前奏 -overture- その2

 食後の、特にすることも無い昼過ぎ。

 サヤが窓から景色を眺めていると、ハバキが話しかけてきた。


「そうだ。昨晩、鵐目と話したことをサヤにも話しておこう」


 彼はそう言うと、ダイニングテーブルの表面をコツコツと二回叩く。たちまち表面のディスプレイが起動し、様々なサービスを表すアイコンが画面に表示された。いわゆるスマートテーブル、iTableと言われるものである。


 画面を操作するハバキの背に、サヤは問い掛ける。


「昨晩、ハバキくんはあんな風に言ってくれたけどさ。結局、何をするつもりなの? 」

「テロル」


 端的かつ、衝撃的なひと言であった。


「え……」


 彼に対し、言うべき言葉が見つからないサヤ。


「━━第三者から見れば、だけどね。俺の認識はもちろん違う。まぁ、テロリストは皆んなそうのたまうんだけどさ」


 彼は笑いながら言う。


「俺の目的は『自分らしく、楽しく生きること』。そのために、最初は色々と七面倒臭いこと考えてたんだけど、でもほら、昨夜のアレでとんでもないチカラを手に入れちゃっただろ? だから方針全部取っ替えて、このチカラを存分に発揮することにしたのさ」


 ものすごくフランクな、言ってみれば将来の夢を語るような朗らかな調子で、彼は話し続ける。


「さて、サヤ。サヤは今の世の中に不満はある? 」

「まあ……うん。もうちょっとゆとりが欲しい、かな。今ってAIがめちゃくちゃ発展してるから、昔みたいに単純作業でお金をもらうのが難しいって言われてるでしょ? だから学校の勉強以外にも、コミュケーション能力を高めたり、人当たりの良い性格に『セルフプロデュース』しないといけなかったりで……。みんながみんな、そういうのが得意ってわけじゃ無いのに……」


 話しながら、サヤは一昨日までのことを振り返る。


 朝早くに起きて、単語帳を眺めながら通学。

 昼までは勉強、勉強、勉強。

 昼休みは『適切なスキンシップ』という名のコミュニケーション訓練。他人と積極的に話し、笑い合い、それを録画・録音したものをAIが判定し、点数と各項目に応じた詳細なレポートを受け取る。

 その後は勉強、勉強、レクリエーション。サヤは部活動が苦手だったので校外ボランティア活動をしていたが、実情としてはさほど変わらなかった。すなわち縦社会、厳しいノルマ、女子特有の派閥抗争である。

 家に帰れるのは二十時を過ぎた頃。その後は課題をやらなければならないので、全てのタスクが終わって自由の身になるのは、早くて二十二時以降であった。


 我ながら、二ヶ月もよく耐えたな……と思うサヤ。

 そんな彼女が時間のゆとりを欲しがるのは、至極当然の話であった。


「分かるよ。俺達みたいな一般人にまで、エリート的な意識の高さとリーダーシップを求められるんだもんな。『セルフプロデュース』という単語に漢字を当てるなら、きっと『自己洗脳』が一番近かろうさ。それの是非だとかも一緒に話したいけれど、今はその意見が聞けただけで十分だ」


 ハバキは昨日と同じく、モヤモヤをクリアに、鬱屈した淀みを明確に言語化して、サヤを慰めた。

 それと同時に、テーブルに開いていたウィンドウを壁に向かってスワイプする。テーブルの液晶から壁に向かってするりと移動したウィンドウは、数種のSNSのトレンドと、それに関する投稿で溢れていた。


 ━━『トレンド1位:手取り15万』『政治に関するトレンド:#社会保険料見直せ』『教育に関するトレンド:フルオンライン授業』『おすすめのトレンド:AI監視の地獄』『ITに関するトレンド:ブルーより低賃金』━━


 エトセトラ、エトセトラ。


「今のサヤみたいに、世の中に不満を持ってる人は結構多いらしくてね。特に最近だと、日々パフォーマンスが向上するAIのせいで仕事を失った中堅ホワイトカラーが特に酷い。第三次就職氷河期ってヤツだ」

「うん、親からよく聞かされてきた。『だから勉強を頑張らないとダメなんだよ』って。もしかしてハバキくんは、この人たちの願いを叶える為に━━」


 そう言いかけるサヤに対して、ハバキは振り向き、自分の口に人差し指を立てる。


「俺はそんなに優しくないよ。第一、それは暴力じゃ改善しないしね。そういうのは自分と、勤め先と、地元の政治家が何とかするもんだ」


 意外だった。サヤから見たハバキは紛うことなき『優しいひと』であったので、その言い分は本当に……意外だった。

 彼はウィンドウを横目に見ながら言う。


「俺が欲しいのは『彼らの負の感情』だ。自己責任論と画一的な価値観上での勝ち負けに圧搾されて出来た、この膨大な心のエネルギー! これを上手いこと利用すれば、俺達はなんだって出来る! 金も、時間も、自由も、欲しいものはなんだってな! 」


 両手を広げ、そう声高に主張するハバキ。なんだかマッドサイエンティストか、ファンタジーの魔王みたいだな、とサヤは思った。


「……まあ、口で言われてもピンと来ないとは思う。ちょっと抽象的過ぎたね。要は『世の中の不満を味方につけたダークヒーローになろう』ってことだ。名前も考えたんだぜ? 『黒いローブに白い仮面、謎の怪人アラハバキ』! 空を飛び地を走り、悪い奴をぶっ飛ばし、悪くない奴もだまくらかす! そういうモノに私はなりたい……」


『雨ニモマケズ』を引用しつつ、彼は言う。サヤが「意外と年相応に子どもっぽいところもあるんだね? 」と言うと、彼はフフン、と鼻で笑いながら肩をすくめた。


「さて、アラハバキを誕生させる前に、まずは目先の困難を排除しないとな。というわけで、記念すべき最初のプランはコレだ」


 彼はまた別のウィンドウを最大化する。その後いくつかの項目を弄ると、テーブルの上にホログラムの建物が立体投影された。全面ガラス張りの特徴的なビルは、サヤもよく知っているものである。


「これって……BビギニングW・ウッド・Tテクノロジーズの日本支社ビル!? 」

「イエ〜ス♪『コンプ』の開発とその他AIデザイン関係で急成長中のメガベンチャー、そして鵐目が追われる原因となった、『マザーAGI:メアリー・スー』の生みの親だ。『アラハバキ』の活躍には鵐目、引いてはメアリーが生み出すコードの存在は欠かせない。だからココを襲って、アイツらを手に入れられるように、上と直接取引するのさ」


 彼の言葉と同時に、ホログラムはビルの概観から二人の男の胸像へと形を変える。

 左は日本人の壮年男性で、垂れた眉と後退した生え際、落ちくぼんだ大きな瞳から酷く神経質そうな印象を受ける。右の若い男は西洋系の顔立ちで、見開いた青い目とニヤけた口元からは、一歩間違えれば驕りと取られても仕方ないような、絶対の自信が見てとれた。


「左がBWTジャパン代表取締役、金城 浩二。右はBWT本社のCEO、アル・ビギニングウッド。取引相手はこのどちらかだが、アルが来てくれるのが理想かな。アイツが俺を気に入れば、全てが上手くいく」

「そんなにすごい人なの? 」

「良い意味でも、悪い意味でもな。親父の電器屋を八年で業界トップの会社にした辺り、エンジニアとしても経営者としても超A級なのは確かだ。それはそれとして、SNSの使い方がヘッタクソでな……。スタンスの違う保守派の人間にすぐ噛みついては、お抱えのニュースメディアや信者を使って叩きまくる。結果を出してるから良いものの、常人ならとっくにムショ行きだ。BWTの株価が予測不能なのは、半分くらい炎上のせいだね。誹謗中傷なんぞチラシの裏にでも書いとけっちゅーに……」


 とにかく、とハバキ。


「『アラハバキ』がビルを襲撃するのは八日後の夜。その日までに衣装作ったり、戦闘訓練したり、打ち合わせしたりする。サヤは俺の補助を頼む。人手は常に足りないものだと思ってくれ」

「り、了解! 頑張るね」


 サヤがそう返事すると、ハバキは満足そうに頷き、彼女に手を伸ばす。


「あ……」


 そしてサヤの肩をポンポンと叩き、テーブルの操作に戻った。履歴を消去したりしている。


(頭撫でられるかと思った……)


 どうということも無い、ただの勘違い。微妙に頭の方向へ手が寄っていたから、そう思ってしまっただけである。

 しかし彼女は、とても小さな━━いや、そんなに小さくもないかもしれない。いやいや、やっぱり小さい? いやでも、やっぱり結構大きいのかもしれない━━消化不良を感じていた。


 生まれて初めての、切なさであった。


 ━━


「あ、そうだ。ハバキくん、私が持ってた傘がどこにあるか、知ってる? 」

「アレかい? さあ、俺は知らないな。てっきりサヤが持ってるものかと思ったけど。どっちも知らないってことは、まぁあの屋上に置いてきたんだろうさ」

「……そっか」


『手伝って欲しい』と言われたところで、鵐目が買い出しから帰ってこない限りやることは無いわけで。

 イスに座りながら、テーブルに腰掛けるハバキと共にSNSを眺めていた。


「気になる? 」


 サヤの顔を覗き込みながら、ハバキは言う。


「まあ、うん……。アレさ、私が……その、盗んじゃったものだから」

「ふむ。サヤちゃんはこれから世間を騒がせる大犯罪に加担するというのに、盗んだ傘一本に心奪われているわけか」


 ハバキはサヤの背後に立ち、背もたれを握って前後に傾ける。

 不可解な行動にどうすべきか分からず、サヤは黙って揺すられる。


「……あの……」

「ふーん……へぇ……」


 ギシ、ギシ。


「かわいいね」


 ギシ、ギシ、ギシ。


 …………。


「……呆れてるの? 」


 短くも長い沈黙を破ったのは、その言葉だった。


「いや? 」


 おどけた調子でハバキは答える。彼はまたテーブルにもたれかかり、笑いながら話す。


「むしろ安心したよ。人間が多数集まっても、同じ所を見ていたら意味無いからさ。そうやって、俺や鵐目が見えない『死角』を気にしてくれていると、とても助かる」


 先程の空気とは明らかに違うノリに、サヤは若干ついて行けていなかった。がしかし、


「うーんと……どういたしまして? 」


 多分、何かの映画のパロディだとかそういうタイプの行動だと思ったので、ひとまずはにかんで無視することにした。


「これからも、何か思う所があったら遠慮せず言ってくれ。サヤの役目は、俺達の『良心』であることだからね……」


 良心。つまり安全装置フェイルセーフ


『俺たち二人が越えてはいけないラインを跨ぎそうな時は、君が止めてくれ』。そういうことなのだろう。

 しかし、自分に出来るだろうか? 現にハバキが鵐目の誘いに乗った時、車を止められなかったではないか。要はアレをもう一度やれということなのだろうが、サヤには正直なところ自信が無い。


「あの時は……すまなかった。本当に」


 ハバキは床に跪き目線を下げて、サヤの考えていることを察知した故の言葉を吐く。


「アレは……なんと言うべきかな、サヤを『見る』気が起きなかったんだ。所詮は他人だと。だけど今は違う。もう他人じゃない。だから、サヤが言うべきと思ったことを言ったなら、真面目に耳を傾けると約束しよう。俺も、鵐目も」


 彼はそう言って、サヤの膝に手を置いた。その声色はとても真摯で、その目の眼光も、仕草の全てもそう感じられた。


 これほどの彼を見るのは初めてだった。


「君だからこその役目だ。他の誰にも、君の代役は務まらない。頼めるかい? 」


 それでも、彼女は喜んでいた。

 人生で初めて、自分にしか出来ない、『佐間宇 サヤ』だからこそ出来ることを任されたから。


「……ん。ありがと。頑張るね」


 その時、ドアが開いた。両手にいっぱいのレジ袋を持った鵐目が入ってくる。ドカドカと部屋内に進むと、荷物を雑にテーブルに置いた。ホログラムは掻き消え、液晶は自動で消灯する。


「ただいマンモス〜」

「おかえり、鵐目。モノは買えたか? 」

「バッチシよ! んじゃ衣装の方はキミの担当ね。ボクはハイテク担当すっから! 」


 そう言うと、鵐目は自分のカバンから工具やらタブレットやらを取り出して、袋から取り出した小さな機械たちを分解し始めた。


「私は何をしたら……」


 やることは知っているが何をやればいいのか分からないサヤの前に、コスプレ用の仮面と、茶色い紙が置かれる。


「んじゃこれ」

「紙ヤスリ……? 」

「コレでその仮面の塗装を剥ぐのさ。終わったらパテ盛って、着色して、ワックスかける。ヤスリがけが一番面倒だから、一緒に頑張ろうな」


 紙ヤスリを持ったのは、小学校の図工の時間以来である。


「う、うん。頑張る……」


 こうして、少女の初仕事━━犯罪者予備軍の衣装製作━━が始まった。

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