Day27 渡し守

 船着場には古びた小舟が止まっていた。空は青く冴え渡っている。悠々と流れる川の水面にも空の光が反射して、きらきらと眩いくらいに輝いていた。

「ぼくはもう行かなくちゃ。……会えて嬉しかったよ」

 船に乗る少女の浴衣の袖が川風に翻っている。

 彼女が見上げる先には旅人がいた。旅人の後ろには、イガタと、もう一人、着流しの着物姿の男が佇んでいる。

「トワ……君はやっぱり死んでしまったのか」

 旅人は悲しそうに呟く。

 トワと呼ばれた少女は黙って頷いた。

 「私は……君のイマジナリーフレンドだった。君の分身となり、君の代わりに世界中を旅する旅人……それが私だ」

「うん」

「あの花火の夜以降の君との記憶が全くない。やっぱり君は崖から落ちて……」

「違う、生きていたんだよ」

 トワは慌てて首を横に振った。

「但し、大怪我をして生死の境を彷徨った。その時にぼくの魂は君と一緒にホテルトコヨに初めてやってきたんだ」

「あの時、トワ様は旅人様との関係に悩んでいらっしゃいましたね」

 イガタが横から口を挟む。

「そう、ぼくが無事に生者の世界に戻れたとしても、成長して大人になれば君の事を忘れてしまうかもしれない。ぼくが忘れてしまえば、君の存在は消えてしまう……でもぼくは君の事をなんとしても消したくなかった」

 トワは澄んだ目で旅人を真っ直ぐに見つめる。

「だから、君のいのちはホテルトコヨに預けたんだ。そして、君の存在をぼくとは切り離した。君が独立した一人の存在となって、自由に旅を続けてもらえるように願って……。その代わり、あの花火の日の事故から生還したぼくは君の事を忘れてしまった。でも、約束していたんだ……。ぼくが本当に人生を全うしたとき、再びホテルトコヨで会おうと……」

「そうだったのか……だから私もトワのことをずっと忘れていたのかもしれない……。今ではトワと過ごした日々をありありと思い出せるけども」

「ふふ……ぼくは本当は皺も白髪もあるお婆ちゃんなんだよ。でも、こうして、君と最後に会った時の姿で再会できている。ぼくを連れてきてくれた死神さんのおかげでね」

 トワはそう言って、イガタの横に立つ着物姿の男の方に視線を投げた。

 男は片眉を上げ、軽く手を上げて笑い返す。

「私も、昔馴染みの死神様のおかげで、お約束通り、旅人様とトワ様をホテルトコヨにてお引き合わせすることができました」

 イガタも男に向かって、改まった態度で頭を下げる。

「俺はイガタの旦那に言われた通りにトワさんを連れて行ってやっただけさ。まぁ、旦那のホテルがどんぶらこっこと海を渡ってきたり、いきなり浜辺から消えたと思ったらまた現れたり、なんだかいろいろ大変なことになってたのには驚いたけどな」

 死神はそう言って、ヨッコラショ、と声をかけると竿を片手に舟に飛び乗った。

「さぁいよいよ、冥土への旅立ちだ。……あんたも一緒に行くこともできるが、どうする?」

 死神は旅人に向かって言った。

 旅人は戸惑うようにイガタを振り返る。

「旅人様のお気持ち次第ですよ」

 イガタにそう言われた旅人は、しばし逡巡した後、口を開いた。

「私は……もう少し旅を続けるよ。せっかくトワにもらったいのちだし」

 その言葉にトワはにっこりと笑った。

「ぼくもそれがいいと思うよ。いつかまた会えた時に旅の話を聞かせておくれ」

 舟は左右にギィ、ギィ、と揺れながら船着場を離れていく。

 靄に霞む対岸は、その名の通り「彼岸」である。

 旅人とイガタは舟が靄の向こうに完全に消えてしまうまで、涼しげな川風に吹かれながら、いつまでもトワの旅立ちを見送っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る