指先の星と落ちる

よもぎ望

指先の星と落ちる

「なんか、イケナイことしてるみたいじゃんね?」


 フェンス越しに校舎を見下ろしていた光が振り返り、にやりと笑いながら言う。

 夜間に校舎内への生徒の立ち入りを禁ずる。この校則を破っているだけでもお説教ものだが、そのうえ今日は屋上にいる。日中でも生徒の立ち入りが固く禁止されているここに居るなんて、見つかったらタダじゃ済まない。


「実際イケナイこと、だしね。本当……誰も来ないといいけど」

「まーもう夜中の12時になるし流石に誰も来ないでしょ。それよりほら、月も星もすっごい綺麗!詩もそんなとこいないでこっちおいでよ!」


 不安を零す僕をよそに、セーラー服のスカートをひらひらと揺らしながら光は楽しそうに手招きをした。その手の先は、鮮やかなオレンジに彩られていた。


「やっぱり、僕も明るい色にすれば良かったなぁ」


 僕は塔屋の壁に背を預けながら、自身の深い青に塗られた爪を見つめた。

 1番好きな色、と思って選んだ色だったが、夜空の下ではその闇に溶け込んで色が分かりづらくなってしまった。一方、光の指先に乗るオレンジは夜空に浮かぶ星のようにきらきらと輝いて見える。そのオレンジ色の星を弄ぶようにひらつかせる光本人もまた、星のように眩しく見えた。

 間違えたかもしれない。自分の好きな色をそんなふうに感じてしまった、そんな自分が嫌になる。


 そんな僕の弱々しい声を聞いて、光は仕方ないというようにゆったりと近づいて詩の手を取った。


「こっち来て」


 光に連れられ月明かりの下に出る。普段よりも大きく見える真夜中の月は、不気味なほど美しく僕と光を照らした。


「目、瞑ってて。カッコよくなるための魔法をかけてあげる」


 言われるがまま目を瞑る。指先を触れられている感覚がくすぐったい。

 もういいよ。そう言われて見た僕の指先は先程と様子を変え、夜空を閉じ込めたような青の上を散りばめられた大小様々な星が輝いていた。


「ネイルシール持っといて良かった〜!星型でラメも入ってるから青と一緒だと月の下でキラキラして映えるでしょ。詩にピッタリのカッコよくて最高のネイル。どう?」

「……カッコイイ」

「でしょ〜!ならほら、そんな顔しないで。カッコイイ顔が台無しだよ」

「ふふっ、ありがとう。光も可愛いよ」

「ありがと、知ってる」


 光はいつも僕に自信をくれる。手を引いて陰から何度でも連れ出してくれる。

 ふと、僕は思いついたように光の手をするりと抜け、背筋を正して左手を差し出した。


「お手をどうぞ、お姫様」

「ひめ……ボクが?」

「そうだよ。光が姫で、僕は王子様。今日は本当の自分で……本当の性別でいようって約束したでしょ?」


 それとも、姫よりお嬢様の方がよかった?と続けて言う。

 いつも光がしてくれることを、今日は自分がしてみたかった。今日くらいおとぎ話の王子様のように手を引く側に。光のように、と言うと笑われてしまいそうなのでそこだけは内緒だ。

 言われた光は驚いたように目を丸くした後、けらけらと笑った。


「そっか。じゃあ、ちゃんとエスコートしてね、王子様」

「喜んで」

「……ふふ、あはは!ネイルの色で落ち込む王子様なんて、頼りなくて姫は心配だなぁ」

「せっかくカッコつけてるんだから言わないで……」


 改めて手を引いて、慣れない足取りでエスコートをする。星の輝く指先まで、踊るように絡め合わせ、くるくると回ってみたり、腰を引いて顔を近づけてみたり。映画で見た舞踏会シーンを記憶の端から引き出して踊り始める。

 この時だけは、夜空にでも星にでもなれる。根拠の無い自信が僕の脚を軽くした。


 このまま夜が明けるまで二人で踊っていられたら。そう喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。お互いの覚悟も、苦しみも、今日の楽しさだけで無かったことには出来ないからだ。






「……はぁ、疲れたあ」

「けど面白かった!」

「そうだね。楽しかった」


 屋上の床に座り込んで荒い息を整える。暫くの沈黙の後、光はおもむろに立ち上がって僕を見下ろした。


「さ、行こ」


 そう言うと光は返事をする間もなく1人歩き始め、ガシャガシャと音を立ててフェンスを乗り越えた。その背中へ伸ばしかけた手を握りしめ、何も言わず僕も後を追って向こう側へ移った。


 ちょうど足1つ分の幅しかないフェンスの外側は、少しの夜風だけで簡単に命を奪ってしまいそうだった。背中を押してもらえる、と言ったほうが今の気持ちには近いだろうか。

 下をじっと見つめる光を横目でちらりと見る。その右手は後ろのフェンスを力強く掴んで、少し震えているように見えた。


「……本当にいいの?」


 僕が声をかければ2、3回瞬きをして光の笑みが返ってくる。


「ここまで来てそれ言う?」

「一応、まだ引き返せるから」

「だいじょーぶ。未練なんて元から無いし。そういう詩こそいいの?引き返さなくて」

「僕は……うん。考えたけど何にもないや。強いて言うなら、昨日受けたテストの点は気になるけど」

「ボクは白紙で出したからそれもへーき」


 夜風が二人の肌を優しく撫でる。いつの間にか重ねていた2人の手は、氷のようにひんやりと冷たかった。


「それじゃあ、また……来世?」

「そうだね。来世は、お互い正しい身体に産まれて会おう」

「ボク、来世は超絶可愛い女の子の予定だから。ちゃんと見つけに来てよ?」

「じゃあ僕も光の隣を歩いてても見劣りしないくらいカッコイイ男子になるね」




 約束。




 そう言葉を繰り返し、二人は笑顔で一歩足を踏み出した。繋がれた指先の星々は離れることなく、鈍い音と共に地に落ちた。

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