリフを聞いたことがある気が。まあいいか。


 とにかく、雲の上にいた彼女はいつの間にか隣に立っていた。


 このとき初めて俺は真に彼女に恋をした。

 ドン底にいる俺を救ってくれた救世主じゃなくて対等の恋人。けん引してもらうんじゃなくて二人三脚で前進する伴侶。

 諦めずに困難を乗り越えた俺たちは、真のカップルに辿り着いたんだ。それだけは間違いない。


「そういえば、成仁さんは朝久場さんを呼び捨てにしていますね」


 風がやむたびに前髪を整えていた喜律さんが思い出したように言った。


「偽のデートをしたときになし崩し的にそう決まったんだ」

「だったら今はもうさん付けでいいのでは?」

「一度決めた呼び方を変えるのも違和感があるだろ。だからしょうがない」

「しょうがなくありません! 不公平です!」


 またしても口をとがらせ不満顔。

 最近は明るい笑顔よりもこの手の顔をよく見る。もちろん俺と二人きりのときだけだけど。


「朝久場さんとはカップル感を出すために呼び捨てにしたと聞きました。ならば真の恋人である私にも呼び捨てにするのが相応しいのでは? でないと条件が覆ってしまいます。もし私にさん付けを継続するならば、どうして朝久場さんは呼び捨てなのですか? 邪な考えですか? おっぱいが大きいからですか?」

「わかった。わかったから……」


 彼女に詰問されたら最後。明確な弁明ができない限り墓場まで追及されることだろう。

 意外と面倒くさいタイプと感じる今日この頃です。いやじゃないけどね。

 向き合う両者。ぱっと見だと恐ろしい形相でか弱い乙女を恫喝するシーンだけど、逆です。ハラスメント受けてるのは俺のほうです。


「ではどうぞ。さあどうぞ。さん、はい!」


 合唱コンクールの練習で声を出さない男子に詰め寄る女子みたいな圧を感じる。

 仕方ない。声を振り絞る。


「……き、喜律……さん」

「最後のは何でしょうか? もう一度!」

「……喜律」

「声が小さい! 木の葉も寝そべるほどのそよ風にさえ流されてしまいましたよ! さあもう一度!」

「……喜律!」

「いいですねえ。その感覚を忘れないようにもう一度!」

「喜律!」

「はい。合格です」


 ぜえぜえ……。

 恥ずかしさで顔から火が出るかと思った。

 満足した喜律さんはにんまりスマイルで、


「さあ教室に戻りましょう。授業が始まってしまいますからね。成仁さんも遅れないように」


 足早に出口に向かおうとした小さな肩を掴む。


「ちょっと待て」

「ハイなんでしょう?」


 肩口まで伸びた髪を揺らして振り返る彼女に、俺は特大のカウンターを喰らわせる。

「当然俺のことも呼び捨てだよな?」

「え?」


 喜律が人を呼び捨てにしたところなど聞いたことがない。それは俺も例外ではなく。でも今まで指摘しないでいた。他人を尊重する彼女のポリシーなのだろうと配慮して。


「でも喜律は俺に呼び捨てにするよう求めた。リリカを引き合いに公平性を求めて。だったら言わせもらうけど、対等な恋人同士なのに呼び方が違うのは不公平だと思わないか」

「……まあたしかに」

「じゃあ成仁さん、じゃないよな?」

「……うーん」


 明後日の方向を向いて唸る。額に汗がにじんでいる。おそらく冷や汗。相当抵抗があるらしい。

 わかる。喜律は人一倍、いや人十倍は真面目な人間。万人に敬意を抱いている彼女にとって、呼び捨てとは一線を越える行為。一般人の感覚で言うところ法定速度三十キロオーバー。良心の呵責に苛まれるのだ。


「ではどうぞ」


 まあやってもらうけどね。

 だって俺たちはもうそれくらいの関係だもの。


「ぬぉう……難しい要求です」

「人に求めておきながら自分はやらない。そんな人じゃないと思うけど」

「そんな人じゃありません」

「じゃあできるよね」

「できま……すぇん」

「どっち?」

「……」


 黙っちゃった。


「このままだと次の授業に遅れるよ。模範的生徒の喜律さんが遅刻なんてしたら全校集会の議題に上がっちゃうよ」

「遅刻は……ダメ」

「じゃあやるしかない」

「……そうですよね。人に要求しておいて自分は棚上げなんて、家電浸水です」

「田んぼに水を引きすぎて家が浸水しちゃったのかな」


 予鈴が鳴る。残り五分。もう一刻の猶予も残されていない。


「わかりました……」


 ! これは覚悟を決めた者の目だ。

 ついに初の呼び捨て。こぶしを握る力が強くなる。ここを乗り越えた瞬間、俺たちの関係はさらなる境地に達するのだ。


「……いきます」


 意を決した喜律は口から大きく息を吸い込んで……、

 ……鼻から出した。


「おい」


 下を向いた彼女の肩がプルプル震えている。やめろイジメてるみたいじゃないか。


「………………ます」

「え?」


 聞き取れず耳を傾けると、爆音で、


「呼び捨てなんて断固拒否します!」


 そう叫ぶと、きれいなスライド走法で出口に直行。


「おい! 自分で決めたことを守らないなんて謹厳実直な矢走喜律のすることか!」

「知りませーん! 成仁さんが悪いのです!」


 捨て台詞を残してバタンと扉が閉まる。


「……ったく」


 フフッと笑ってしまった。

 これが矢走喜律だ。

 実直ちゃんでもサキュバスでもない、わがままで自分に素直な普通の子。

 そんな彼女を好きになったんだ。


「あの、授業には遅れないように」


 小さく開いた扉から顔だけを出す彼女。


「……わかったよ」


 待たせては悪いので急いで彼女に駆け寄る。

 そして二人で階段を下りていった。

 走らないように、けれども授業に遅れないように早足で。

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俺の彼女(仮)は真面目で誠実で優しくて、そしてサキュバスです 中田原ミリーチョ @kaguyaxx

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