#4 「魔法少女は手を差し伸べるから」

「——ねえ、手、取ってよ。……じゃないと、私が困っちゃうじゃない……」


初めて会った“魔法少女”は、泣いている子供には手を差し伸べて。

それでも、泣き止まないままの相手に戸惑い、困ったように頬を掻く、一見、頼りない人だった。


もう、随分と朧げになった記憶。

その日、遥は迷子だった。

まだ小学校に入学するよりも前、ある程度自分で歩き回れるようになってからショッピングモールに行ったのはその時が初めてだったように思う。

だからこそ、興味に惹かれてそっと親が買い物をしている間に抜け出して——そこまでして、何を見に行ったのかはよく覚えていない。


ただ、人混みの真ん中で泣きじゃくっていたこと。

涙でぼやけた視界が像を有耶無耶にしてしまい、何も捉えられなくて。その中にぽつりと自分が置いて行かれたかのような、堪えきれないほどの孤独感に苛まれていたこと。

それだけははっきりと思い出せる。


そして、それを討ち払ったのが誰かということも。


——“魔法少女“だった。


……正確には、ではあったが。

そもそもヒーローショーを見たいと姉が駄々をこねたから遥もついて来たのだ。きっと、そこから抜け出してきたのだろう。


それでも、周りの有象無象と違って、自分に手を伸ばすその姿は姉が見ていたテレビに映る“魔法少女“そのもの。

強い孤独感の中で、知っているものがそこにある。それがどれだけ遥の救いになったことか。


「迷子になっちゃったの? ……そっか。と、取り敢えず、泣き止もう? あたしが家族、探すの手伝ってあげるからっ!」


着ぐるみの内から聞こえてくる声は女の子のもの——ではあったけれど、テレビで聞いたものよりも多少大人びたもので。

とはいえ、くぐもっていたからか、そこまで気になることはなかった。

むしろ、慌てたような口調がどこかおかしくて。いつの間にやら遥は泣き止んでしまった。


「うん、それでよしっ! あとは……はぐれたらまずいし……手、繋いでおいて!」


着ぐるみゆえか図体は大きかったけれど、彼女は身を屈めると、遥の方に手を差し伸べた。

そうして掴んだ手は、着ぐるみ越しの直接の人肌ではない、どこか布らしい乾いた感触をしていて。

それでも、確かな温もりはあった。


「それじゃ、探しに行こっ!」


彼女は案外人探しが得意ではなかったのか、家族と再会するまでに長い時間を要したのは覚えている。

それでも、遥を心配させないためか、彼女はずっと努めて、明るい口調で話しかけてくれた。

暑かったであろう着ぐるみを着たままでも遥の家族を探すため奔走してくれた。


家族と再会したときのことはよりはっきりと覚えている。

安心感のせいか泣きじゃくってしまった遥を抱きしめてくれた両親もまた、泣き出しそうな顔をしていた。


一人でぽつりと取り残されていた時の孤独感。


それを、徹底的に、圧倒的に、完膚なきまでに、“魔法少女“は討ち払い、遥の胸に煌々と輝く希望を灯したのだ。


たとえ不器用でも、たとえ本物じゃなくても、それでも構わない。

泣いている相手に手を差し伸べ、向き合い、たとえ身に余っても精一杯問題を解決しようと尽力してくれる。


貰った希望が変身した憧れ。もし、それが原点なのだとしたら。


それをまた、誰かに灯すこともできるに違いない。



◇ ◇ ◇



「——お話、聞かせてください。あなたの、として」


遥が差し伸べた手に一瞬だけ、衿華の手が伸び、触れる。

けれど、その直後。また項垂れるかのように彼女の手は下ろされた。


冷たい。

ほんの少し触れていただけだったけれど、はっきりわかるぐらいにはその手は冷め切っていて、僅かに震えていた。

それだけ、緊張していたのだろうか。


困惑混じりの表情も、こんな些細な手の震えも、全部が衿華には無縁だと思っていたものだ。

それでも、そんなことはなかった。

今の衿華は、ただのなのだから。


「……衿華さんは、魔法少女がお好きなんですか?」


新人との会話に詰まった時、真っ先に使う会話の種。

こくり、と。

俯いたまま、彼女は頷いた。


それにしても、意外だ——なんて。

一瞬脳裏を掠めた考えを遥は振り払った。

違う、今まで持っていた衿華に対するイメージなんて必要ない。そんなものは捨ててしまえ。

今必要なのは、彼女のとして向き合うことだ。


「そうですか、一番好きなキャラクターは?」

「……ピュア、フリューゲル——です」


ぽつり、と衿華は口にした。

として、ただ“好き“なものを。


「……なんだ、ボクと同じ、じゃないですか」


——ピュアフリューゲル。


日曜朝からやっていた魔法少女番組の15作目に登場する、いわゆる追加戦士だ。

「翼」を冠していた彼女はその名の通り衣装に大きな純白の翼が付いていたけれど、その実、それは使い物にならなかった。

優雅さと効率を求める彼女が、その衣装とは反面、羽ばたくことすらできず、理想の自分になれないことに苦悩する姿。

そんな中でも、人助けのためにもがき続ける姿に感銘を受けた視聴者は多い。

そして、遥もその一人だった。


「……本当、ですか?」


見上げてきた衿華の表情は、先ほどよりも少しだけ綻んでいるように見えた。


「ええ。ヴィエルジュブランを白モチーフにしてもらうようマキさんにお願いしたのは、ピュアフリューゲルが好きだったから、なんです」

「……そう、だったのですね。私、好きです。フリューゲルが自分の信念を大切にしていて、常に優雅に振る舞おうとするところ、でも、いつも少し上手くいかないところが」

「いつもは潔癖なのに、いざ人助けとなると、一切自分の身を顧みずに戦うところとか……?」

「……っ、はい……っ! 私も大好きです、そういうところ。もう立ち上がれないぐらい打ちのめされて、それでも必死に立ち上がって覚醒した時は、もう涙が止まらなくて……」


頬が紅潮している。

普段と違って衿華の言葉は理路整然としたものではなくて。それでも、そこに宿った熱はずっと強い。

届く。だからこそ、彼女の素が、言葉の持つ芯が、真っ直ぐ遥に突き刺さった。


「……あ、ごめんなさい。私、少し興奮してしまって……」

「いえ、ボクも同じキャラクターが好きな人と話せたの、すごい嬉しかったですし……それに、衿華さんの“好き”、ちゃんと伝わりました」


実際、それは遥にとっても楽しい会話だった。

魔法少女が好き——それも、同じキャラクターが好きな相手と話せたのだ。嬉しくないわけがない。

相手が先輩であることすら、忘れていたように思う。


それなのに。

むしろ、衿華は気落ちしたように俯いた。


「……ええ、好き、です。大好き、なのです。そして——その“好き”に匹敵するほどのが私の胸に灯ったから……。だから、ここに、来たのです」


逸らされた視線、その反面、漏れた言葉はいくらか含みを持っているようにも思えた。


「……あこ、がれ……?」

「はい。帰り道にあったこの店に、惹かれていました。たとえコンセプトカフェという形でも、魔法少女に給仕をして貰える——それは、素敵なことだと思ったから。……でも、こういうところは初めてで、入る勇気が出なくて——しばらくドアの前で入るかどうか悩んでいた時に——あなたを、見つけました」


切れ切れと、顔を赤くして、衿華はそう告白した。


「髪の純白、優雅な礼、堂々とした立ち姿——一目惚れでした。フリューゲルと重なって、少し勇気が出て——そんな素敵な人がいるのなら、入ろうと決心しました」

「……そう、だったんですか」


覚えている。衿華が初めてこの店に来た時、目があったような気がしたこと。

それはきっと気のせいではなかったのだ。


「それでも、最初は勝手がわからず、あなたと出会う機会を逃してしまって。連日訪ねてみても、あなたはいなくて。だから、アルバイトで入ることにしたのです。あなたに、会いたくて——そして、できることなら、私もそこに立ってみたいと思って……」


ブランに会うために、衿華は“魔法少女”になることに決めた。彼女らしい最短距離を行く方法で、それでも彼女らしくない向こう見ずなやり方だった。

それが結果として遥の苦悩を招いたのは確かだったが……それでも、に導かれて今ここにいるのなら、それは自分と同じだ。あの日、迷子だった時、手を差し伸べてくれた魔法少女が灯した憧れ、それをずっと抱えてきたのだから。


「……私、手際の良さには自信がありました。それでも、アルバイトすら初めてだったから——マキさんに紹介してもらった時からずっと、不安は止まなくて。読ませて頂いたマニュアルにも笑顔で、と書いてあったのに顔がこわばって、その通りにできなくて、余計焦ってしまいました。それでも、マキさんに無理を承知でお願いして、あなたを私の教育係にして頂いたのに、このままじゃ見捨てられてしまうと思って——精一杯、見栄を張っていました」


ぽたり、と。

握り締められた衿華の手の甲に、一滴の雫が落ちる。

その、自分と衿華が泣いていた。


「なの、に……やっぱり、上手くいかなくて、私のわがままで、皆さんに迷惑をかけて、しまって……ごめんなさい。私、魔法少女には——」

「——なれないわけ、ないです」


その言葉の続きは容易に想像ができた、から。

もしその言葉が発されてしまったら、自分まで否定されてしまうような気がしたから。

それを受け入れてしまったら、気がしたから。

声を、絞り出した。

衿華に言い聞かせる以前に、遥自身に言い聞かせるために。


「あんなに緊張して、自分ができることを見誤って、それに今、私、泣いていて——身分不相応で、それは、恥ずかしいことじゃ」

「身分とか、不相応とか、関係ありません。どんな背景を持ったキャラクターだって“魔法少女”にはなれます。憧れたから、なりたい。当たり前です。理想の自分になるためにそれが必要だから、叶えたいから、どんなにそれが遠くても、苦悩の中にあっても“変身”するんです」


衿華の瞳が瞬く。

大粒の雫が、そこから溢れる。

けれど、濡れたからこそ照らされて、その奥に灯った光はさらに煌めきを増していた。


「ボクが、お客様の代わりになります。何も緊張することはありません」


移り灯った憧れを前にして。

自分と苦悩の中にある相手がいたら、手を差し伸べるもの。

それが——遥の思い描く“魔法少女”だ。



「だから、もう一度——“魔法少女”を、やってみませんか?」

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