前奏 -overture- その3

 八日後。午後七時。

 東京某所、ビギニングウッド・テクノロジーズ・ジャパン本社ビル前広場。


 この夜も、いつもと変わらず大道芸人が驚くべき芸の数々で人の輪を作り、ミュージシャン志望が自作の曲をギターで弾き鳴らし、様々に派手な髪色をした者達は流行りの珍妙な動作を撮って動画にしていた。つまるところ、この芝と大理石のアート作品で構成された広場は、BビギニングW・ウッド・Tテクノロジーズがそうであるように、若者達のエネルギッシュな情熱を後押ししていた。


 そんな人混みの中にいつからか、彼は居た。


 真っ黒いコートに、真っ黒いブーツ。

 真っ白い手袋に、真っ白━━くない仮面。


 仮面は目の部分が真ん丸にくり抜かれていて、右目に黒の縦一本、口の辺りに横二本描かれているシンプルなデザインだ。目は真っ黒で、仮面の下を伺い知ることは出来ない。

 いや、伺い知れないのは全身余す所無くそうなのだが。


 最初に彼の存在に気づいたのは、自撮りをしていた女子大生だった。スマホの画面に突然、降って湧いたというか、『空から降ってきた』かのように彼の姿があったのだ。


「あれ……? あの人いつから居たっけ? 」


 彼は顔を上げ、目の前のBWTビルを見上げる。そして、ゆっくりと、音も無く、歩み始めた。


 彼の動作に付随する僅かな音でさえ、この喧騒の中に掻き消えてしまうというのに、彼が一歩足を進めるごとに一人、二人、十人、二十人と、彼の存在に気づき目を奪われる人間が加速度的に増えていく。

 次第に若者は、彼を中心として大きな人の輪を作り出していく。次々に人は増えるばかりだが、しかし彼の半径五メートル以内に近づく者は誰一人として居なかった。スマホで撮影出来ず怒声を放つ者さえ居るのに、それでも近づこうとはしないのだ。


『空から飛んできた』彼だが、こればかりは、預かり知らぬ処である。


 やがて彼は、ビルの敷地と広場を分けるゲートに辿り着いた。ここから先は、社員証を持つ人間しか入ることが出来ない。透明なドアを破壊して入ろうとしても、コンプがコンマ一秒も経たないうちに侵入者を攻勢的に無力化するだろう。

 今や広場のほとんどの人間が固唾を飲んで見守っていた。彼が何をする気なのか、皆が注目していた。


 彼はドアの前に立つと、半身を引き、左手をドアに当てた。


 そして次の瞬間、『ドアは勢いよく砕け散った』。


「キャアアア!!! 」「なんだアイツ!? 」「すっげー……」「空道かな」「とんでもねぇ腕力だ! 」「アレ腕力なのか!? 」


 刹那にも満たない時、コンプがその青と白の銃身を自身から抜き出しゴム弾を連射し始める。毎秒レート千六百発。死にはせずとも手足の骨が砕け破片が筋繊維とミックスされる程の火力である。


 だが、『彼には届かなかった』。


「オイ! アイツの手の先見ろ!!! 」「え……弾が……」「止まってる!? 空中で!? 」「何かのプロモーション的な? 」「すっげーマジシャンが現れたもんだ……」


 彼はドアの破壊と同時に両手を広げる。それと同時に発射されたゴム弾は彼の手の平から五センチほど手前で静止した。後続の弾と衝突し、みるみるうちに彼の両側にゴム毬が形成されていく。ゴム毬がバスケットボールくらいの大きさになったところで、彼は『それらをコンプに向けて発射した』。


「うわぶっ壊しやがった!!! 」「ヤバいヤバいヤバいって! 」「これ逃げた方が良いんじゃ……」「クッソー! 画角が取れない! これじゃバズらないんだけど! 」


 コンプは派手な音と共に破壊され、ショートした回路から火花が飛び散っている。スプリンクラーが稼働するが、『しかし彼の頭上には降りかからなかった』。

 サイレンの音と共に、彼はまた歩を進め始める。


『両手を上げ、膝をついてください。両手を上げ、膝をついてください。Raise your hands, and get on your knees━━』


 警備機械セク・ボットが日本語含め五ヶ国語で彼に投降を促す。移動する小さなテトラポッドのような見た目をした彼ら。その胸に相当する部分には、赤と白で可能な限り威圧的かつ官製的な文章が表示されている。


『……举起双手,跪下━━』


 彼が動き始めたのは、ボット達の音声が中国語に切り替わった時であった。


「……」

『━━』


 彼は向けられた銃口を爪の先ほども気にせず、先程までと全く同じ歩幅でボット達のただ中を突っ切り、その途中で彼らのボディをポンと叩いて行った。ボット達は、先程まで彼が居た部分を注視している。まるで彼が見えていないかのように。


「あれ? ボット動かなくなっちまった」「アイツのこと認識出来て無いんじゃね」「故障か……? 」


 群衆が口々に想像を喚き散らす。どれも確たる根拠に欠けていたが、一人だけ、偶然にも真理を突いた発言をした。


「……いや、違う! 見えてないんじゃない! 動けてないんだ! アイツがドアぶっ壊した時みたいに、見えない力を加えて━━」


 彼が言い終わらないうちに、防弾性プラスチックで出来たボットの筐体は『押し潰しと引きちぎりと捻りあげを同時に行ったような、恐ろしい音と被害を被った』。


「どいて! どいてください! ほら下がって、危ないから! 」


 ここに来てようやっと警察が到着した。敷地に入った彼らは応援を要請しながら銃を構え、謎のローブを囲もうとする。


 しかし突入した彼らの目に入ったのは、彼の背後でメキメキグシャグシャと耳を塞ぎたくなるような音を立てて圧縮されている、ボット達の凄惨たる姿だった。


「……」


 彼はこれ見よがしに両手を広げて、群衆の方を向く。

 言葉は無く、これ以上のジェスチャーも無い。が、無惨にもスクラップボールとなったボットの残骸は、群衆と警察に同じ思いを抱かせた。


(邪魔をしたら我々も……同じ目に遭う・・・・・・……!!! )


 ━━警察とは、法の番人であり、正義の味方を自称できる希少な職業であり、国家公認の暴力装置である。少なくとも現場に駆け付けた五十三名の警察官は、大同小異だがそう考えていた。


 しかし、彼らの足は動かない。

 手を伸ばせない。

 目を離せない。


 職業倫理よりも、未知への恐怖と生存本能が勝ってしまったのだ。


「クソ……クソ……ッ! 」


 悔し涙と脂汗の混じった液体を滴らせながら太腿を叩く警察を後目に、彼は踵を返してビルに向かう。


 彼が目線を外した時にやっと、自分達が動けないのは彼の能力ではなく、全てにおいて自身の不甲斐なさが原因であることを理解した。


 ━━


(ファーストアピールは……上々の結果みたいだな)


 ハバキはビルへ向かいながら考える。


(報道陣はまだ到着していないが、これだけ騒ぎになれば『作戦』が終わる頃には来るだろう。『仕上げ』には間に合う。気を抜かずに、こっちも頑張るか)


 綺麗に手入れされた植木や光り輝く噴水の間をハバキは歩く。可能な限り堂々と、優雅に。


(さて……)


 やがて彼はビルの玄関前に着く。眼前にそびえ立つガラスの塔は東京の病的な有彩光に照らされ、丁度さっき通り過ぎた噴水のように光り輝いていた。中の人間は、見る限りだとまだ仕事をしているようだ。


(社長室は……あそこだな。予習して良かった)


 彼は玄関の脇に移動し、ガラスの壁に足をかける。


(さあバカ共、スマホのレンズ越しによく見とけ! )


 彼は『ビルの壁を先程までと変わらぬ調子で歩き始めた』。


(テメェら用の分かりやすい手品だ! 諸手を挙げて喜びやがれ!)


 ゆっくりと、しかし着実に足を進める。彼の歩みには些かの無理も見られない。まるで当然かのように壁を登っていく。

 彼が三階を超えた辺りで、彼の頭上━━つまりはビルの前に強烈な光が照射された。機動隊の用意したサーチライトである。間髪入れずにローター音がイヤホン越しに耳をつんざく。報道ドローンである。


(仕事が速いね。こっちも助かるよ)


 彼はボットを潰した時のように両手を広げ、そのまま歩いていく。その様は綱渡りをするサーカス団員のよう。サーチライトに照らされた社員達が驚きおののき窓際に集まる。警備員も、廊下の奥で避難誘導をすべきかどうか決めかねているようだった。


「皆様ご覧下さい! 謎の男がビルの壁を歩いています! ロープも使わず、地面を歩くように歩いています! これは決してCGでもフェイクムービーでもございません! 本物の人間、本物の映像です! 」


 報道ドローンからの映像と共に、キャスターが声を張り上げる。


『ビル前広場で謎のコートがドアぶっ壊した!!!ヤバい!!!』『謎のコートってトレンドにあったけどアレ何?新手の広告?』『ヤバすぎる』『こわ どうやってるんやこれ』『というか警備機械全部ぶっ壊したってマ?人の手で?』


 SNSや匿名掲示板に、撮られた動画が一瞬で出回り、レスポンスが付けられる。


 今や日本中が、彼の一挙手一投足に釘付けになっていた。


 ━━


 BWTジャパンCEOの金城 浩二がその報を受け取ったのは、事態が発生してから二分後であった。


「傍迷惑な奴だな……」


 それが、まず最初に出た思いであり、スマホ越しに実物を目にした時にも思ったことだった。


 彼の目的は分からない。が、どうせまた何処かの短絡的な若者が、SNSのいいね欲しさに無許可でマジックショーを開催しているだけの話だろう。あのパフォーマンスも、透明なケーブルか何かを使って、壁を歩いているように見せているだけだ。となると屋上に仕掛けがあるわけで、そうなると我が社の社員の中にそれを手引きした者が居るかもしれない。


 全く、本当に傍迷惑としか言いようが無い……。


 とりあえずの対応として、彼が警備室に連絡し社員の避難を指示し終わった時のこと。


 コンコン。


「ん? ━━ハァ!? 」


 先程報告された仮面の男が、しゃがみ込んで社長室の窓をノックしていた。


「おおお前ここ二十階だぞ!? 何だお前何してんだ!? 」


 彼の狼狽は窓越しに届いていないようで、男は何の反応も示さなかった。

 代わりに、片手を払うジェスチャーをした。


「何だ? 何だそれ『どけ』ってか? オイオイオイ待て待て待て何をする気だ待て待て待て待て━━! 」


 男はゆっくりと片足を上げ、そして『踏みつけた』。


 ガシャーン。


「うわあああああ!!!……ん? 」


 咄嗟に顔面を守るが、予期したはずのガラス片は飛んで来ない。一面の窓ガラスは確かに砕け散っている。が、『飛散はしていなかった』。


「いやぁ、すまない。あまり加減が効いていなかったようだ。怪我は無いね? 」


 尊大な調子と共に、ボイスチェンジャーで変換された声が響く。『ガラス片は自ずと人間大の穴を作り』、仮面の男を招き入れた。


今晩こんばんは……ビギニング・ウッド・テクノロジーズ・ジャパン社長、金城 浩二殿。私は『アラハバキ』。今日は貴方に幾つか要求をしたい。宜しいかな? 」


 アラハバキと名乗る男は、腰の抜けた金城の前でそう言った。

 金城は目の前の全てに脳の処理が追いつかず、しばらく酸欠の魚のように口をパクパクさせていたが、何とか思考の糸を紡いで口から捻り出した言葉はこれだった。


「何だお前!?!?!? 」


 この数分で何度この言葉を口にしたことか。そうは思いつつも、そう言い放つことしか出来なかった。


「……今はまだ、アラハバキと名乗ることしか出来ないな。私という存在は他者によって定義され━━」


 彼が何か講釈を垂れようという時に、社長室の扉が乱暴に叩かれた。


「社長! 大丈夫ですか! 金城社長! 」


 恐らく警備の者だろう。不審人物の侵入した部屋を馬鹿正直にノックするのは愚かであり無謀な行為だが、彼はそれに気づかなかったか、もしくは無視したか。


「……話の邪魔だな」


 アラハバキはそう呟くと、パチンと指を鳴らした。

 瞬間、『扉がバンと勢いよく開かれる』。そこに居たのは、警備員ではなく金城の秘書だった。

 秘書が驚きの声を上げる間も無く、『アラハバキは瞬間移動したかのような速さで彼に近づき』、彼の首を引っ掴んだ。


「静かに……」


 アラハバキはそう言って、秘書を『廊下の奥へ投げ捨てた』。


「今、何を……」

「見ての通り、部外者を排除した。生きてはいるから安心して欲しい」


 確かに、壁にぶつかったような音は聞こえていない。途中で『勢いを殺した』ということだろうか?

 彼は部屋に戻り、『再び勢いよく扉を閉めた』。


さて。警察が突入する迄に、手早く済ませて仕舞おうか。私が要求するのは、『メアリー・スー』の独占使用権だ」


 アラハバキは来賓用のソファーに腰を下ろし、足を組みながらそう言い放った。

 次から次へと、金城に新鮮な驚きが届けられる。


「どこでそれを!? 」


『メアリー・スー』はBWTJの最重要機密に指定されている程の極秘プロジェクトだ。それをさも当然のように知っているコイツは何者なのだ?


 金城の頭にはそればかりが浮かんでいた。


「製作者の一人を捕まえた、とだけ言っておこう。彼から概要は聞いている。シリコンバレー条約違反の代物、是非とも手に入れたい」

「あの逃げた野郎か……ッ! 」

「断ると言うなら、残念ながら貴方が差し向けてきた非合法な者達について公表しなければならない。『メアリー』についてもね。一分で決めたまえ」


 そう宣うアラハバキに対して、金城は歯噛みすることしか出来ない。


「…………クゥゥゥ…………ッ! 」


 憔悴し切った彼の頭はもう限界だった。


 しかし。


「アレは我が社がより成長する為に必ず要るモノだ! 断じて一個人の手に収めて良いモノでは無い! 」


 彼はそう啖呵をきって、辛うじてその身にのしかかる責任を果たそうとしていた。


「では、一切合切全てを公表するが、宜しいか? 」

「貴様の来訪も含めて、全ては私の判断ミスが原因! 責任は全て私が取る! 」


 金城の頭には、もはや多大な責任感と少しの自暴自棄しか無い。目の前の現実離れした現実に頭痛が激しくなるばかりだが、彼の五十余年の人生と、愛する家族と、社員と、会社の名誉が皆一斉に彼の背中を押していた。

 もう一度言うが、彼は責任を果たそうとしていたのだ。


 その時である。


『〈カッコイイじゃないか、カネシロ! ブシドーって奴かい? 〉』


 突如、英語で高慢な声が聞こえる。机に置いてあるAIスピーカーからであったが、その声を発したスピーカーは指示が出されていないのにも関わらず反応し、勝手に液晶を起動して映像を繋いだ。

 そこに現れたのは、アル・ビギニングウッド本人だった。


「〈アル・ビギニングウッドCEO!? 〉」

『〈そうだ。僕だ。話は秘書から聞いてるよ。『メアリー』を頂きにヤバい奴が来たんだってな! アハハハ! キミがソイツの要求を聞くようなら、どうしようかと思った! 〉』


 アルは心底愉快そうに言う。

 ただでさえ最悪の状況なのに神のダメ押しなのか、この場に最も来て欲しくない、確実に場を乱しまくる、自分より年下で、間違いなく人生最悪の上司のアルが来訪してしまった。

 金城はついに心のキャパシティが限界を迎え、腰が抜けて立つことが出来なくなった。


 そんな中、アラハバキは━━。


(ハハ、ジャックポットだ……! )


 ひとり、仮面の下で笑っていた。

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