第9話 クラスメイトからの誤解

「おはよう、大塚くん」

「あ」


 朝の校門で、セーラー服の女子生徒がサトルのことを待っていた。昨日、転校してきたばかりの戸森ハジメである。艶やかな黒髪が肩の上をサラサラと流れ落ち、首を傾げて微笑んでいた。その笑みはやはりパターン化されたもので、嫌な思い出が蘇ってサトルの胃袋を締め上げてくる。

 返事に困っていると、あちこちから好奇の視線が刺さってきた。中には殺気混じりのものさえある。仕方なく声を絞り出した。


「お、おはよう。戸森さん……」


 脇をすり抜けようとしたが、ハジメはピタリとサトルの横に並んで歩く。振り切ろうとスピードを上げれば同じだけ速くなった。

 そうこうしているうちに昇降口に辿り着き、上履きに履き替える。こうなってしまうとクラスメイトで、しかも隣の席なのだから教室に入るのも同時である。

 級友たちの注目を一気に浴びたサトルは背を丸めて通学用のリュックサックを降ろし、居心地悪く席に座った。


「昨日は家まで送ってくれてありがとう。私、一度寝ちゃうとなかなか目が覚めないの」


 ザワッと声の波が周囲を駆け抜けた。

 ハジメはわざと周囲に聞こえるように喋ったのである。


(き、昨日のアレは見られてたからなぁ)


 眠っているハジメを背負って帰る姿は大勢に見られている。だからといって質問責めに遭う覚悟はできていなかった。元より目立つのが嫌いなサトルからすれば今の状況は望んだものではない。美人の転校生と初日から仲良くなった……と捉えられても仕方ないし、そのことを面白くないと感じる奴だっているだろう。


「ねぇねぇ、戸森さん」

「おはよう。なにかな?」


 見かねたといった女子の一団がハジメを攫い、教室の外へと連れて行く。何があったのかを聞き出す腹積りだろう。

 一方、取り残されたサトルはクラスの男子たちに囲まれてしまった。これでもかと険悪なオーラが滲み出ていて、この後がホームルームでないなら逃げ出したに違いない。


「おい、大塚。話がある」


 サトルには友達らしい友達はおらず、かといって敵らしい敵もいない。

 なるべく空気に等しい存在になるべく振る舞ってきたというのに、その努力は虚しく砕け散っていた。代表者と思しきガタイのいい男子生徒が腕組みして睨んでくる。

「昨日の放課後、サッカー部の連中が目撃していた。お前が戸森さんを背負って帰って行くところをな」


「と、戸森先生も一緒にいたよ」

「そこは重要じゃない。理由を聞かせろ」


 実は戸森マヒロは人型AIで、暴走して襲ってきて、非常停止させたマヒロの指示で運んでいた……なんて口が裂けても言えない。

 マヒロからは絶対に口外しないように念押しされていた。

 仮に喋ってもいいと許可されても、そんな内容を口にしたら頭がおかしいと思われる。


「戸森さん、転校初日で疲れて寝ちゃったんだって。それで戸森先生……あの白衣の小さい先生だけど……に頼まれて、家まで運んだんだよ。たまたま俺が近くにいたから手伝ってくれって頼まれてさ」


 問い詰められたらこう答えろとマヒロに教え込まれた嘘を告げると、男子生徒全員が疑わしそうな目を向けてくる。笑って誤魔化そうとしたが、息ができないほど苦しくて頬が引き攣った。


「大塚、お前さ……」

「田中くん、座りたいんだけどいいかな?」


 澄んだ声音が、男子生徒たちの群れを真っ二つに割った。背後から声をかけられた代表格(田中くんという名前だった)は、諂うような笑みを浮かべながらそそくさと去っていく。

 女子から解放されたハジメが戻ってきたのだ。


(た、助かった……)


 昨日、散々怖い目に遭わされた相手だが今だけは感謝しておく。なんというタイミングの良さだろう。

 しかし、疑惑と羨望は依然として向けられたままである。

 実際は周囲の勘違いで、ハジメはサトルに気があるのではなく使命を果たそうとしているだけ。それを知っているサトルは余計に惨めな気持ちになった。


「ねぇ、なんで大塚なの?」

「さぁ?」

「くそ、あいつがなんで……」

「ボッチのくせにさ」


 囁き声がいちいち鼓膜を突き刺してくる。引き攣った顔のまま、もう机に突っ伏して寝てしまおうかとも思った。

 するとハジメは変わらずの笑顔……いや、笑顔のパターンを切り替えてくる。

 昨日とは違う。朝一番に見せたものとも違う。

 こちらを安心させようとする笑みだった。


「大丈夫だよ、大塚くん。気にすることないって」

「そ、そうは言ってもさ……」


 居心地の悪さは秒ごとに増していく。

 そんなサトルへ椅子を寄せ、ハジメは耳打ちしてきた。


「マスターはちゃんと私のこと直してくれたから、心配しなくても平気だよ。大塚くんに恋人ができるように頑張るね」


 このとき、不覚にも顔が赤くなってしまった。相手が作り物のロボットだと知っていても、耳に息がかかる距離まで接近されて冷静でいられるわけもない。


「情動の閾値設定が誤っていたのが原因だったの。昨日みたいなことにはならないから安心してね」


 囁かれたショックで呆然としているとハジメは定位置へ戻り、前を向く。

 すると狙いましたかのように岩崎先生が入ってきた。いつもと全く変わらずグレイのスーツ姿で、いつもと同じ清潔感を醸している。慌てて前を向き、見慣れた担任の姿に安堵した。流石にクラス担任のいる前で詰め寄ってくる奴はいない。


「えー、おはよう。出席を取るわ」


 名前を呼ばれたサトルは生返事だったが、いつものこと。

 頭の中は自分の置かれた状況のことでいっぱいだった。


(なんでこんな厄介事、引き受けちまったんだ!? そもそも引き受けるって言ったか俺!? そりゃ就職先の面倒見てくれるならありがたいけどさ……)


「知っての通り、中間テストが近いわ。学生の本分は勉強だから浮かれて疎かにしないように……って、聞いてるの大塚くん?」

「あ、はい」

「朝から頭抱えてどうしたの? 体調でも悪いの? 顔が青いけど」

「いえ、そういうわけでは……」

「この前の面談のこともあるし、困っているなら相談してね」

「はい……」


 妙な子供科学者と、おっかない人型AIに付き纏われて大変な目に遭っています。

 そう素直に話せたらどれだけ楽だろうか。


(言えるわけないよな…… ついに頭がおかしくなったって思われるだろうし)


 諦めよう、諦めたほうが楽だ。

 すっぱり諦めたサトルは抑揚のない1日の消化に取り掛かった。

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