開演 -curtain raising- その2

 少女がビルの下で眠り、程なくすると、さっきまで一台も通らなかった車が道路を走ってきた。


 レトロポリゴンチックな角張った白い車体のソレは、自動運送車ソロタクシーと呼ばれている。運転手が必要ないことや、それによる(主に運転席周辺の)大胆な・・・コストカットのお陰で、十年前から大都市圏を中心として徐々に普及していき、現在では重要なインフラのひとつである。

 そんな車が少年の前に止まると、中から一人の男が顔を出して言った。


「やあ、何してんだいこんな雨の中! ジーン・ケリーでも気取ってるのかい? 」


 ヘッドライトが眩しくて人相は分からないが、声の感じから若い男なのは分かった。


「分かるのか? 」

「アメリカ人ならみんな知ってるさ!」


 男は話を続ける。


「そんな昔の映画を知ってるってことは、結構な映画好きと見たね。どういうのが好きなんだい? 」

「おもしれーヤツ」


 少年はにべもなく答えた。


「ボクも! 」


 男も、同じように答えた。

 この酷く簡潔な問答で、彼らは相手が自分の『同類』だと直感した。


 即ち、変人・少数派・ひねくれものである。


「ところで、同じ映画好きのよしみで頼みごとがあるんだけど、いいかな? 報酬はたんまりと出すぜ」


 大声を出すのが面倒になった少年は、車に近づきながら答える。


「内容による」

「悪いが守秘義務があるんでね、キミが『イエス』と言わない限り教えられない」


 彼の言い草に腹が立った少年は、開いた窓に足を乗せ掛けて言った。


「誘っておいて守秘義務だぁ? マジによっぽどの報酬なんだろうな? 」

「ザンネン、そっちも具体的には話せないんだ。でもサイコーにパーフェクトなことは保証出来るぜ! 」


 彼は臆することもなく、あまりにも雑な『頼みごと』を言ってのけた。


「さ、どうするね。『イエス』と言うなら、この車のドアを開けてもいい。『ノー』だと言うなら、このままバイバイ、金輪際会うことは無いだろうね。キミの好きな方を選ぶといい。ボクとしては受けてくれる方が助かるけどね! 」


 少年は呆れながら男の顔を覗き込む。男はニヤニヤと、彼の目を覗き返す。


 茶色の短髪で白いスーツを着ていて、人種は見るからに黄色系だった。『アメリカ人』と言っていたが、日系二世なのだろうか。しかし特筆すべきはその顔で、唇はびっくりするほど薄く、更に彼は少年を見上げているにも関わらず、どういうわけかその目に電灯の光は反射していなかった。


「━━きっと、こういうのが好きなんだろ? キミは」


 暫く見つめ合うと、少年は足を引いて離れた。ポケットに手を入れ、止まない雨空を仰ぐ。その様子を見た男は「レインコート使うかい? 」と声をかけたが、「要らねえよ」と断られただけだった。

 少年は、天を仰いで考えていた。


「……ひとつだけ、プライベートなことを聞いていいか? 」

「なんだい」


 少年は目線を後ろのビルに向ける。


「そこにいるあの子にも聞いたんだけどさ……雨の中、傘を差さずに踊る人間が居てもいいと思うか? 」


 男はニンマリと笑いながら言う。


「成程、だからキミは雨に唄っていたわけだ。キヒヒ……やっぱ面白い奴だなぁ! 」


 ヒヒヒ……と若干気色悪い引き笑いをひとしきりしたところで、彼は背もたれに上体を思いっきり預けつつ、その姿勢と同じくらい驕り高ぶった、自信に満ち溢れた声で言った。


「善いかどうかは関係ない、自分の心に従えばいい。そうだろ? 」


 それは男の今までの人生を表す言葉でもあり、少年がその短い人生を肯定する為に見つけ出した一つの信条にも、重なる所があった。

 少年は、男の目を見る。男も、少年の目を見つめ返した。


「話しかけたのが俺で良かったな。『イエス』だ」

「だと思ったよ」


 深夜、雨の中、二人の男の間に奇特な友情関係が結ばれた。それは彼らが今まで築いてきた友情の中で最も早く完成し、最も強固なものであった。

 彼らは、無二の親友となったのだ。


「ち、ちょっと待って! 」


 そこに、上擦った少女の声が割って入る。いつからかは分からないが目覚めて、二人の会話も聞いていたらしい。

 声をかけたはいいものの、この後何を言うかは決めていなかったようで、少女はビルの軒下から一歩を踏み出せずにいた。


「……どうしたの? 」

「あ、えっと……」


 雨はいよいよ強くなる。乾き始めていた少女の足は、跳ね返った水滴でまた濡れた。


「あの……それはちょっと、危なくない?」


 少しの時間で色々な言葉を考えたが、結局は一番無難な言葉となった。


「そりゃあねえ。まあでもリスク承知で承諾したから、アンタは気にしなくてもいいよ」


 少年は極めて平常な調子で言った。土砂降りの中であるのにも関わらず。


「でも……」


 少女は尚も食い下がる。

 少年は彼女を一瞥すると、フン、と鼻を鳴らして助手席に乗った。それは軽蔑というより相槌に近い、特に意味も無い仕草だったが、果たしてそれは正しく伝わっただろうか。


「それともアレかい? 一緒に行きたくなったとか。それなら俺は、喜んでドアを開けるけど」


 彼は窓を開けながら言った。「雨入ってくるんだけど! 」と文句を垂れる男を肘で突きながら、どうするんだ、という目で見る。


「えっと、そういうわけじゃないけど━━」


 そこまで言って、少女は言葉を飲み込んでしまった。

 少年の目が、「ここで一般論に依存した説得をして来たなら殺す」、と言っていたからだ。

 ……いや、そこまででは無いかもしれないが、そう感じて萎縮してしまう程には乾いた、恐ろしい視線だった。


「んじゃ、ここでお別れだ。短い間だったが楽しかったよ。さようなら」


 雨音と共に、酷く平坦で乾いた声が少女の耳に届く。やがて車の窓は閉められ、モーターの音を響かせながら何処かへ去ってしまった。


 後に残るは雨音のみ。


 これまでと、何も変わらずに。


「…………帰ろ」


 彼女は、帰路についた。


 ━━


 ところ変わって、車内。

 Bluetoothで大音量のメタルが流れる中、男二人は菓子だのツマミだのを食い散らかしていた。運転席と助手席を反転させ、更に後部座席の背もたれを倒してスペースを増やすことで、一種の移動するテントのような様相を醸し出している。


「何見てんの? 」


 少年は貝ひもを噛みながら聞く。


「ニュース! 日本人は本当にゴシップが好きだねぇ。不倫を匂わせた去年の呟きが掘り返されて炎上するのなんて、この国だけだぜ? 」


 男は三つあるタブレットのうち一つを操作しながら答えた。残り二つのうち一方にはプレイリストとマップアプリが開かれており、もう一方には十六種類の映像が映っている。


「昔はそうでもなかったらしいがな。どんどん人が減って、仕事も機械に取られて、そんな中生まれてくる子はゼロ歳から勉強の毎日だ。みんなストレス溜まってるから、他人の幸せとか不道徳とかを叩いて発散したいのさ」


 少年はそう返事しつつ、映像が映っている方のタブレットを手に取る。メニューを開いたり、スワイプしたりして調べた結果、どうもここら辺一帯の監視カメラ映像を映し出しているのが分かった。


「良いことを報せても、悪いことを報せてもダメ。汝常に波風立てず生きるべし、か━━さて」


 男はタブレットの電源を切って言う。


「これからひとつ屋根の下で生きる運命共同体として、まずは簡単な自己紹介で親睦を深めようと思うのだけど」

「言い出しっぺからどうぞ」


 少年が手を差し出すと、男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、すぐに調子を取り戻して言った。


「ボクは鵐目 椒林シトドメ ショウリン。古風な名前だが生まれも育ちも合衆国ステイツさ! 」

「へぇ。日系二世? 随分日本語が上手いから、日本人かと思ったよ」

「親に教えられてね。それじゃキミの番だ。色々教えて? 」


 男、改め鵐目は、そう言って少年を催促する。


「あぁ……ところで、自己紹介の前にひとつ。良いか? 」

「ん? なんだい? 」


 彼が聞き返すと、少年はつまらなそうに言葉をこぼした。


「『獅子孫々』、『孤狼の牙』。お分かり? それとも英語圏のタイトルの方が良い? 」

「━━Oopsバレたか


『獅子孫々』。『孤狼の牙』。どちらも同じ著者である凹多 凶史ベコタ カシが書いていた和風・ファンタジー・スプラッタ小説シリーズである。AI製の『オートノベル』が隆盛し、一般文芸が逆風に晒される中で単巻平均六十万・シリーズ累計三百二十万を売り上げ、今でも国内外に(良くも悪くも)カルト的な人気を誇るシリーズであるが、重要なのはそこではない。


「まさか、ここまでボクと趣味が合うとはねぇ」

「いくらニッチな小説だからって、人様の著作物の名前を名乗るなよ。しかも全く別のキャラの姓と名の組み合わせって、小賢しい奴だなお前……」


 つまりどういうことかというと、鵐目 椒林は偽名だった。


「それって今しがた考えたやつ? 」

「いや? ちょっと表の名義が使えない時に名乗ってたやつ。他にもあるよ」

「……怪しまれねーの? 」

「『自分、凹多先生の大ファンなんスよ~! 』つって通した」


 ……ま、個人の本名調べるのって面倒だし、案外こんなんでもバレないもんなのかな……と考える少年であった。


「んじゃキミの番」

「いきなり偽名使う奴に名乗る名は無ェ」

「じゃ勝手に呼んでいい? 」

「蔑称じゃなければ」


 雨は降り続いており、ワイパーは寸分の狂いもなく一定のリズムで振幅している。


「━━ハバキ、でいいかい。苗字はお好きに」

「あぁ、一作目の……んじゃそれで。苗字は……じゃあ遺作の主人公から取って、見鹿島ミカジマにするか。よろしくな」


 安いジャーキーをジンジャーエールで流し込みながら、少年━━見鹿島 ハバキは承諾した。


「それじゃ、自己紹介も済んだことですし、いよいよ『頼みごと』の内容を明かそうじゃないか」


 ━━


(パパもママも怒ってるかな……怒ってるだろうなぁ)


 少女は一人、誰も居ない道を歩いていた。

 盗んだ傘を差しながら。


(帰ったら残ってる課題やらないと……数学がワークの単元四から五、国語がテキストの四十六ページからで、あと化学の暗記と問題集と……あ、総合の『行きたい大学』のレポートも作らなきゃだった……)


 これからすべきことを指折り数えるが、途中からは腕を下ろしてしまった。思考がそれを嫌がったのだ。

 少し寝て休んだはずなのに、なんだかとても疲れてしまった。少女の身体は、独りでに膝を抱えてうずくまる。


(『行きたい大学』、か。死ぬほど勉強して良いとこ受かっても、今度は良いとこに就職する為、その中でもっと難しい勉強して、しかも『充実した生活』を送らなきゃいけない……。サークルで『結果』を残さないといけないし、ボランティア活動なんかで『社会貢献』もしないといけないし、しかも『パートナーとの生活』までSNSにアップしなきゃダメなんて! なんでそんな所まで見るの!? プライベートでもちゃんとしてないとダメなの!? )


 何か悪いものに巻き付かれているような感覚をおぼえ、堪らず奥歯を噛み締める。

 ふと、親に『顔の輪郭が悪くなるからやめなさい』と、矯正された過去を思い出した。


(分かってはいる。辛いなら、辞めてしまえばいいって。親も先生も、口ではそう言ってくれる。『あなたの心が一番大事』って。だけど辞められない。昔から、学校の集会とかニュースとか広告とか、色んな所で『躓いた人がどうなるか』を見せられてきた。選択のたびにそれが頭に浮かんできて、そうなるのが嫌で……)


 抑えようにも、涙が勝手に出てくる。自分が何処にもいけないように思えて、泣くしかなくなる。


(私はただ幸せになりたいだけなのに。なんの才能も無い人は、幸せになる為にここまでしなくちゃならないの? 週末ちょっとお出かけしたり、髪を染めたりピアス付けたり、好きな人を作ったりするのって、大人になるまで我慢しなきゃいけないの……!? )


 雨は降る。月は見えず、都会の光が雲を照らす。


「……なんで勉強してるんだろ、私……」


 ポツリと、呟く。


 そのはるか後方から、一台の車が迫ってきていた。

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