第5話 〜『主』と『悪魔』〜



   ◇◇◇【SIDE:シャルル】



 ーー聖地「ホーリーエンド」



 私たちはクレア様のスキルである《転移》で、『誰も抜く事ができない剣』がある“聖地”へとやって来た。



 周囲には森が広がり、眼前には大きな湖には月光がキラキラと反射している。



 真ん中には“神の台座”と呼ばれる小さな浮島。そこには“天職【勇者】”ですら抜けない一本の剣が根本深くまで突き刺さっている。



(……クレア様は一体何を考えておられるのですか? こんな男に抜けるはずがない……)



 『神を穿つ剣』である“神穿剣”。

 古からそこに鎮座する“7種の神器”の一つに数えられる代物なのだ。



「おおぉ! すげぇな! 《転移》! 光に包まれた時はちょっとビビったけど、マジだな! こんな事、俺にもできないぞ」



 「裏社会」で“隻眼の悪魔”と恐れられる男は、少年のような笑顔を浮かべてクレア様に声をかける。



「ふふっ、ありがとうございます。わたくしの天職は【渡航者(トラベラー)】。一度、訪れた場所であれば、《転移》スキルを使えるのです」


「……へぇ~。めちゃくちゃ便利だな! いざとなりゃ逃げ放題じゃん!」


「えぇ、そうですね。まぁ……、わたくしが民を置いて逃げる事はあり得ませんが」


「ふぅ~ん……。そりゃご立派」


「ふふっ、嘘ではございませんよ? いざとなれば、“元凶”を引き連れて《転移》し、民を守ってみせます」


「……ふっ」


「まだ疑っていますか? ロエル様」


「いや。……そ、そん時は俺も連れてけばいいのになと思っただけだ。お、俺がお前を守ってやれるしな!」


「……ふふっ、それは頼もしいですね」



 楽しそうに笑顔を見せるクレア様と、照れたように顔を真っ赤にさせる“ロエル・ジュード”。



(……クレア様が笑っておられる?)



 私はなんだかクレア様を見れずに視線を伏せた。




   ※※※※※



 1ヶ月前の王立学園の進級式典。



 ーーお前との婚約は破棄させて貰う!



 ご学友の面前で、伯爵令嬢を肩に抱きながら婚約破棄を宣言した“クソ殿下”に、クレア様は微笑みながら、


 ーー喜んで。


 と言ってのけたと聞いた。


 「公爵家の権力を盾に複数の令嬢を脅迫し、悪質なイジメを繰り返した」などという事実無根の言いがかりを列挙され、


 ーーやはり貴様は『魔女の末裔』なのだ!


 などと尊厳を踏み躙られたにも関わらず、クレア様は笑みを浮かべて二つ返事で婚約破棄を了承したらしい。



 私がお側にいれば、両者の首を飛ばしてしまっていたかもしれない……。



 人類最大の敵である魔女。

 黒髪に紅い瞳こそが“魔女の象徴”。



 “魔女狩り”はもう数1000年前の出来事なのに、未だにこの王国では忌み嫌われる風潮にあり、珍しい真紅の瞳をもつクレア様を嫌悪する方たちは少なからずいる。


 だけど、幼い頃から様々な視線を浴びても、凛と、美しく、ヴェルファリス公爵家の令嬢としての“誇り”を内外に示し、その地位を確立させた。



 【旅行者(トラベラー)】という天職。



 大規模な騎士団や魔法師団の《転移》すらも可能にする技能(スキル)。その汎用性の高さは王国間の戦争だけでなく開拓地の発展にも繋がった。


 これまでの功績と名家の生まれ。

 クレア様は懸命に王国への忠誠を示して来た。


 そんなクレア様に対して、婚約破棄だなんて笑えない。



 ーーわたくしのメイドにならない?



 薄汚れた路地裏で死を待つだけだった戦争孤児の私。クレア様は私に生きる意味をくれた。



 『このお方に全てを捧げる』



 あの頃、私は7歳だった。


 【錬金術師】という天職を得ても、思うようにスキルを習得できなかった私は、クレア様の隣に相応しいメイドとなるべく、どんな鍛錬にも耐え忍び、歩んできた。



 ーー無理をしすぎてはダメよ?



 困ったように笑うクレア様に心配をかけないように。私とご家族の皆様方にだけ、表情豊かに感情を見せてくれるクレア様に応えられるように。


 私は懸命に“メイド”としても“護衛騎士”としても努力して来た……。



 それなのに……。



 婚約破棄を宣言され、屋敷に帰ってきたクレア様は、私でも見たことのない笑顔だった。



 ーーわたくしは殿下に相応しくなかったみたい。


 まるで、待ち侘びた瞬間が訪れたかのような笑顔だった。



 クソ殿下の暴挙に激怒する旦那様や奥様。クレア様のお兄様である王国の騎士団長、ライル様。


 ご家族を宥め終えたクレア様は、未開拓な辺境都市“ヴェール”への移住を申し出た。


 開拓金である“10億B”。

 そして、専属メイドである“私”。


 クレア様がヴェルファリス家に望んだのはこの2つだけ。


 あの“クソ伯爵令嬢やクソ殿下”の「画策」に気づけなかったシャルルに、もう一度チャンスを下さったと思った。


 でも、今となってはクレア様は私にも黙って、婚約破棄を誘導していたように感じている。



 そして、何よりも先に求めたのが……、



 ーーロエル・ジュード様を買います。



 闇金ギルドを蹂躙する暴君として裏社会から多額の賞金をかけられている“隻眼の悪魔”だった。


 屋敷を建てる費用も、都市間を結ぶ街道の整備も、領民の誘致も。その全てを後回しにして、全財産を“この男”に注ぎ込んだのだ。



 私には、クレア様が何を考えているのかわからない。見たことのない笑顔で、ロエル・ジュードに微笑みかけるクレア様を見ることができない。


 まるで、恋焦がれていた最愛の男性と再会したようなクレア様の笑顔に戸惑いを隠せない。



(クレア様……。シャルルはどうすればいいですか……?)



 もう、私にはわからない事ばかりだ。




   ※※※※※※




「シャル? どうかした?」


 クレア様の声にハッと顔を上げると、そこには心配そうなクレア様と眉をひそめるロエル・ジュードが立っている。


「いえ……」


「おい、シャルル。“アレ”をここに持って来たら、ちゃんと俺を認めろよ?」


「……無理に決まっているでしょうけど、もし、万が一にでも出来たなら認めます」


「ハハッ! 言ったな? じゃあ、ここに剣を持って来たらどうする?」


「……? “あなたを認める”という話ではなかったですか?」


「それだけじゃ面白くないだろ? 何か賭けようぜ?」


 片側の口角を吊り上げるロエル・ジュード。“悪魔”などと呼ばれていても、その顔は幼く、19歳という年齢よりも若く見える。


 ボサボサの伸び切った黒髪。

 唯一の左眼は夜空のような紫の瞳。

 ボロボロでツギハギだらけの服のくせに、その服には汚れ一つついていない。



「……理解に苦しみます。賭けになどならない。あなたの天職は【家事師】でしょう? 【勇者】でも抜けない“神器”が抜けるはずがない」


「じゃあ、賭けよう!」



 一つ目をキラキラと輝かしてバカみたいだ。


 私はチラリとクレア様を見やるが、楽しそうに目を細めているだけ。



 ゴクリッ……



 私は一つ息を呑むと、ロエル・ジュードの瞳と目を合わせる。



「……で、では、もし抜けなければ、私とクレア様の前に2度と顔を見せるな……」



 ただのメイドが主(あるじ)の意向を無視して駄々をこねているなど、本来であれば許される事ではない。



 でも……、この男は危険だ。



 王国の騎士団長を務めるライル様との模擬戦でも私は10回に1度は勝利できるし、負けた場合でも振り返れば勝機を見出す事ができる。


 だが……、つい先程の数手の手合わせは異次元なモノだった。


 全身の細胞が懸命に警鐘を鳴らしていた。


 初撃を躱された瞬間にゾクゾクと背筋が凍り、目が合った瞬間には生きた心地がしなかった。


 おそらく、この男に私を殺す気があれば、“数十回”は死んでいた。正直、まだ微かに手が震えている。



 こんな賭けを申し出て、クレア様の表情を確認できるはずもない。もうお側にいられなくなるかもしれない。


 でも……、クレア様をお守りするためなのだ。この制御不能の『最強』が、いつ反旗を翻すかわかったものではないのだから……。


 

 ひょこっ……



 視線を伏せた私を、ロエル・ジュードが下から覗き込んでくる。



「……そ、そんなに俺の事嫌いなの? 普通に傷つくぞ……」


「か、賭けを持ちかけたのはあなたでしょう?」


「……ふっ、確かに。まあ、それでいいぞ? 俺は絶対にお前の目の前に“剣を持ってくる”」


「……できるはずがないです」


「はいはい! で? 俺が勝ったら?」


「好きにすればいい……」


「ふぅ~ん……。クレア、それでいいのか?」


「……そうですね。……シャルの行動はいきすぎる所がありますが、それは、」


「“クレアを想っての事”ってわけだろ? 大丈夫だ。無茶苦茶な要求をするつもりはないから」


「……はぃ。では……、ロエル様を信じる事にしましょう」


「ハハッ!! おう、信じろ!」


 ロエル・ジュードはニカッと笑うと準備体操を始めた。



(この男は……ほ、本当に何を考えて、)



 ギュッ……



 唖然とする私の手をクレア様が優しく握って下さる。


 ハッと視線を向けると、クレア様の綺麗な真紅の瞳と目が合うけど、私はすぐに俯いてしまった。



「……シャル? 大丈夫?」


「……はぃ。申し訳、」


「いいの。いつも私のためを考えてくれてありがとう。……わたくしもシャルが大好きだから」


「クレア様……。シャルルはメイド失格にございます」


「ふふっ。そうね」


「…………も、申し訳、」


「でも、こんなにわたくしを想ってくれる“友達”はシャルだけ……」


「クレア様……」


「シャル、わたくしたちはずっと一緒よ? だから……、信じて欲しいの」


「……もちろんです」


「すぐにとは言わないし、無理にとも言わない……。でも、いつか……。ロエル様と仲良くなってくれればいいなって思ってるわ」


「……」


「ふふっ、ロエル様が“アレ”をどうやって“持ってくる”のか楽しみね?」


「……そぅ、ですね……」


 

 目の前の景色は滲んでしまって、クレア様の笑顔は見れない。

 


「……ん? シャルル! どうかしたか? 何、泣いてんだよ? お、俺、なんかしちゃったか!?」


「……め、目にゴミが入っただけです」


「……お前の目、めちゃくちゃ敏感なんだな! ……ってか、ちゃんと見てろよ?」


「……ええ」


「んじゃ、行ってくる!」



 ドゴッ!!



 ロエル・ジュードは地面を抉り、湖の中央にある浮島へと跳躍した。



「……ぇっ」



 一瞬にして姿が消えたロエル・ジュードに顔を上げると、


「ふふっ。飛びすぎですよ、ロエル様」


 クレア様の楽しそうな声が横から聞こえる。




 ザパァンっ!!



 巨大な湖の対岸の辺りに水飛沫が上がる。


 私はやはりわからないことだらけだ。でも、月明かりに照らされる水飛沫が綺麗だと思った。




 

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