【5】未だ名前すらマトモに付けていない見鹿島ハバキの異能力について、あるいは如何にして彼の能力を研鑽するべきか

 既に気温が三十度を越した朝。

 レオンの診療所がある雑居ビル、その屋上。


 三方を高い廃ビルに囲まれた立地にあるが故に秘匿性の高いそこで、ハバキはタンクトップ姿で何やら構えていた。傍では鵐目が、日傘の下でビールを飲みながら観戦している。


「朝から飲むビールほど美味いもんは無いね。真っ当な社会人には許されん芸当だ。というか、なんで仕事中は飲酒禁止なんだ? タバコは許されるのに。まあ最近はそうでもないっぽいけど」

「うるせぇなぁ、さっきから……」


 そんな戯言に辟易しつつ、ハバキは目の前に置いた空き缶タワーに向かって、腰だめに構えた両手を両手を勢いよく突き出した。


「波ァッ!! 」


『両掌から放たれた力場は、勢いよく空き缶タワーを弾き飛ばした』。


「イイネ! 足から出せたりする? 」

「何処からでも出せるよ。なんの意味も無いけど……」

「まぁ、遠距離攻撃ならそこら辺の瓦礫投げつけるだけでいいもんね」

「構えすら要らないしな」


 しばしの沈黙。


「……能力を研究し始めて、分かったことがある」

「なんだい? 」


 ハバキは日傘に入りながら続けた。


ってことだ」


 氷水入りポリバケツから出した缶ビールを、首元に当てて涼を取る。


「普通、運動したら身体は疲れるだろ? 勉強したり、何かに没頭し続けても脳が疲れるだろ? エネルギーを消費して、疲労物質が溜まる。これが普通。ところがだ。この能力を使い続けても、一向に疲れない。なんと言うか……物凄い負荷の軽い運動をし続けてる感覚? まるで手応えが無いんだ」

「つっても、コレ始めたの二時間くらい前でしょ? そのくらいなら常識の範囲内というか……」


 鵐目の言葉に、ハバキは首を振った。


「この前の奇襲。アレを防げたのは、事前に『力場の防護膜』を張っておいたからだ。狙撃と奇襲対策に、急所を守るよう強い反発力を纏っている」


 彼はそう言いながら、首から上、胴体、内腿の順に、指で円を描いて範囲を示した。

 興味本位で鵐目が指を近づけてみると、肌着に触れるギリギリの所で『物凄く固く作ったゼラチンのような反発力』を感じた。


 目を輝かせて突っつき続ける鵐目を押しのけると、ハバキは衝撃的な事実を口にした。


「コレ、能力が手に入った時からずっとやってるんだよね」


 驚きのあまり、二三秒口を開けて呆ける鵐目。


「マジ……? 」

「基本的にはね。それを含めて、さっきみたいに別で能力を使っても何も無い。ここまで負荷が軽いと恐怖が勝ってくる」


 ハバキは首にビールを当てながら、遠くを見やる。

 カンカン照りの太陽が東京のビル群を焼き、その下では大勢の人々も同じく焼かれていることだろう。


 缶ビールに付いていた酷く冷たい水滴が、首から胸元へと流れ込んだ。


「なぁ、鵐目。これはどういうことなんだ? 俺に余力があり過ぎるのか? 本当は疲労困憊だが、俺が気づいてないだけなのか? それとも━━」


 それを口に出すと本当にそうなってしまいそうで、ハバキは少し躊躇した。

 が、それでも確認しなければならない。

 ハバキはまるで呪詛を唱えるかのように、厳かな雰囲気を纏わせて言った。


「何か別のものを消費してるのか? 例えば……寿、だとか」


 そして……また、同じ沈黙。


「━━タダより高い物は無い、だっけ? こういうのは日本語だと」


 鵐目はそう言うと、ハバキの持っていた缶を奪い取り、バケツの中に放り投げた。

 水飛沫がハバキの背中を冷やしていく。

 その後、鵐目は投げた方の手で別の缶を引っ掴むと、勢いよくプルタブを開けてそのまま一気に飲んでしまった。


「憶測で物を言っちゃあダメだぜ、ハバキクン。確かに寿命を消費してる可能性はあるかもしれない。が、ないかもしれない。分からんさ、何もかも。常識の埒外、故に異外者イレギュラー。だろ? 」


 そう言って、ハバキに缶を手渡す。ハバキは渡された缶を『ぺしゃんこに潰して』、屋上の端に作った缶ゴミ置き場に捨てた。


「それに……今更キミは止まれない。アラハバキは止まらない。ルビコン川は越えちまったのさ。後悔するのはひと月遅せぇよ」


 鵐目はそう言うと、ハバキの肩に手を回してポンポンと二回叩いた。


「……そうだったな」


 ハバキは立ち上がって、朝日を背に鵐目の方へ向き直る。


「さて、この話はおしまいにして。直近の課題━━戦闘力について話そう。と言っても、もう結論は出てるんだが」


 この前の冬弥との戦闘を思い出す。


『飛び道具を強化する能力』対『飛び道具を無効化出来る能力』。


 本来であれば、ダイヤグラムで0:10が付くほどには一方的な戦いになるはずだった。それでもコチラの手を煩わせ、あまつさえ手傷を負うという結果になったのは、ひとえに自分が戦闘に関して初心者ニュービーだったからだと言わざるを得ない。


 いくら脳みそで理屈をこねくり回しても、現実は遥かに複雑なのだ。


「結局、今の俺に足りないのは『近接戦闘力』だ。それもパワーやスピードでなく、体捌きやフェイントなんかのテクニックが足りん」

「攻撃力なら既に過剰なほどあるし、逆に守備力というか、身を守る手札が少し足りない感じあるもんね」

「ああ。場数を積むのもそうだが、何らかの武術を体系的に修得した上で、能力も絡めたオリジナルの闘法を開発するのが今のベストだと考える。だけどなぁ……」

「流石に、武術の達人はボクの知り合いに居ないかな! 」

「俺も思い当たる節が無い。さて、どうすべきか……」


 しばらく二人であーだこーだと思いついたことを言ってみるが、どれも現状では実現不可能・正体バレなどのハイリスクを伴う方法であった。


「ま、最善策が何も思いつかない時は、次善の策に注力するに限るか。動画サイトで調べながら、見様見真似で体得するしかあるまいよ」


 やがてハバキはそう決めて、鵐目のタブレットで武術系の動画を再生し始めた。


「差し入れのアクエリ……って、何やってんだお前」


 仕事が暇になり様子を見に行ったレオンが、ハバキの『物理的に不可能なポージング』を目撃したのは約一時間後である。


「……太極拳? 」

「絶対違うだろそれは」


 斯斯然然かくかくしかじか、理由を話す二人。


「武術の達人と言えば、このあいだ治療に来た客がそんな感じの異外者イレギュラーにやられたって言ってたな」

「やりぃ! 」

「その人は今どこに? 」

「そいつはプライバシーだな。だが、客が怪我した場所なら教えられる」


 教えてもらった場所は、東京でも比較的田舎で、また比較的・・・治安の悪いことで有名な所だった。


「あそこか。まあ、さもありなんって感じだな」

「早速今夜行くかい? 」

「オフコース! さて、武術使いの異外者イレギュラー、一体どれ程強いのか……」


 ━━


 着いたのは、とある高架下。

 アスファルトの削れた古い二車線道路が通っており、その左右には鉄筋で囲われた使われていない駐車場がある。ナトリウムのオレンジ色をした明かりも点滅しており、高架の柱にはいくつも解読不能なグラフィティが描かれていて、余りにも治安の悪いことが、これ以上無く分かりやすく示されていた。


『田舎』という言葉には、三十年代に入ってから意味がひとつ加わっている。


 即ち、『監視網に穴があるような治安の悪い場所』だ。


(情報では、深夜ここでふらついていると、稀に『漢服を着た髭の長い男』が出るらしい。しかも喧嘩を売ると、奇っ怪な拳法で翻弄された後、背骨を砕かれるんだと。傍迷惑な野郎だな)


『空を飛んできた』アラハバキが道路を適当に歩いていると、柱の影からしわがれた声が聞こえてきた。


「九千九百九十九本━━」


 その声と共に、漢服を着た髭の長い男━━『無銘武術ノーマンズファイト』と呼ばれている壮年の男が姿を現した。


「ワシがこの五十年で折った、脊椎の本数だ」

「……すごいね。慰謝料が青天井だ」


 無銘武術ノーマンズファイトは道を塞ぐように、道路の真ん中に立ちアラハバキと相対する。


「お主、名を聞こうか」

「アラハバキ。今回はひとつ、貴方にお願いがあって来た。私に武術を教えてくれないか? 」

「断る」


 即答であった。


「……何も、無料で学ぼうという訳では無いよ。謝礼は望むだけ出す。もし『金で買おうという気概が気に食わない』みたいな理由だとしても、望む物は可能な限り差し出すつもりだ」

「何も要らぬ。金も、名誉も、無論貴様の、そのけがれた手の上に乗せた物も」


 男の目は、溢れんばかりの敵意と軽蔑に満ちている。


「何か……大層嫌われているみたいだけど。それは義憤かな? それとも復讐心? 」

「我が拳と共に、その身体へ伝えてやろうッ! 」


 男がそう叫び、勢いよく地面を踏みつけ構える。


「『幽世六本腕ユーリン・リゥビィ』ッ!! 」


 すると、『爆発的な衝撃と共に、背後に身長の三倍はあろうかという巨大な陽炎が揺らめいた』。


「わぉ。凄いね」

「フハハハハハ怖かろうッ! 怖かろうよッ! この『闘気ジンシェン』こそ我が奥義ッ! 死の淵に於いてこの技を会得し、戦火鉄砲のことごとくを撃滅し、あの『中華大戦乱』を生き延びたのだッ! 」

「へぇ。凄いね」


 無銘武術ノーマンズファイトの口上を受け流しつつ、アラハバキは彼の理由不明の敵意について考える。


(今の時代に漢服を着てる爺さん、って辺りで大方予想はついてたが、あの大戦乱の生き残りとはね。となると、その敵愾心てきがいしんの大元は平和ボケした日本国民に対する妬み僻み、と言ったところか。面倒くさいなぁ……)


『中華大戦乱』とは、現在の極東国家のほとんどが空中分解・軍閥化した原因のひとつである出来事だが、それについてはまた別の機会に。


「行くぞアラハバキィッ! 貴様の脊椎も粉々にしてやるぞォッ! 」

「新手の妖怪みたいだなぁッ! 来いッ! 」


 お互いが拳を構え、お互いが正面からの激闘を選択し、お互いが今まさに実行に移そうとする。


 ━━その時である。


「キ゛イ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛!!!!!! 」


 耳をつんざくような、およそ人の出す声とは思えない叫びが両者の鼓膜を刺激する。


「何奴!? 」「うるさっ!? 」


 そして……無銘武術ノーマンズファイトが突然、顔面から地面に叩きつけられた。


「ギッ」


 無銘武術ノーマンズファイトの陽炎が解かれ、上に乗っている何者かの姿がハッキリと認識できる。

 背の上でしゃがみ込んでいる彼は、赤錆色の髪を結んだ少年であった。Tシャツ・ジーパン・スニーカーの軽装で、右手にはどう見てもそこら辺から拾ってきたような鉄筋を握り締めている。


 声がした方角、無銘武術ノーマンズファイトの倒れ方、少年の姿勢などを鑑みると、どうやら。


「ウハハハ! 足の裏痛ってぇ! 」


 高架から、落ちてきたらしい。


「テメェか!? テメェだな!? 『無銘武術ノーマンズファイト』って言われてる奴はテメェで合ってんな!? 」

「わ、か、わ、若造がァ……! 」

「なんかよォ! ポリ公がよォ! テメェに懸賞金掛けてるっぽくてよォ! 捕まえたら百万円だと! すげーよなァ、ヒャクマンだぜェ!? 」


 テンションバリ高の少年が、好き勝手に喚き散らす。


「……ほ……」

「ほ? 」

「ほざいてんじゃねェェェェェッッッ!!! 」


 無銘武術ノーマンズファイトが背中から『気を爆発させると』、少年は先程飛び降りてきた高架と同じ、いやそれ以上の高さまで打ち上げられた。


「脊椎ブチ折ってやるゥゥゥゥッッッ!!! 」


 額から血をほとばしらせながら、先程の猿叫以上の叫びを上げ空中の少年へ一直線に飛び上がる。

 背後の気が『半径五メートルを満たし尽くし、その全てが攻撃に向かう』。


 憤怒そのものが、少年の生命を真っ直ぐに狙っていた。


 だが。


のろい」


 一閃。


「筋がブレ過ぎだ。ジャカジャカ弾いたギターの弦かっての」

「━━ッ」


 必要最低限かつ最適解の動きで、荒れ狂う気の奔流の隙間を縫い、そのまま一切無駄に動かずスムーズに鉄筋を構えると、無銘武術ノーマンズファイトの手刀を紙一重で避けつつ脳天を打ち抜いた。


 見事な、一閃であった。


「ふん。ボロい商売だぜ」


 夜の闇へ鉄筋を投げ捨て、そう呟く少年。


「……ん? なーんか忘れてるような気がする……」


 微かに残る違和感に、とりあえず辺りを見回してみる少年。


 そして十秒ほど後。


 彼はついに、『空中で足を抱え暇そうに回っている、謎の黒コート男』を背後に見つけた。


「あ、お前『怪人アラハバキ』か!? 」

「あー……どうも? 」

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