先輩開発日記

星乃森(旧:百合ノ森)

N人目の先輩

 14日目:とうとう先輩は壊れてしまった。最低限の水と食事しか与えなかったからだろうか?発する言葉は私の名前ではなく、「いっそ殺して」という弱々しいものだけになった。


 15日目:巷では素行不良で恐れられていた“先輩”も、こうして牙を抜かれてはどうしようもないらしい。所詮は見せかけだけの問題児だった、ということだろう。鎖に繋がれ虚空を見つめる“先輩”は、ただ心臓が動いているだけの動物に過ぎない。さて、新しい“人”を探さなくては。

 紫苑は好みの上級生を見つけては、よく自ら話しかけに行っていた。

 その先輩が自分の通う学校の上級生だろうと、違う高校の生徒だろうと、構わず声をかけた。

 今日も制服のスカートをなびかせながら、にこやかな笑顔で理想の“先輩”に接近する。


「あの~、すみません!」

「私?」


 学校からは遠く離れた、“先輩”の最寄り駅と思しき街中で対象を呼び止める。

 声をかけられたその上級生は突然のことにキョトンとしながらも、紫苑が同じ制服を着ていたからか、特に訝しむ様子もなく紫音に相対した。


「……君?」

「あの……実は、モデルさんみたいに背が高い先輩のことを、ずっとカッコイイと思ってて!」


 紫苑は事前に調査した相手のプロフィールに基づいて、接触した理由をでっち上げた。


「え~、何々?ドッキリとか?」


 “先輩”は満更でもなさそうな顔で周囲を見回した。

 女子にしては長身で、切れ長の瞳を有する彼女は綺麗系という方が合っているだろう。


 そして、その見た目の反面やや戸惑った様子でキョロキョロするギャップも、紫音にはたまらなかった。

 決まりだ。紫苑は心の中でガッツポーズをきめた。


「君、その制服って私と同じ学校だよね?」

「はい。1年生です!紫苑って呼んでください!」

「そうなんだ。紫苑ちゃんも家がこの辺りなの?」

「そうなんですよ!たまに先輩のことを見かけて、憧れるなって思ってたんです」

「あっはは……力説されると照れるなぁ。あ、私のことは“とうの透乃”って呼んでね」

「も、もう少し距離が近くなったら呼ばせてもらいます!」


 若干頬を赤らめる“先輩”と、傍から見れば微笑ましい会話を展開しながら、紫苑は次の行動に出た。


「そういえばここのお店って、カフェラテが特に美味しいって有名ですよね」


 “先輩”の個人情報と共にリサーチしておいた知識を活かし、さらなる一手を打つために動いた。


「それは聞いたことあるかも。でも行ったことはないんだよね」

「地元だと有名な観光スポットでも行ったことないっていう、あるあるですね~」


 どうやら調べた通り、本当にこのお店に行ったことはないらしい。

 これは好都合とばかりに紫苑はお店に行こうと誘った。


「良かったら、お近づきの印に寄ってみませんか?」

「んー……まぁ、たまには良いのかな」


 “先輩”をお店に誘うことに成功した紫苑は、さり気なく彼女の手を取って入店した。

 カウンターで人気商品のカフェラテを注文し、ちょうど2人分空いていた隅の席に座った。


「そうだ、お水取ってくるけど紫苑ちゃんも飲む?」

「お願いします」


 紫苑の返事を聞いて“先輩”は少し離れたカウンターへ向かった。

 ピッチャーを傾けグラスに水を入れる“先輩”の背中が見える。

 即座に通学鞄から分包紙を取り出し、中にある粉末状のものを“先輩”のコーヒーに投入した。


「ほいっと、これで完了……」


 席に戻ってきた“先輩”が飲み頃になったカフェラテを一口ずつ飲んでいく。

 同時に毒も飲まされていることなど知る由もなく。


「あ……なんだか、眠気が」

「せ、先輩!」


 そして“先輩”はテーブルの上に突っ伏した。

 慌てて名前を呼んでみる紫苑の顔に焦りの色はなかった。

 1日目:例の先輩を捕まえた。間近で見るとそのカッコよさが際立っていた。さて、この人は名前を呼ぶに相応しいだろうか。


「し、紫苑ちゃん!これはどういうことなの!?」


 “先輩”は両手両足を鎖で壁に繋がれたまま、目を白黒させていた。


「あ、目が覚めたんですね。日光も電気もない地下室なのに、意外に早く起きたので驚きました」


 間反対の駅から自宅まで彼女を持ち帰るのは大変だったが、こうしてあられのない姿になってくれると頑張った甲斐があったというものだ。

 一応制服は着せているが、脇や太ももを閉じるのは不可能な姿に“先輩”は顔を赤らめていた。


「ダメですよ、先輩。同じ学校の後輩とは言っても少しは警戒心を持たないと」

「まさか私の飲み物に――」

「はい♪それでは、先輩はこれからの毎日を頑張ってくださいね」


 “先輩”は金魚のように口をパクパクさせることしかできなかった。

 2日目:昨日の就寝前、先輩から排泄についての要望があった。それはそうだ、手も足も拘束されて使うことなどできないのだから。しかしあの恥じらいながらも憎しみの籠った視線、あれはゾクゾクした。願わくばその態度が長く続くことを願う。


「……紫苑ちゃん」

「なんですか?」


 翌朝、むすっとした声で“先輩”は紫苑に話しかけた。


「あの部分が気持ち悪いんだけど」

「どの部分ですか?言いたいことはきちんと言ってくれないと、わかりません」

「いっ……くっ」


 昨日出会った際に見せた笑顔が嘘のように、今の“先輩”は恥辱と怒りに満ちた表情を浮かべていた。

 またしてもそのタイミングを迎えているのか、“先輩”は足をモジモジさせていた。


「あぁ、やっぱりそうするしかないですよね。私がいてもいなくても結果は変わりませんけど、どうしますか?」


 “先輩”は力なく紫苑に見ないでと頼むしかなかった。

 7日目:一昨日から始めた水滴刑のせいだろうか。先輩が別人のように発狂してしまった。攻撃的だった眼つきも今はなく、涙すら流さなくなった。もはや私が目の前にいようがいまいが垂れ流している先輩は、“透乃先輩”ではなく“廃人”と呼ぶに相応しい。


「先輩は何が食べたいですか?お魚かお肉か、今日はリッチですよ」

「…………帰りたぃ」


 紫苑と“先輩”の会話はもはや成立しないところまで来た。

 餓死させるわけにはいかないので、最低限の食事は摂らせる紫苑。どいつもこいつも、手を拘束されてもされなくても、途中から食べる気力が湧かなくなるらしい。


「……なんで、こんな」


 力なくブツブツ呟き続ける“先輩”に、自分に対する問いかけではないと理解しながらも紫苑は答えた。


「強いて言えば好奇心や欲求ですかね?昔から先輩方は優しい人しかいなくて、退屈だったんですよね~。だから、どうしたら張り合いのある先輩が、私に意志を以って反抗できる先輩が現れるのか、こうやって実験し続けているんですよ」


 紫苑の大きな独り言が“先輩”に届いたのかは不明だが、不意に“先輩”の口の動きが止まった。

 それから一言も発さなくなってしまった。

 8日目:この人も意外にあっけない結末を迎えた。最初だけ威勢が良い張子の虎ばかりで、この世は一体どうなっているのだろう。とにかく廃人を相手にしても面白くない。また、新しく“人”を探しに行こう。

「あの!」


 そして今日も紫苑は上級生に話しかける。

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