第二話

 秋の夜は冷える。

 夜空のおじいちゃんに車で送ってもらった先は、県内でも有名な流星群を見ることができる高原だった。

 市が『星空保護区』の認定を受けるために光害の少ない町づくりを目指しており、標高の高いこの高原が、星空スポットとしての活動に取り込んでいるのだ。

 私と夜空は、そこにあるキャンプ地を毎年この日になると借り、一晩じゅう星空を見上げていた。

 小学生の頃、お母さんとお父さんに会いに行くと言って夜空が家出をしたらしい。

 引き止めるのを諦めた夜空の祖父母は、それから高原まで仕方なく連れて行き、朝まで付き合ったそうだ。

 それを訊いた翌年には、私もその年間行事に参加することにした。

 高校に入ると、高原までは連れて行ってもらい、夜を二人で過ごすようになった。

 それまでの間、流星群は一度も降っていない。

 流星群といっても、有名なやつじゃないから、本当に『群』なのかどうかもあやしい。

 数時間も見上げていて、たったひとつの流れ星という可能性もある。

 いや、見られればいいほうだ。

 少なくとも、毎日空を見上げている夜空でさえ、流れ星のひとつも見つけられていないのだから。

 この日だけは外でひと晩明かすことを許す代わりに、夜空の祖父母は、それ以外の日の夜に外に出ることを禁じ、就寝時間すらも設けた。

 厳し過ぎではと思うかもしれないが、そうでもしなければ、夜空の生活は昼夜逆転してしまい、まともな学校生活が送れなくなってしまう。

 だから、メジャーな流星群を、夜空は見たことがない。

 夜空が見たいのは――出会いたいのは、あくまで今日のこの日の流星群だから。


「よいしょっと」


 それなりに厚手の毛布を敷いて、夜空と並んで横になる。


「きれい……」

「ほんとに……」


 夜の星空を見つめる。

 人工の光も、月の明かりもない。

 そうした条件で見る星空は、実はとても明るい。

 夜の空は黒に見えるが、本当は違う。

 星々の明かりに照らされ、青みがかって見えるのだ。


「見れるかな?」

「見れるよ。だって、夜空は待ってたんでしょ?」

「うん」


 本当は、この日なんて来てほしくなかった。

 少し時間が経つたびに、さりげなく腕時計を見ては、まだ十分しか経っていないことに、内心で溜息をつく。

 スマホの光は夜空が嫌うから、腕時計は必須アイテムになっている。

 刻々と時間が過ぎていく。

 いつもなら楽しめていた星空の観賞も、今日だけは楽しめない。

 ふと、星空から視線をそらし、顔を横に向ける。

 夜空の横顔。

 その横顔に、違和感を覚える。

 いつものプラネタリウムでのような、没頭感がない。

 まるで肉体を置いて魂だけが抜け出たような、恐ろしいまでの虚脱感が、いま目の前にしている夜空からは感じられなかったのだ。


「夜空?」


 呼びかけにはいつも応じない。

 なのに、私の声に、夜空は反応した。

 自分でも信じられない――そんな表情を、夜空が浮かべている。


「よぞ――」


 もう一度呼びかけようとした――その時、私の視界の端に、それは流れた。


「あ……」


 夜空の意識が、持っていかれた。

 思わず私も、星空を見上げる。

 気づいた時には、もうとっくに通り過ぎたはずのそれが、また私の目の前を横切った。


「うそ……」


 それは、流れ星だった。

 しかも、続けて二度も。

 私はそれに心を奪われてしまい、夜空の動く音に反応が遅れてしまった。

 ハッとして顔を向けると、夜空が星空を見上げたまま立ち上がっていた。


「待って……」


 夜空が歩く。


「夜空……?」


 私も立ち上がると、恐るおそる夜空の肩に手を伸ばした。


「待って!」


 夜空が突然走り出し、その手が空を切る。


「夜空! ダメ!」


 私は慌てて追いかけた。

 走りながら、星空を見上げる。


「うそでしょ」


 信じられないくらいに、流れ星が次々と降っていく。

 とてもきれいで、幻想的で、心を奪われてしまうほどで。

 でも、それが私には、夜空を連れて行ってしまう何か恐ろしいものに見えた。


「待って、置いてかないで!」


 まるで縋るように、追い求めるように、夜空が走る。

 顔を上げ、必死に手を伸ばし、流れ星が落ちる方へ走っていく。


「待って、夜空!」


 普段は運動なんてしないはずの夜空に追いつけないなんて。

 きっと、『喫茶よぞら』で賄いの特製おだんごを食べ続けたせいだ。

 無駄に大きくなった胸とか、お腹まわりが揺れている気がしてならない。


「置いてかないで! 私も連れてって!」


 その言葉に、衝撃を受ける。

 やっぱり、夜空は待ってたんだ。

 夜空の両親が迎えに来るのを。


「――ッ! このぉ!」


 歯噛み、もう止まりたいと悲鳴を上げる脚に鞭打ち、速度を上げる。


「置いてかないで! ずっと待ってたの! 私も連れっててよ! お母さん! お父さん!」


 どれだけ広大な草原を走ったか。

 だけど、それにも端はある。


(やばっ!)


 夜に慣れた視界に、崖が見えた。

 断崖ではないが、そこから一気に斜面になっているため、今の状態の夜空が落ちたらひとたまりもない。

 夜空は望んでいる――お母さんとお父さんの下へいくことを。

 そのまま崖から落ちたら、最悪、死ぬ。

 夜空の望みを、叶えてあげるべきではないか?

 両親を失った夜空にとって、この世界は生きづらい。

 だったら、両親と一緒になった方が、幸せなんじゃないだろうか。

 そう思った瞬間、脚がゆるむ。


(でも……)


 それは、夜空の願い。


(だけど……)


 私は、違う。


(私は……)


 自分勝手だけど、私は、


(夜空に、いってほしくない!)


 ゆるめかかった脚を奮い立たせ、


「うわあああああああああっ!」


 叫びながら全力疾走した私は、夜空の背中に手が届くまで近づいたと同時に、


「よぞらあああああああああっ!」


 飛びかかった。


「きゃっ!」


 夜空を地面に倒す。

 だけど、それでも夜空は手を伸ばした。


「や、やだやだ! 待って、いかないで――」


 脚にしがみついた私は、そのまま夜空の体を這い上がるようにし、


「夜空、もうやめて!」


 伸ばす手を掴み、そのまま地面に引きずり落とした。


「なんで、どうして邪魔するの?」


 うつ伏せのまま、夜空が草原に顔を埋め、呻く。


「いかせたくないから!」

「なんで……ずっと、私のこと……姫ちゃんだけが……分かってくれてたと思ってたのに……」

「分かってる」


 うつ伏せに倒した夜空の体に重なるようにして、私はその耳元で囁いた。


「だったら――」

「だからだよ」

「……え?」

「夜空のこと、ずっと見てきた。夜空が両親に会いたがってたのも、知ってる。でも、違う。これは違う。待ってても、見上げてても、もう両親には会えないんだよ」

「そんなこと、ない……お母さんが言ってた。星になって見てるから、だから――だから、夜空も来てって」

「違う。そうじゃない。夜空のお母さんが言ったのは、そうじゃないんだよ。夜空の両親が、夜空が星になることなんて望んでない。子どもの死を望む両親なんていないよ。夜空のお母さんが言いたかったのは、きっと、見守っているってことなんだよ」

「見守ってる……だけなの……」

「そうだよ。死んだ人にはもう会えない。だから、見守ることしかできないの」

「そんなの……やだよ……」

「嫌でも、それが現実なの。それでも、夜空のお母さんは、下を向かず、顔を上げて生きてほしいと思った。だから、そう言ったんだよ」

「ずっとそうしてきたよ。お母さんとお父さんに会いたいから、ずっと上を向いて生きてきた」

「違う。上を向いてほしんじゃないの」


 私は体を起こし、夜空を仰向けにさせた。

 それから両手をそれぞれ掴み、自分が地面に座る勢いで夜空を引き起こした。


「こうやって、前を向いて生きてほしかったんだよ」

「前を……」

「うん」


 両手を離し、その手を夜空の頬に触れさせる。


「夜空のお母さんとお父さんが亡くなったこと、本当に残念に思う。でも、夜空は独りじゃない。おじいちゃんもおばあちゃんもいるし、それに、私がいる」

「姫ちゃん……」


 いつの間にか、心が驚くほどに落ち着いていた。

 だから、この言葉もするりと出てきた。


「私は、夜空のことが好き」


 私の告白に、夜空が目を見開く。


「言っておくけど、Likeの好きじゃない。Loveの好き。小学生の頃、プラネタリウムで見たときから、ずっと」


 小学生のころは、ただ気になった子だった。

 中学生になると、これが好きという感情なのだと気づいた。

 そして高校生になると、もはやこれは愛なのだと思った。

 友達なんて関係で終わらせたくない。

 私は、夜空と恋人になりたい。

 夜空の隣にいたい。


「星じゃなくて、私を見てほしい。星にならないで行かないで地上私の隣にいてにいて」


 夜空を失うと思うと、堪え切れなくて涙が流れてしまった。

 頼りがいのあるところを見せ続けていたのに、最後に涙で引き止めるなんて、最悪だ。

 でも、分かる。

 今なら、夜空の気持ちが分かる。

 失ったことの喪失感が、どれだけのものか。

 そして、失うことの恐ろしさが、どれだけのものか。


「あのとき……」


 夜空が口を開く。


「プラネタリウムで、私に声をかけてくれたとき……嬉しかったの」

「え?」

「流星群がいっぱい流れて、本当ならこれをお母さんとお父さんの三人で見られたんじゃないかって思ったら、すごく悲しくて……私、ずっと泣けなかったけど、そこで泣いちゃって……私、もうひとりなんだって、星はあんなにもいっぱい輝いているのに、私はひとりぼっちなんだって……そう思ったら、悲しくて、耐えられなくて……でも、姫ちゃんが、私を見つけてくれた」

「夜空……」

「姫ちゃんだけが、私を見つけてくれた。声をかけてくれて、心配してくれて、それからも、手を繋いでいてくれて、だから、私はひとりじゃないんだって、ずっと感じ続けられたの」

「それは、さっきも言ったけど、私が夜空のことを好きだったからで――」

「私も好き」

「え、ええ!?」


 思わず両手を離してしまい、距離をとろうとした私の頬を、今度は夜空が両手で挟み込んできた。


「こんなにも近くに、いてくれたんだね」

「夜空……」

「ずっと、見守っててくれたんだね」


 額と額がこつんとぶつかり、二人の距離がゼロになる。


「これからは、姫ちゃんだけを見てる」

「よ、夜空……?」

「でも、お母さんとお父さんには、これからも会いに来たい」

「いいよ、毎年付き合う。夜空がひとりじゃないってこと、伝えに来よう。二人で」

「もう、離れないよ」

「離さない」


 私もまた、夜空の頬に両手を添える。


「進路はどうするの?」

「今からめちゃくちゃ勉強する」

「できる?」

「夜空のために頑張る」

「じゃあ、私も姫ちゃんのために、付き合うね」

「夜空……」

「何?」

「好き」

「私も、好き」

「キス……してもいい?」

「……いいよ」


 お互いに顔を近づけ、目を閉じる。

 唇と唇とがほんのわずかに触れ合い、そっと離れる。

 ぎこちなくて、初心なファーストキス。

 だけど、夜空に捧げられたことが、何よりも嬉しい。


「みんなに見られてたね」


 そう言って、夜空が星空を見上げる。


「いいんじゃない? こんなにも証人がいるんだから」

「そうだね」


 立ち上がり、どちらからともなく手を繋ぐ。

 そうして、私たちは来た道を戻るように歩き出した。

 二人並んで、前を見て。


 その背中を、幾億にも輝く星たちが、見守ってくれていた。

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流星群の下であたなを見つけた 天瀬智 @tomoamase

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