三日後の誘惑

旗尾 鉄

第1話

 事件は水曜日の昼、大学の学食で始まった。


 カレーを召し上がる俺に、二人の女子学生が話しかけてきたのだ。


 ショートボブのほうは、まあどうでもいい。幼馴染の翔子だ。中学から大学までエスカレーターだったので、飽きるほど知ってる。

 高校時代に一か月ほど付き合ったけど、パスタの食べ方が汚いと言って一方的にふられた。そういう間柄である。


 黒髪ロングで女神のようにお美しいのが、大学で知り合った加納美鈴さんだ。才色兼備、理想のお嬢様だ。加納さんに恋しない男子はホモ・サピエンスではないと思う。


 加納さんはモジモジしている。翔子が代弁した。


「祐ちゃん、美鈴が土曜日、家に来てほしいって」

「!?」

「ご両親が出張で美鈴ひとりなんだって。で、お泊りの用意してきてほしいの」

「!!」

「夕食も用意しとくって」


 お泊りの部分で声を潜めて翔子は言った。これは俺を笑い者にするためのドッキリだろうか?


「よ、よろしくね、高山君」


 恥ずかしそうにはにかむ加納さんに、俺はカクカクと首を縦に振ることしかできなかった。






 加納さんと、お泊りだ!

 手料理で!


 今日は水曜だから、木金土、三日後だな。

 俺にもモテ期が来たんだなあ。生きててよかった。


 そうだ、加納さんのこと、なんて呼ぼうかな。来週からは高山くん加納さんってカンケーじゃなくなるよね。

 美鈴。いきなり呼び捨てはちょっとな。親しき仲にも礼儀っていうしな。

 美鈴ちゃん。はイメージ違うな。

 ミーコとか? いや、愛称は呼び捨てよりまずいだろ。

 あー楽しい。ついついニヤけてしまう。


 思えばこの段階で、俺は気づくべきだったのだ。

 俺と加納さんは同じ大学とはいえ、会ったら挨拶したりちょっと話す程度の顔見知りレベルだ。とつぜんお泊りデートなんてありえない。不自然すぎる。


 だが舞いあがった俺の心と脳は、そんな常識的な判断をすることすら拒絶していたのだった。






 土曜日、夜七時。


 俺は加納さんの家の前にいる。結構大きい一戸建てだ。


 爪は切った。鼻毛も切った。口臭シュッシュも買った。

 ネットで調べて、女子が好きなトークネタも仕入れた。いざ行かん。


 チャイムを鳴らすと、聞きなれた声が返事をして翔子が出てきた。


 なんでいるんだと言いたいところだが、ちょっとほっとした。いきなり二人きりは緊張するからね。


 リビングでは、加納さんがお茶を準備していた。

 俺を見て恥ずかしそうに微笑む。かわいい。


 翔子がテーブルの上のレジ袋を開く。高級ウナギ弁当が出てきた。


「美鈴、祐ちゃんのために高級なヤツ買ってくれたんだよ。祐ちゃんウナギ好きでしょ。美鈴、食べよー」


 え、夕食、手料理じゃないの?

 ウナギ好きだし美味しかったけどさ、なんか違ってない?


 夕食が終わっても、翔子は帰る気配がない。テレビを見て談笑している。加納さんが席を外した隙に、俺は翔子に言った。


「翔子、まだしないのかよ?」

「え? あたし泊まるんだよ?」


 俺は愕然とした。なに言ってるんだ?


「最近この地区に、下着泥棒が出るんだって。美鈴が今夜一人じゃ怖いっていうから、あたしが泊まることにしたのよ。ついでに祐ちゃんも呼んで、下着泥棒を撃退できたらもっといいかなって」


 呆然とする俺に、竹刀が渡された。


「美鈴のお父さん、昔剣道やってたんだって。祐ちゃんもやってたでしょ。裏庭のベランダには、囮の下着が干してあるから」


 中学で剣道やってたけど、練習が厳しくて半年で辞めたんだぞ。翔子も知ってるだろ?


「じゃ、あたしたちは美鈴の部屋で寝るから。祐ちゃんリビングのソファね」

「高山くん、ごめんね。よろしくお願いします」


 二人は二階へと消えた。






 真夜中、俺は翔子に揺り起こされた。


 翔子は無言で、ベランダを指差す。カーテンの向こうに、男の影が動いている。


 俺は一気に、頭に血が上った。

 あの野郎、加納さんの下着に触っている!

 下着に触るということはつまり、間接じゃないか!

 俺は見たことすらないのに! 悔しい! 悔しすぎる!

 断じて許せん!


 俺は掃き出し窓から、裏庭へ飛び出した。


 予想外のことに、泥棒はパンツを握りしめた状態で動揺している。

 俺はありったけの悔しさを込めて、渾身のメンを放った。

 竹刀は肩をかすめただけだったが、泥棒は驚き、一目散に逃げていった。





 取り戻したパンツを泥棒以上に固く握りしめ、俺は心配そうな加納さんにそれを差し出した。


 なぜか加納さんは困り顔だ。

 すると、翔子がパンツを受け取った。


「ありがと。これ、うちのお母さんのやつ借りてきたんだよね」


 ……そういうことか。

 ちゃんと洗濯してあったのだろうか。俺はそっちのほうが少し気になった。






 翌日。


 加納さんの家から帰る途中、翔子がなにかを手渡した。


「美鈴からのお礼だって。人気レストランの割引券。毎週水曜のディナーが半額になるの。一緒に行こうよ」


 今日が日曜だから、月火水。三日後か。


 悪戯っぽく笑う翔子の顔を見ているうちに、俺はなんだかワクワクしている自分に気づいてしまったのだった。

 

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三日後の誘惑 旗尾 鉄 @hatao_iron

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