第8話 陰謀の影

「私は先ほどの花瓶を確認して参ります。じきにクロエも来るでしょう」

「はい、頼みましたよ」

「どうか私が戻るまで、お部屋を離れませんよう」

 そう告げ、ジェイドは乱れのない仕草で一礼をし、部屋の前から去っていく。


 部屋に残った私は、後ろ手に扉を閉め、机に向かう。

 ジェイドの先ほどの言葉から、分かったことがある。

 どうやらユーニス殺害は、継承権を狙っての単純な事件ではなさそうだということ。

 ユーニス殺害の裏に、なにか陰謀めいたものが蠢いているのかもしれない。。

 読みかけの日記を全部読めば、何か手掛かりがあるだろうか……。


 しかしその思惑は、打ち砕かれた。


「……嘘」

 机の上に開いておいたはずの日記がなくなっている。引き出しの鍵はかかっておらず、中も空になっていた。机の下に落ちている様子もない。わたしが部屋を空けている間に、誰かが立ち入り、盗み出したのだろうか。

 自分の出しっぱなし癖を後悔する。

 とはいえ、公女の部屋に立ち入ることのできる者は限られている。イザベラはもうすぐ夕食だと言っていた。そんな時間に、用もなく使用人が出歩いていたら目立つだろうし、ユアンやセオの姿もあれ以降見かけていないから、彼らも除外される。

 となると、イザベラかアイラの手元にあると思われるのだけれど、先のイザベラの様子からして、彼女に詰め寄ったとしても証拠を求めてくるだろう。

 ユーニス殺害が継承権を巡ってのものではなく、陰謀によるものだとしたら、怪しいのはイザベラだ。陰謀を企てるには、アイラはあまりに幼すぎる。

 しかし――。

「肩に怪我をしているって言ってたっけ」

 じゃああの花瓶は誰が?

 協力者がいるのか、まだ他に人物がいるのか――。

「わっかんないなー」

 わたしから見えていない情報が多すぎる。

 かといって、ユーニスとして生きている以上、根掘り葉掘り聞いて回るのも不自然だ。ユーニスを演じながら自分の身を守り、見えたことを手掛かりににして謎を解き明かし、ユーニス殺害の犯人を見つけ、陰謀を暴く……。

 途方もない話だ。

「早朝から満員電車に揺られて終電まで仕事するのと、どっちがいいだろ」

 少なくとも社畜には社畜なりの自由はあったし、推し活もできた。なにより、自分でいることが許された。

 ……そんなことを比較してしまうのが、社畜たる所以なのかもしれないけれど。

「納品大丈夫かなぁ」

 わたし一人欠けたらどうなるか?

 決まっている。誰かがデスマーチすることになる。

「まあ、何とかするでしょ」

 異世界からリモートワーク出来るわけでもなし、考えたって仕方ない。

 それより、この状況をなんとかしないと――と思考を切り替えた時だった。

 コンコン。

 扉がノックされた。

「クロエです。お支度を整えに参りました」

「どうぞ」

 ジェイドは、クロエが来ると言って去って行った。つまりクロエと二人になっても大丈夫だとジェイドが判断したということであり、信用できるということだろう。

「失礼します」

 癖のある赤毛。白い肌に浮いたそばかす。ユーニスより少し年上と思われるメイド服の娘。

 青ざめていた顔にはさすがに血の気が戻っているが、ユーニスの姿を見て、少し怯えた顔をした。

「……本当に、蘇られたのですよね」

「どういう意味です?」

「いえ……。その、幽霊の類では、ないですよね」

 たどたどしく訪ねてくる彼女に、ああ、と合点がいった。

 つまり、怖いのだ。人知を超えたものが。

「大丈夫」

 そうと分かると、少しばかりの悪戯心が芽生える。ドアの前で固まっているクロエに近づき、その手を取った。指の皮は厚くて、ごつごつしており、ところどころ荒れている。働いている人間の手だ。きっと、真面目に働いているのだろう。

「……ほら、生きています」

 びく、とクロエが肩を跳ねさせる。

「何を怖がることがありますか?」

「い、いえ、死んだ人間が生き返るなんて……にわかには、信じられなくて……」

「ですが、現にわたしはここに。大丈夫。クロエの悪いようにはしません。……それとも、わたしになにか恨まれるようなことを?」

「いえ、いえ! そんな、滅相もございません。ユーニス様は、私に目をかけてくださったではないですか。字の読み書きもろくに出来ない私を雇い入れてくださったのは、ユーニス様のお口添えと聞いております。ユーニス様の恨みを買うようなことなど、決して!」

 少しばかり声を荒げ、慌てたように言葉を紡いでいく。

「そうですね。クロエは、よく働いてくれています」

 実際の働きぶりは知らないが、そのごつごつした手を見れば真面目なことは伺える。ユーニスを慕っているのも事実だろう。

 ――だからこそ、腑に落ちないことがある。彼女の手を握る手に少し力を籠める。逃がさない、と言わんばかりに。

「ですが、先ほど廊下で会った時、あなたはこう言いました。『勘弁してよ、なんで出てくんの』と。……その意味を、伺っても?」

「それは、その……。噂が……」

「噂?」

「し、使用人たちの間で、夜な夜な屋敷を徘徊する幽霊の噂があって……」

「詳しく聞かせてもらえますか?」

「わ、私も、詳しくは知らないのです。なにしろ先代公妃様の話なので……」「

「お母様の?」

「はい。メアリー様が亡くなられる際に、恨み言を吐いておられたと……それ以来、ブラウンの髪の女性の幽霊が屋敷を徘徊していると……。ご存じの通り、当時の使用人は誰もおりませんし、実際にその幽霊を見たという者もおりませんので、どこまでが本当かは分からないのですが……その、てっきりユーニス様も恨みを持って現れたのだと……」

 出まかせを言っているようには見えない。少なくとも、噂の存在自体は事実だろう。

「ありがとう」

 だけど、わたしが殺されたことを知っている、あるいは察している可能性はある。でなければ、『恨みを持って現れた』などとという発想にはならないだろう。

 クロエの手を解放し、穏やかに微笑んでみせる。

「もうすぐ夕食だと伺いました。着替えの手伝い、お願いしますね」

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