たった今強盗してきた宝石を君に贈るよ

橙山 カカオ

たった今強盗してきた宝石を君に贈るよ


 イリーナが差し出した指輪は、大粒のルビーが美しい、豪奢なデザインだった。


「ヘイ、グラディス。今日もクソ詰まらなさそうな顔してんね。これでも見て元気出しなよ」


 シスター・グラディスは、きらめく指輪と、イリーナの中性的な美貌を見つめた。うっすらと頬を赤くして、深呼吸。震えを抑え込んで問いかける。


「……こんな素敵な指輪、どうしたの?」

バラ通りローゼス・ストリートのシュルツ宝飾店から強盗もらってきた。ショーウィンドウを割っただけで用心棒どもが逃げ出したのは傑作だったわ。人件費をケチるやつはダメだね」


 すう、と大きく息を吸う音。

 グラディスの孤児院で保護されている子供たちが、気配を察して逃げ出した。


「――返してきなさい、馬鹿者ッ! 懺悔させるわよ!!!」




 孤児院〈スプリング・ハウス〉のシスター・グラディスは、子供たちにも地元の住民にも慕われる、優しくも頼もしい聖職者だ。


「…………」


 深夜、グラディスは礼拝堂で祈りを捧げていた。神を尊ぶの前に跪き、瞼を閉じ、手を合わせる。

 丸めた背中に、イリーナのつまらなさそうな声が投げかけられた。


「いつまでやってんのさ、それ」

「……イリーナ。ちゃんと宝石は返してきた?」

「はいはい。もう一回行ったら流石に撃たれるだろうから、保安官シェリフの事務所に放り込んできたよ。イリーナ様がキスしてやった宝石だ、3割増しで売れるだろうさ」


 金属をはめ込んだブーツの踵が、礼拝堂のぼろぼろの床を削る。どさっと行儀悪く長椅子に尻を下ろし、銃をホルスターから抜いて薄暗い明かりで整備を始めた。

 祈りの場に、静かな金属音が響く。


「なんであの指輪、受け取らなかったんだよ」


 女の手にはやや大きい、重厚な金属の塊――回転式拳銃リボルバーの部品を丁寧に掃除しながら、イリーナがふと問うた。

 問いの声が礼拝堂の静謐な空気を震わせて、再び沈黙に戻る前に、イリーナが続ける。


「この前金塊インゴットを盗んできた時も。煙草を一山奪ってきた時も。結局突き返しやがって。孤児院の財布、キツいんじゃねーの?」


 問いかけられて、数秒……数分。

 グラディスがようやく顔を上げ、立ち上がった。イリーナのそばに歩み寄り、その燃えるような赤い髪をそっと撫でた。


「ありがとう。孤児院のこと、心配してくれてるんだ」

「違ぇーよ。金なんてその辺にのに、わざわざ餓えを選ぶ理由が分からないだけだ」


 撫でてくる手を銃の筒先で払いのけて、イリーナが見上げる。真剣な笑顔と呼ぶべき、つまりはいつも通りの表情を睨んだ。


「なあ、グラディス。あたしらはそうやって生きてきたはずだろ?」

「……そうね。あなたは間違ってない。でも……」


 少しだけ、沈黙。


「私は、そうじゃない生き方にも挑戦してみたかったの」

「……左様で。ご立派ですね」

「立派じゃないわ。ただのわがまま。でも、あなたの気持ちは本当に嬉しい」

「気持ちで腹が膨れるかい?」


 きん、と小気味良い音を立てて銃にパーツが戻る。軽く整備した銃を手元で確かめるように握ってから、ホルスターへ戻した。


「ヘイ、お優しいシスター」

「何かしら、迷える子羊さん」

「アンタのせいで欲求不満だ。宝石を売って良い肉でも喰おうと思ったのに。つーわけで、アンタが解消してくれよ――カラダで」

「…………まだ反省が足りないみたいね」


 グラディスの、優しい笑顔。

 イリーナの胸倉を掴んで立たせると、そのまま礼拝堂の隅にひっそりと作られた小さな扉へと向かって引きずっていく。


「そんなに元気なら、いいでしょう。神の愛の何たるかを叩き込んで……いえ、刻み込んであげる」

「おい待て、またクソ退屈な話を朝まで――」

「今夜は寝かせないぞ♡」

「やだぁぁー……」



 孤児院には二十数名の子供たちがいる。新たに拾われてくる子もいれば、出ていく子もいるから、その人数は流動的だ。

 年齢も人種も幅広く、となれば、そこに静寂と平穏は存在しない。


「わぁああん! うわぁああ!」

「はいはい、どうしたのコナー。泣かないの。転んじゃったのか。痛いね。ラリー、救護室に連れてってあげて!」

「シスター、おなかすいた! ごはん!」

「夕食は18時の鐘が鳴ってから。厨房で年長の手伝いをしてきなさい、エルマー。つまみ食いはダメですよ!」

「……、……ぐす……っ」

「大丈夫、オリヴィア? ……ん、良い子、良い子。泣くのを我慢しなくていいのよ。神様は見て下さっているから。……ジェームズ! またオリヴィアをいじめたな!? 懺悔させるわよ!」

「やべえ! 逃げろ!」


 騒がしい孤児院の庭を馬上から眺めて、イリーナは思わず笑ってしまった。銃撃戦でもここまでは混沌としていないだろう、としばらく見守っていると、子供たちの数人が近寄ってきた。

 きらきらした瞳で見上げる子供たち。銃を抜き、片手でくるくると回すガンプレイを見せてやる。賞金稼ぎにして賞金首、〈百万首ミリオネア〉、〈厄災女ディザスター〉、〈焼き討ちバーベキュー〉イリーナは、挑発用のガンプレイも一級品だった。


「わぁ!」

「かっけぇ……」

「ふふん」


 素直に褒められるとまんざらでもなく、どれ一発リンゴでもぶち抜いてやるかと視線を巡らせ――グラディスと目が合った。


「やべ」

「イリーナ! 子供たちの前で抜くなって言ってるでしょ!」

「へーい」


 くるくる、すちゃ。ホルスターに収める仕草もちょっと気取って見せ付ければ、また男子たちと一部の女子から歓声が上がった。

 馬を降り、近寄ってくるシスターに馬の背に積んだ袋を示す。


「差し入れだぜ、グラディス。上モノの砂糖だ」

「砂糖? ……馬と砂糖、どうしたの?」

「あー……馬は……借りた。砂糖は……えー……落ちてた」

「嘘をおっしゃい」

「本当だって。行商の馬車と行き会ってな。『ようハイ、ジャック。調子はどうだい』『ぼちぼちだな。そういや、あっちに砂糖が落ちてたぜ。馬を貸してやるよ』『サンキュー、今度いい女を紹介するよ』……そんな感じで」

「正しいのは『ハイ、ジャック』までじゃない! 馬車強盗はやめなさいとあれほど……!」


 『ハイジャック』は馬車強盗の合言葉のようなものだ。もちろん、本当に言うならず者は多くはない。


「とにかく……戻してきなさい。誰も怪我させてないでしょうね」

「えー」

「えーじゃありません!」


 押し問答をする二人に、横から声が掛かった。

 低く、抑制の利いた、壮年の男の声だ。


「その必要はない」

「……ミスター・ガーフィールド」


 上質のスーツを着たリチャード・ガーフィールドは、背後に黒いスーツの集団を従えて孤児院の庭を我が物顔に歩く。


「よう、ガーフィールドのオッサン。また太ったな、ボスの椅子はそんなに座り心地がいいか?」

「てめえ! ボスに何て口を――」

「いちいち挑発に乗るな。イリーナ、その砂糖は落ちていたと言ったな?」

「ああそうさ。きっと神のお恵みだね」

「何処に落ちていたかね。が一緒に落ちていただろう」

「さて、どうだったかな。街道を2km東に行ったところだ。、まだその辺に落ちてるんじゃないか? あたしは砂糖以外に興味はないんでね」


 数秒のにらみ合い。

 イリーナの手に一瞬力がこもり、ホルスターに伸びかけて、止まる。

 ガーフィールドは微動だにせず……ややあって、部下に命じた。


「街道沿いだ。人をやれ」

「はい、ボス」

「アンタが落とし主だったのかい? 御者を怒らないでやってくれ、あいつはただ良いやつだっただけだからな」

「わかってるとも、イリーナ。それで、シスター・グラディス」


 ガーフィールドの視線が、今度はグラディスに向く。グラディスは子供たちを孤児院の中に避難させたところで、背筋を真っ直ぐに伸ばして向かい合った。


「何でしょうか、ガーフィールドさん。お祈りでしたら礼拝堂へどうぞ」

「間に合っとるよ。この前の話は考えてくれたかね」

「……申し訳ありませんが。何度言われても、この孤児院を……土地を売ることはできません」

「こんな郊外ではなく、都市シティのアパートメントに移動するだけの金は払うが」

に?」

「その方が安全なのはわかっているだろう」

「……お心遣いに感謝いたします。ですが……数世代前とはいえ、善意で寄進頂いた土地ですので」

「そうか。まあ、もう少し考えてから結論を出してくれ」


 言い残し、ガーフィールドは配下を従えて出ていく。

 グラディスが深々と吐息して、イリーナも力を抜くように手をぶらぶらと振る。


「やれやれ、歳を喰っても〈ウルフ〉は健在か」

「マフィアのボスともなると、やっぱり凄い迫力ね……」

「売っちまった方がいいんじゃないか? 線路が通って新駅ができるって話しだろ? マフィアもギャングもカモッラも大騒ぎだ。巻き込まれる前に……」

「……そう、なのだけれど。都市では子供たちの生活が大変だし、……彼にはもう少し、別の意図も感じるから」


 こーん、と軽い音を立てて、18時を告げる鐘が鳴る。

 荒野の向こうに沈んでいく夕陽を、しばし二人で見つめる。


「一緒にご飯、食べていく?」

「要らねえよ。ガキどもと一緒に貧乏くさいスープなんてのは御免だ」


 チャオ、と手を振って、イリーナも立ち去る。



 都市に買い出しに出かけた孤児院の子供が二人、ひどい怪我をして帰ってきたのは、その翌日のことだった。






 救護室のプレートが掛かった部屋には、薬棚と、他の部屋より多少はバネが生きているベッドが三つ置かれている。

 とぼしい設備で、全身に怪我を負った二人の子供を必死に手当てし、全身に包帯を巻いて鎮痛剤と解熱剤を飲ませたところで、グラディスはようやく一息ついた。時刻は既に深夜。明日には街の病院に連れていかなければならないだろう。


「あとは私が見ておくから、皆はもう休みなさい」

「でも……シスター……」

「手伝ってくれてありがとうね、ラリー。オリヴィアも。落ち着いたから、大丈夫。さ、神様にお祈りしてゆっくり休みなさい」

「うん……」


 最後まで手伝うと言い張っていた二人を部屋に返し、椅子に腰を下ろす。とたん、全身が沈むような疲労感に襲われて、グラディスは呻いた。

 疲労感――だけではなかった。


「……ごめん、ね。私が……」


 犯人はわかっている。ガーフィールド・ファミリーだ。これは警告ということだろう。

 土地を売らなければ、また子供たちが犠牲になる。より強硬な手段に出てくるかもしれない。


「…………、?」


 こんこん、と、窓が叩かれる音。

 グラディスは重い身体を何とか持ち上げて、警戒しながら窓に近付く。窓の外に……ホットドッグが見えた。


「……ええ?」


 窓を開けると、ホットドッグは幻ではなく、イリーナの手が美味しそうなパンを支えていた。


「イリーナ……。何でそんなところに」

「ガキどもに見られたら、アンタ、喰えないだろ。ほら。……ちゃんと金を払ってきたやつだからな」


 押し付けられるホットドッグ。それが本当の意味での差し入れなのだと気付いて、グラディスは思わず噴き出した。


「……ふふ。嬉しい。ありがとう、頂きます」

「ん」


 ホットドッグを受け取ると、イリーナも手にした袋から自分の分を取り出した。グラディスは窓に寄りかかり、イリーナは孤児院の外壁に背を預けて、冷めたホットドッグを二人で咥える。


「なあ」


 イリーナがふと呟く。


「どう考えても、ガーフィールドの連中だろ。神様ってやつは、ここまでされてもまだニコニコ祈ってろって言うのか」


 グラディスは小さく震えて、だが言葉を挟まずに頷いた。


「反撃もしねえ、逃げもしねえ、そんなやつはカモですらない、ただのマトだ。なあグラディス、お優しいシスター・グラディス、?」


 乾いた風が吹く夜の荒野に、イリーナの言葉が落ちる。数秒の沈黙。グラディスが窓から手を伸ばした。イリーナの胸元を掴み、強く引き寄せる。

 互いの吐息が触れる距離。

 涙をためた瞳が、イリーナを睨みつけた。


「あなたが正しい」


 声を振り絞る。


「彼らは私の大切な子供たちを傷付けた。報復しなければならない。徹底的に叩き潰して、自分が何をしたのか思い知らせ、表通りを一生歩けなくしてやるのが正しい。――それでも」


 グラディスは歯を食いしばり、一語一語ごとに熱のこもった吐息を漏らす。胸元を掴んだ手は力が入りすぎて震え、指が折れてしまいそうだった。


「……それでも、暴力に訴えてはならない。隣人を――あの大物ぶった最低の下衆〈狼〉野郎を、許し、愛さなければならない」

「はッ。最高のジョークだ、2,000年前ならな」


 イリーナは、嘲笑でもって、怒りと抑制に満ちたグラディスの言葉に答える。

 胸元を掴む手をぱんと叩いて離させると、ホットドッグの最後の一口を食い、瞳に熱を覗かせて問うた。


「あたしと、アンタで、やっちまおうぜ。先に手を出したのはあいつらだ。昔みたいにぶち殺して全部奪うんだよ。そうすりゃ、ガキどもを良い医者にも診せられる」


 物騒な言葉と、真摯な声音。

 グラディスはしばし目を伏せて、胸元で手を組んだ。指を深く組み合わせて……決して銃を持たないと示すように。


「いいえ、イリーナ。私は……殺さない。奪わない。報復しない。神の名において」

「……アンタも同じ地獄で育ったくせに、グラディス。神様なんてものを、どうして信じられるんだ?」

「地獄と呼ぶしかないような悲劇を……本気でどうにかしようとしてきたのが、宗教というものだからよ」

「あたしには……わからねえな……」


 ふふ、とグラディスは苦笑した。身体から力が抜ける。


「私だって、わかってるわけじゃないわ。そう信じて進むしかない、だけ」


 ゆっくりと手をほどき、残していたホットドッグを咥える。

 そう囁くシスター・グラディスの表情に、怒りの色を感じ取るのは難しく。

 イリーナは肩をすくめてその場を立ち去る。


「……泊まっていかない?」

「孤児院はガキのための場所だろ。あたしはもう、ガキは卒業したんでね」




 ヒナギク通りデイジー・ストリートのパン屋で、店員を大いに怯えさせながら買った見舞いの菓子を手に、イリーナは孤児院を訪れた。

 門をくぐると大抵は庭で遊んでいる子供が飛んでくるのだが、今は誰もいない。晴れた午後の庭に子供がいないだけで、何とはなしに寂しさを覚える光景になる。


「今日はガキどもも安息日か?」


 勝手に孤児院の建物の中へ入ったイリーナを出迎えたのは、子供たちの元気な声ではなく、室内に満ちるすすり泣きだった。泣き声を辿って、部屋に入る。

 窓もカーテンも閉め切って薄暗い部屋の中央に、グラディスが寝ていた。

 穏やかな、寝顔だった。


「……」


 シスターの衣服にはいくつもの穴が空き、血が黒く固まっている。抵抗したのか、傷を抑えたのか、手も血まみれのまま胸に乗せられたいた。その下の心臓が動くことはもうない。


「はッ……」


 イリーナが笑う。

 子供たちの何人かが彼女を見る。すすり泣いている者が大半で、力なくうずくまるもの、グラディスの顔を茫然と見つめる者、拳を握り締めて震える者。

 笑い飛ばすように、イリーナは声を上げた。


「神だの愛だの言っておいて、このザマか。笑えるぜ、シスター・グラディス。『犬死に』ってタイトルで礼拝堂に飾ってやりたいくらいだ」


 手に持った菓子を放り投げ、動かないグラディスの身体に落とす。

 子供たちの数名が怒りを露わにイリーナを見て……声を失う。この場で誰よりも怒っているのが誰か、理解したからだ。


「……イリーナさん」


 悪戯者のジェームズが声を掛ける。涙をこらえるために歯を食いしばりすぎて、その声は小さい。


「ガーフィールド・ファミリーってのがやったんだろ。どこにいるか、教えてよ」

「へえ。何だってそんなことを知りたがる? ジェームズ」

「決まってんだろ! 復讐だ! ぶっ殺してやる……!」


 だん、と強く床を踏み鳴らす。ぼろい床が、ぎしりと軋んだ。


「そうだ……シスターにひどいことを……許せない」


 年長のまとめ役、背の高いラリーが言う。


「あやまら、せなきゃ」


 料理上手のクレアがいい、食いしん坊のエルマーが頷く。

 そうだ、と誰かが言い、そうだよ、と誰かが呟く。

 ――復讐を。

 子供たちの熱が、この場の唯一の大人であるイリーナに向く。


「なあ」


 その熱を受けて、イリーナは問うた。


「グラディスは、お前らにを教えたか?」


 しん、と沈黙が落ちた。燃え上がりかけていた悲しみと怒りと復讐の炎が、イリーナの涙で消されてしまったかのように。


「いいぜ。ガーフィールドの居場所を教えてやる。銃もくれてやる。殺し方だって教えてやるよ。鉛玉をばらまくことだけがあたしの取り柄だからな。だけどさ……お前らは、違うだろ? グラディスはお前らに復讐しろって言ったか? やられたらやり返せ、奪え、殺し尽くせって教えたか? あいつはそうやって育ったくせに、お前らには絶対にそう言わなかったはずだ。だから――」


 だから、イリーナはその場に膝をついた。

 ぼろぼろと溢れる涙は、グラディスの死に対してのものではない。

 畜生、とイリーナは思う――


「だから、頼むよ。お前らは殺すとか言わないでくれ。悲しいのはわかる。キレてるのもわかる。殺したいくらい憎いのも……わかる。だけど、お前らはグラディスの子供だ。お前らがあいつを継がなかったら、あいつの意志はどうなっちまうんだ? あいつの願いは、努力は、結局無意味だってことか? ――頼むよ。後生だ。グラディスのクソみたいなジョークにも意味があったと思わせてくれ…………」


 グラディスの言葉が脳裏によみがえる。『本気でどうにかしようとしてきたのが、宗教というものだからよ』。子供たちには地獄に踏み込んでほしくない。グラディスが子供たちをのだと、イリーナは信じたかった。

 ……返事はなかった。

 ただ、うずくまって泣くイリーナとともに、子供たちは泣き続けた。陽が沈み、夜が明けるまで、皆で泣き明かした。





 イリーナがガーフィールド・ファミリーの事務所を訪ねたのは、シスター・グラディスの葬式から数日後だった。

 有名なガンマンの女だと気付いた見張りは、にやりと下卑た笑いを浮かべて凄んだ。


「よう。誰に尻を振りに来たんだ、お嬢ちゃ――」


 返答は、鉛玉だった。抜きざまに撃ち放った弾丸が男の下腹部を貫く。避ける暇も、もう一人の見張りが反応する暇もない早撃ち。


「っぎゃああああああ!?」


 イリーナはその銃をもう一人の見張りへ向ける。懐に手を入れたところで、動きを止めさせた。


「ヘイ、いつからガーフィールド・ファミリーはしゃべる帽子置きを玄関に置くようになったんだ? 良い趣味だが、ちょっと音量がデカいな。お前らのボスが耄碌して耳が遠いからって、客を困らせるのは良くねえよ」

「……なっ……何しに……来やがった、厄災女ディザスター……」

「何しに、ってお前なァ……。あんまりバカなこと言うんじゃねえよ」


 引き金が引かれる。撃鉄が落ちる。銃口から弾丸が飛び出し、見張りの腹を貫いた。


こいつを、人殺し以外の何に使えばいいんだ? ……玄関のドアベル代わりにはなるか」



「ボス、退避を……」

「要らん」


 事務所の奥では、幹部たちが会議をしているところだった。〈厄災女ディザスター〉の襲撃が報告されても、ボスは気にする様子もなく会議を続ける。

 若い頃、〈狼〉と呼ばれた男の矜持がそうさせたのか。

 報告から十数分後、イリーナがその会議室に飛び込んだ時も、ガーフィールドは椅子から立ち上がりすらしなかった――代わりに、その場にいる他の全員が銃を向けた。


このクソ野郎がファック・整備もロクにしファック・てねえクソ銃撃ファック・たせやがってユー!!」


 叫び声。重なる銃声。

 腹と肩を撃たれた黒服を盾代わりに、イリーナが室内に躍り込んだ。適当に奪った銃から弾丸をばらまく。苛立ちの言葉を吐くたびに、弾丸がマフィアたちを端から撃ち抜いていく。

 イリーナも無傷では済まなかった。全身のいたるところに傷が刻まれ、腹に一発、二の腕に一発、銃弾が通って穴が空く。

 それでも、勝者を決めるならばイリーナだった。マフィアたちが部屋中に転がってうめき声を上げる中、血まみれの姿で跳び、卓の上からガーフィールドへ銃を向ける。

 応じるように立ち上がったガーフィールドもまた、重い黒の銃を引き抜いた。

 交錯する視線と銃口。


「なぜ殺さない?」


 本気で理解できないと言いたげなガーフィールドの問い。


「神の愛さ」


 今世紀最高のジョークを口にするようなイリーナの答え。

 マフィアたちは死んでいなかった――同士討ちや、盾にされた者を除いて。腹や足や肩を撃ち抜かれて銃を奪われ、放っておけば失血死するだろうが、イリーナは誰も殺していなかった。


「シスター・グラディスの仇討ちか。生きて帰れると思ったか、イリーナ?」

「はッ。老いたな、〈狼〉……いや、〈野良犬〉だったか? このあたしが、〈焼き討ちバーベキュー〉イリーナが、この程度の皆殺しに10分も掛けると思ってんのか、本気で?」


 ガーフィールドの目に、わずかな疑念が浮かぶ。その疑念は正しく、だが手遅れだった。

 どん、と低い爆発音が数発。ばちばちと何かが弾ける音。ごうごうと燃えあがる炎の音と熱――

 イリーナが仕掛けた火薬と油が、屋敷の数か所を同時に焼き始めた音だった。


焼かれる前に逃げられるだろ。クズどもにそんな殊勝な心があればな。――だが、てめえだけはあたしが殺す」

「奇遇だな。俺も同じ気分だよ」


 指が動く。引き金が引かれ、銃口を避けるように身を躱し合い、銃声、銃声、距離を離すことなく再び狙いをつける。

 重なる銃声。

 銃弾がイリーナの胸を穿ち、貫通し、壁に突き刺さる。

 銃弾がガーフィールドの眉間を撃ち抜き、脳漿をまき散らす。


「…………っが、は」


 ガーフィールドの死に顔を見ないまま、軽く吹き飛ばされたイリーナが床に倒れる。既にこの部屋にも炎が迫り始めていた。燃える炎には複雑な色と香りがついている事実に、イリーナは血を吐きながら満足する。


「あいつは……酒も、クスリも、やらなかった。宝石も、要らねえって、言うし。けど……天国でなら……多少は味わっても、いいだろ、かみさま……」


 ガーフィールド・ファミリーが蓄えていたが、屋敷と共に燃えていく。逃げられなかった不運な構成員と、何人分かの死体を飲み込んで、炎はますます燃え盛った。

 胸の傷は心臓を外れていたが、助かる傷ではない。炎よりも先に煙が部屋に満ちて、痛みと出血と空気不足でイリーナの視界が歪んでいく。色を失い始めた視界の端に、何かが見えた。


「……あァ?」


 必死に首だけをそちらに向ける。煙を避けて走ってくるのは一人の少女だ。変装のつもりか、煙避けか、色鮮やかな布を顔に巻いているが、その正体は一目でわかった。


「……おま……え、なにやってんだ、オリヴィア……」


 孤児院の子供の一人。泣き虫で、よくグラディスに慰められていた少女、オリヴィアだ。

 今も涙を溜めて、だが決意がこもった瞳でイリーナを見つめている。駆け寄って、その腕を掴む。


「ころし、に、きた」

「ころ……なんだって?」

「はぁ……はぁっ……。……おねえさん、みたいに。強くなって。シスターを、ころした人を、ころしたくて」


 小さな体に、どれだけの力を込めているのか。血まみれで動けない、ほとんど死にかけのイリーナを、少しずつ引きずっていく。

 だが間に合わなさそうだった。万が一にもガーフィールドを逃がさないために配した炎は、既に部屋を囲んでいる。


「くっ、くく……あはははッ! づっ、痛ェ……クソ……笑わせやがって。グラディス……やっぱりこの世は……ちょっとだけ救いのある、地獄だぜ……」


 大笑いした拍子に胸の銃創からさらに血が溢れる。空気を押し出す力も失い、声はかすれていく。

 最期の力を振り絞って、イリーナは銃を持ち上げた。グリップを固く握りしめた手から、力を抜く。


「オリヴィア。……頼みがある」

「んっ……! はあっ……、おねえ、さん?」


 銃を差し出す。銃弾は2発。撃鉄を起こし、いつでも撃てる状態でオリヴィアの小さな手に押し付けた。


「胸に、一発。撃って、さっさと、逃げろ。その銃を持って……保安官シェリフの、事務所へ」

「どう……して?」

「あたしの首には……賞金がかかってる。どうせ死ぬなら……金に換わって死ぬ方が、マシだ」


 銃を押し付ける手は弱々しく震えている。手に手を重ねて、オリヴィアは泣く。その手から力が抜けていくのを感じて、強く強く握りしめる。


「でき、ない」

「やれ、オリヴィア。グラディスを……まもれなかった……バカを、ころし……、く、――……」


 イリーナの言葉が止まる。唇から漏れる吐息は、一回ごとに弱まっていく。

 すぐそこまで迫った炎に髪を炙られながら、オリヴィアは押し付けられた銃をイリーナに向け――

 


 銃声が、響いた。

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