開演 -curtain raising- その3

「━━なるほど。要は俺にその……を守るのに手を貸せと」


 ハバキは若干言い淀みつつ、彼のスマホを指す。少しムッとしながら、鵐目は答えた。


「ソレじゃなくて、『メアリー・スー』って名前があるんだ。ちゃんと呼んでよ」

『こんにちは。私はメアリー』

「あ、どうも……メアリー? 」

「さんを付けろよデコ助野郎!?」

「やかましいわ! それで、コレ……じゃなくて、彼女のスペックは、さっき聞いた通りで良いんだよな? 」


 ハバキがそう言うと、鵐目は自慢げに、滔々と語り出す。


「ああ。完全対話及び完全自律思考可能、かつあの『P-Platon』を超える処理能力を有し、しかもそれらは浮遊断片フロートフラグメントシステムによって全てクラウド上で動作できる! そしてその真髄は『完全独立コーディング』、つまりあらゆるコードを人が望む限りに、いや望まなくとも勝手に察して書き続ける、まさに現代が誇るべき最高傑作のマザーAGIさ! 」


 ……専門用語はとんと分からないハバキだが、それでも彼の言葉の端々から伝わった情報をまとめると、あるひとつの結論に辿り着いた。


「じゃ俺いらねぇじゃん! こんなクソガキに出来ることなんざ無ェよ! もう全部そのチートに任せろや! 」


 うわあああああ! と身を投げ出すハバキ。


「大体なんでAIがAIを作れんだよ!技術的特異点シンギュラリティ一直線じゃねえか! シリコンバレー条約はどうしたんだよォ! 」

「倫理と一緒にサンフランシスコに置いてきたゼ! 」


 もぎゃああああ! と駄々をこねるハバキ。


「まあホラ、如何に彼女が優秀でボクが天才だとしても、出来ないことってのは世の中にあるわけで。そういう時に話の分かるヤツがいたら助かるなぁ~って思ってたら、ちょうど目の前でキミが踊っててさ━━」


 その時、ハバキは視界の端にわずかな違和感を覚えた。蚊が飛び回るよりもわずかな違和感である。しかしこれまでの経験上、彼はどんな些細に感じてもそれの原因を究明することにしていた。


 人の直感は、存外信用できるのだ。


「ちょっと待て、カメラの映像巻き戻せ。1005番のやつ」

「ん、これ? はいはいはいっと……」


 鵐目がタブレットをタップし、シークバーを巻き戻すと、その原因が分かった。


 1005番目の監視カメラ映像には、先程まで一緒にいた少女が三人の男に身体を掴まれ、縛られ、猿轡を噛ませられている様子が映し出されていた。


 時間としてはついさっきのことだ。男たちは下手くそな手際で、少女は彼らの顔を蹴ったりして抵抗していたが、結局は物量と筋量に負けて、そのまま彼らの乗ってきた古いハイエースに積み込まれてしまった。


「鵐目、このバカ共に心当たりは? 」

「ボクがリストアップした、『BWT』と関係のある不良の一部だ。早い話がボク達の追っ手だね」

「それがなんで無関係の少女を誘拐するんだよ」

「獣の考えは獣にしか分からんさ」


 二人はしばらく黙って、その誘拐の一部始終を数度に渡り観返した。いつの間にか知らないが、BGMは切れていた。


「……んで、お前はどうすんの? 」


 やがて、ハバキの方から口を開いた。


「だから別にどうもしないよ! そのうち誰かが通報してアイツらはお縄につくわけで、それでボクらが困ることは何も━━」

「いや……あるんじゃないか? 案外」


 彼はあぐらの上に両手で頬杖をつきながら、ふと思い立った可能性について語り出す。


「あんなお粗末な手際だ、確かにすぐ警察に捕まるだろうさ。あの子も保護して……そしたら、次にサツは何すると思う? 」

「犯人の取り調べとか? 『どうしてあんなことをしたんだ! 』みたいに」

「そう。で、あのバカ共はどう答えるか。金? 身体? 色々噓をつくかもしれんが、まあその道のプロは誤魔化せんわな。どのくらい掛かるかは分からんが、きっと何もかもゲロるよ。バカだから」

「あ、ということは……」

「そう。あの誘拐を隠さないと、捕まったアイツらに『メアリー』の存在を公にされる可能性がある。今度はちゃちな半グレじゃなくて、国家権力が追ってくるぜ」


 鵐目は数秒考え、首を振った。


「……いや、やっぱその可能性は低いって。そんなことしたらアッチ側もヤバイじゃん。絶対指示してる上の人間が止めるよ」

「スキャンダルの隠蔽よりも、『メアリー』奪還の方を取った可能性は? 元勤め先の考えくらい検討つくだろ」


 鵐目がうむむとうなっている間に、ハバキは彼が操作していたタブレットから、先程『頼み事』の内容と共に明かされた資料を開く。


「……これが無能な働き者の暴走なのか、向こうが痛み分けを狙ってきたのかは分からないけど━━まあ少なくとも、アイツらを止めないと非常に不味いのは、確かだと思うよ」


 ━━


 廃墟のビルにて。


「騒ぐなよ……騒いだらまた殴らないといけんくなるからなァ。嫌やろ、痛いンは」


 まるでプロレスラーのように筋肉の上から脂肪を纏っている粗暴そうな男が、柱の陰にいる少女の髪を掴んで言う。

 後ろ手に縛られ、猿轡も噛まされた少女は頷くことも出来ず、ただ恐怖で瞳孔のかっぴらいた目を見張るしかなかった。

 男はその様子を見ると、無感動な目でふんふんと頷いてから手を離した。それから、近くでスマホ片手に憔悴しているメガネの小男に声を掛けた。


鹿野カノ、中田さんに連絡とれたか? 」

「すんません猪田イノダさん、まだッス……。一応着拒はされてないっぽいですけど」


 猪田と呼ばれたプロレスラー男はそれを聞くと、大きな舌打ちをしてから鹿野の頭に拳骨を叩きつけた。


「グァァァッ……! 」

「使えンなァ……ゴミカスが」


 鹿野に落ち度は無かった。いや、強いて言えば猪田の機嫌を損ねる報告をしたことそのものが落ち度だろうか。とにかく彼は不条理な折檻を食らって悶絶し、猪田はそんな彼を後目に近くの土管に腰掛けた。


 この場に居るのは猪田、鹿野、それとこれまた土管に座って煙草を吸っている、ピアスまみれの男の計三人と一人の少女であり、それ以外の人影は欠片一つも見ることが出来なかった。ここは解体予定らしく、周りは衝立ついたてに囲まれていて、中の様子は誰にも窺い知ることは出来ない。敷地のサイズ的に、ある程度騒いだところで声も届かないだろう。


「なあ、猪田のアニキ。結局オレたちゃ、なんでこんなガキをかっさらったんだっけ? 」


 ピアス男が、聞くからに頭の悪そうな声で猪田に話しかける。


「知るかよ、駄賃貰えンだからそれで良いだろうが。それよか蝶野チョウノ、ションベンしてくっからガキ見とけ」

「あ、このガキの顔にかけるとかどうっスか? オンナにションベン飲ませるプレイが一番コーフン出来るからさァ……」

「フッ……ッ……! 」


 ピアス男━━蝶野はそう言って舌なめずりをする。恐らく、この三人組の中で一番の危険人物が彼だろう、と少女は思った。


 制御不能、という意味で。


「クセーからやんね。つか余計なことすんなや、それで金がパーになったらどう責任取れんだお前オォ? 」

「わーったわーった。ヒマだから冗談言っただけだって」

「チッ……。余計なことすんじゃねーぞ」


 蝶野に釘を刺した猪田は、小走りに遠くへ去って行った。その姿を見届けた蝶野は、待ってましたとばかりに少女の首を掴む。


「ヒッヒヒ……。まあバレなきゃいーだろ……」

「あーもう、あのクソメガネ━━て、ちょっと何してんスか蝶野さん! マズイですって! 」

「あ? 別にヘンなことしねーよ。ただまあ……ちょっとうるさくなるかもしんねー」

「何する気なんスか!? ちょっとホントに、マジで! 」

「お、よく見たら割と良いツラしてんじゃん。良いツラのオンナほど、泣き喚いた顔がエロいんだぜ? 鹿野っちよぉ」


 そう言うと、彼は握り拳を作り始める。ゆっくりと、指を一本ずつ、これからお前の内蔵に叩き込む拳だよ、と言わんばかりに。


「んんん! んんんんん!!! 」

「へへへへへ……さっき蹴っ飛ばした時もそうだけど、カワイイ声してんな、お前……」

「あ、なんだ殴るだけか。ならいいや、頑張れやネーチャン! 」


 握り拳だけでなく、だんだんと首を掴んでいる方にも力が入る。

 息が出来ない。逃げられない。どうしようもない。


 その時。


「……ん? わ、待って待ってまてまてまてウワアアアアアァァァァァ!!! 」


 衝立を破る破壊音と共に、一台のレトロポリゴンチックな白い車が突っ込み、鹿野を吹っ飛ばした。


「な、何だあ!? 」

「アチョーーーーー!!! 」

「フゲッ」


 車に気を取られた蝶野の後頭部を、何者かが両足ドロップキックで蹴り飛ばす。

 少女は衝撃で投げ出されて地面を転がる。その先で背中に濡れた靴のような感触があった。


「よっ。一時間ぶりだな」

「……ッ! 」


 そこには、つい一時間前に車に乗って去ったはずの少年が、座り込んでこちらの顔を覗き込んでいた。


「とりあえず拘束解くか。怪我はない? 」

「━━ッハー……。えっと、怪我は大丈夫。ありがとう、でもなんでここに? なんで私を……」


 彼女の矢継ぎ早の問いは、一人の男のやたらデカい声にかき消された。


「うっわ蹴っ飛ばしたのめっちゃマッソーメンじゃん! オラ! 食らえ! 後頭部! キック! キック! 」


 見ると、あの顔は少年を連れて行った男だった。彼は今、先程蹴っ飛ばしてうつ伏せになっている蝶野に追い打ちをかけているところだった。蝶野は起き上がろうとするが、男が背中に乗りつつ額を地面に激突させてくるので上手くいかない。


「横向きにして、頭と地面に空間作ってから踏むといいぞ」

「え!? 分かったサンキュー! オラ! 死ね! いや死ぬな! 気絶しろ! ファック! 」


 男は少年のアドバイス通りに、足で蝶野の身体を横にして、思いっ切り側頭部を踏みつけまくる。一瞬重りが消えたところを起き上がろうとしたが、ダメージの蓄積により失敗した蝶野は、続く彼の踏みつけ五連打によって、ついに気絶した。


「あっちもスタン、こっちもスタン! よし、クリア! クリアだよハバキクン! 」

「ナイスだ鵐目! 助かった! ━━んで、よく聞こえなかったけどさっきなんて言ったんだ? 」

「えっと、どうして私を助けに、というかどうやってここを━━」


 彼女の問いはまたもや邪魔される。今度は少年に制止された。


「ちょっと待て。確か君を誘拐したのって三人いたよな? あと一人はどこに? 」

「それなら確か用を足しに、向こうの方へ━━」

「マジか、それはまずいな。とにかく逃げよう、さっき突っ込ませた車に乗って。撤収だ鵐目! 」


 ハバキは鵐目に合図する。がしかし、鵐目がそれに答えることは出来なかった。


「……いきなりドデカイ音がしたと思ったらコレだ。やってくれるじゃねェかクソガキ共……」

「あー……とてもマズイ、ハバキクン。この人ハンドガン持ってる」


 いつから居たのか、鵐目のそばの柱の陰から、猪田が姿を現した。鵐目の言う通り、手には黒く光る拳銃が握られている。


「オイ、男のクソガキ」


 両手を上げる鵐目の背中に銃をトントンと叩きながら、猪田は声をあげる。


「なんだよ」

「仲間を殺されたくなかったら、女のクソガキをコッチに寄越せ」

「また随分と型通りな悪役のセリフだな。見た目通りのつまんねぇ野郎━━」


 バァン。


 ハバキの減らず口を遮るように、一発の銃弾が天井に放たれた。鵐目は引き攣った笑みを浮かべている。


「エアガンか何かと勘違いしてんのか? コイツはマジだぜ」

「……お喋りは好きじゃねーのかい」


 ハバキも好戦的な笑みを崩さずにいた。しかし、こめかみから一筋の冷たい液体が流れ落ちるのは、抑えられなかった。


「…………」


 少女はハバキの腕を掴んだまま、ただ目の前の緊迫した空気に目を乾かしていることしかできない。指ひとつ動かせず、言葉ひとつも出てこない。


「大丈夫? 」

「……だ、だめ……」


 ハバキが視線を逸らさずに、小声で聞いてくる。


「だろうね。今から君を助ける」

「……え……」

「時間が無い。とにかく俺を信じて」


 ハバキはそう言うと、一瞬だけ視線を少女の元へずらし、微笑んだ。

 少女は答える代わりに、彼の腕を強く握った。


「分かった、降参だ! この子を渡すから鵐目を返してくれ」

「えっ!? 」

「ハバキクン……! 」


 驚きのあまりに声が出る少女。しかし先程の彼の言葉を思い出し、俯きつつも唇を結び、猪田の方をまっすぐに見つめた。


「だけど、この子は今怖くて足が震えてる! 一人で歩けないと思う! 俺が肩を貸すが、良いか!? 」

「ダメだ、這ってでも来い」

「死ぬほど時間がかかるぞ! いいのか!? 」

「それがどうした!? 」

「お前がさっき脅しに撃った銃声! アレがもし通報されてたら、この子がそっちに着くより先に、警察がお前の元に着くぞ! 」

 

 会話はここで止まる。猪田とハバキは、お互いに感情を殺した目で見つめ合う。少女は早まる鼓動を聞きながら、彼が何処でこんな凄まじい胆力を手に入れたのか考えていた。


 酷く間延びした一瞬が過ぎると、やっと猪田が口を開いた。


「……分かった! だが少しでも妙な素振り見せたらすぐ撃つぞ! 」


 彼の言葉を受けて、ハバキは少女と一緒に立ち上がる。少女の手を取り、肩を持ち、ゆっくりと歩き出す。少女は彼の思惑がバレないように、精一杯足が震えている演技をする予定だったが、その必要が無いことは立ってすぐに分かった。


「大丈夫? 」


 ハバキは平常時とほとんど変わらない調子で、耳元に囁く。


「……全然……」

「正直でよろしい」


 少女が震えた声で答えると、ハバキはそう言って微笑んだ。


 そしてついに、二人は猪田の前に辿り着いた。


「せーの、で同時に、お互い解放する。それでいいか? 」

「……良いだろう」

「話が早くて助かる」


 猪田はハバキの提案に対して少し思案したが、特に怪しい所は思い当たらなかったので通した。

 その後、ハバキは鵐目に対して笑いながら言った。


「良かったな鵐目! これで愛しの彼女の元に帰れるぞ! 」

「……んぇ? あ、ああ! 」


 鵐目は一瞬戸惑ったが、すぐに嬉しそうな顔をした。


「無駄話してンじゃねえよ。殺すぞ」

「すまんね。んじゃ行くぞ。せーのっ」


 二人は同時に、それぞれの確保している身柄を前に押し出す。鵐目はハバキの元へ。少女は猪田の元へ。

 彼らは無事に、人質交換を終えた。


「よし、これでお終い。いやぁ、全く恐ろしい━━」


 ハバキが無事を喜ぶ会話を始めた、その時。


「『メアリー:horn』ッ!! 」


 鵐目が会話を中断して早口でメアリーに命令する。それを言い終えたコンマ一ミリ秒以下のタイミングで、車のホーンが大音量で響き渡る。


「なッ!? 」「きゃっ!? 」


 取引が終わった後のほんの一瞬、当事者として避けようがない安堵の瞬間。その僅かな隙めがけて突然の大騒音をぶつけることで、猪田の完全な虚を衝くことに成功した。


 しかし猪田も馬鹿ではない。すぐに気を取り戻し、目線を車から引き戻し、ハバキに向かって照準を合わせようとする。


 しかし。


「てめッ━━」

「ヌゥッ……! 」


 彼は素早かった。

 ハバキは鵐目の言葉と同時に右手で少女を奪い取り、左手で拳銃の先端を掴んでいた。


自動拳銃ピストルの親指近くに存在する安全装置、コイツを倒せばトリガーは引かれない! ありがとう鵐目、よく俺の考えを察してくれた! 完璧なタイミングだ! だが……! )


 そしてハバキは、銃口を自分に固定した・・・・・・・・・・



(あと二歩・・……及ばなかった……ッ! )


 二発目の銃声が、響いた。

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