調査報告

 不安になる面接だった。

 自分の書いたメモを振り返って、相川は、赤い髪の女性と向かい合って座っていたあの時間を、身の置き所がない感じを、思い出す。見返したメモは、結局ほとんどが白紙だ。あの青い痣を伴ったまなざしを向けられながら、置いていかれないように必死だった。責められているような、恨まれているような気がした。目を離すと彼女が消えているのではないかと錯覚した。瞬きをするのがおそろしくて、視界が焦点を結ばなくなっていった。すぐそこに居るのにつかみ所がない。言葉を交わしているのに何も分からなかった。

 それなのに、相川が裁判官に宛ててまとめた報告書には、彼女から聞いた話がまとめてある。話された内容をカテゴライズして、必要な部分を取り出して、発言の主旨を汲み出して、不在者が七年以上生死不明だという論旨の構成の一要素にしている。彼女の話は何も分からなかったのに、相川の結論は出た。論理的に導かれる結論に納得できないことなどよくあることだ。ただ、今回は納得できない、というのでもない。違和感がぬぐえない。身の置き所がない。自分がどこかに拡散していきそうな感覚が、まだ体の端に残っている。

「相川さん、チェック終わったよ」

 藤見の声で、相川はメモを見るのをやめる。クリアファイルに納めて、机の端に追いやる。空いたスペースに、藤見が記録を置いた。「失踪宣告」という事件名と「藁山島」という申立人の名前。明るい黄色のカーディガンを羽織っていた、八百円で人が殺せるわけはないと、呟いていた姿を思い出す。申立人は笑っていただろうかとふと疑問に思う。赤い髪の女性と、明るい黄色のカーディガンの申立人。姉妹だと言われたら、似ていないなと思っただろう。

「不在になった日時の認定が難しくなったね」

「そうですね。でも、申立人の妹にはやっぱり話聞くか、せめて照会書は送らないと」

「それはそう思うよ。まあだから、仕方がないかなあ。裁判官とは協議してあるの」

「申立人の妹との面接が終わってすぐに。裁判官もちょっと困ってましたけど、まあ仕方がないねと」

 相川が、裁判官も相川の結論を了承している旨の話をすれば、藤見も「そうよねえ」とため息をつく。手元の記録の途中、ピンク色の厚紙で仕切られたうちの真ん中の部分に、水色の付箋がところどころ飛び出している。真っ先に指摘が入らないということは、相川が正しく直せば終わりの、誤字や誤用の指摘だろう。

「じゃあ、誤字とか直して提出しますね」

「はい。お疲れ様でした」

 にこりとした顔で言い置いて、藤見は自分の席に戻る。沼田は出張、隣の机の島の三人は別室でミーティングで、事務室には藤見と相川の二人だけだ。その藤見も、もうすぐ面接で席を外す予定になっている。部屋を開けないように、すぐに直してすぐに提出するか、別室の三人が戻るのを待っておくか。少し考えてから、さっさと記録を手離そうと決めて、相川は付箋を手がかりに記録を開く。ラップトップのスリープモードを解除して、ちょうど開いていたフォルダから、この件の報告書のファイルを探して開く。パスワードを打ち込んでいると、電話が鳴った。自然と、相川の腕が受話器に伸びる。右手で取り上げた受話器を左手に持ち替えて「はい、調査官室相川です」と、決まりのあいさつを口にする。

「交換です。相川さんあてに外線が」

「分かりました、どこからですか」

「ワラヤマさんという、女性の方からです」

 藁山、という苗字に心当たりは一つだ。相川が、今まさに記録を開いて、報告書のファイルを開いたところの事件。電話が切れる音がして、一瞬ノイズが走った後、「もしもし」と、聞き覚えのあるような、ないような、女性の声が聞こえる。

「すみません、藁山です。番号が分からなくて、代表電話に」

 言葉に詰まることがなくすらすらと話す様子で、電話を掛けてきたのが申立人だと分かる。先ほども思い出していた、明るい黄色のカーディガンを着た女性の姿を思い浮かべようとしたら、想像した申立人は困惑した表情をしていた。

「どうも、お久しぶりです、相川です。どうされましたか」

 相川が尋ねるも、申立人は答えない。沈黙を、電車が通り過ぎていく。申立人はどこの駅に居るのだろうか。町中に居るにしては静かだった。あっという間に電車の音も聞こえなくなる。それでも申立人は話し出さず、相川は、二十秒ほどを数えた後で、「藁山さん、どうされましたか」と申立人に再び呼び掛ける。わしゅ、と空気が強く動く音がした。それから、かたくて重たい物が転がるような音。「ああ」と、申立人が脱力した声を出す。それから、また沈黙。

「藁山さん」

 相川が呼び掛けると、今度は、深呼吸をしているような、ゆっくりと息を吸っては、ゆっくりと吐く音が、聞こえてくる。相川は、机の上の置き時計に目をやる。赤い秒針が六十秒で一周する速度で回っている。この針が6に来たら、どうにか電話を切ろうと決めて針を眺め始めたところで「あの」と申立人が言う。

「失踪宣告の申し立て取り消しというのは、できませんか」

 それは、相川が予想もしていなかった申し出だった。

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