不思議15 フリックと涙

 今日はシャーリーと探偵のお勉強をしに行く日だ。


 待ち合わせの時間は十時だけど、なんだか落ち着かないから九時に家を出た。


 姉さんがまだ家に居て、俺の落ち着きがないのを見て「潤が男の子してる……」と泣きそうになっていた。


 その後に昨日もやっていたけど、父さんと母さんに「あの潤が男の子してるよ」と報告していた。


 だから出る前に「俺がちゃんとした人間になれたのは姉さんのおかげだよ」と言って家を出てきた。


 歳が離れているのもあり、父さん母さんが他界するまでほとんど疎遠だったけど、そんな俺を引き取ってくれて、毎日優しくしてくれた姉さんのおかげで俺は変わったのかもしれない。


 姉さんには感謝してもしきれない。


(帰ったら何かしようかな)


 姉さんは俺に何かされるより、俺に何かをしたい人だからされてばかりだ。


 だから今日ぐらいは姉さんの望むことをしたい。


 そんなことを考えていたら、待ち合わせ場所が見えてきてしまった。


 時間はまだ九時半にもなっていない。


 なのに。


「シャーリー居るし」


 待ち合わせ場所には遠くからでも分かる可愛い少女が居た。


「やばい、私服の破壊力が」


 今日のシャーリーはもちろん私服だ。


 女子の服はよく分からないけど、淡い青のセーターを萌え袖で着ている。


 今までは制服姿しか見た事ないからシャーリーの私服は初めて見た。


 正直に言おう、可愛い。


 遠目からでも分かるけど、ちょっと可愛すぎてやばい。


 しかも手鏡で前髪を整えてるとか反則だ。


 このまま眺めていたいけど、シャーリーと一緒に居たさが勝ち、シャーリーに近づく。


「助手さんです。早すぎませんか?」


「シャーリーが言う?」


「だって助手さんと会えると思ったら落ち着かなくて」


 考えてることが同じで、一人嬉しくなる。


「そうです。お母さんに助手さんに会ったら一番にお洋服の感想を聞いてって言われたので……どうで」


「可愛い」


 ちょっと感想を抑えきらずに食い気味に言ってしまったけど、本心だし別にいい。


「助手さんに可愛いって久しぶりに言われました。ちょっと照れちゃいますね」


「心では思ってるんだよ? 言うのが恥ずかしくなっただけで」


「理由が可愛いですね。でも本心から言ってる感じがして嬉しいです」


「本心でしか言ったことないよ」


 最初の自己紹介で嘘をついただけで、他は一度も嘘はついていない。


「でも服の感想って言われる前に言うのがポイント高いんじゃないんだ」


 女の変化には敏感にならないと嫌われる的なことを何かで見た気がする。


 いつもと違う服装なら褒めるとか、髪を切ったり、いつもと違う髪型にしてたら何か言うとかをしないと駄目みたいなことを。


「お母さんが助手さんは分かってて言わなそうだからって言ってました」


「確かに言わなかったかも」


 可愛くてずっと見てただろうけど、口には出さなかったかもしれない。


「お母さんが選んでくれたので喜びますよ」


(お母さんありがとうございます)


内心でシャーリーのお母さんにお礼を伝える。


 きっとどんな服でも同じ反応をしたのかもしれないけど、とにかくこの服装は可愛い。


「私はコートが良かったんですけど、お母さんが真顔で『駄目』って言って選んでくれたんです」


(コートってそういうことだよね)


 多分シャーリーが着てこようとしたのは、探偵と聞いたら誰もが思いつくあのコートだと思う。


 それはそれで可愛いから見てみたいけど、確かに外で着る服ではない気もする。


「そういえばお姉さんのお名前って教えて貰えるんでしょうか」


「あぁ、それね。条件次第だって」


「条件ですか?」


「うん。姉さんをお姉ちゃんって呼んでくれるならいいって」


 なんでそれならいいのかは分からないけど、姉さんの中ではには何か違いがあるようだ。


「分かりました。今度お姉さんに会ったらお姉ちゃんって呼びます」


「じゃあ」


 俺はそう言ってスマホを取り出す。


 そしてシャーリーに姉さんの連絡先を送る。


「とりあえずお姉ちゃんって言ってあげて」


「電話ですか?」


「いや、メッセージ送るだけでいいって」


 姉さんに「今度会うまで待ってられないでしょ!」と言われて「だけど邪魔はしたくないから電話はいい」と言われた。


「分かりました。やり方教えてください」


 そういえば漢字変換のやり方なんかも教えると約束していた。


「教えるっていうか、文字打って上に出てきた漢字を押せばいいだけだよ」


「まず打つのが苦手なんですよね。いきすぎてしまって」


 シャーリーの手元を見ると確かに『お』を打とうとして何回も通り過ぎている。


「それは慣れだけど、フリックは試した?」


「ふりっくってなんですか?」


「押しながら下にスライドすると『お』が打てるんだよ」


 自分のスマホを開いてシャーリーに見本を見せる。


「おぉ、すごいです」


「人によってやりやすさ違うみたいだから、やりやすい方でやってみて」


「はい」


 そうしてシャーリーは覚えたフリックで姉さんにメッセージを送った。


「いつもなら五秒以内には既読付くけど付いた?」


「既読って文字の隣に付くやつですよね?」


「そう。見たって証」


「付かないです」


「運転中かな」


 今日はお昼ぐらいから仕事に行くと言っていたから、まだ家に居るはずなんだけど。


「もう少しして返信なかったら電話しようか」


「そうですね。それでお姉さんのお名前はなんて言うんですか?」


「書いてあるでしょ?」


「ごめんなさい、読めないです」


「まぁ特殊だよね。それでこころね」


 俺の潤と違って姉さんの心呂は漢字は簡単だけど、初見では基本読めない。


「心呂さんですか。確かに可愛いお名前です」


「でしょ」


 別に俺が付けた訳でもないのに嬉しくなる。


「ところでシャーリー」


「なんですか?」


「なんと待ち合わせの時間になりました」


 スマホを開いていたので、時間を確認したら十時になっていた。


「時間があっという間です。このままお話していたら映画の時間も過ぎていまいそうです」


「ほんとそれね。そろそろ行こうか」


 そうして俺とシャーリーはやっと歩き出す。


 映画は十二時台のを見る予定なので時間がある。


「シャーリーとだと二時間とか一瞬なんだろうな」


「一瞬で三時間経っていたら大変ですね」


「ありそうで怖いよ」


 そんな絶対に起こりそうなことを話しながらも、俺は別のことが気になって仕方なかった。


「心呂さんが心配ですか?」


「やっぱり分かる?」


 表には出してないつもりだったけど、俺の気持ちに気づかないシャーリーに気づかれるぐらいには気にしているらしい。


「姉さんさ、運転中でもスタンプで運転中なのを教えてくれるんだよ」


 姉さんは赤信号で止まった時を使って、運転中なのを知らせてくれる。


 だけどそれもないとなるとやっぱり不安になる。


「姉さんに何かあったらって思うと駄目みたい」


 俺にはもう姉さんしか家族はいない。


 その姉さんに何かあったら俺は……。


「助手さん、帰りましょう」


「でも」


「映画にはまた来ればいいんです。だけどお姉さんが今、助手さんの助けを待ってるなら今しか助けられないんですよ」


「今必要な助け……」


 父さんがよく言っていた『助けを必要としてる人がいるなら助ける。それでもし自分がどうにかなるとしてもその人だけは助ける』と。


「シャーリー」


「はい」


「ありがとう。ちなみに一緒に来てって言ったら来てくれる?」


「助手さんが私を必要としてくれるのならどこまでも」


(頼もしい探偵様だよ)


「行こう」


 もしかしたら寝落ちしてるだけかもしれない。


 もしかしたら赤信号に引っかかれずにスマホを取れないだけかもしれない。


 だけど……。


 そうして俺とシャーリーは俺の家に向かった。


 家に着き、玄関を見れば姉さんの靴がまだあった。


「姉さん!」


 俺は急いで中に入ると姉さんを見つけた。


 姉さんがなにをしてたかと言うと。


「姉さん?」


 姉さんは泣いていた。


 ごみ箱には大量のティッシュが捨ててある。


「どうしたの?」


 俺は姉さんの隣に座って背中をさする。


「あれ、潤が見える。ついに幻覚が見えるようになったか」


 姉さんはすごい鼻声でまた可愛い一面を見ることが出来た。


「幻覚にならいっか。潤がね、私のおかげでちゃんとなれたって言ってくれたの」


「言ったけど?」


「それがね、嬉しかったの。歳が離れてたのもあって、あんまり関わらなかった私なんかをだよ? 私がやってきたのは大丈夫なのか潤を引き取ってから毎日考えてたの」


 そんなことを考えていたなんて知らなかった。


 俺としては引き取ってくれただけで嬉しくて、それからの毎日は楽しいことしかなかった。


「だから潤が出掛けてからずっと涙が止まらなくなっちゃった」


「姉さん」


 俺は泣きながら笑顔を向けてくれる姉さんを抱きしめた。


「俺は姉さんに引き取られたあの日から姉さんには感謝してる。確かに関わりはほとんどなかったけど、俺はあの時ほんとに嬉しかったよ。ほとんど他人みたいな俺を自分から引き取ってかれて、しかも俺が嫌な態度取っても笑顔で接してくれて」


 姉さんに引き取られてすぐの頃は反抗期なのもあり、姉さんに嫌な態度を取っていた。


 だけど姉さんは俺を見捨てずに優しく接してくれた。


「俺はそんな姉さんが大好きだよ」


「幻覚にさらに泣かされたぁ」


 俺は姉さんが泣き止むまで姉さんを抱きしめ続けた。


 落ち着いた姉さんは状況を全て察して「お邪魔してごめんなさい」と土下座した。


 俺はその頭を優しく撫でた。


 今から行っても十二時からの映画には間に合わないから、今日はうちでシャーリーと一緒に居ることにした。


 シャーリーにそれでいいか聞いたら「……あ、はい」と少し間を空けてから答えた。


 なんかシャーリーの様子がおかしかったけど、目の前であんなやり取りを見せられたらそれは気まずくなるかと納得した。


 少し違和感を持ちながらもシャーリーと暗くなる前まで話し続けた。

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