第21話 レイヴンの過去
ガタゴトと車輪の跳ねる音が聞こえる。
馬車の速度が落ちたのに気付いてシルクは顔を上げた。馬車は見上げるほど大きな門をくぐっていく。
「わあ……」
門から真っ直ぐ伸びる道の先には荘厳な屋敷がどんと構えている。あれが公爵邸だろう。伯爵邸も中々の広さだがそれ以上の規模に見える。それに目を奪われるうちに、馬車は屋敷の前で止まった。
(着いたみたいね)
扉が開かれ、半ば無意識に差し出された手を取る。その黒い手の
「公爵様!」
「お待ちしておりました」
シルクはレイヴンに支えられて馬車を降りきると、ドレスの裾を持ち上げてお辞儀をした。
「本日はお招き頂きありがとうございます」
レイヴンはちらっとシルクの首元を見た。そこには金色の宝石が輝いている。それを確認すると満足げな顔をして、歩き出す。
「こちらへどうぞ」
入口の前には使用人達がずらりと並び、花道を作るように待ち構えていた。彼らは明るい表情で二人を迎え入れた。
(貴族の屋敷とは言っても、ウチとは随分違うのね……)
厳格なリベラ伯爵の元で働く使用人は有能ではあるが業務的で、どこかロボットのような雰囲気がある。しかしここの使用人達は主人だけでなく、客人であるシルクのことも気遣ってくれているのがわかった。
(慕われているのね)
使用人は主人を映す鏡なのかもしれない。レイヴンは表情に乏しいが冷たい人間ではない。皆それを知っているのだ。
シルクは穏やかな顔で屋敷に足を踏み入れた。
応接間で少し寛いだ後、シルクの希望で屋敷の中を見て回ることになった。レイヴン自ら案内役を務め、先導するように歩いていく。
「この先にあるのが書庫ですね。蔵書がかなり多いので、資料などは……」
レイヴンの説明を耳半分で聞きながらシルクは周囲に目を配る。
(乳母ってどの人だろ?)
誰かとすれ違う度に顔を確認するがそれらしい人は見当たらない。この調子では乳母探しは難航しそうだ。
「……リベラ伯爵令嬢?」
「はい?」
気付けばレイヴンがすぐ目の前に立っていた。
……ち、近い。
シルクはたじろいだ。
「先程から何かお探しですか」
「べ、別に」
「何か気になることがあれば……」
レイヴンが何か言いかけたとき、そこに書類を抱えたテディが駆け寄ってきた。
「公爵様! 取り急ぎ確認して欲しいことが……」
「今か?」
「急ぎの用で……」
テディはシルクに気付いて頭を下げた。シルクも会釈を返す。レイヴンは渋い顔をしていたが、諦めがついたのか溜め息を零した。
「……少し席を外します。自由に見て回っていてください」
そう言い残し、テディと話しながらどこかへ消えた。そしてシルクは一人残された。
「……さて」
シルクは周囲に誰もいないのを確認してからガッツポーズをした。これで堂々と乳母を探し回れる!
「さっそく行動開始よ!」
シルクは軽い足取りで歩き出す。……しかしほんの数十分後には、ぜえぜえと肩で息をしながら長い廊下を睨んでいた。
(何この屋敷……広すぎる)
奇妙なことに、いくら歩いても同じような廊下に行き当たる。進んでも曲がっても戻っても同じ景色が続き、とうに方向感覚を失った。このままでは気が触れそうだ。
「何かお探しですか?」
「えっ」
振り向くと穏やかな雰囲気の女が佇んでいた。年齢は四十代だろうか。服装からしてここの使用人だろう。
シルクはようやく人に会えたことに安堵を覚えた。使用人の数は多いはずなのに、不思議と先程から誰ともすれ違わなかったのだ。
(こうなったら、直接聞いた方が早いわよね)
「あのー、ここに公爵様の乳母がいるって聞いたんですけど……」
「あら、それなら私のことですね」
「!」
シルクは改めてその顔を見た。彼女は柔和な笑みを浮かべて礼をした。
「侍女長を務めております、アンナと申します」
「あ……私はシルク・リベラといいます」
「存じております。公爵様の婚約者なのですよね」
シルクは頷く。
「あの、よければ公爵様について教えて貰えませんか? 昔はどんな感じだったのか知りたくて」
恐る恐る尋ねると、アンナは快諾した。
「昔の公爵様は、それはもう素直で明るく愛くるしいお方でした」
(『素直で明るく愛くるしい』……?)
聞き間違いだろうか。レイヴンとは対極にある言葉の数々だ。
困惑が顔に出ていたのだろう。アンナは「立ち話もなんですので」と屋敷の奥のまた奥、突き当たりの部屋まで案内してくれた。
重い扉がギィ……と音を立てて開く。中に足を踏み入れると、壁面には数多の肖像画が飾られていた。高い位置にある肖像画は古い時代のもののようだ。下に行くにつれ肖像画と写真とが混在してくる。
「わあ……」
手近な写真に目をやると、そこには幼い男の子の姿があった。黒髪に金の瞳。白い頬は薔薇色に染まり、あどけない顔ではにかむような笑顔を浮かべている。この子はまさか……。
「これって公爵様!?」
「はい」
かわいい。かわいすぎる。見ているだけで庇護欲を掻き立てられるような美少年だ。間違って空から落ちてきた天使だと言われても信じられる。
(とんでもないもの見ちゃった。心臓が持たないわ……)
何気なく視線を移して、今度は隣の写真に目が留まる。家族写真だろうか。茶髪の女性に黒髪の男性、それから幼いレイヴンの隣には同じく黒髪の少年が映っている。
「これは公爵様のご家族ですか?」
見事に美形揃いだ。『血筋』を感じてシルクは思わず唸った。
母親は大きな瞳をしていて可愛らしい印象を受ける。レイヴンとその隣の少年――恐らくレイヴンの兄なのだろう――は、父親似のようだ。仲睦まじそうな様子で思わず笑みが零れる。
(……あれ?でも)
そういえばレイヴンの家族とは一度も会ったことがない。転生前は知らないが、少なくとも『私』はそうだ。
「あの、公爵様のご家族って――……」
アンナの表情が曇る。嫌な予感がした。
「奥様と旦那様、ノワールお坊ちゃまは公爵様が
「……!」
シルクは息を呑む。
アンナは沈痛な面持ちで続けた。
「……ディラック公爵家は本当に仲の良い家族でした」
ある時一家は旅行と視察を兼ねて遠くの領地に向かうことになったが、当日になってレイヴンは熱で寝込んでしまった。急な予定の変更はできず、両親と兄はレイヴンを置いて出発することになった。「できるだけ早く帰るから」と約束を残して。
しかし、レイヴンの元に帰ってきたのは三つの棺だった。
「……事故だったそうです。早く戻ろうと悪天候の中馬車を飛ばしていたんだとか。その日から公爵様……、レイヴンお坊ちゃまは変わってしまいました」
以前のような明るさは失われ、すっかり笑わなくなってしまった。まるで家族を亡くした日に心まで失くしたとでも言うように。
それから黙々と後継者教育に励み、その頃からベネット侯爵家とも疎遠になった。
取り上げられるように子供時代を奪われ、大人になることを強いられた。そして今も、たった一人で公爵家を背負って生きている。
「いつか、レイヴンお坊ちゃまが心安らかに過ごせる場所ができたら……。そう、私は思うのです」
アンナはシルクの顔を強く見つめると、微笑んだ。
「……」
シルクには答えることができなかった。
彼女がシルクに何を期待しているのかはよく伝わった。しかし今の話を聞いたからこそ無責任に約束することなどできない。
――だって私は、レイヴンが死ぬことを知っているのだから。
シルクは曖昧に微笑むに留めた。それにまだ、聞くべきことがある。
「ちなみに、公爵様は誰かから恨みを買ってると思いますか?」
アンナは唐突な質問に面食らったようだった。
「ど、どうでしょう……。私の知る限りはないと思いますね」
「そうですか……」
だとすれば怨恨による他殺の線もなしか。
シルクは礼を言ってアンナと別れた。
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