第10話 天才少女の特別授業

 特別講師・戸森マヒロの授業が行われたのは彼女が学校にやって来た2日後のことだった。

 最初に理科室へと集められたのは2年1組で、その中には当然のようにサトルとハジメがいる。


(薬品臭いのが苦手だから長居したくないけど、授業だもんな……)


 理科室には黒い天板の大机が8つ並び、その周りに4人ずつの生徒が座っていた。大半は気怠そうな雰囲気を醸していたが、残り半分は興味深そうにマヒロの登場を待っている。

 サトルは隣に座ったハジメを一瞥する。彼女は不思議そうに首を傾げた。


(そういや、ロボットって嗅覚あるのか? 五感で外部とやりとりしているって言ってたけど)


 視覚と聴覚は確実にある。でないとこちらの姿を見たり、話を聞いたりできない筈だ。

 これだけ精巧に造られているなら嗅覚もあるかもしれない。ちょっとした疑問を解消するため、小声でハジメに話しかけてみた。


「変な臭いがする」


 言葉の意味を理解できたのか、できなかったのか。ハジメは目を丸くし、それから自分の手首の前で鼻を動かした。


「ちゃんと洗浄できてなかったかな」

「いや、お前が臭うって意味じゃなくて。この部屋が臭うって意味」

「成分分析する?」

「できるのかよ」

「私はできないけど」

「ふ~ん。なんで?」

「そういう機能が無いから。でも、なんとなくなら分かる。これはアンモニアだとか、硫黄だとか……」


 形のいい鼻を指差す仕草は悪戯っぽくて愛敬があったものの、サトルの頭には疑問が浮かぶ。


(意外と普通? もっと色々な機能を付ければいいのに)


 これまでのところ、ハジメが決定的に機械であると感じたのは非常停止用の物理キーを差し込まれた時だけだ。あのときはうなじのカバーが開いて、完全に作り物の気配へと変わってしまった。

 他には物凄い足の速さを見せつけられはしたものの、あれはまだ生き物の能力の範疇だろう。


(目が光るのも機械っぽいけど、あれは戸森先生の趣味だっていうし)


 もしかして、人間に紛れるために敢えてそうしているのかもしれない。

 そう考えて納得することにした。


「ねぇ、大塚くん」

「な、なんだよ。いきなり顔を近付けるな」

「あれを見て」


 またも耳元で囁かれてしまい、天井まで飛び上がりそうになった。

 ハジメが指した先は半分開いた理科準備室の扉がある。その向こうには顔の半分だけを出したマヒロが半目になっていた。


「大塚くんのことを呼んでるみたい」

「俺? なんで?」

「困っているみたいだから行ってあげて。お願い」

「お前が行けばいいじゃん」

「ダメなの。私が手伝うとマスターは怒るから」

「なんでだよ」

「いいから」


 目立つのは嫌だったが、背中を押されて仕方なくマヒロの元へ向かう。半開きのドアから理科準備室に入ると、数日前にハジメに追いかけられたときには無かったものが目に入った。

 人の腕がニョキっと生えた奇妙な箱が置いてある。腕といっても質感のリアルさは全くなく、いわゆるロボットアームというやつだ。表皮は白いプラスチック製で、指はちゃんと5本ある。箱の下部にはキャスターが付いていて動かせるようになっており、その横に立った白衣のマヒロが睨んできた。


「遅い! 目で合図を送ったのにどうしてすぐに来ないんだ!?」

「いや、あいつに言われるまで気付かなかっただけです。というか、なんで俺を呼んだんですか?」

「うむ。この教材は業者に搬入してもらったのだが、準備室の方に置かれてしまってな。こいつを向こうの部屋に運んで欲しい」


 指し示した先はクラスメイトたちが待つ理科室である。

 その距離は数メートルといったところ。試しに腕付き箱を押してみると、多少の手応えは感じたが動かせそうだった。


「これが教材? こんなの自分で押せばいいでしょ」

「そういうのはアシスタントがやるものだと相場が決まっている」

「俺じゃなくてあいつにやってもらえばいいのに。ロボットだし」

「何度、違うと言えば分かるんだ!? ハジメはロボットじゃない。超高性能な完全自律人型AIなんだ! こんなちょっとした手伝いみたいな真似させられるわけがない!」

「え。これを押して運ぶのもできないの、あいつ?」

「当然できる! 躯体のリミッターさえ外せば乗用車だって持ち上げられるぞ!」


 それはそれで怖い。

 セーラー服の美少女が笑顔でクルマを持ち上げる場面を想像して嫌な汗が流れた。


「とにかくだ! これ以上、生徒たちを待たせるわけにはいかない。運んでくれ」

「そりゃそうだけど…… 分かりましたよ。やればいいんでしょ」

「あと、このデバイスを理科室の教壇にあるパソコンに挿してくれ。それからスクリーンを下ろしてプロジェクタをオンにするんだ」

「さすがにUSBメモリくらい自分で挿してくださいよ。パソコン使って説明するんでしょ?」

「ただのストレージじゃない。挿入したパソコンをハッキングするためのツールでもある。授業に使う資料も保存されているからな。わたし専用のモバイルPCはここにある。これで通信する」


 小脇に抱えたモバイルPCを指し、なぜかマヒロは得意げに胸を反らせた。


「なんですぐそこにあるパソコンをハッキングするんですか……」

「遠隔操作しないとリモート授業ができないだろう」

「いや、だから。なんで数メートルの距離でリモートするんだって聞いているんですよ。普通に理科室に入って、普通に授業すればいいでしょ」

「ぐぬぬ……」

「この妙なロボットアームは俺が運びますから、他は自分でやってくださいよ。あいつの実験のために学校に来たのは知ってるけど、一応は校長に呼ばれた特別講師って立場なんでしょ」

「さ、サトルのくせに正論を……」


 恨めしそうな目で見てくるマヒロを置いたまま、サトルは腕付き箱を理科室側に運び入れた。生徒たちの反応は様々で、一瞥しただけの者もいればわざわざ前に出てきて眺める者もいる。

 しかし、マヒロは一向に準備室から出てこない。


(何やってんだ、あの子ども先生は……)


 訝しんでいると、すぐ隣にハジメがやってくる。


「マスターの言う通りにした?」

「……ちゃんと運んだぞ」

「他に何か言ってなかった?」

「メモリストレージを教壇のパソコンに挿してくれって。ハッキングするとか言ってたけど、そんなの必要あるか? だって普通にみんなの前で話せばいいだけだろ?」


 目を伏せたハジメは首を横に振る。

 それからジッとサトルの目を覗き込んできた。

 長いまつ毛が目立つ。瞳の奥にある輪っかが大きくなったり、小さくなったりした。多分、カメラのレンズだろう。そんな造られた美しさではあるものの、端正な顔を直視していると照れる。慌てて横を向いたサトルの方へと、ハジメはさらに回り込んできた。


「お願い。言う通りにしてあげて」

「だから、なんで……」

「マスターは、大勢の前だと緊張して喋れなくなるの」

「あ」


 そういえば赴任初日の朝礼のとき、ガチガチに緊張していたところを校長に助けてもらっていた。あのときは全校生徒の前だったが、1クラス程度の人数が相手でもダメらしい。


「俺には問題なく喋ってたのに」

「三人以上を前にするとダメみたい。それに大塚くんは親しみやすい雰囲気だから」

「投げ槍に聞こえるんだが」

「ほら、マスターが待ってる」


 また準備室の扉の方へ目を向けると、やはり半分だけマヒロの顔が出ている。今度は半眼ではなく泣き出しそうだった。


(そんなんで講師が務まるのか?)


 呆れながら準備室へ戻って指示に従う。そして本人の希望通り「理科準備室からのリモート授業」に生徒たちは大いに首を捻ったものの、特に深いツッコミをした者は現れなかった。

 なお、授業は物珍しさもあってなかなか好評で、マヒロのノリのよさから途中で機械相手の腕相撲大会が開催されてしまう。勝者にはコーラを進呈するとの御触れだ。

 そして男子生徒全員が敗北を喫する中、ハジメだけが腕付き箱相手に唯一の勝者となった。

 後でマヒロから聞いた話だが授業で見せたロボットアームはハジメの腕の数世代前の代物で型落ち品だそうだ。それでもクラスのどの男子よりも強く、ハジメはそのさらに上をいく。

 挑戦者として名乗りを上げなかったサトルは心に誓う。


(あいつと力比べするのだけは絶対にやめておこう)

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