#3 「魔法少女たるもの」

「……申し訳、ありませんでした」


俯いたまま、ぽつりと衿華はそうこぼした。

視線の先には絆創膏の巻かれた指、昨日支給された新品の衣装にはベッタリとケチャップがこびりついている。

バイト二日目、初めての給仕。

どうせ成功するだろうと、そう思っていたはずだったのに。

衿華は失敗した。


「……いや、まあ、その——」


言葉を濁すことすら難しく、結局は言葉にすらならない曖昧な音が遥の口から漏れる。

昨日までの毅然とした態度も、普段の手際の良さも、まるで別人かと思うほどに今日の衿華には全てが欠けていた。


『お……お相手は私、ヴィエ、リュ——っ!』


まず、舌を噛んだ。

名乗りはパフォーマンスにおいて一、二を争うくらいに大切だ。

始めが上手くいったか否かでは、緊張感が全然違ってくる。

けれど、そのまま進めてしまったせいだろう。


『“ノ、ノワール・ノクターン”——っ』


ステッキに込める力加減を間違えてしまったのか、放たれたケチャップはそこら中に飛び散った。

もちろん客にもかかってしまったため、マキがわざわざ厨房から出てきて謝罪し、ついでに遥も教育係ということで頭を下げさせられ——なんとか事態を収拾させた後、遥がちょうど給仕をしていた時、それは響いた。


——パリン!


店内中に響く破砕音、そちらに視線を向けた時、案の定というべきか床には割れたガラスが散らばっていて。

慌てていたのか素手で、ちょうどしゃがみ込んだ衿華がガラス片を拾いかけて、取り落とした瞬間。


『いた——っ!』


その時、遥は初めて彼女の悲鳴を聞いた。


「その——指の怪我とか、大丈夫そうですか?」

「……ええ、軽症です。特に問題はありません」


たったそれだけの返答で会話が途切れてしまう。

二人きりの控え室を包む沈黙。

お互いが押し黙ったままでいた時、不意にドアが開いた。


「どう? 衿華さん。指の方は大丈夫そう?」

「……ええ。おかげさまで、もう血は止まっています」

「そう。衣装の方も気にしなくていいから。ケチャップぐらいだったら、まあ……落とせるわよ」


控え室に入ってきたマキは苦笑混じりだった。

客への謝罪にコップの後始末、その上、これから衣装もクリーニングに出さなければならないのだ。

むしろ、その表情は優しすぎるようにも思えた。


「……その、本当に……申し訳、ありませんでした——っ!」


もう、今日何度目になるのかもわからない謝罪の言葉。

今日一番の声量で衿華が発したそれに、マキは小さく首を振る。


「……別に、気にする必要はないわよ。初めてのバイトだもの。それでも、給仕が向かない——とかだったら、厨房とか、裏方の仕事を振ることもできるけれど」


マキの提案は決して悪いものではなかった。

衿華がここでバイトを始めた理由は未だによくわからないが、給料だけなら裏方も接客も大差ない。

それに彼女がここまで優しげに話すのを遥は見たことがなかった。


「……迷惑、でしたらもちろん、マキさんの指示通りにいたします」


けれど、衿華の口調は先ほどよりもずっと切れ切れとしていて、今にも消え入りそうで。

言葉にこそだしていなかったけれど、マキの提案が不本意らしいのは簡単に見てとれた。

ただ、今日のたった一度の接客を見ていただけでもわかる。衿華に今の仕事は合っていない。

普段堂々としている彼女だから大丈夫だろう、とか。ちっともそういうワケではなかった。


——それなのに。


口でこそマキの指示通りにするとは言っていたけれど、ここに来て初めて、彼女が普段の仏頂面ではなく初めて瞳を伏せたことに遥は気が付いた。

いつもは鋭くて、強い意思を持った瞳が歪められる。そこに湛えられた光が僅かにぼやけたのが強く焼き付いた。


「……衿華さん、魔法少女として表に出る以上は緊張と隣り合わせだって。元々それは、だったのでしょう?」


衿華が再び押し黙って、沈黙がその場を包む。

そんな中、先ほどよりもずっと冷淡な口調でマキは言い放った。


「なんで、マキさんがそんなこと……」


意味がわからない。

思わず遥は声を上げてしまった。

昨日の衿華はずっと手際が良くて、所作も完璧で——少なくとも、昨日の段階では心配することはないように思えた。

だというのに、あそこまで緊張することは、だった?

緊張して、下手すれば失敗することを知っていた上で、衿華は今日の給仕に臨んでいた?

マキがなぜそれを知っていたのか——遥にはそれがわからなかった。


「……わかるわよ、それぐらい。所作が完璧でも、表情だけは──ずっと、緊張でこわばったままじゃない」


仏頂面、仏頂面、仏頂面。

昨日から——いや、もっとそれ以前から何度も見てきたからこそ、衿華の表情はそれがデフォルトなのだとそう思い込んでいた。

そこまで感情の起伏が激しくなくて、だからこそ、常に堂々としていられて。だから、そんな衿華はコンセプトカフェでの給仕というずっと勝手が違う仕事でも平然とやってのけてしまうのだとばかり思い込んでいた。


「——っ」


そんな衿華の表情が、くしゃりと大きく歪んだ。

生徒会長として常に周りの羨望を集めていて、教師が相手でも常に堂々と立ち回っている衿華のこんな表情を見るのは初めてだった。

ずっとそんな印象とは程遠い。まるで親に叱られて、泣き出しそうになっているのを堪える子供のような表情。


「……そうね、“ブラン先輩“。あなたは教育係なのに、衿華さんを過大評価しすぎ。もっと俯瞰した立場でものを見なさい。衿華さんは緊張しているのなら、もっと言葉にして。伝わらないことが多いわよ。つまり、二人ともちっとも意思疎通が取れてないの」


ぐうの音も出ないくらいの正論だった。


——、教育係が必要。


もし、普段から衿華の口数が少ないのが、、感情表現をできなかっただけなのだとしたら。

生真面目で責任感が強いから、だからこそ、自身の弱みを口にすることすらできず、結果的に彼女が人間なのだと、そう見えていたのだとしたら。

色眼鏡をかけたまま、衿華を見つめていた。

自身の持つイメージが衿華を縛り付け、結局——生徒会長としての、おかたい先輩としての衿華を自分の中で固定してしまっていた。


「——まず、思い出しなさい。教育係がどうって以前に、そもそも魔法少女が何たるかって。ね、“ヴィエルジュブラン“」


けれど、それは一番嫌いなものだったじゃないか。

それから逃れるために、ここにいるんじゃないか。


そろそろ店じまいにしなきゃいけないからとマキが部屋から出て行って、また二人きり。

ベンチで項垂れているのは、おかたい生徒会長かつ、遥を知っている人間だ。

確かに生徒会長としての衿華は怖い。同じ学校の人間として、自分の正体がバレてしまうかもしれない。


——それでも。


衿華は落ち込んでいる。

一人の魔法少女として、眼の前にいるに手を差し伸べることすらできないのなら、きっとそれは教育係以前に“魔法少女“として失格だ。


「あの、衿華さん」


ぴくりと彼女の肩が跳ねる。


「まずは顔、上げてください」


顔を上げた衿華、見開かれたその瞳に映る“魔法少女”としての遥の姿。

ほんの少し困惑混じりであること——先ほどまでよりもずっと、その表情から読み取れることは増えていた。


——大丈夫、今の僕は魔法少女だ。


そう自分に言い聞かせると、“ヴィエルジュブラン“は手を差し伸べた。


「お話、聞かせてください。あなたの、として」

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