8.美女連環の計
「おお、李粛か。久しいのう」
「ははっ!! 董太師!! おめでたい! おめでとうにござる!!」
「めでたい? 何がめでたいのじゃ李粛よ?」
さて、かつて呂布に義父の丁原を殺させて、董卓の部下になれとの説得を行い、見事に成功させた、かつての臣李粛が。己の下を訪ねて来て祝辞を述べるのを、董卓は何事かと思ったが……。
「はい。私は不思慮ながら、董太師の不興を起こしてしまい。その後朝廷に仕えていたのですが……」
「うむ。まあ、貴様がこうしてわしの下に再び顔を見せたという事は。同じ失敗は致さぬであろう。して、何か? 儂に訪れた慶事とは?」
「はっ!! 実は董太師。私、李粛は此度は相国董卓閣下の元に、漢帝国皇帝劉協陛下からの使いとして参りました」
「……? 劉協の……? 使いと? 詳しく話せ、李粛!!」
「はっ。言われずとも、それが今回のこの李粛の役割にございます。実は、我らが皇帝劉協陛下に置かれましては。常日頃から、董太師の事を我が股肱なり。誠の勇猛かつ有能たる忠臣であり功臣であると、今更ながらに高く評価をされてございます」
「うむ、うむ」
「して、劉協陛下は申せられます。朕、不徳かつ力及ばざりて、この朝野を納めきる力量なきと自らを思う。ついては、万臣の頂点の位と万臣の頂点の能を持つ、相国董卓にこの国を譲らんと思う、と!!」
「お! おおおおおお!! 皇帝陛下御自ら、そのような事を申しておるか!!」
「はい。皇帝の居殿、未央殿にて朝廷の臣が集まり、董太師をお待ちしているところまで事は進んでおります。未央殿にて、皇帝は剣印を董太師に譲り、自らは引退をするとの宣言を為すという事。つきましては、どうか。私に同行して未央殿までお越しあって、皇帝陛下の願いを受け入れてはいただけませぬか? 董太師!」
実は李粛は、既に王允の手の者になっている男である。彼は陰謀の使いには適した、よく喋る男である。狡そうな目がその猜疑心を現わして、董卓の様子を観察するが……。董卓がこの話に猜疑を挟んでいるとは、彼の猜疑眼では見て取れなかった。
「うむ……む。ならぬ。ならぬぞ李粛よ。それはならぬ。何と言ってもわしはただの漢朝の臣に過ぎぬ。その儂が、幾ら皇帝からの懇願があったとて。その皇帝の位を受けとれば、よからぬ口を持つ者共が儂が簒奪を為したと口をそろえて責めるであろう。市井の賢者、閑野の賢人、そう言った者たちが揃って儂を責め始めた日には、儂もただでは済まなくなる。世論というものは大事だ。まだ早い」
『まだ』早い。と董卓はそう言うのであった。という事は時が来ればそういう形に持っていくつもりであるという事であろう。
李粛は、元よりその董卓の野望は知っている男。更に舌を振るうのだった。
「御心配には及びませぬ、董太師。献帝劉協は、既に。禅譲の用意を為しています。自ら董太師に皇帝の座を譲る。その儀礼を整え、万臣万民から不満が漏れぬように、董太師に皇帝の座を引き継ぎたいと申しております」
この言葉に、董卓はとうとう動くのだった。
* * *
「貂蝉よ、心構えをしておけ。これより儂は、未央殿に皇帝の位を譲られに参ってくる。帰ってきたときには、儂はこの地上で至上の位をもつ、天子となっているのだ。貂蝉、お前はわが愛を受け、儂とこの地上で最も美しく楽しく快に満ちた生涯を送ることになる。喜んで待っておれ」
さぁ、始まったわね。王允様からの、水に溶ける紙に書かれた手紙には。
『今日が、実行の日。董卓は未央殿で終わる』
と記されていたもの。
さて、これでいいわ。
すべて、やり終えた。
後は王允様と呂布がうまくやるでしょう。
私は、魂をこの身を抜け出させる。
羽化転生の術でも使いましょう。
「行ってらっしゃいませ、位人臣を極めて参ってください」
私は、そう言って。
董卓を送り出した。
「……貂蝉よ。迎えに来たぞ」
気が付けば、董卓が出て行った後の董卓の部屋の窓の外。
黒い斑点が付いた虎の聖獣に乗って、空から降りてきた男が一人。
「あら? 申公豹様」
「私は、この長安の都で。董卓のうわさや行い、また。あの呂布のうわさや行いを聞いて。いずれも大したものではないと思ったものだ。貂の妖怪仙人であるお前も、そこは呆れたのではないかね?」
「……どうでしょうか? 野心と性欲しかないくだらない男ども。そうは思うことはありましたが……」
「はは。それは面白いな。イタチの類の貂の本性を持つお前よりも、獣の類であったか」
「……失礼ですよ、申公豹様。私に対して」
「ははは……。まあ、良い。その体をさっさと捨てて、霊体になるのだ。さすればこの霊獣、黒点虎にも乗れるようになる。楊戩の奴が言っている。これ以上、仙人や天女の類が、現世に関与してはならぬと。お前の転生は、特例として許されたのだ。女の力を以ってしか、動かぬあの董卓の専横を終わらせるために」
「わかっていますよ、豹さま!!」
私はそう言うと。
痛覚鈍麻の仙術を自分の身に掛けて。
いつも持っている小刀を鞘払って。
何の躊躇もなく自分の胸を刺し貫いた。
「あーあ。スッキリした。でも、ちょっと名残惜しいな。肉体を持っていないと食べられない、あのご飯。美味しかったのに……」
私は、霊体になって。窓から出ると、申公豹の霊獣、黒点虎の尻に座った。
「貂蝉ちゃん、楽しかった? 今回の人生は?」
体は大きいけれど、童子じみた声を出す黒点虎が聞いてくる。
「ん~。まあ、悪い事も多かったけど。良いこともなくはなかったわ」
「うん♪ そう言うモンだよ、生きるって♪」
そう、黒点虎と私が話していると。
「崑崙山まで。飛ぶぞ!! いけ、クロ!!」
申公豹様がそう叫んで、私たちは黒点虎に乗って、空に舞い上がった。
やがて、長安の御所、未央殿の上を通る。
下界では、剣戈の音がしている。
よく見れば、董卓らしき巨大な体を持った、紫の衣を着た男が。
死体になって転がっていた。
そのすぐそばで、馬鹿みたいに諸手を挙げて叫んでいるのは呂布。
ことはしおえた。
もう思い残すことはない。
愛しかったよ、董卓、呂布。
私はあなた達を騙したけど。
一緒に死んであげたんだから、許してよね♡
「架空美姫伝」 了
架空美姫伝 ~貂蝉の場合~ べいちき @yakitoriyaroho
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