犯人の手前

「じゃあ、夏凛さんがこの期に及んで何を隠しているのか考えますか」

「あの流れでそこにいくのか……」

 夏凛さんと別れた数分後、校門の前にて僕は呟いた。斬鴉さんはどん引きしている。

 僕たちは雨が降る中を、互いの傘が当たらないように並んで歩いていた。

「昨日は、何かもう考えたくないって感じでしたけど、犯人の手がかりらしきものが出てきたら、考えないわけにはいかないでしょう」

「まあ、それはそうなんだが……」

 目を逸らす斬鴉さんに釘を刺しておこう。

「昨日のように逃げるのはなしですよ」

「別に逃げたわけじゃない。あたしが納得できなかったんだ」

 それならしょうがないけど、謎の文庫本については、もうほとんど答えは出ているではないか。天海さんが作ったと考えられる文庫X。斬鴉さんの記憶と比べても、事件のあちこちに天海さんが関わっていることを鑑みても、可能性は限りなく高い。それに気づかない斬鴉さんじゃないはずなのに……。真実に近いだろう推理を納得しないというのは、どういうことなのか。僕からしたら、事件の犯人の正体に匹敵する謎だ。

 それについては斬鴉さんには何か考えがある……と、思うしかないかな。

 斬鴉さんは溜め息混じりに頭を掻き、

「まあ、夏凛があたしのことを考えて嘘を吐いたのは事実だろうけど、それが全てとも思えないのは確かだな」

「いくら百パーセント斬鴉さんのことを考えていたとしても、それで下手したら殺人未遂に匹敵する業は背負おうとはしませんよね」

 それはあまりにも友情が重すぎる。そう考えるよりかはむしろ、

「真犯人を知っていて、それを庇ったと考えた方がしっくりきます」

「庇ったのはそうだろうが、知っていたっていうのはないな。あのリアクションからして、夏凛はあたしが突き落とされたことは知らなかったはずだ。ただ、状況的にその可能性もなくはないんじゃないか、くらいは思っていただろうけど」

 首を傾げてしまう。

「どうしてわかるんですか?」

「天海連介のことをあたしに黙っていたからだよ。古町は途中で追及するのをやめたけど、あたしにイニシャルの人物を訊かれてシラを切るのはやっぱり不自然だ。けど、天海連介があたしの記憶を蘇らせるトリガーになり得ると夏凛が考えていたら、わからなくもないだろ?」

 斬鴉さんの記憶が戻ることをどこかで恐れていたということか。

 仮にそうだとしたら、夏凛さんの目から見ても二人は格別に仲がよかったということだろうか……。忘れた記憶を取り戻しかねないほどの関係性と見ていたのかな。いや、別に気にしないけど。気にしませんが?

「気持ち悪いこと考えてるな、お前」

 別に考えてませんが? それはどうでもよく、

「それだとおかしなことになりませんか? 斬鴉さんが言ったことですけど、当時は暗くて歩いているのが誰かなんて判別できないんですよね」

「それは考えるべき課題だな。けど、容疑者には察しがつく。ほぼ毎日のように図書当番を務めていたあたしに、まともな人間関係があるはずない。動機がありそうなのは図書委員の面々くらいだ」

 それはわかっていることだ。夏凛さん視点ではその理由から察したのだろうが、僕視点では天海さん関連の品々を盗むほど彼に執着のある人間が怪しいので、自然と容疑者は図書委員の女子たちとなる。当時の上級生はまったく関わってこなかったらしいので、無視しても構わないだろう。

 問題は、夏凛さんが容疑者の中の誰を庇っているのか――いかにして犯人に気づいたのかだ。あるいは、

「図書委員の誰かということに気づいたから、とりあえず庇った……は、流石にないですよね」

「夏凛はそれほど――少なくとも表面上は――図書委員の面子に入れ込んでいる風ではないからな。何の根拠もなく真犯人を一点読みして誰かを庇うなんて博打をするとも思えない」

 もしもあの人が犯人だったら嫌だなあ、程度の考えで犯人だと名乗るとはとても思えない。誰だって、別に庇いたくもない人間の罪を背負いかねない真似はしないだろう。

 斬鴉さんは校門の前から坂を見下ろす。

「夏凛の言う、遠目に見た二つの人影というシチュエーションには矛盾がないように思う。夏凛が人影の正体を知るところまで近づけていたら、流石に犯人も夏凛に気付いて犯行を自重するだろ」

 僕も頷き、

「たった今、嘘を見抜かれた身で、丸っきりの嘘を重ねるとも思えませんよね。見破られたら、斬鴉さんにヒントを与えるようなものだし」

 夏凛さんは近くで斬鴉さんの番人としての手練手管を散々見てきたはずだ。そんな愚考を何度も犯さないだろう。嘘を吐いたとしても、もっと細かいところのはず。

「あの人たちが少年漫画の主人公張りにイカしたシルエットしてたら、簡単にわかるんですけどね」

「ちゃんとしたシルエットになっていればな。実際は周りも相手も暗いんだ。イカした見た目をしていたとしても、見えるのはぼんやりとした人影くらいだろう」

 ううむ。それに加えて、そもそも全員同じような体型だし、格好も同じなのだから、ちゃんとしたシルエットでも判別するのは困難かも。

 もしかしたら、夏凛さんは人影から犯人を察したのではないのかもしれない。例えば、

「事件の後、犯人が斬鴉さんから奪ったブックカバーや栞を使っているのを見たとかどうですか?」

「夏凛は本やブックカバー、栞が盗まれたことを知らなかっただろ」

 そうだった。僕の推理で犯人に気づいたのなら、真犯人は自分だという説得力を持たせるために言っているか。

「じゃあ、坂で目撃するより前……学校の廊下とかで、斬鴉さんと一緒に歩く犯人の姿を見たとかは?」

 この推理も斬鴉さんは即座に否定する。

「昨日も言ったが、あたしは職員室に鍵を一人で返した。その前後で廊下の前を通った者もいなかったって話だ。一年生と二、三年生の昇降口は離れているから、帰り際に誰かと一緒になる機会はほとんどなかっただろう」

 仮に一瞬だけ犯人と交錯した時間があり、それを夏凛さんが目撃したとして、流石にそれだけで犯人だと疑ったりはしないか。

「学校の廊下の窓から、坂の街灯を通る二人を目撃したとかは?」

「見てみればいいじゃないか」

 校門から大体五メートルほど離れた箇所にある街灯の下へ移動する。ここから校舎の方を見るが……、

「桜の木……邪魔ですね」

 植えられた桜の木々が高々と広がっていて、こちらからは校舎が見えない。校舎側からはどうだろうかと思ったが、まあこちら側から見えないのだから向こうからも同じだろう。

 ついでに塀によって昇降口も見えない。夏凛さんが校内からこの街灯の明かりを頼りに二人を目撃したというのはなさそうだ。

 この街灯以外に、まともな明かりはない。昇降口を出ればもう真っ暗なはず。二人がこの街灯の下へ来るまでに、姿をしっかりと視認することはできそうもない。かといって、この街灯の先もなあ。

 考え方を少し変えてみるか。

「斬鴉さんは右手で押されたわけですから、犯人は右利きなんですよね」

 容疑者に左利きがいれば、少なくともその人物は犯人ではない。最近彼女たちと出会った際のことを思い出す。……全員右利きではなかったか。鷹野さんは右手で図書室の扉を開けていたような気がするし、丹羽さんは右手で歩きスマホをしていた。纐纈さんは右手で髪を弄っており、志津さんは右手で眼鏡の位置を正していた。というか、図書委員関係者で左利きなの、常木先生だけだ。彼女はノートパソコンを左手で開いていた。

 世の中には左利きの人間よりも右利きの人間の方が遥かに多いのだ。何もおかしくはないが、もうちょっと都合が良くてもいいのに。

 斬鴉さんは全員が右利きなのを承知しているのか、僕の呟きを歯牙にもかけずに黙って考え込んでいる。

 僕はさして期待せず口を開く。

「……暗がりじゃ、傘の色や柄もわかりませんよね。ビニール傘とかでも、わからないものですか?」

「たぶんわからない。冗談抜きで暗いんだ。ぼんやりと傘ってことくらいしか判断できないだろう」

 まあ、他の図書委員が利用している傘を全て把握しているなんてこと、あるとも思えないか。夏凛さんは別に、図書委員全員と友達というわけでもないのだ。

 だとしたら、逆転の発想が活きるのではないか。

「犯人が、傘を持っていなかったとしたら、どうでしょう? 夏凛さんはその日、図書委員で傘を持っていない人間が一人だと知っていたんですよ」

 たった今、夏凛さんが他の図書委員の傘の情報を把握しているとも思えないと考えた傍から、これである。こんなだから斬鴉さんからダブルスタンダードがどうこう言われるのだろうが、傘の色や形状は知らずとも、犯人が「今日傘忘れて来ちゃったーてへっ」みたいなことを夏凛さんに漏らしていることは十分あり得るのではないか。

 斬鴉さんはやや僕を睨みつけてため息を吐く。

「昨日も言ったが、思いついたことを深く考えずに口からポンポン放つな。過去の自分が射った矢が突き刺さっているぞ」

 ついに斬鴉さんが、僕の気持ち悪い考え以外にもテレパシーを発揮してきた。驚いたが、どうやら今し方考えていたことに対するつっこみではないようで、

「さっき、犯人は右手一本であたしを押したから両手がフリーだった夏凛は犯人じゃないって話をしただろ。そのときお前、犯人は傘をさしていたに違いないと言ったぞ」

 あ、そういえばそうだった。斬鴉さんは突き落とされる直前、さしていた傘に背後から何かにぶつかられているのだ。それは犯人の傘だと、僕は指摘したのに。

「まあ、傘じゃなくて、犯人の身体だったんじゃないですか?」

「自分の発言に少しは責任を持て……」

 責任など、これまで取ったことも感じたこともない。もしかしたらあったかもしれないけど忘れた。

 斬鴉さんは呆れたように肩を落とすが、

「とはいえ、さっきの発言さえなければそれなりに面白い推理だとは思う」

 意外にも高評価である。しかし、言い方からして真実とは思っていないようだ。

 斬鴉さんは坂をゆっくりと下り始めた。

「古町の推理が犯人にとって合理的か否か、調べてみるぞ」

 僕たちは歩道橋の、斬鴉さんが突き落とされた階段の上までやってきた。周りに人はおらず、たまに下の車道を車が通り、水が跳ね飛ぶ音が響いている。

 斬鴉さんは階段を下りていく。中腹にある踊場……と言っていいのかはわからないが、段差のない平らな地点から三段下で立ち止まる。

「たぶん、あたしはこの辺りから突き落とされた」

 その近くまで寄るが、なかなかに高い。……これ、犯人、殺意あったのではあるまいな。

 嫌な考えがよぎるが、それは考えても仕方がない。

「それで、どうするんですか?」

「自分の傘を手放して、あたしの傘に衝撃を加えると同時に右手で背中を突き飛ばすポーズを取ってくれ」

「実践してみるというわけですか。でも……」

 周囲を見回す。雨は大降りというわけではない。しかし、別に小降りというわけでもないのだ。

「僕、濡れちゃいますけど」

「お前が犯人探しを始めたんだろう?」

 そうなのだが……仕方ないか。雨の中、傘を閉じて斬鴉さんに預かってもらった。

 ぴちゃぴちゃと冷たい雨粒が制服に染み込んでいく。……手早く終わらせよう。

 前を向いて突っ立っている斬鴉さんに背後から忍び寄り……傘の圧迫感に尻込みしてしまう。背はやや斬鴉さんの方が高いのだが、彼女の方が下の段にいるので、広がった傘がちょうどこちらの顔と胴体付近にあるのだ。

 試しに軽く傘にぶつかってみるものの、弾かれそうになり、とても手を斬鴉さんの背中まで伸ばせない。勢いよく突っ込めばいけなくはないだろうが、正直失敗するリスクは高い気がする。おまけにその場合、傘の衝撃は斬鴉さんの記憶以上のものになりそうだ。

 傘を左手で掴んで上へ押し上げ、右手で手を伸ばしてみる。一応、それらしい形にはなったが、

「ぶつかったような衝撃になってないぞ」

 斬鴉さんの記憶とは差異があるか。……というかそもそも、傘を前にぶつかっていく必要などない。普通に屈めばいいではないか。

 しかしこの状態で屈んでも、斬鴉さんの傘には何も接触しない。

 斬鴉さんが傘を返却してくる。言葉はなくとも、やりたいことはわかる。僕は左手で傘をさすと、屈んで斬鴉さんに近づいた。互いの傘が接触し、僕の右手が斬鴉さんの背中に届く。

「これだな」

「これですね。最初に思ったことが正しかったみたいです」

 完全に無駄な手間となった。

 しかしこうなると、もう何も思い浮かばないぞ。暗闇の中、個人を特定できる方法などあるのだろうか。犯人のスマホが鳴って、着信音から正体に気づいた? うーん……距離もあって、雨も降っていたなら厳しいか。それに夏凛さんに聞こえるなら斬鴉さんにも聞こえるだろうし、犯人的にはやり辛くなる。

 わからない。……わからなさすぎて、また斬鴉さんにつっこまれそうなことを思いついてしまった。

「やっぱり、犯行を目撃したり、犯人から直接聞いたんじゃないでしょうか。あのとき夏凛さんが驚いたのは、事故が事件だったからではなく、斬鴉さんが記憶を取り戻していたことに驚いた……とか」

 こうは言っているが、自分でもあまり信じていない。あのときの夏凛さんの表情は、そんなことを語ってはいなかった。

 斬鴉さんは無言で階段を下りきった。僕もついていく。

「それもさっき言ったことだろう。夏凛はあたしから本やブックカバー、栞が持ち去られたことも知らなかった。犯行を目撃したら、あのとき答えることができたさ」

「暗くて見えなかったんじゃないですか?」

 斬鴉さんは首を振ると、階段の傍に立つ濡れた街灯に手を添えた。

「こいつがあるから、ここらは明るいんだよ。あたしのバッグを漁って本を持ち去る犯人の姿は見えたはずだ」

 手すり付きの落下防止用の壁は高い。犯行を目撃するには、階段の真上からでなければならない。そうなれば、本を持ち去る犯人の姿も確認できただろう。街灯の背は高いし、階段の全体を照らしていると考えていい。そうでないと危ないし。

「じゃあ、犯人から直接聞いたというのは?」

「その場合、あたしと一緒に過ごしていた理由の百パーセントが真犯人を庇うためになる。全てを知っていて本心からの友達ごっこなんてサイコパスすぎるからな。……記憶を取り戻したとき、一番怪しいのはずっと近くにいた偽りの友人だろ?」

 それは、まあ、そうだ。だから僕は夏凛さんを疑ったのだし。

「庇うなら庇うで、事件の情報や状況を犯人から詳しく尋ねておく。当然、現場から持ち去ったものの有無とかもな。人一人突き落としたことを自白しているんだ。言い渋ることじゃない。ミステリ好きならその辺にも頭は回るだろ。けど、夏凛は何も知らなかった。そもそもあの反応自体、真犯人を庇うために半年以上もあたしに引っ付いていた奴のリアクションじゃない」

 いきなり降って湧いた真実に、考えをまとめる間もなく庇ったという感じであった。……やはり、夏凛さんは「もしかしたら」程度に考えていただけ、か。

 じゃあ、夏凛さんは本当にどうして犯人に察しがつけたのだ。暗視ゴーグルでも持ち歩いていたとでも言うのか。

 斬鴉さんが傘をさしたまま雨雲を見上げた。

「色々と考えてきたが、真実は、たぶん……もっと単純だ。そう……単純なんだよ」

 その虚ろな瞳には、既に真実が捉えられている。そんな気がした。

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