第24話 松代藩騒動(繁信30才)

空想時代小説 


 宮城県蔵王町に矢附という地区がある。そこに西山という小高い丘があり、その麓に仙台真田氏の屋敷があったといわれている。ただ、真田信繁(幸村)の末裔とは名乗れず、白石城主の片倉の姓を名乗っていた。その真田の名を再興するべく、信繁の孫である繁信が活躍する話である。


 繁信は3人の父親になっていた。長男五郎丸は10才、娘小春は8才、二男梵丸は6才である。よき父親となっている。役職は目付頭になっていた。和之進が城代家老補佐に昇進したからである。

 この年、松代藩に一騒動がもちあがった。

 藩主幸道が死ぬかもしれない重病にかかったのである。まだ30才の若さである。そこでもちあがったのが後継ぎ問題である。藩主幸道の長子は、条丸(信弘)という。まだ6才の幼子である。これを推しているのが、江戸家老の我妻修理である。もう一人の後継ぎ候補は、幸道の弟和幸(20才)である。側室喜多の方の子である。幸道とは腹違いの弟だ。長子の条丸殿は幼いので、万が一藩主幸道が亡くなった場合は、つなぎ役として和幸殿に藩主をという理由で、城代家老の源斎らが推している。本来ならば、藩主幸道が決断するところだが、高熱に冒されていて、その判断ができないでいた。

 幕府からは、「早々に後継ぎを決められよ」と何度も催促がやってくる。仕方がないので、城代家老の源斎が江戸に上京した。

 源斎は、江戸藩邸上屋敷で我妻修理と対峙した。

「修理殿、殿のご加減は?」

「・・よくはござらん。高熱が続き、危ない状況でござる」

「お目通りはかなうのか?」

「医師の指示でならぬ。流行病(はやりやまい)かもしれぬということじゃ。入れるのは医師と介助の者だけじゃ。わしらは別間で殿の苦しむお姿を見るのみ」

「もう10日を過ぎておるぞ」

「それゆえ、後継ぎを幕府に届けなければならぬ。遅れれば藩取りつぶしになりかねん」

「それで、長子の条丸殿を届けようとしたということか?」

「江戸家老としては、当然のこと。奥方にも了解を得ている」

「しかし、我ら国元には何もなかったではないか! 藩の法度では、家老職の談合の上で決定すると決まっているではないか! 幸い江戸藩邸の者がすぐに知らせてくれたからわかったものの、お主からは、なしのつぶてであった」

「だから緊急を要したのじゃ」

「しかし、殿はまだご存命じゃ」

「それは、殿の強いお気持ちかと・・」

我妻修理の弁明は苦しかった。

「それで、後継ぎの件だが・・国元の家老衆の考えは、条丸殿が元服するまえは和幸様が藩主となる。6才の幼子に藩の行方を託すわけにはまいらん。ということじゃ」

「和幸様にお子ができたらどうされる? それでも条丸殿に藩主の座を譲られると思うか? かつての足利義政公と義視公の後継ぎ争いから見られるように、国元を二分することになるではありませぬか?」

「和幸様に誓書を書いていただければいいではないか」

「そんな紙切れ、破られるようなものでござる。それよりは、条丸様に後継ぎになっていただき、後見役に和幸様になっていただければよいのではないですか?」

「形だけの後見役ではないか。実質はお主が仕切ることになるのではないか?」

「それは・・の勘ぐりというもの」

「なに!」

「不満ならば、源斎殿が江戸家老になればよいであろう」

「殿のお許しがあれば、そうしたいところだ!」

と言って、源斎は談合の場を立ち、藩主幸道の寝所の別間で、殿の苦しむ姿を垣間見て、家来3名とともに宿所の下屋敷へ向かった。事件は、その時に起こった。

「ご家老、我妻殿との談合はいかがでしたか?」

「談合になっておらん。自説を押し付けるのみじゃ。要は、自分の力を増やしたいだけじゃ」

不機嫌な源斎の顔を見て、お供の者はそれ以上問いかけをしなかった。江戸家老の我妻修理は、いわば家来衆の出で、源斎よりも5歳年下である。江戸家老になって10年になる。もっぱら幕府との折衝役を仰せつかっていた。源斎は真田の親族で実質、藩の次席の立場であった。源斎の了解なしに大事なことを決定されるのは、がまんならなかったのだ。

 下屋敷がもうすぐという時に、5人の黒ずくめの男たちが襲ってきた。お供の3人は、刀を抜く間もなく斬られた。

「何者? 我妻修理の手の者か!」

と怒鳴ったが、

「お命頂戴!」

と言われて、源斎はあっという間に斬られた。

 下屋敷には、三井知矩と幻次郎がいた。繁信の命で、源斎とともに江戸に来ていたのだが、源斎直属の家来ではないので、下屋敷で控えていたのだ。騒ぎを聞いて、知矩たちが駆けつけた時には、曲者は過ぎ去ったところであった。藩士たちが、亡くなった者たちを藩邸に連れていく途中、知矩は幻次郎に早急に繁信にこのことを知らせるように指示をした。幻次郎の手の者は、江戸と松代の間に何人も常駐しており、駅伝方式でいくと、一日で伝わるようになっていた。伝えることは簡単明瞭である。

「源斎様、何者かに斬られて亡くなる」

 その後、下屋敷にもどった知矩は繁信から託された文をあけた。危急の際にあけるように言われていた文である。それをあけると、

「もし、源斎様が亡くなった場合、次のようにせよ。 

  1.殿を守れ。医者を信じられる者にせよ。

  2.反乱をおさえよ。反乱がおきれば、藩とりつぶしになりかねん」

の2点だった。殿の病気は謀略と繁信は思っていたようだ。早速、知矩は下屋敷にいる目付の山家丹波と談合をし、まずは国元の指示をもらうことにした。今のところ、城代家老補佐の村上和之進の指示が必要だった。そして、手配が終わってもどってきた幻次郎に命じ、藩邸にいる藩主幸道の寝所に忍び込むように命じた。藩主を殺そうとする者をやれ、という指示だ。幻次郎は配下の者数名と藩邸に潜り込んだ。

 翌日、知矩は目付の山家丹波とともに、ある町医者を訪ねた。玄庵という町医者である。偏屈な医者で、

「武家は診ない」

と言っているが、小石川養生所で働いていたことがあり、腕は確かだった。初めて訪れた時は、けんもほろろに追い返された。だが、その際に長屋の住人を助けたことが玄庵の心を動かした。

 長屋の子どもが、ある侍にあやまってぶつかり、手討ちになりそうなところを知矩が

「幼き子どもが誤ってしたこと。それを手討ちにするなど、武家の風上にもおけぬ」

と一喝したところ、その侍はすごすごと引き下がっていったのだ。目付の山家丹波が、

「すごい気迫でござったな」

「気迫だけでござる。腕はからきしです」

「ご謙遜を・・山賊退治や善光寺でのご活躍を聞いております」

「仏罰があたった話ですか?」

と二人は笑って屋敷へもどった。そこへ、幻次郎の配下が紙包みを持ってやってきた。藩のおかかえ医者が藩主幸道に処方している薬とのこと。

 翌日、その薬を持って玄庵を再訪した。玄庵は、昨日長屋の子どもが救われたこともあり、会ってくれた。そして知矩が持参した薬をなめると、

「これはしびれ薬ですな。特に舌にきます。これを毎日飲んでいるとすれば、話せないでしょう。いずれは亡くなります」

「やはり、・・・玄庵殿、ぜひ殿を診ていただきたい」

と二人は頭を下げた。玄庵にとっては、武士に頭を下げられるのは初めてであった。しばらく考えて、

「ここでの診察が終わった夕刻以降であれば・・・」

としぶしぶ答えた。

「それで結構でござる。では、夕刻お迎えにまいる」

と言って、その場を離れた。

 夕刻、村上和之進が息せききってやってきた。馬を代えながら不眠不休で駆けつけたのだ。これで行動が起こせる。山家丹波は、配下の者を武装させ、藩邸に向かった。

「城代家老補佐、村上和之進殿が松代より来られた。開門! 開門!」

と山家丹波は大きな声で叫んだ。門がギーと開く。そこに、山家丹波の配下がどっと入った。藩邸の者は何事かと慌てている。こんなに早く村上和之進が来るとは思っていなかったのだ。

「江戸家老、我妻修理をとらえよ」

という和之進の命で、寝所にいた修理はとらえられた。知矩は、藩主幸道の寝所に玄庵を伴った。医者はいなかった。そこにいた介助の者に

「医者はどこへ?」

と尋ねると、

「庭が騒がしいので、出ていかれました」

「逃げたか! いずれ捕まるだろう。玄庵殿、殿を診てくだされ」

玄庵はうやうやしく藩主幸道の脈をとったり、口をあけたりして、診察をした。しばらくして、

「これは疱瘡の一種でござる。一時期、高熱がでますが、滋養のある物を取っておれば、ひと月ほどで落ち着きまする。話せないのは、例のしびれ薬のせいだと思われます。明日には処方した薬をお持ちします」

「ありがたい。これで皆、安心いたします」

 

 ひと月後、幸道は回復した。寝所の寝床にいるのは変わらぬが、ふつうに話せるようになっていた。

「和之進、こたびは大儀であった」

「滅相もございません。するべきことをしたまでのこと」

「源斎殿は気の毒じゃった」

「国元で、繁信殿が葬儀を行ったとのこと。国元で騒ぎが起きそうになりましたが、繁信殿がおさめたと聞いております」

「それでよい。何かあったら幕府からにらまれる。それで修理は何か言ったか?」

「いえ、何も話しませぬ。知らぬ存ぜぬの一点ばり。ただ、医者は修理殿の命で、しびれ薬を殿にもっていたと白状しました。源斎殿の殺害もいずれ修理殿の命だとわかるでしょう」

「うむ、それしか考えられぬ。修理もわしが高熱を出しての苦肉の策だったのだろうが・・・」

「殿にしびれ薬をもるなど、もっての他!」

「和之進、ひとつの罪を犯すと、それを隠すために、また罪を犯す。それが人の常じゃ。お主とて、目付の仕事をしていて、何度も見てきただろうに」

「おおせのとおりでございます」

「さて、江戸藩邸に家老衆を呼べ。源四郎もな」

「わかり申した。7日後でよろしいですか?」

「うむ、手配せよ」


 7日後、家老衆の3人と和之進・繁信が集まった。藩主幸道は起き上がれるほどになり、謁見の間で相対した。

「皆の者、こたびは大儀であった。わしの病で心配をかけたな。また、源斎殿の冥福を祈りたい」

「おそれいります」

と、家老衆は声をそろえて、返事をした。

「さて、こたびは、今後の役目についてじゃ」

「はっ、仰せのままに」

「では、命ずる」

と言って、脇にいる右筆(筆記者)に合図を送った。

「それでは、私から申しあげます。

  江戸家老および首席家老 村上和之進殿

  江戸家老        今井利之介殿

  城代家老        真田 繁信殿

  目付家老        渡辺権之丈殿

  財務家老        門傳 武弘殿

以上でござる」

和之進と繁信以外の3人は、目を合わせた。二人の異例の出世に驚いたのだ。

「和之進の今回の対応には、だれも異論がないだろう。今井といっしょに幕府とうまくやってくれ。源四郎は、まだ若いという者もあろうが、源斎殿の跡取りじゃ。これからの藩をささえてくれる者が必要じゃ。渡辺、門傳、そちたちは後10年もすれば隠居じゃろう。源四郎を育ててくれい」

「ははっ。わかり申した」

3人の家老衆は深々と頭を下げた。それにつられて、和之進と繁信も頭を下げた。

「さて、後継ぎの件じゃが・・・」

5人は表情を硬くした。

「後継ぎは条丸とする。条丸が元服前に藩主となった場合は、後見人として和幸をたてよ。どうか修理を許してやれ。修理とて、藩のことを思ってしたこと。わしが高熱を出さねば、修理もよき江戸家老のままであったのだ」

5人は、殿の寛大な処置に平伏したままであった。

 この話を聞いて、我妻修理は涙を流して喜び、今までのことを全て話した。そして、自分から「腹をきる」と言い出し、数日後、所定の作法に従って腹をきった。そして、藩の墓地にねんごろに葬られたのだ。


 繁信は、知矩たちと松代へもどった。若い家臣たちは、繁信の城代家老就任を祝って、大騒ぎだった。しかし、繁信はそれをいさめた。

「まずは、源斎殿の冥福を祈ることじゃ。今後1年喪に服すぞ」

ということで、就任祝いは一切なくなった。それを見て、古参の藩士も繁信の城代家老就任を認められるようになっていた。


 数か月後、兄の片倉辰信(ときのぶ)から文がきた。そこには、城代家老就任の祝いと、養子縁組のことが書かれていた。二男、梵丸を養子にほしいということであった。そこで繁信は梵丸を呼び出した。

「梵丸、仙台藩の兄上から、お主を養子にほしいという文がきた」

「養子とは?」

「そうだな。幼いお主にはまだわからんな。ここを離れて、父のふるさとの矢附の屋敷の主になれということだ」

「屋敷の主には、兄上がなるのでは?」

「兄の五郎丸は、ここの屋敷の主になる。梵丸は、かつて、わしが暮らした矢附の屋敷の主になるのじゃ。わが兄には、男子がいないからの。そして、梵丸は元服したら真田の姓を名乗るのじゃ。松代藩真田の末裔だからの。だれも文句は言えん。真田の姓を名乗ることはわが父守信からの悲願であった」

「わかりました。わしは、屋敷の主になる」

と言って、ニコニコして退室していった。

「遠くへ行くとはわかっていないのでしょうね」

と加代が言うと、

「わかっていたらすごい。わが父守信は、あの年頃で京都からみちのくまで行ったのじゃ。それも人目を避けてな」

「屋敷の主になるというのを喜んでおりましたね」

「それは、加代が次の主は五郎丸と言い続けておるからじゃ。わしも幼い時は、母じゃから後継ぎは兄上と聞かされ、自分はどうなるのかと思っておった」

「どおりで、梵丸は殿に似ていると思っておりました」

「腕白なところがな・・」

お付きの者たちは、下を向いて笑っていた。


                    完


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真田の郷 始末記 飛鳥 竜二 @taryuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ