第5話 教団の意義

 二人が今度は一緒になって死体を見た。もし、それが少しでもずれていれば、二人も同じように、息をのみ込み、声にならない声を発していて、そのまま金縛りに遭っていたかも知れない。

 しかし、発見したタイミングがあまりにも同じだったことで、二人は思わず相手を感じてしまい、相手が息をのんだ印象を感じなかったことで、一気に感情が爆発した。

 それは相手が自分に構いなく大越を出すと思ったからで、それなら自分も遠慮の必要なないと感じてしまったので、二人して大きな弧を挙げた。ハモるようなその声は、広くて何もない部屋に共鳴した。しかも、その部屋が乾燥していたからたまらない。声の響きは一気に建物内に響き渡り、我に返った二人は顔を見合わせて、相手に対して。

「しまった」

 と言っているが、声にならない後悔に襲われていることを感じた。

 ドタドタと、本当であれば、静かに移動しなければならない教団建物の中を、初めてと言っていいほど、足音を気にしない響きを立てた喧騒が、一気に建物を襲い、いかにも緊急事態であることを示していた。

「おいおい、一体何があったんだ?」

 と、幹部の一人が声部とで入ってきた。

 その人がこんなに大きな声を出す人だったと初めて知ったほど、建物内が緊張に包まれてしまったことを知った。

 実際に死体を発見した三人は、これからやってくる大群の喧騒に果たして耐えられるであろうか?

 いや、それまでの静寂を打ち破ったのは自分たちである。こじ開けた静寂なので、その後の喧騒にも耐えられるのは当たり前ではないだろうか。

 ドヤドヤという音がどんどん近づいては来るが、まだ誰も入ってくる気配がない。それはまるで三人が精神的に落ち着くのを待っているかのような様子だった。三人は元々自分たちが最初に入ってきたこの部屋の入り口に神経を集中させ、誰かが扉を開けるのを、今か今かと待っていた。

「ガラガラ」

 と、横スライドの扉を開けて入ってきたのは、まず五人の幹部連中であった。五人のうちの二人までは、すでに教練の服に着かえていた。幹部の教練服は、一つではない。その時々で適した服装に着かえるのだが、朝一番は、ほとんどが柔道の黒帯と決まっていた。

 幹部になるには、精神的にも肉体的にも鍛錬の賜物でなければいけない。精神的には知識を備えている必要があり、学力、および判断力、さらには洞察力を必要とする。学力は一般常識の試験、さらには、他の二つに対しては。教団が過去から受け継がれている秘密の試験方法があるのだ。

 実際に登録している教団としての歴史はまだまだ浅いが、その前身となる団体は。まるでインディーズのように、地下で生きていたのだ。その時から脈々と受け継がれてきた伝統があった。

 まだまだマイナーな団体だったとはいえ、歴史の重みは結構なものがある。それだけに受け継がれてきた伝統を守るというのは、彼らにとって大切なことであった。

 精神の鍛練だけではなく、それ以上に肉体の鍛練は大切だった。頭の機能も、身体の健康がなければ成り立たない。これは幹部とは言わず、皆武道などを奨励していて、強制ではないが、武道をしていなかれば、幹部への道は絶望と言ってもよかった。何しろ、幹部になるには、精神面と肉体面の鍛練である武道による、

「昇進試験」

 が存在するからだった。

 だからこそ、幹部にはそれだけに権限もあれば、教祖の代理としての権限もある。そこが他の団体とは違うところであろう。

 そういう意味で、二人までは、まだまだ朝の鍛練を怠ることなくやっていて。あとの三人も同じように鍛練はしているが、少し気合が抜けかかっている三人だということが、この時に露呈したのであった。

 もっとも、これが悲鳴でなければ、速やかに着かえを行って、少しだけ遅れた状態で現れたのかも知れないが、何しろ聞こえたのが悲鳴だったことで、着替えなどをする暇は毛頭なかった。それほど、この教団で、このような悲鳴が聞こえるようなことはなかったということである。

 五人の幹部も死体を見て、一瞬たじろいだようだったが、すぐに段取りを決め始めた。さすがに、昇進試験をパスしてなっただけの幹部としての、微動だにしない堂々たる態度であった。

 何と言っても、まずはそこに倒れている人の状況であった。教団の中には医療を司る部署も当然に存在する。何しろ一つの企業に匹敵する団体なのだからである。ここで医療を司っている医療幹部の一人は、F医大を主席卒業という名目の元、教団に入信する前には、F大学附属病院で、医局長もこなしていて、数年後には院長の椅子も狙えると言われたほどの、医療界のエリートであった。

 俯せになって倒れているので、なるべく動かさないように調べていたが、やはり死んでいるのは一目瞭然だった。そうなると、被害者をなるべく動かしてはいけない。殺人事件ともなると、現状保存が最優先だからだ。

 それでもさすがに医療の権威。俯せの状態でもある程度分かるようだ。

「どうやら、胸を刺されたことが原因のようですね。この場合は、出血多量によるショック死というところかも知れません。一つ気になるのは、即死ではなかったと思われるのに、苦しんだ様子があまりないことですね。ひょっとすると、睡眠薬か何かを服用した状態で刺されたのかも知れない。詳しくは、警察の鑑識に委ねるしかないですがね」

 と言っている。

 そして、今度は別の幹部が覗き込んだ。そこに倒れている人が女性であることが気になったのだ。

 その幹部は、人事的な仕事の長をしているので、教団の皆の顔はある程度把握していた。ただ、倒れている表情には断末魔の苦悶に歪んだ表情が刻まれていることから、普段との違いがあるため、よほど気にして見ないと、その素顔が分からない。それでも一番教団員を熟知している彼が判断したところによると、

「この人はこの教団の人間ではありませんね。少なくとも私はこの顔に見覚えはない」

 と言っていた。

 すると、もう一人の幹部が。

「この人の着ている服装は、俗世間において、外出着という感じがしませんね。まるで部屋着というか、このままエプロンをして台所に立っていれば、典型的な家庭の主婦という感じではないでしょうか?」

 と言っている。

 警察が到着するまでに分かったことはそれくらいであるが、動かすことができないだけに。これだけの情報でこの状況を説明することは不可能だった。後は、警察の捜査に任せるしかなかった。

 教団の信者も、警察が入ってきてテキパキと動いている様子を見ながら、緊張した表情をしていた。

 数多くの信者は、俗世間でひどい目に遭って、ここにやってきたこともあって、中には俗世間での地獄と思えるような光景を見た人が多かったが、実際の事件を目撃したのは皆初めてだった。

 しかも、

「犯罪など、ここでは起こるはずもない」

 というような、神話的な印象を持っていた人からすれば、明らかに今回の事件は青天の霹靂だった。

 教祖は、幹部の後ろに隠れていて、なるべく信者からは見えないようにしていた。教祖は他の幹部のように実は、肝が据わっているわけではない。事件が起こったことを聞いてから実際に見るまでの不安と、実際に現場を見たことで陥ってしまったパニックを、幹部が何とか収めたのだ。

 幹部としても、教祖であれば、パニックに陥るということは、想定内のことだったので、その状況を見ていた。

「精神安定剤を」

 と言って、教団の意志に指示し、精神安定に繋がるアンプルを、教祖に接種したのだった。

 教祖は人に対してのマインドコントロールもうまければ、自分に対していわゆる、

「自己暗示」

 を掛けることも得意だった。

 精神安定剤を摂取したのは、その効果をさらに確実なものにするためでもあったが、自己暗示によって、強烈な体力を消耗するので、その消耗の前に精神安定剤を摂取させておくことで、体力の消耗を少しでも和らげることができるからだった。

 その目論見は成功し、本来であれば、寝込んでしまっても仕方のない状態を脱することができた。教祖は人心掌握実に掛けては右に出る者がいないが、幹部たちほどの堂々たる肝も大きさはなかった。そこが、教祖の人間らしいところであるといえば、長所にもなるのだろうが、やはり大きな短所だと言ってもいい。

 しかし、その短所をひっくるめての教祖であることを幹部は分かっているだけに、彼が教祖であることが、一番この教団には必要なことであった。

 教祖が現れるが遅れたのは、そういう理由があったからだが、警察がやってくるまでには何とか教祖も正気を取り戻した。敵対関係ではないが、お互いに警戒すべき相手である宗教団体と警察という関係上、教団の教祖はしっかりしていないといけなかった。

 通報も、教祖の状態を見てから行ったので、少し遅れた。最初に三人の小僧たちが死体を発見してから警察が到着するもでには約一時間が経過していた。冬が近づいている今の時期でもやっと日の出の時間を過ぎたくらいで、あたりはまだまだ薄暗い状況だった。そんな薄暗い状況で、人も歩いていないような閑静な状況で、パトカーがやってきたのだから、サイレンを鳴らしていなくても、近くの住民には、何かがあったことは想像がついただろう。

 警察車両が何台も教団の門をくぐっていく。表に出てくることまではなかったが、近所の住民は、家から覗ける範囲で、警察車両が教団の建物に入っていくのを見ると、

「いよいよ事件が起こったんだ」

 と、それを見た誰もがそう感じるのだった、

 さすがに四半世紀前の事件を覚えている人は中年以降の人でないといないのだろうが、忘れていた記憶が鮮明によみがえってきた人も多いことだろう。

 救急車がひっきりなしに、交差点を行き来して、担架で救急車に運ばれる人が後を絶えない。表の通路には重症とまではいかない人たちが座り込んで、看護師や医者の手当てを受けているという。まさに臨戦状態の様をテレビを通してとはいえ見せられたのは、あれほどセンセーショナルな事件を後にも先にも事件としてはなかったかも知れない。

 地震などの天災の被害で悲惨な状況を見せつけられたことはあったが、あれは人為的な問題ではない。しかし、あの時は明らかに事件であり、それを引き起こしたのは、人が中心となった宗教団体だったのだ。

 あれから成立した法律もあったくらいなので、宗教団体には目を光らせていたにもかかわらず、こともあろうにどうして自分たちの街にそんなものができたのか、不思議でしょうがなかった。

「まるで昭和の事件を見ているようだ」

 と、さらに昔のイメージが頭をよぎった。

 近所の人たちが静かに見間おる中、教団の敷地内に入った警察は、パトカーの中から数人の制服警官と、背広姿の人、さらに、別の車両から、機材を持ち込もうとしている腕に県警の名前の入った腕章をしている人がいた。明らかに鑑識関係の人であることに間違いはないようだ。

 警察を呼んだのだから、彼らが入ってきやすいように、入り口の扉は開けておいた。それをいいことに、先人隊とでも言っていいのか、制服警官がなだれ込むように入ってくると、後からやってきた背広姿の刑事が、幹部の一人に声を掛けた。

「我々はF県警刑事課の者ですが、通報していただいたのはどなたでしょう?」

 と少し若めの刑事が、そう言った。

「私ですが」

 というと、

「そうですか。早速いろいろお伺いしていきたいと思いますので、ご協力のほど、よろしくお願いいたします」

「はい」

 ここで亡くなっている女性は一体誰なんでしょう?」

 と、いきなり回答に窮する質問が飛んできた。

 質問者の方とすれば、教団の建物の一室で殺されているのであるから、少なくとも幹部の誰かくらいはこれが誰であるかを知っていて当然だと思っていた。その思いに警察側は誰も疑いを持っていなかったようで、

「実は、私どもも知らないんです」

 と答えると、どっとどよめきのようなものが、警察側から聞かれた。

 刑事は思わず自分たちの顔を覗き込んで、お互いに驚いているのを確かめているようだった。

「本当に知らないんですか? 少なくともここは教団の建物ですよね? 皆さんが知らない人が一人でここで殺されているというシチュエーションには、信じがたい部分がたくさんあると思うんですが」

 と言われると。言い訳のしようもなかった。

「もちろん、そのはずなんです。夜には完全に戸締りをして、この建物には昼間しか、教団関係者以外が入ることはないんです。教団は信者を増やすためということもあり、公開で参加者自由の中で、勉強会を開くことが多いですので、入信者以外でも、この建物内にいることは多いです。でも、早朝一番で死体がみつぃかるということは、一晩どこかにいたということになるので、ちょっと考えにくいことではありますね」

 と言った。

 それを聞いた若い刑事、辰巳刑事というのだが、彼は最近、K市で警察署では、名物刑事になりかけていた。

 それは別に悪い意味ではなく、どちらかという意味であったのだが、最近発生した事件の解決に、辰巳刑事の一言が発端となることが多かった。辰巳刑事は猪突猛進なところが若干ありが、それでいて、人の意見を素直に聞くという若手らしさを兼ね備えているところから、発想も的を得ていて、大外れしないところがあるのだろう。

 そんな辰巳には勧善懲悪なところを隠そうとはせず、猪突猛進な性格を、最初から表に出しているようなものである。教団の幹部くらいになれば、辰巳刑事のように分かりやすい刑事の性格を見抜くことは容易にできるはずであり、彼らとしては、扱いやすい相手ではあるが、下手に怒らせない方がいいというのも共通した意見であった。そのためには、初動捜査の段階では、なるべく正直に答えることが正解だと思ったようだ。

 実際には、知っていることと言っても何もなかった。一見そこで死んでいた人も、

「何となくどこかで見たことがあるような気がしているが、どこの誰だかはすぐには分からない」

 というのが本音であった。

 警察が来る迄は、死体を動かしてはいけないということであったので、俯せになったままでは、到底誰なのか分からなかった。しかし、今は死体も仰向けにされて、その上での面通しであったが、やはり誰なのか分からない。少なくとも幹部の皆は、

「見たことがあるような気がするけど、すぐに思い出せるほど親しい人ではない」

 という意見で一致していた。

「つまりは、あなた方は、表では見たことがあるけど、団体の施設では見たことがないということですね?」

 と辰巳刑事に訊かれ、

「そういうことです。少なくとも彼女はこの施設には入ってきたことがないと思います。要するに、信者ではないということです」

 と幹部の一人が話した。

「ところで、信者はどれくらいの数がいるんですか? あくまでもこの建物に関係した人数で結構です」

 と辰巳刑事が訊ねた。

 宗教団体としては全国的に名前が通っている団体であるので、実際にこの建物に修行であったり勉強をしに来れる人は、この周辺に住む人に限られるだろう。辰巳刑事は、それらの人々の人数を聞いたのだった。

「そうですね。数百人というところでしょうか?」

 と幹部は言った。

「宗教団体では、皆で合宿のような共同生活を送っている信者の方や、在宅からの通いのような形でやってくる信者の方もいると思いますが、共同生活している方々はどれくらいなんですか?」

「そんなには多くないですよ。百人にも満たないと思います」

「じゃあ、在宅からの通いのような人の方が結構多い訳ですね?」

「そう、そう思います」

「では、入信して共同生活を始めた人と、通いの人とでは、ここでの地位としてはいかがなのでしょう? 在籍年数という意味でもいいんですが」

 と辰巳刑事が聞くと、

「通いの方は、、結構幅は広いと思います。教団の創成期からの人もいれば、ごく最近の人もいます。それに比べて共同生活をしている人のほとんどは、中堅くらいでしょうか?」

「中堅というと?」

「ここ二年くらいが多いと思います。そもそも、この土地に施設ができてから、数年しかまた経っていませんからね。それまでは生活施設は、幹部関係のものしかありませんでしたからね」

 と幹部はいう。

「先ほどの被害者の方を直接は覚えていないということでしたが、この建物は、部外者がそう簡単に入れるところなんですか?」

 と訊かれて、

「勉強会や修行などと言った昼間の行事には、別に信者でなければ入れないなどという規則はありません。一応、表で受付をするようにしているんですが、そこに署名を拒否されてもそれは別に構わないようにしています。ただ、我々としては、署名いただければ、信者でない方のお生を覚えることができるというくらいのものです」

「信者以外で署名される方は、おられますか?」

「まずいないと思います。我々も期待はしておりませんからね」

 と幹部は言った。

「この教団は、一体、どういう集団なんですか?」

 と、ザックリとした曖昧な質問であったが、幹部にとっては、ぐさりと来る質問であった。

「我々の集団は、俗世間で理不尽な目に遭ったり、息ができないほどに追い詰められた人が気持ちを休めることのできる、昔でいう駆け込み寺のようなものになれればいいというのが一種の主旨ですね。気持ちを落ち着かせることができて、中には元の世界に戻っていく人もいますので、気持ちを休めただけなら、元の場所に戻ったとしても、現状維持をしたというだけで、結局は元の木阿弥になるだけではないですか。だから、修行や勉強をすることで、元も社会に戻っても、苦労することがないように考えているんです」

 と言っている。

「じゃあ、一度入信した人が、俗世間に戻ることを許しているんですか?」

「ええ、もちろんです。我々の活動はあくまでも、それらの人の手助けができればいいのですから、主役は彼ら何です。引き留めたりなんかしませんよ」

 と言った。

「ここで心を癒してから、元の世界に戻っていく人も結構いるんですか?」

「ええ、いますよ。でも、ほとんどの人はここでの修行や勉強を続けます」

「どうしてですか?」

「もちろん、彼らと立場が違うので、何とも言えませんが、俗世間に戻るのが怖いと思っている人と、自分の居場所をここに求める人、つまりは、ここのような自給自足を自分の人生として受け入れる人とに別れるんでしょうね」

「じゃあ、こちらに入信して、ここでの集団生活をしている人の中には、家族がいた人もあると思うんですが、その人たちが、身内を返せと言ってきたりはしませんか?」

「それはありますね。自分たち団体が、その人を洗脳したとかいう言い分でですね。でも、私たちはただ、当事者の傷をいやしているだけで、別に誘拐してきたわけでも何でもありません。ここに来られるのも、抜けられるのも自由です。つまり、返せと言ってこられても、本人が拒否するんだから、いくら肉親と言っても、首に縄をつけて引っ張って帰れませんよね。しかも、本人の意志でここにいるわけだから、警察は不介入でしょう? だから我々は、ただ黙って見ているだけなんです。言いたいことがあっても、言う立場にはありませんからね」

 と言った。

 辰巳刑事も、

――それは何となく分かる気がするな。理不尽な世の中で傷つけられて癒されに来た人であれば、いまさら俗世間に戻りたくないという気持ち……

 と考えた。

「なるほど、俗世間にいた時、家族や肉親だからと言って、自分n気持ちが分かってくれたわけでも、手を差し伸べてくれたわけでもなく、自分が苦しんでいるのを見て見ぬふりをしたという感覚に陥っているからでしょうね。それに比べて他人であり、今までの自分のことを見たこともない団体が、手を差し伸べてくれた。しかも、その中にいる人のほとんどは、自分と似たような経験をして、ここにいる人ばかり、孤独で追い詰められた経験を持った人でなければ分からない思いを、ここでは共有できるというわけですよね」

 と辰巳刑事がいうと、幹部も嬉しそうに、

「ええ、その通りです。警察の方の中には辰巳さんのような分かってくださる方がいると思うと嬉しくなりますよ」

 と幹部は言った。

「いえいえ、世の中の理不尽さというのは、刑事のような商売をしていると、嫌というほど見てきていますからね。それが犯罪に繋がってくる。その真相に辿り着くということは、その理不尽さとは避けて通れないことになりますからね。だからいつも、悔しい思いをしているのも事実です。でも、だからと言って宗教団体を全面的に信用しているというわけではありません。中には人のそういう弱い部分に付け込む悪徳な集団もありますからね。そういう意味では、理不尽さを手段に使って、人を欺くような連中が一番許せないとも思うんですよ」

 と、辰巳刑事は、宗教団体に対しての釘をさすことも忘れていなかった。

「その通りです。我々もそれは危惧しています。例えばの話ですが、今の時代はほとんどタバコはどこでも吸えなくなってきていますが、数十年前はどこでも吸えましたよね? 禁煙ルームなども珍しかったくらいの時代から急激に嫌煙権を主張するものだから、どこでも、世間の流れに考慮する形で、次第に吸える場所が減ってきた。その時、喫煙者の中には、不心得者がいて、吸ってはいけないという場所でありながら、それを無視してタバコを吸う人が絶えません。嫌煙者は、それらの人をきつい目で見ていたんでしょうが、喫煙者も同じなんですよ。いや、ルールを守ってちゃんとした喫煙所でしか吸わない人からすれば、そういう不心得者がいるから、自分たち迄もが、不心得者に見られてしまうということで、嫌煙者以上に、不心得者に対して嫌悪を感じているものなのです。我々も同じなのです。宗教団体というだけで、今まで存在した酷い団体と同じように見られてしまう。これも我々が感じている理不尽であるんですよ。しかも、この理不尽は我々にとっては死活問題にもなる。だから、余計に俗世間での理不尽な目に遭っている人の気持ちが分かるのだと思っています」

 と幹部は言った。

「なるほど、その気持ちはよく分かります。警察組織でも同じなんですよ。刑事ドラマなどが下手にあり、視聴率がよかったりするので、その路線としては、どうしても、警察機構の悪いところである、管轄主義的な部分や、以前からあった取り調べシーンなどを覚えている人もいたりするので、我々としては、どうしようもないと思っています。どうしても世間はそういう目でしか見てくれないので、警察というだけで事件捜査に当たると、急に何も証言してくれない人とかも結構います。せっかく事件の真相を明らかにして、被害者やその家族の無念を晴らそうと意気込んでみても、一般市民が非協力的だとやり切れない気持ちになりますよね。結局どっちの見方なんだっていう思いになってしまいます。そんな思いをずっと抱いていると、たまに癒されたいという気持ちにもなりますね」

 と、辰巳刑事は話しながら自分の気持ちを吐き出してしまっていることにハッとした。

 別に彼らからマインドコントロールを受けているわけではないのに、そう感じてしまうのは、どこか辰巳刑事も宗教団体に共鳴する部分があるからではないかと思うのだった。

「宗教団体というのは、なかなか存続は難しいものだと認識しています。でも、昔からお寺のような感じで存続を考えているんですが、お寺でも、自分たちの食い扶持のために、托鉢などを行って、コメを恵んでもらうようなことが日課になっています。つまり、恵みを求めるのは、恥ずかしいことではないのです。要するに、我々の方が一般庶民より優れているという考えではなく、あくまでも、共存共栄をすることが理想だと思っているんですよね。それは刑事さんにも分かってもらえることではないでしょうか?」

 と、幹部は言った。

 辰巳刑事は、彼らのそんな言い分を聞いて、初めて宗教団体の人と話をしたが、最初こそ偏見が少なくともあったので、緊張してしまったが、話をしてみると、お互いに言いたいことが言い合えるという、いい関係を育むことができる相手として好印象を持った。それが嬉しかったのである。

「教団の主旨は、少し分かってきた気がします。ところで、今度の事件をザックリでいいですので、皆さんはどのように見ておられますか? 我々はまだ少しお話を聞いただけなので、教団の事情も内情も知りませんので、想像もつきませんが」

 と、辰巳刑事がいうと、

「何と言えばいいのでしょうか? 教団としても、青天の霹靂であることに間違いはありません。まさか、この建物内で血が流れることになるなど思ってもいませんでしたし、発見した若い連中も同じだったと思います」

 と幹部は言った。

 辰巳刑事も、これ以上幹部に話を聞いても、ここから先は同じことの繰り返しになると思ったので、今度は第一発見者の三人の小僧たちに訊いてみることにした。

 彼らはただの第一発見者なので、あくまでもその時の事情を聴くだけのことなのだが、最初は彼らも気が動転しているようだったので、聴取を控えていたが、まず最初に教団に対しての基礎知識を固めたうえで聴取に応じることができるのは、辰巳刑事としてもよかったと思っていた。

 彼らは別室で制服警官を相手に聴取を受けていたが、刑事に受ける聴取とは違って、相手がお巡りさんでは、かなり精神的にも違ったことだろう。だいぶリラックスができているようだが、それは若さによるものではないかと、辰巳刑事は感じた。

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