第39話 過去 三十七 一等車両
警護の為の車掌が開閉口の側に立っている。ボックス席に三人や二人だけの空きが目立った。
「|明継も紅ちゃんも同じ電車に乗っていたのね。」
明継の母が上機嫌で話す。
二等車両とは隔絶と違う空間に居た。壁には電気の飾りがあり、ベロアの席掛けには背凭れにも同種の布が使われている。
「紅を先程見付けられたのは奇跡ですよね。三等車両まで歩いた甲斐がありました。明継叔父さんには気が付きませんでしたからね。」
紅と晴が向かい合わせに座り、紅の隣に母が、晴の隣に明継が座っている。流石に窓を開けている者は居なかった。
「明継は何を飲むのかしら……。紅ちゃん知ってるかしら……。」
母の隣の紅は幸せそうにしている。晴は余り良い顔をしなかった。
「何時もは紅茶を飲んでいます。希に、緑茶を嗜みます。」
「では、紅茶にしましょう。四人とも。」
母が立ち上がるとまるで当たり前の様に明継も立ち上がる。
晴は壁から競り出したテーブルにコップを置いた。
「紅は叔父さんの何処が良いの……。まだ、父上なら分かるけど全く似てないよね。
紅はコップを持って、明継の後を追いかけ様とした。直ぐに紅の手を掴む晴。
「紅が其の様な事するべきではない。佐波様だってしないよ。紅は
紅は捕まれた腕を振り払った。
「私は
「宮廷の噂は本当だったのだね。僕は幼くて余り覚えてないのだけれど、内緒で時継叔父さんに話を聞いた事があるのだよ。君達双子の話をね。父上は職場に子供が居るのが許せない人だから、君達には会った事がないのだけれど……。今迄会いたかったのだよ。其の皇子にね。」
「皇子は佐波様だけです。」
紅は明白に嫌な顔をした。
晴は紅に動じず話を続けた。
「誰もそうは思わないよ。紅もそう思うだろ……。」
溜息混じりに紅は首を振った。
「確かに私の立場は利用価値がある。其れは認める。だが、私はそうは成りたくない。先生は教えてくれました。だから今の私は居るのです。」
晴は紅の表情から全く興味のない事を話してるのだと気が付いた。だが納得するだけには、晴は大人ではなかった。
「父上も逃げる場所に海外は反対だ。」
母と明継が紅茶のソーサーを持っている歩いて来る。紅は紅茶を受けとると、テーブルの上にもう一つの紅茶を置き明継にコップを渡した。直ぐに彼は車掌に返しに行く。
「晴、紅ちゃんを苛めるのは駄目よ。どんなに年代が近くても其れは駄目よ。信頼関係が無くなるわよ。」
紅の隣に座り微笑む母。
「御砂糖、二つで良いわよね。甘過ぎたかしら……。」
「いいえ。美味しいです。」
紅は紅茶を冷ましながら飲んでいた。明継が戻ると晴が変な顔をしていた。明継は初対面の彼に状況を聞くのを辞めた。
テーブルの前で明継が立った侭でいる。彼を睨み付けながら晴は立ち上がった。
「修一さんの所へ行ってくる。」と述べて一等車両を後にした。
テーブルの上に紅茶が残された。
「紅、何かあったのかい……。」
「何も有りません。」
「私にも話せない事かい……。」
「話す必要もない事です。先生。私を信じて下さい。」
明継が諦めて席に付いた。紅の前に座って二人分の紅茶を引き寄せた。
「其れは元よりだよ。信頼している。でも少しだけ不安になるのだよ。話しておくれ。何でも良い。
紅茶を飲みながら明継が云う。
少し困った様な表情とあんにゅいな溜息が入り交じる。
「先生……。」
紅にとって同性の同じ年代の人との付き合いが苦手であると、今分かったばかりだった。だから明継が心配をしてくれるのが只、嬉しかった。
「晴は
母が紅の隣で優雅に紅茶を飲んでいる。
甘い褐色の御湯は冷めるのに時間が掛かった。
「先生も良くして下さいます。」
「晴と同じ忠誠心と、明継の心情は同じで無くてよ。最も深いものには変わらないけど……。」
紅の顔が紅茶色になった。
「解っています。」と小さく呟き、手元のソーサーごと、煽った。
「明継。貴方は鈍感過ぎ。母も心配になります。伊藤家の男子は本当に心が幼くて嫌だわ。勉学ばかりしているからですよ。もっと、
「母上は、何かご存知なのですか……。」
「
「だから何故、其処で晴の話が出てくるのです。」
「年下より鈍感でどうしますか……。」
母が目に手を当てた。
カップをテーブルに戻し明継を見据える。
「拳の傷の理由を考えなさい。明継が、其処まで追い込められる存在は誰です。心が動かされる理由を考えなさい。本当に鈍感なのだから……。違うわね。忘れっぽいのね。」
母が独りで納得した。紅は答えず下を向いている。耳が赤い。
「同年代の晴と仲良くなるのは歓迎だよ。紅だって友達は必要だよ。」
母が口を開いた。
呆れて物が云えないと顔に書いてある。
「紅ちゃん、
「女性に同じ言葉を云われたのは、二度目です。
「既に云われてるね……。其の娘とは……気が合いそう。」
又母は目に手を当てた。
「其の分だと御父様の文は見たのかしら……。」
明継の胸元から文を出した。母の呆れた顔が又呆れる。
「宿屋で開けようと思ってたのですよ。本当に……。只、込み入ってしまって忘れて……。」
「早く開けなさい。大事な用だったら、どうするのです。御父様が文を書く等珍しい事ですから……。」
紅も身を乗り出した。二人が見詰めるなか開封される。
一文しかない。
「自分が、
明継が一言呟いた。
紅が意味が解らず困惑している。
母は大きな溜息を吐いた。
「
「先生は独りで罪を被ろうとした人ですから……。」
「あら、まあ。あの人間者でも雇っているのかしら。常継の私の上京案にも反対はしなかったのよね。私が間違えて捕らえられる可能性もあったのに……。晴から聞いた時は驚いたけど、あの人ならやりそうだわ。私を時間潰しに使うのなど簡単にね。」
「母上は何処まで知っているのです。」
明継が文に視線を乗せながら、話した。
「紅ちゃんを連れて逃げてるのは気が付いてたわよ。常継が教えてくれたのは明継が好いた人と暮らしてる事だけね。其の後で晴から聞いた話。身分違いも
紅が又下を向いた。
「紅はまだ未成年ですよ。」
「子供にだって心はあります。
秋継が頭で計算をした。
「母上。計算が合いません。父と祝言を挙げたのは十七歳ですよ。」
「私は一度子供が出来なくて離縁してるのよ。お父様とは二度目なの。だから周りから反対はされたし、年下で身分も高い御父様が頑張ったのよ。」
「先生のおかあさんは苦労を為されておいでなのですね。」
「昔は子供を産めないのは其れ程の問題であったの。明継はもう諦めてるから良いのよ。四男だから子供まで欲しがりません。倫敦で一生独りだと思ってたから、紅ちゃんが居てくれて頼もしいわ。」
明継が、拳を見る。
紅を失いたく無くて、自暴自棄になったあの時、支えてくれたのは紅の笑顔だった。食材を落としても自分を優先させた紅の思い。友愛とも違う……と明継が首を捻った。
「成すべきを成せ……。」
明継が考え込んだ。
誰にも触らせたくない……。見付けられない様に隠したい……。あの笑顔を守りたいと考える。此の感情に名前を付けるなら倫敦の文学書にも書いてあった。まだ、年端もいかない少年に恋をしている……と明継が又、自分の拳に目を配る。
「明継にしか守れない者もあるのよ。」
母が云う。紅が此方を見ている。
列車は速度を落として運行をしている。
「成すべきを成せ。」
怪我をした拳に力が籠った。
年上の母を娶ろうとした父。身分差にも負げず嫁いだ母。
其処には愛情があった。
明継にも紅にも愛情が互いにある。
「成すべきを成せ。」
明継の拳に力が入る。電車は流れる様に進んで行く。
彼は外を見ながら、言葉を繰り返すのだった。
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