不思議24 涙といたずら

「遅刻ですか潤君」


「照れ隠しで俺のせいにするよやめろ。可愛いか」


 今日は前に約束した思愛莉と出掛ける日だ。


 約束した時間は十三時からだったけど、前にシャーリーが三十分以上前から待っていたので、十二時に着くように出てきた。


 そしたら思愛莉が既にそわそわした様子で待っていた。


「だって楽しみだったんだもん」


 多分本人は俺に聞こえないように言ったのだろうけど、ばっちり聞こえてしまった。


(これが尊いね)


 これが一日続くとなると俺は持つのだろうか。


「それでどこに行くんだ?」


「それは潤君が決めてください」


「そういうのは先に言ってください」


 思愛莉がニマニマと「やってやった」みたいな顔をしている。


 そんなことをいきなり言われても行きたい場所なんてない。


 ちなみに事前に言われても行きたい場所なんてないけど。


「じゃあ思愛莉の行きたい場所で」


「そうやって相手に全部丸投げすると嫌われますよ」


「そういうのをブーメランって言うんだろ。俺は相手の気持ちを尊重したいだけ」


「それは丸投げをいい言い方にしてるだけですよ」


 思愛莉の方は譲る気がないようだ。


「てか少し機嫌悪い?」


「別に悪くないですけど?」


 逆ギレされた。


「俺、何した?」


「何もしなかったんじゃないですかね」


「やっぱ怒ってんじゃん」


 どうやら俺がなにかを忘れているせいで機嫌が悪いらしい。


 正直なにを忘れているのか分からない。


「ヒントは?」


「潤君は私を見てないんですね」


「あ、すいません。その服とても似合ってるよ」


 女子と待ち合わせをしたらまず服を褒めなければいえないと誰かが言ってた気がする。


 思愛莉の服装はシャツの上に水色のカーディガンを着ている。


「シャーリーのセーターとはまた違って可愛い」


「今更取り繕っても遅いですよ」


 そう言いながら思愛莉は少し嬉しそうにしている。


(こういうところが可愛いんだよな)


 そんなことを考えながら伸びそうになった手をギリギリのところで抑えた。


「じゃあ今日は特別に私が行きたいところへ行きましょう」


「いいけど、そろそろ俺も不機嫌になるよ」


「……許してくれたんじゃないんですか?」


「許さないよ。ほら」


「……い、行くよ」


 思愛莉はそう言って歩き出した。


 ここで手を握ったりしたら爆発するかもしれないので我慢した。


「どこ行くの?」


「行きたいとは言ったけど、ずっと行くのを控えてた場所」


「俺も居ていいの?」


「むしろ居て欲しい。もちろん潤君が嫌ならいいけど」


「行くよ。思愛莉が悲しくなったら慰められるんでしょ?」


「もしも泣いちゃったらお願いね」


 そんなことを言われたら付いて行かない理由は無い。


 思愛莉の悲しむ顔なんか見たくないけど、それ以上に悲しんでる思愛莉を一人で放置したくない。


「手、繋いどく?」


「近づいたらお願い」


 もう既に限界がきてるのかもしれない。


 せめて到着するまでは楽しませなければいけない。


 俺は目的地に着くまで思愛莉とずっと会話をし続けた。


 最初は楽しそうに話していた思愛莉だったけど、目的地が近づくにつれて相槌だけになってきた。


 そして遂に目的地に着いた。


「ここ?」


「うん。ここが私が誘拐されて監禁された場所」


 そこには何も無かった。


 どうやら思愛莉が監禁されてた時は廃屋のような建物があったみたいだけど、それは取り壊され更地になっている。


「まぁさすがに残ってないか」


 監禁と殺人が起こった廃屋なんてそのまま残して置く方がおかしい。


「私ね、いきなり車に乗せられたの」


 思愛莉が誘拐された時の状況を説明しだした。


「その日はお母さんとお買い物に来てたんだけど、迷子になっちゃって。監禁中に聞いた話だとずっと前から狙われてたみたいなの」


 よくは知らないけど思愛莉の家は勝手にお金持ちだと思っている。


 だから狙われたのだと思う。


「あ、何もされなかったよ」


 聞きたくても聞けないことをちゃんと説明してくれてありがとうの気持ちが強まる。


「されなかったって言うか、される前に潤君のお父さんとお母さんが来てくれたんだけどね」


 それを言う思愛莉の顔がとても悲しそうになる。


「でも誰かが来てくれた安心で私は気絶しちゃったんだけど」


「じゃあ母さんの最期は見てないんだ」


 これまでずっと気になっていた。


 母さんがどうなったのか。


 話の流れで死んだみたいになってはいるけど、実際死んで遺体もあるのだけど、その最期を知る人がいない。


 誘拐犯達なら知ってるのかもしれないけど、聞く機会なんて無いし。


「お母さんの最期は見てないけど、お父さんの声は聞こえたよ」


「なんて?」


「『ごめん、俺は家族みんなを愛してる』が最期の言葉だった」


 実に父さんらしい言葉だ。


 最初の『ごめん』は母さんと俺達に言ってるんだろうけど、母さんへの『ごめん』が八割ぐらいだと思う。


「ずっと伝えたかったんだけど、勇気が無くてごめんなさい」


「いいよ。俺も姉さんもドライだからそんなに気にしてないし」


 それよりも今にも泣きそうな思愛莉の方に気が行く。


「ほんとにごめんなさい」


「別に気にしてないって。それにそういうのは父さんと母さんに言ってあげて。もちろんごめんじゃなくてありがとうね」


 それが一番父さんと母さんが喜ぶ。


「気づいてない?」


「何に?」


「潤君、泣いてるよ」


「え?」


 思愛莉にそう言われて顔を触ると、確かに頬が濡れていた。


「泣くとかいつぶりだよ。この前思愛莉に拒絶された時に泣きそうになったけど、泣かなかったのに」


「そうやって気持ちを誤魔化さないで」


 思愛莉がそう言って俺の頭を抱き寄せた。


「私に出来る罪滅ぼしは今はこれしかないから」


「十分過ぎるよ」


 俺はしばらく思愛莉の胸の中で静かに泣いた。


 幸いだったのは通行人が誰も来なかったことだ。


「涙止まった?」


「うん。ごめんね濡らして」


 思愛莉の服の胸元に濡れた後が付いてしまった。


「いいの。潤君が素直になった印みたいなものだから。それに泣かしたのは私なんだし」


「俺は結構素直だよ?」


「言葉はね。気持ちは隠すでしょ?」


 自分では明け透けなく全部話しているつもりだったけど、傍から見たらそう見えるのかもしれない。


「ひねくれてる自覚はあるけど、それだって本心だからよく分からない」


「だってあの子に本気で好きって伝えようとはしてないでしょ?」


「伝えても信じてくれないじゃん」


「恋に疎いのは認める。いっそ無理やりキスでもしたら?」


「それは本人の合意を得たってことでいいの?」


「あくまで私の意見だけど」


 思愛莉の意見はシャーリーの意見みたいなものだから今度聞いてみることにする。


「さすがにいきなりやったら変態だからね」


「あの子は別に嫌がらないと思うけど」


「思愛莉は?」


「ノーコメント」


 思愛莉は顔をほのかに赤くしながら答える。


「そもそも潤君はあの子が好きなんであって私にキスしたいなんて思ってないでしょ」


「俺はシャーリーも思愛莉も好きだよ?」


「それは私の見た目があの子だから引っ張られてるだけだよ」


「そんなことはないけど」


 シャーリーにはシャーリーの、思愛莉には思愛莉のいいところがあるからどちらが好きなんて言うのはない。


「でも潤君は決めないとだよ」


「なにを?」


「どっちを殺すか」


「言い方が物騒なんだよ」


 シャーリーを選んだら思愛莉の感情を消す為に眼鏡を封印して、思愛莉を選んだらシャーリーの感情を消す為にずっと眼鏡を掛け続ける。


「それ必要?」


「私は正妻になりたい」


「そういうね」


 確かに同じ人とはいえ、二人を好きになるってことは二股の変わらない。


「まぁ潤君があの子を選ぶのは分かってるんだけどね」


「それは分からないでしょ」


「分かるよ。だって潤君は私を見てないもん」


「……」


 何も言い返せなかった。


 確かに思愛莉のことは好きだけど、それが本当に思愛莉を好きなのか、いつもと違うシャーリーを見ているのが好きなのか分からない。


「別に気にしないでいいよ。私はどうせ過去の残骸。潤君を不幸にしかしない存在で、今はあの子がこの身体の持ち主なんだから」


 そう笑いながら思愛莉は言うけど、その笑顔の裏にある寂しさも同時に伝わってくる。


「でも最後にわがまま聞いてくれる?」


「最後じゃなくいくらでも聞く」


「ううん、最後。いたずらするから目を瞑って」


「いたずらって」


 俺への恨みでも晴らそうというのか。


 俺は思愛莉に言われた通りに目を瞑る。


 そして少しの間を置いて……。


「ずっと大好きだよ」


 思愛莉がそう耳元で呟いた後に俺の唇に熱を感じた。


「これで私のこと一生忘れないね。後あの子潤君のこと好きだから。バイバイ」


 俺が目を急いで開けるとそこには眼鏡を取ったシャーリーが立っていた。


「助手さん? どこですかここ。ってそれより」


 シャーリーが思愛莉と同じように俺を頭を抱き寄せた。


「大丈夫ですよ。涙が止まるまで私が慰めます」


 そう言ってシャーリーが優しく頭を撫でてくれた。


 俺が泣き止むまで。


 だけどその涙はシャーリーを感じれば感じる程に止まらなくなり、通行人のおばさんに「大丈夫?」と声を掛けられるまで止まらなかった。

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