4.相国の知恵袋

「……まったく。何なのだ、あの貂蝉とか言う。王允の所から董太師が連れ帰ったという女は……」


 さて。一人の女を巡って最近。主人である董卓と、主人の部下の中で最も勇猛である呂布とが仲違いをしているということに、頭を痛めていた男がいる。

 名を李儒と言い、相当な切れ者であり、董卓の知恵袋と周囲から目され。また董卓もそのように扱い、李儒本人もその働きを為すことを任務としている者である。


「大体は……。読めているのだがな。董太師は言っては何だが、荒淫の性だ。また、あの呂布も女には滅法弱い。そこを突いてきた、王允の策略だという事は。さて、董太師にはどのように諫言すべきか……」


 茶を飲みながら、相国府の一室で沈考する李儒。


「直に諫言するのは拙いな。あの王允、ああ見えてなかなかの策略家。私が下手なことを言えば、それに対応する言い訳やら逆撃の言葉などをあの貂蝉に仕込んでいることだろう。女に弱いあの二人の事。下手をすれば私の身にも害が及びかねん」


 李儒はリアリストなのである。自分の立場が安定してこそ、主人である董卓に理と利のある献言を出来るという事は心得ている男だ。

 己の身を捨てて、主人の間違いを正すという、暑苦しい発想は決してしない男であった。


「まあ……。とりあえずは。諫言なしで当ててみようか。なぁに、李儒よ。董太師に似合う女は、数少なけれど。何もあの貂蝉一人ではない。そのように説いて、呂布の単純馬鹿にあの女を下賜するように進言してみよう。それが上手く行けば、二人の間の諍いの種など消し飛ぶわ」


 そう言って、自信ありげな歩みで。

 董卓の居室に向かう李儒であった。


   * * *


「董太師。お話がございます」


 ん? 回廊側から董卓の部屋に響く、この声は確か。


「おお、李儒か、今日はどのような良手を儂に献言してくれる?」

「はい。女の話にございますよ。女を取るか、天下を望むかという」


 うげっ!! 来やがった!! 王允様が、コイツには気を付けろと口を酸っぱくして言っていた、董卓の知恵袋。李儒の奴だ!!

 李儒の奴は、私の方を見て。ニヤリと笑いやがった!!


「貂蝉どの。申し訳ないが、一刻ほど。席を外していただきたい。これよりこの李儒と董太師が話すのは、天下布武についての重大事。余人に漏れては宜しからぬし、また。女性の貴女が聞いても、一片の利もない事。宜しいか?」


 くっ……! これは仕方ない。一旦退こう。

 董卓の気持ちが変わったりしたら、またこちらに引き戻せばいいまでの事。


「畏まりました。軍師李儒様、貴方のような賢者が董卓様をお助けをくださること。この貂蝉も心より喜ばしく思います」

「ふん。女がよく喋るものだ。しかし、董太師の寵姫なればこそ、失礼な口は叩かぬ。お下がりあれ。貂蝉どの」

「ははっ……」


 さて、李儒の野郎。

 董卓に厄介なことを吹き込まなきゃいいんだけど……。


   * * *


「酒にするか?」

「いえ、私は茶を望みます」

「儂は酒にするぞ? 李儒」

「どうぞ。酒ごときで理性を失う董卓様ではありませぬから」

「うむ。それで、女と天下布武の話だったな? 全く関係ないような二つの話だが。どのように繋がるのだ?」


 董卓と李儒は、董卓の室で酒卓を囲んで会話を始める。


「大いに関係がございます。董太師、軍を率いるは何者ですか?」

「む? 軍を率いるのは。将軍の仕事であろうに」

「はい、その通りにございます。そして、将軍には強弱が歴然として存在するのが、この世のありようであります」

「当然だな。弱い将や強い将。それらは厳然としてある」

「はい。して、董太師は。現在の中華で最強の将軍を手元に飼っておられます」

「……呂布の事か……」

「はい。最近は休みが多いようですが……。董太師、彼と仲違いでもなされましたか?」


 知っていることであるのに、董卓の口から呂布との仲違いを聞き取る李儒である。


「ふん!! あの呂布め!! 恩寵を施していたら、ツケ上がり切って!! 儂の大事な貂蝉に手を出しおったからな!! 暫く謹慎処分に処しているというわけだ!!」


 ひどく立腹している董卓であるが。李儒は、手ごたえのない暖簾を押されたような態度で受け流す。


「良くありませぬな、董卓様」

「? 何がじゃ? 李儒よ? 主人の持ち物を勝手に食おうとするような下僕には、鞭打ちの罰を加えるのが常識というものだろう? 呂布を謹慎させているのは鞭打ちの代わりだ」

「董卓様。宜しいではないですか。寵姫の一人くらい。あの、中華最強の将軍である呂布が、今まで以上に董太師に懸命に仕えるようになるのなら」

「……何を申すつもりか? 李儒よ」

「はい。華雄亡き今、わが官軍の最強の将は。間違いなくあの呂布です。その呂布を愛臣と為されるために、董太師は赤兎馬をお与えになり、また義理の親子の縁まで結ばれた。しかし、それだけでは足りませぬ。あの、王允の所から連れ帰った。貂蝉という娘をです。呂布にくれてやりなさい」


 その時、董卓はなんとも言えぬ不思議な顔をした。


「李儒。汝は何を言っているのだ? 男が天下を望む理由が。何であるかわかっているのか?」

「はっ。私の浅い判断の程度の理解であれば」

「では言うがな。儂にとっての天下人とは。天下の美姫をことごとく所有し、天下の駿馬をことごとく所有し、天下の名将をことごとく膝下に揃え、天下の財物を己の物とし、気軽に贅を尽くした宴を開き、また、逆らう様子を見せる逆賊はことごとく滅する力を持つ。そういうものだ」

「大変よろしくございます。この李儒、董卓様がそのような理想を持つからこそ面白味を感じ、部下になっているのですから」

「ふむ。では、おかしくはないか? 貴様は、儂に貂蝉を手放し、呂布に与えろという。美姫を奪われる形ではないか」

「御早計にございます、董太師。順番としてはまず、軍勢によって中原を制定し、然る後に万民を管理下に収め。その財を税にて集め、その上で美姫を所有する。将来の数多の美姫を得るために、まず最初の軍勢を率いさせるための最強の駒である呂布の心を完全に掴むのです。中華最強の猛将の忠誠心を購うならば。それくらいの投資は必要ですぞ」

「む……!!」


 董卓は、李儒の理を尽くした、将来の利の為の献言に。

 首をひねって唸るのであった……。


   * * *


「貂蝉よ」


 やっべ。このバカ董卓。心が揺らぎやがったな!!

 妙に色気を鎮めた様の董卓に呼ばれて、私は面倒臭い事になったとおもった。


「汝は、呂布の事が好きか?」


 ほらな、やっぱり。李儒の考える事なんて、こうに決まっている。

 私が折角仲違いさせた、董卓と呂布。

 その二人の仲を、雨降って地固まる的に更に堅牢にさせる手を打ってきたよ。


「大っ嫌い!! ですっ!!」


 さて、力をぶち込んで。激しく怒鳴る。


「何をそんなに嫌う? 奴は見た目も悪くなく、何より中華最強の異名を取る程に勇猛だ。女とは、そのような男を好むものかと思っていたがのう?」


 あー、もう!! 李儒のヤロー!! いろいろ言いやがったな!!


「いえ! 私は武勇だけではなく、文化人的な感性と、経験を積んだ大人の色気と落ち着き。そのようなものを兼ね備えた、董卓様が好きなのです……。それ以外の者に!! 女として扱われたいとは、露ほどにも思いません!!」

「……困ったのう。実は、呂布の奴がな。李儒に訴えてきたというのじゃ。儂の侍女のお前に対する、懸想が止まらぬ。なんとか手に入れたいから儂に掛け合ってくれとな」

「まっぴらごめんです!! あんな野獣男!! 気持ち悪いったら!!」


 私は、その後も。

 口を極めて呂布の悪評をネタに、罵り続けた。


「わかった、わかった貂蝉。戯れじゃよ。儂も本気で、愛しいお前をあの野蛮な呂布に下賜しようなどとはおもわぬ。ただ、もし仮にお前が望めば、それもあるぞといいたかっただけじゃが。馬鹿なことを言ったものだ。忘れてよいぞ」


 はぁ――――――――っ!! 危なかった!!

 なんとかピンチ脱出!!


 あの李儒、油断ならないったらない!!

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