Day23 静かな毒

「旅人様! 起きてください!」

 鼻先がくすぐったい。

 目を開けるともふもふの茶色い毛の塊があった。

「クシュン……!」

 耐えきれずにくしゃみをする。

 目を開けるとタヌキがいた。どうやらカイエダの尻尾で鼻先を撫でられていたようだ。

 確か、自分は得体の知れない蔓のようなものに全身を絡め取られ昏倒したはずだ。

 起き上がる。体は自由に動いた。

 周りを見れば、水分が一瞬にして蒸発したかのように枯れ果てて粉々に崩れた蔓の残骸が一面に散らばっている。

「旅人様、良かった……! お怪我はないですか?」

「大丈夫です。カイエダさんが助けてくれたんですか?」

「いえ……」

 カイエダは首を横に振る。

「蔓が突然勝手に枯れてしまったのです。僕にも何が起こったのか分からなくて。でも無事で良かったです」

「ユメさんは?」

「他のお客様の様子を見に行きました。僕たちも一階のロビーに行きましょう」

「は、はい……」

 タヌキのカイエダに先導されて旅人は三〇三号室を出る。

 だが、一歩出たところで立ち止まってしまった。

 廊下にも奇怪な蔓植物の群れが蛇のように絡まり合い波打ちながら蔓延っていたのだ。

「……これじゃ進めませんね」

 カイエダは尻尾を後脚の間に挟んで後ずさる。

「あ、ちょっと待って、カイエダさん。あいつら動きが変ですよ」

 蔓の化け物達はザワザワと蠢いてはいるものの、こちらに襲いかかってくるような気配はない。むしろ旅人達に対してある程度の距離をとっているようにも見える。

「襲ってこないのなら、きっと今がチャンスです。行きましょう」

 旅人は勇気を奮って廊下を歩き出した。カイエダも慌ててトコトコと旅人の後を追う。

 蔓の化け物達は皆、旅人の歩みに怯えたように道を開けた。


「旅人様! ご無事でしたか?!」

 ロビーに降りるとユメが駆け寄ってきた。

「ユメさんも……大丈夫でしたか? あの化け物達に襲われませんでした?」

「はい、私はベランダから外壁伝いに一階のテラスまで降りたので」

「えっ三階から?」

「私は運動神経が良い方ですので……」

 そんな忍者のようなことができるとは、見た目からは思いも寄らなかった。

 旅人が唖然としていると「たびびとさぁーん」という鼻にかかった声が背後から響いた。

 トラコだった。旅人は反射的にビクリと体を震わせる。

「大丈夫だったぁ? 私とってもこわくって〜。ねぇ、旅人さん、こっち向いて…………ぎゃっ!」

 旅人の肩に手をかけようとしていたトラコが突然、悲鳴を上げて仰け反った。その勢いでトラコの両腕、両足、頭部、胴体がばらばらになって床の上をゴロンゴロンと転がる。

「くっさーい……! なんなのよ、これ! あんた何食ったの?!」

 トラコの生首が金切り声で喚く。

「もしかして……原因はミント50倍キャンディでしょうか?」

 足元のカイエダが旅人の顔を見上げながら鼻をふごふごと動かした。

「ミントは魔除けの効果がありますから……。もしかしたら、そのせいで僕も変身が解けてタヌキの姿に戻ってしまったのかもしれません」

「なるほど……旅人様から香るミントの匂いは妖怪や魔物にとっては毒のようなものなのかも……」

「それならば、旅人様に巻きついた蔓の化け物が枯れたのも、僕らが廊下を歩く時に奴らに襲われなかったのも説明がつきますね」

 カイエダとユメの会話に、トラコの頭は「ちょっと! 人の事を妖怪だなんて失礼じゃない!」と激怒している。

「でも……それって変じゃないですか?」

 いつの間にか旅人達のそばにいたポッタラ氏がおずおずと口を挟んだ。

「だって私も元々は猫ですけど……旅人さんの近くにいても元に戻りませんよ?」

「…………」

 場の空気が凍りついた。誰も何も答えることができずに沈黙が流れる。

「そうなんですね」

 数秒の気まずい静けさの後、ポッタラ氏は悲しそうに微笑んだ。

「やっぱり……私は猫じゃなかったんですね」

 にゃあ。

 ポッタラ氏の口からため息代わりの切ない鳴き声が零れた。

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