友達から恋人になる日

空夜風あきら

よくある日常に見せかけた、とある運命の日——



 その日、私——大路瑞季おおじみずきは、学校からの帰りにいつものように、小さい頃からの幼馴染みで一番の大親友である姫宮ひめみやはるかの家に立ち寄って、そして今は彼女の部屋のベッドの上に居た。


「そうだ姫宮、雑誌読んでたら面白いコラムがあったんだけどさ」

「へぇ、なに?」


 姫宮の家に寄って、こうして彼女と他愛のない話にきょうじるのは、私にとってはもはや習慣ルーティンと言えるくらいに当たり前のことだった。


「えっとね、なんか、よくある恋愛系のネタのやつで、『彼に対するこの感情は——これは恋なの? それとも、ただの友情? 気になるアイツへの、ホントの気持ちを判別する10のチェックリスト』っていう」

「ふーん、そう。——恋か友情か、ねぇ」

 

 なのでこの日も、まさかこの後にが起こるだなんて、私は想像もしていなかった。


「イエスの数が多いほど、相手に対する気持ちが恋愛寄りなんだって」

「そう」

「んで、試しに姫宮でやってみたんだけど」

「は?」

「そしたらね、なんと——」

「いや待って。——は? え、なに、私を相手に試してみたの?」

「そうだよ」

「は? なんで? ……いや、あのさ、それって普通、男友達に対する感情が恋なのか友情なのかを判別するって、そういう趣旨しゅしのやつなんじゃないの」

「そうだけど?」

「……それを、なんで私に試しているの?」

「だって、暇だったから」

「……あ、そう」


 同じベッドの上でスマホをいじっていた姫宮は、あきれたような顔で私を見ていた。

 いつものことなので、私は気にせず続きを話す。


「それで、試した結果、どうなったと思う?」

「どうって、普通に全部ノーだったんじゃないの?」

「それがね……全部イエスで、完全に恋愛対象ですってなった」

「……」

「あれ、姫宮って、私の恋人だった?」

「……」

「ん、あれ、姫宮?」

「……とりあえず、その、チェックリスト、だったっけ。それの内容はどういう感じだったの?」

「ああ、それはね。えーっと、あー、ちょっと待って」


 そこで私は、カバンの中からくだんの雑誌をひっぱり出した。


 実は今さっき言ったことは、まるっきりウソでデタラメだった。

 そもそも本当は、試してすらいない。

 そんなコラムを見つけたのは事実だけど、チラッと見ただけで、内容とかうろ覚えだ。


 ではなぜ、こんなことをしているのかというと、それは姫宮をからかうためだ。

 ——そう、私の趣味は、姫宮をからかうことなので。


 ペラペラと雑誌をめくっていき、お目当てのコラムのページを開いた私は話を続ける。


「お、あったあった。一つ目のチェックリストの内容は、『その相手と一緒にいると、平常心ではいられなくなる。ツンデレになってしまったり、ドキドキしてボーッとしたり、舞い上がって暴走してしまったりする』——うん、イエス」

「なによそれ……じゃあ、あんたって私と一緒にいる時、いつも平常心無くしてるの?」

「そういうことだね」

「へぇ……なら、本当のあんたはもう少しまともなんだ?」

「まるで普段の私がイカれてるみたいな言い方するじゃん」

「そうだけど? いや、てか、そういう話なんじゃないの?」

「ん、ああ、そうだったね」

「はぁ……その反応、やっぱりあんた、適当言ってるだけなんでしょ——」

「いやいや、そんなことないよ。——さ、さーて、それじゃ次の項目いってみようか」


 さっそく嘘がバレそうになったので、私は慌てて次に進む。


「なに、まだ続けるの?」

「もちろん。じゃ、次の項目ね。えっと、『守られたいor守りたい願望がある』——あるある、イエスイエス」

「守るって、なにから?」

「さあ? いや、そこはほら、悪い虫からとか?」

「えぇ、これ、そういう趣旨なの? ちょっと違うんじゃない?」

「でも、恋愛の話だし、そうじゃないの?」

「いや、もっと全体的に、庇護対象としての感情があるか、みたいな話じゃ?」

「そう? まあ、どっちにしろあるから問題ないよ」

「どっちにしろって……てか、あるって一体どっちがよ?」

「え?」

「だから、守りたい方なのか、守られたいのか」

「それはー、もちろん、守る方だね」

「……そう」

「うんうん。守る守る。マジで守るよ。守るってかもう、守護まもるって感じだから」

「分かった分かった。いいから次いってよ」

「はいはい、んじゃ次は——」


 一応、私の本音としても、やっぱり守る方かなぁとは思う。

 姫宮って名前の通りに、彼女はお姫様って感じでどこか繊細なところがあるから、思わず守ってあげたくなっちゃうんだよね。


「はい次、『相手に触れられたいor触れたい』——もちろんイエス」

「これも……どっちなの?」

「んー、まあ、これは両方かな」

「両方?」

「姫宮に触れたいとも思うし、逆に触れられたいとも思う」

「……ほんとに?」

「本当だよ」

「触れるって……具体的に、どこを?」

「まあ、色々……手とか、ほっぺとか、耳とか、首筋とか。でも、やっぱり一番は……」

「一番は?」

「——おっぱいかな?」

「はぁ?!」

「だって、姫宮ってけっこう大きいし。触ったら柔らかくて気持ちよさそうじゃん」

「……まあ確かに、大路おおじよりは大きいけど」

「え、ケンカ売ってんの?」

「はぁ? あんたが先に言いだしたんじゃん」

「あのね、いい? 胸の大きさってのは、人と比べるものじゃないの」

「あー、はいはい」

「そもそも、胸の大きさを誰かと比べようとすること自体が——」

「あー、うんうん、悪かったって」

「いや別に、謝って欲しいわけじゃなくて」

「うるさいなー、もう分かったって」

「は、うるさいって何? 私は——」

「てか別に、大路もそんな小さいわけじゃないし、むしろちょうどいい大きさなんじゃないの、それくらいが」

「……そう?」

「うん、私はそう思うよ」

「……ありがと」

「別に……」

「なら——私のおっぱい、触る?」

「——ふふっ」

「ちょっと、なんで笑うの?」

「いや……いいから、次のやついって」

釈然しゃくぜんとしない」


 釈然としないけど、まあ、姫宮が私のスタイルを褒めたので良しとする。

 ——え、チョロい?

 いやいや……


「まあいいや。それじゃ次は、『相手の外見が好み』——おー、イエス」

「これは、また……ストレートな質問ね」

「そりゃー、やっぱ重要でしょ、見た目は」

「まあ、そうだけど。見た目が好みって、具体的に、どの辺が?」

「……おっ——」

「おっぱいとか言ったらぶっ飛ばすから」

「——おっ、おっきな瞳、かな。うん、姫宮のぱっちりお目目が、マジで、サイコーにキュートだと思う」

「へぇ、そう」

「……いやホントに」

「そこだけ? 他には?」

「他には……そのゆるふわの髪も好きだよ」

「ん……そう。髪ね」

「私はいつも髪は短めだから、姫宮のその長くて綺麗な髪いいな〜って思うよ」

「……そう。——でも、それを言うなら、大路の今のその髪型も似合ってると思うけど?」

「まあねー、私もショートの方が似合うと自分でも思うし。何より、こっちのが手入れも楽だしねー」

「——でもロングの大路ってのも、ちょっと見てみたいかも……」

「まあ、いずれはロングにも挑戦してみようかなーっても思ったりするけど、結局はこの髪型に落ち着くんだよねぇ」

「……伸ばせばいいのに」

「え?」

「——別に。なんでもない」

「いや、今なんか——」

「いいから、早く次にいって」

「はあ、分かったよ。えーっと、次はー」


 姫宮がなんか言ったのを聞き逃したような気がしたけど、本人にかされたので私は雑誌の続きに目を通す。

 

「なになに、『相手のダメなところも含めていとおしいと思う』——なるほど、イエス」

「ダメなところ、ね。具体的には?」

「え、言っていいの? ……キレたりしない?」

「あんたは何を言うつもりなの?」

「いやいや、うそうそ。姫宮にはそもそもダメなところとかないしね」

「は、嘘くさ」

「もちろん嘘だけど」

「……っ」

「ちょっと、ダメだよー、女の子がそんな睨みつけたりしちゃ。めっ、だぞ?」

「あのさ、ぶん殴っていい?」

「うーん、そういう暴力的なところは、やっぱちょっと減点かなぁ」

「やばい、キレそう」

「でもね、そんなところも含めて好きだから……大丈夫だよ」

「——ぐっ、ダメだ、情緒じょうちょがバグる……!」


 私がキメ顔でそう言うと、姫宮はサッと私から顔を逸らして、なにやらモゴモゴと呟いていた。

 何を言っているのかはよく分からないけど、少なくとももう怒ってはいなさそうだったので、私は安心して次に進む。


「さてお次は——ああ、もう半分終わったんだ。次で六つ目か。えーっと、『もっと近くにいたい。ずっと一緒に過ごしたい。逆に、離れるとさみしくてたまらなくなる』——うん、イエス」

「……」

「これは普通にあるよね。なんやかんや私と姫宮っていつも一緒だし。——今だってそうじゃん? 毎日のように放課後もこうして一緒にいるし」

「それは、そうだけど」

「そして毎日、別れ際は寂しい気持ちになるしね……」

「本当に……?」

「ほんとホント、これはマジでホント。マジのガチ」

「ふぅん……。てか、“これは”、ってことは、やっぱり他のは本当じゃないってことじゃん」

「い、いやいや、そういうことじゃないって」

「やっぱり、適当なこと言って私をからかってるだけなんでしょ」

「違うってー」

「違わないでしょ。どうせ——」

「いや、まあ——よしんば、からかっているのは確かに事実だとしても、だよ」

「やっぱりね」

「いやいや、そうだとしても、適当なことは言ってないから」

「は?」

「だから、言ってることは本当だから」

「え……?」

「姫宮をからかうのが目的だとしても、私は嘘は言ってない。嘘いつわりのない本気の本心で、私は姫宮をからかっている……!」

「……なにそれ」


 まあ、最初は確かにウソだった。そもそも試してすらいなかった。

 だけど、現在進行形で確認している気持ちに嘘はない。

 姫宮と話しながら、改めて試しているこのチェックリスト、それが今のところすべてイエスになっているというのは、これは本当に私の偽りなき本心だった。


 私の謎の宣言を受けて、何やら姫宮は黙り込んでしまっていた。

 なんだか少し変な雰囲気になっている気がしたけど、私はそのまま続きを話す。


「……さて、後半戦も進めていくよ。お次は、『相手に自分をよく見せようとしてしまう。あるいは、ありのままの自分の姿を見せるのが怖くなる』——い、イエス」

「いや、これはない」

「え?」

「むしろ逆、アンタは私以外に対してそうなってる」

「それって……私は、本当の自分を姫宮にしか見せてないって、そう言いたいの?」

「いや、その言い方だと……なんかちょっとマシな感じに聞こえる」

「は?」

「それは誤解のある表現でしょ」

「はぁ?」

「アンタってヤツは、人をからかうのが生きがいみたいなふざけた人間だけど——」

「なんか私すごいディスられてない?」

「だけど——学校で他の子といる時には、そうじゃない。まるでな人間みたいに振る舞ってる。……演じてる」

「……」

「でも、私の前では、本性をさらけ出している。……違う?」

「……」


 確かに……これは、姫宮の言う通りかもしれない。

 というか実際、彼女の言う通りだった。

 私は普段、姫宮以外には“本当の自分”を見せていない。周囲から期待された自分を演じている……その自覚はある。

 だけど——


「図星、でしょ? ふん、やっぱり、全部イエスだなんて嘘——」

「待って」

「ん?」

「まだ、続きがある」

「続き……?」

「……『相手に自分をよく見せようとしてしまう。あるいは、ありのままの自分の姿を見せるのが怖くなる』……『——だけど、本当は、ありのままの自分を受け入れてほしいと思う』……イエス」

「——っ」


 驚きをあらわにする姫宮。

 

「今でこそ、私と姫宮はこんな感じだけど……昔の私はそんなだったよ。『姫宮にだけは、嫌われたくないな』って思って、自分をよく見せようとして、嫌な部分は隠すようにして……」

「……」


 黙って私の話を聞く姫宮。

 

「そして——、まあ……隠しきれずに、今はこうなっているわけだけど……」

「……」


 呆れる姫宮……。


「だから、まあ……やっぱり、イエスで間違ってないよ」

「……そう」


 ようやく発した姫宮のその一言には——一言には収まらない感情がこもっているような気がした。


「じゃ、じゃあ次、八個目のチェックリストね」


 しんみりとした雰囲気は苦手な私は、空気を変えようとすぐに次の項目に進む。


「えっと、『相手に対して独占欲を感じる。自分が相手にとって一番の存在になりたいと思う』——い、イエ、ス」

「……ふぅん」

「えっ、と」

「そうなんだ。大路おおじって、私のこと独占したかったんだ? 私の一番になりたかったんだ? ふぅん?」

「そ、そうだよ……悪い?」

「別に……」


 そう言いつつ、姫宮は隠しきれない微笑をその顔に浮かべていた。


 ——こ、こいつ、笑ってやがる!


 姫宮をからかうつもりが、気づけば逆に、姫宮にからかわれている。

 ——完全に墓穴を掘っている……


 とはいえ、ここで恥ずかしがって中断なんてしたら、それこそ恥の上塗りだ。

 私はそう開き直ると、続きを決行する。


「さ、さて、チェックリストは残りたった二つ、いよいよ大詰めだね……!」

「……ねぇ、なんか無理してない?」

「はぁ? ぜんぜん無理なんてしてないけどっ?!」

「別に……嫌なら無理しなくても——」

「む、無理とかしてないから。——んじゃいくよ、気になる九個目はっ、『もし仮に、その相手に恋人ができたとしたら、素直に祝福できない。ショックを受けたり、モヤモヤしたりする』——い、イエスっ!」

「ふぅん……なるほどねぇ」

「……ん」

「ああ、確かに、相手が本当に友達なら、恋人ができたら普通に祝福できるのか。——いや、案外まとているのかもしれない、これは」

「そ、そうダネ」

「こんな雑誌のコラムに載ってることなんて、どうせたいした内容じゃないでしょ——なんて、最初はそう思ってたけど……意外とバカにできないのかも」

「そ、ソウかい」

「それで……? アンタは、私に恋人ができても祝福してくれないの?」

「そ、それは——」

「私に恋人ができたら、ショックなの? モヤモヤするの?」

「……ぅん」

「え?」

「……っ、そうだよ!」

「え、本当に?」

「だって、私が姫宮の“一番”でいたいってのは、本当だし……」

「——っ!」

「恋人が他にできたら、その人が姫宮にとっての一番になっちゃうんでしょ? ——それは、ヤダ……」

「……大路おおじ


 考えてみれば、実際にそうだった。


 ——いつわりのない、私の本心。


 姫宮に恋人ができたら、その人が姫宮の一番になる。私は、良くて二番目……


 それは……それは嫌だ。

 私が一番好きなものは、姫宮だ。

 だから姫宮にも、私を一番好きでいてほしい。

 それが、私の秘められた本当の気持ち……?


 このチェックリストを試すまで、意識していなかった。

 でも確かに、すべてがイエスで、すべてが私の本心だ。

 じゃあ、私にとって姫宮は、本当に——


「……」

「……大路おおじ

「……」

「……? ねぇ、大路おおじ

「……あ、え、なに?」

「いや、なにじゃなくて……続きは?」

「続き?」

「だから……チェックリストの、最後の項目は?」

「あ、ああ、えっと、最後の項目は——」


 最後の項目……こ、これは——ッ!!


「……」

大路おおじ?」

「……最後の項目は、『その相手と、キスできる?』」

「——ッ、そ、それは……!」

「……イエス」

「——えっ?」

「だから、イエス、だよ」

「——っ」


 はっきりと、姫宮が息をのむのが分かった。


うそ、でしょ?」

「嘘じゃないよ」

「っ、からかってるんでしょ?」

「それは——、違うよ」

「ほら、嘘。今の間はそうでしょ」

「いや、ちが——」

「嘘だよ。だって……き、キスだよ?」

「……うん」

「……できるの? 私と、本当に……」

「……できるよ」


 そう答えた私の、本心は——

 姫宮とキスすることが嫌だとか、そういう拒否する気持ちがまったく無いという事実と、

 ——ここで引いたら負ける、ここが正念場だ……!

 という、そんなくだらない意地だった。


 私はこの勝負ゲームを、まるでチキンレースか何かのように——姫宮が引くまで、私は押し続けてやると——考えていた。

 だってさすがに、キスするとか……そこまでいったら、姫宮は確実に引くだろうと思っていたから。


 だから私は、できると、そう言った。——本心から。

 私がそう言えば、いよいよ姫宮は引き下がる……はずだった。


 だけど、実際の姫宮は……なにやら決心したような様子で——

 

「…………したいの?」


 と、そんな問いを、私に投げかけてきた。

 私はその問いに——考えることなく、本能で応じた。

 

「————うん」


 応じてしまった。


「……」

「……」


 無言で見つめ合う。

 自然、私の視線は、彼女のくちびるへと向かった。

 瞬間——ボッと、一気に恥ずかしさが込み上げてきた。


 今更になって、

 ——なんてことを言ってしまったんだ、私はっ……!

 という、激しい——これは、後悔なのか、それとも……別の、感情なのか——そんな衝動が湧き上がってきた。

 だけど、それでも……私は、姫宮の唇その部分から、一切いっさい目を離せなくなっていた。


 ベッドの上に座り合う私たちのお互いの距離は、それほど離れていない——というか、かなり近い。

 普段なら別に、これくらいの距離はなんてことないんだけど……今の私には、この距離はとても近かった。

 だって、あとちょっと近寄ったら、本当に、お互いに触れられる距離だから——


「——いいよ」


 不意に、ずっと見つめていた姫宮の唇が動いて、言葉をつむぎ出した。

 私はそのことに驚いて、しばしの間、言われた言葉の意味が分からなかった。


「したいなら……キス、しても」


 続く言葉に、ようやく私の脳はその意味を理解して——驚きと共に思わず私は視線を上げ、彼女の目を見た。

 そのひとみは、直前の言葉に続いて、『——でも、アンタにそれが本当にできるの?』と、そう言っているように——あるいは、そう挑発しているように——私は感じた。

 瞬間——


 ——できらぁ!!


 脊髄反射で私はそう反応した。

 その勢いのまま、やおら私は姫宮との距離を一気に近づけた。

 そしていよいよ、——いよいよ彼女の顔の、その目の前に自分の顔が来て、もう目と鼻の先というか、鼻が触れ合うくらいの距離まできたところで……最後の躊躇ちゅうちょが私の中に生まれた。


 ——いやだって相手は姫宮だし同性ってか親友だしっていうかファーストキスだし私それがこんな適当な意地の張り合いみたいなワケの分からないものでいいのかってかいやそもそも友達同士はノーカン? いやいや友達だろうが同性だろうがキスはキスだしやっぱりこんな成り行きでするものじゃって意外と私にもキスに対して幻想というか理想みたいなものがあったのかってかでもここで引くことはすなわち敗北を認めたことになるしってかもうこの状況マジでどうすればいいんだよもうマヂ頭の中がパンクしそうってか姫宮も姫宮でなんで引かずに乗ってきたんよ意味が分からんってか——


 いいのか?

 このままいけばマジで、キスしちゃうけど?

 それでいいというのか、おい姫宮——


 その時——姫宮は、おもむろに目を閉じて、キス待ちの顔になった。


 ブチン——


 キレたのは私の堪忍袋の尾か——あるいは理性の鎖か。

 衝動——まさにそれに突き動かされて、私は姫宮のくちびるに、おのれのそれを合わせた。


 唇と、唇が触れ合う——

 ——それすなわち、キス。


 初めての、キス——。

 ——キスなんて、唇と唇を突き合わせるだけでしょ、こんなもの——

 ……そう思っていた時期が、私にもありました。


 ——まるで、電撃が走ったようだった。


 触れ合った唇から伝わる感触——

 柔らかさ、ほのかな熱、かすかなうるおいとつやめき……


 時間が止まった。


 頭が真っ白になって、なにも考えられなくなる。

 心臓がバクバクと早鐘を打つ。痛いほどにそれを感じる。

 それはまるで、全身全霊で“今この時”を感じるために、ひとかけらとして逃すことがないように、余すことなくすべてを受け止めるために——

 そのために、私の肉体カラダが全力を尽くしているかのようだった。


 ——気がつけば私は、両腕を使ってはるかを抱きしめていた。

 決して放さない。決して離れない——とでもいうように。


 唇だけでなく、全身でお互いに密着する。

 触れ合った部分から、まるで溶け合うように、お互いの肌が、熱が、感情が——混ざり合い、一体になる。


 わたしはあなた。あなたはわたし。


 今この時、お互いを最も大切だと想い合う二人が、その気持ちを一つにした。


 ——永遠のような一瞬が、終わった。


 名残を惜しむように唇を離せば、ツー、となまめかしく光る一筋の繋がり——

 呼吸すら忘れていた反動で、荒い息を吐く。

 その吐息の熱さを、私は自分で自覚していた。


 というか——


 さっきまでの私はなに? ——いや、詩人か? おのれは。


 ……どうやら、人は脳みそに多大な負荷がかかると、詩人になることがあるらしい。


 初めての体験で、私は初めてのことを色々と知った。

 私が——自分という人間が、意外にもロマンチストというか、詩人のような感性を備えていたのだということ。

 キスというものが……こんなにも、すごいものだったということ。

 そして、私が姫宮に——はるかに抱いていた気持ちが、もしかしたら……


 いや、それはまだ、決めつけるのは早いのでは……?

 初めてのキスだから、初体験だから、こんなにドキドキしてるのであって、相手が遥だから——彼女が好きだから、こんなになっているというのは、そう決めつけるのは早計なのでは……


 私が遥に対して、恋愛感情を持っているかどうかは、まだ分からない……っ?!


「——しちゃったね、キス……」


 とろんとした瞳で私を見つめながら、はるかはそう言った。


「じゃあ、本当に……大路おおじ——いや、瑞季みずきは、私のことが……好きってこと、なの……?」


 すがるような眼差まなざしで、遥が問いかけてくる。


「っ——」

「私も……私もね、全部、『イエス』だったよ」


 私が何か答える前に、遥がそう言った。


「私も……『一緒にいると、平常心ではいられなくなる』——瑞季みずきといると、いつも私、それだけで楽しくて、嬉しくて、ドキドキして、普通じゃいられなくなるから……」


 えっ、マジで……?

 いや、だって全然、普段からそんな素振りなかったし……まったく気がつかなかったんだけど……?


「そして、『守られたい、守りたい願望がある』——私は、どっちかというと、守られたい方、かな? 瑞季には、常に私のことを見ていてほしいから」


 ……お、おう。

 なら、まあ……守りたい私と、守られたい遥で、ピッタリ、じゃん——?


「それから、『相手に触れられたい、触れたい』——これは、私も両方かな。触れたいし、触れられたいと思う」


 ……実のところ、私たちは今も抱き合うように触れ合っている。

 ——キスが終わっても、いまだにハグは続いている。


「えっと、次は……『相手の外見が好み』——うん。……好きだよ。瑞季、カッコいいし。——やっぱり、伊達に“王子”ってあだ名で呼ばれてないよね」


 私は学校では、そんなあだ名で呼ばれている。

 ——まあ、苗字が大路おおじだからってのもあるけど、ルックス的な意味合いもあっての呼び名なのだ。


「次は、そう、『相手のダメなところも含めて愛おしいと思う』——だったっけ? ……ンフっ」

「なんで鼻で笑うのっ?!」

「……別に……ふふっ」

「釈然としない……!」


 いやー、まあ、これに関しては、色々と自覚はあるので……ハイ。


「ええっと、それで次が、『もっと近くにいたい。ずっと一緒に過ごしたい。逆に、離れると寂しくてたまらなくなる』——そうだね……。瑞季が帰った後は、いつも寂しくなる。もっと一緒にいたいと、私も、いつも思う」


 ……まあ、そうは言いつつ、私たちは家もかなり近所だし、会おうと思えばすぐに会いにいけるんだけど。

 それに、お別れして家に帰った後も、普通にスマホでメッセージのやり取りとかもしてるしね。

 ……でもやっぱり、どれだけ距離が近くても、スマホで繋がってても、直接会うのとはやっぱり違うから、寂しいことに変わりはない。


「……この次は、『相手に自分をよく見せようとしてしまう。あるいは、ありのままの自分の姿を見せるのが怖くなる』——だったっけ。……そうだね、私もそう。瑞季にだけは嫌われたくないから、嫌な自分を表に出さないように、隠していたように思う……最初の頃は」


 まあね、今はね、お互いにもう気の置けない間柄になったって感じだからね。


「そして……『相手に対して独占欲を感じる。自分が相手にとって一番の存在になりたいと思う』——、イエス」


 真っ直ぐに私を見つめて、遥は私にそう宣言する。


「……『もし仮に、その相手に恋人ができたとしたら、素直に祝福できない。ショックを受けたりモヤモヤしたりする』——、……イエス」

「……」

「……『キス、できる?』——、イエス」

はるか……」

瑞季みずき……」


 私たちは、すでに限界まで近づいていたお互いの間の距離を、再びゼロにした。


 その二度目の衝撃で——、私の本当の気持ちは、はっきりと確認することができた。

 


 そして、私は——



 その日、親友だったはるかと、友達から恋人になった。

 

 

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