第27話 公爵邸の秘密の夜

ここが伯爵邸ではないのは確かだ。ただ、調度品の数々には見覚えがあるような……?

そのときどこかで靴音が響き、シルクは咄嗟に柱の影に隠れた。それと同時に見覚えのある桜色の髪の青年が姿を現した。


(テディさん?)


あれは間違いなくレイヴンの従者、テディ・ヒューズだ。何かを隠し持っているようで挙動が怪しい。

そのとき向かいからもう一人、使用人の男が近づいてきた。二人は一メートルほどの距離を残して同時に立ち止まり、相対あいたいした。男は懐から何かを取り出す。


「テディ。例のブツはここに」

「ありがとうございます、ロイ」


テディはかわりに札束を差し出す。


(裏取引!?)


今、目の前でとんでもないことが行われようとしているのではないか。シルクは固唾かたずを飲んで見守った。

テディは受け取ったものをまじまじと見つめると、やがて宝物に触れるようにぎゅっと抱きしめた。


「ステラ劇団の歌姫、クロエ様の公演のプレミアムチケット……! 最前列で見られるなんて、こんな幸運あっていいんでしょうか!」

「俺は用事で行けなくなったけど、テディに託すよ。クロエ様の美しさを目に焼き付けてきてくれ」

「もちろんです! 物販も並んできますね。今度は二人で行きましょう!」

「友よ……!」


二人は熱い抱擁を交わした。


(なにこれ……)


次の瞬間にはすっと真顔に戻ると、二人は何事も無かったかのように別々の方向へ帰っていった。辺りは再び静寂に包まれる。

シルクは柱の陰から出て、テディが去っていった方角に目をやった。


(テディさんの見ちゃいけない一面を見た気がするわ……)


とはいえこれではっきりした。ここは公爵邸だ。魔法道具をうっかり発動してしまったのだろう。これでは不法侵入だ。


「帰らなきゃ……」


ブレスレットを握りしめ自室を思い浮かべる。しかしいくら経っても変化がない。


(な、なんでえ?)


そういえばダレルが連続して使うことはできないと言っていた。もう少し時間を置かないと帰れないということか。


「しばらくどこかに隠れてたほうがいいかも」


前にアンナが案内してくれた写真部屋。あそこなら人も来ないだろう。そう考え記憶を頼りに歩き出すが、どれだけ歩いても同じような廊下に行き当たる。熱が出たときに見る悪夢みたいだ。

いつの間にか、自分がどこに向かっているのかわからなくなっていた。


「本当どうなってんのよこの建物。完全に迷子だわ……ん?」


そのとき、遠くに明かりの灯る部屋を見つけた。扉の隙間から光が漏れている。足音を殺して近寄り、そっと中を覗いた。


「……あ」


中に人の気配はない。

家具はモノトーンで統一されており、机の上には書類が山盛り。晶響器もいくつか転がっている。一目でわかった。ここはレイヴンの執務室だ!

室内に足を踏み入れ、興味津々で周囲を見回す。装飾は最低限のシンプルな部屋だが、そんな中異様な存在感を放つものが置かれていた。


「……?」


シルクがプレゼントしたアロマキャンドルが部屋のよく見える所に飾られている。それはまだわかるのだが、ラッピングの包装紙とリボンは額縁に入れられ、空箱はガラスケースの中に仕舞われている。何故。


そのとき靴音が近づいて来ていることに気が付き、シルクは慌てて応接用の机の下に滑り込んだ。それと同時にガチャリ、と扉が開く。


(誰か来た!)


机の脚の合間から見えるのは黒いトラウザーズに黒い靴。恐る恐るその顔を確認して、シルクは表情を明るくした。


(……レイヴン!)


そこに立っていたのは紛れもなく、先程会いたいと強く願った相手――レイヴンだった。

しかも胸元を緩めたワイシャツ姿という、普段は見られないラフな装いだ。これはレアだ。SSRレイヴンだ。


(なんか無防備で……イイ)


結婚すればあれを毎日見られるということか。にやけるのをこらえられずにいると、レイヴンが歩き出すのに気付いてシルクは我に返った。

靴先はこちらを向いている。レイヴンは迷わずシルクの隠れる机へ近づくと、その前でぴたりと立ち止まった。


(まさか、バレた?)


脚は目と鼻の先。心臓が激しく音を立てる。シルクは息を止めた。


「……」


次の瞬間、周囲が暗闇に包まれる。やがて足音は遠ざかり、最後に扉が閉まる音がした。


「……。ふう」


暗がりの中でシルクは胸を撫で下ろす。どうやら消灯しに来ただけのようだ。

しばらく待ってからシルクは机の下から這い出た。試みにブレスレットを握りしめて念じてみたが、まだワープはできなかった。


シルクは執務室を後にし、廊下に出る。おそらく隣が寝室なのだろう。


(寝室、ねえ……)


脳裏にレイヴンの綺麗な寝顔が浮かぶ。

出会った頃は猫のようにどこでも寝ていたが、近頃は寝顔を拝めていない。


「…………」


どうせもう不法侵入はしてしまったのだ。少しくらい寝室を覗こうが同じことだ。うん。きっとそう。


シルクは何度も周囲を警戒してから寝室の扉を開いた。中は真っ暗だ。

足音を殺してベッドに近寄り、枕元に立つ。床に膝をついて顔を覗き込むと、すうすうと規則正しい呼吸音が聞こえきた。


(寝てる……?)


悪夢を見ると言っていた。でも、今は穏やかな顔をしている。一体どんな夢を見ているのだろう。


「公爵様」

「……」

「……れ、レイヴン」

「……」


眠っているのをいい事に名前を呼んでみたが、一人で何をやっているのだろう。急に恥ずかしくなってきて、やめた。

そっと手を伸ばし、頭を優しく撫でる。サラサラとして柔らかい髪だ。無防備な寝顔はいつもより幾分か幼く見えた。


「……好き」


ぽつりと呟く。そのとき彼の長い睫毛が揺れた。


「……シルク?」


薄く開いた目がぼんやりとこちらを見た。


「――っ!」


シルクは慌ててブレスレットごと手首を握りしめた。自室を思い浮かべようとしたが、気が動転して中々思い出せない。部屋ってどんなのだったっけ。何が置いてあったっけ。机、椅子、窓、ソファー、それから……。


(ベッドベッドベッドベッド!)


刹那、周囲は光に包まれ、レイヴンの伸ばした手は空を切った。レイヴンは寝ぼけ眼で辺りを見渡す。


「夢……?」


そっと頭に手を当てる。さっきまで誰かが触れていたような、やけにリアルな感触が残っていた。


「……だとしたら、いい夢だな」


レイヴンは再び瞼を閉じる。微睡みに身を預けながら、柔らかく微笑んだのだった。

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婚約者なんて知りません! 〜そのうち死ぬひきこもり令嬢に転生したので趣味に没頭するつもりでした〜 庭先 ひよこ @tuduriri

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