西暦2107年の王朝文学者

ignone

 度重なる飢饉や大災害のオンパレードによって、今や王朝文学は衰退の一途を辿っている。


 いや、現実の問題を解決するわけではないから――と王朝文学に限らず、文系の学問は皆『瀕死』の状態にあると言っても過言ではない。


 研究が注目されなくなり、研究費が集まらなくなれば、生徒も集まらなくなる。そして大学は王朝文学に関する講義を徐々に閉鎖していき、ゆくゆくは王朝文学を知る人間なんて一人も残されないだろう。


 私は王朝文学の第一人者と呼ばれていた父の背中を見て育ってきた。


 学者よりも王朝文学をたしなみ、実際に書くことに興味があったから学者になれるのは不安だったけれど、博士号を修得することができた。


 学者の質も低下したものだと――父は嬉しそうにいつもの憎まれ口を叩いていた。


 学者になってからというもの、私が研究の時間を取れたことはない。


 では、学者である私は何をしているのか。


 王朝文学に関する様々な資料の保存・保管にまつわる助言とお願い事をあちらこちらにしているのである。国立図書館が『保存強化』を行うようになって二十四年が経とうとしている。


 これは、全ての資料を冷暖房の設備がしっかりと整えられた場所で保管することはできない――電気代の高騰やそもそもの予算が大幅に減らされたことに所以する。

 だから、保管を強化するべき本と状態を自然のあるがままに任せる本とに任せる。


 後者は王朝文学に関する資料にとっては死を宣告されているようなものである。


 夏の暑さや湿気が更新されるたび、資料はもろくなっていく。ほこりとかびはないけれど、触れてしまうと二度と開くことができなくなった資料をごまんと見てきた。


 私が研究している間に、研究資料がなくなってしまうような事態だけはなんとかして避けなければならない。博士号をとったのが六歳のことで、その頃から資料の保存を行っているのだから実に八年もの時間になる。私はそれなりに頑張った方だろう。



 先日、竹取物語の写本が決壊したと連絡があった。

 年に一度の確認の際に開いたところ、ほこりの山のようになったと言うのだ。


 司書の質が低下したのも理由の一つにはあるだろうが、それほど劣悪な環境に落ちているのだ。そもそも私は王朝文学の研究者であって、竹取物語は――まあ平安時代に成立したと考える説もあるのだからそう否定はできないのだが、専門外である。


 しかも、その写本は平安時代末期に書かれたもので、それ以前に書かれた資料が同じ様な末路を辿るだろうという予想は容易にすることができる。


 憂鬱な思いを抱えながら、どうすることもできない歯がゆさを感じる。


 私は一介の研究者であって資産家ではない。資料を保存するための冷暖房設備は一つ買うだけで優に家を十棟は建てることができる。そんなお金、あるわけがない。


 王朝文学は文化面では大きく利益をもたらすかもしれないが、今の時代、そんなものが優先されることはない。


 人類総理系化計画なんて言葉が流行語にされるぐらい、理系学問の優位は揺らいでいない。文系学問は大学に研究室を持てているだけで感謝をするぐらいなのだ。学院長や学部長には頭が上がらない。


 国会で保存されている王朝文学に関する文献は一一八件。


 しかも、それらは知名度や資産価値から算出されたもので、研究的に重要とされる文献のほとんどは保存されていないのである。確かに紫式部日記や枕草子なども重要だ。そこに二言はない。しかし、それらを裏付けするような諸写本や同じ時代の公家たちの日記を保存しなければ、どうやって検証することができるのだろうか。


 強い憤りを感じるものの、私が優先順位を決めたのだから仕方ないとしか結論づけることはできない。


 王朝文学の研究者は私以外に二人しかいないのだ。その二人も私と同じ様に資料保存のために東奔西走する日々を送っていると、報告を受けている。私たち王朝文学の生き残りたちは資料を保存しながら、全国各地で同士を集めるための講演会を行い、趣味程度の研究を細々と続けているのだ。


 基礎研究は立派な研究だが、先達たちが何十何百回とやっている研究から進展させることができなければ研究とは思えないというのは研究者の性なのだろうか。


 研究者を含めなければ王朝文学界隈に協力してくれる人々は百はいるだろう。


 しかし、それだけでは全く足りない。


 王朝文学の優美さと絢爛たる描写を受け入れる余裕がないのは分かりきっている。私だって生きることに必死だ。経営者として失敗していたら到底、こんな時代に研究者なんてしていられない。


 先は見えない。それは王朝文学に関することだけではない。自分たちの未来もだ。


 年々、環境は劣悪になっていき、生きづらくなっている。


 明日を来年をどうやったら乗り越えることができるのか。王朝文学者だけでなく全員がそれを考えている。私はこれで何度目になるのか分からない入眠作業に入っていく。あまり長い時間起きれないのは私たちの欠点だと思う。



『個体番号20009b7-281の電子コードを認証。残量は残り42パーセント。これより充電・・を開始します』



 アナウンスが鳴って、私は首に充電器・・・を装着した。


 西暦2107年、研究を行うのはアンドロイドの仕事である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

西暦2107年の王朝文学者 ignone @0927_okato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ