第4話 久方ぶりの我が祖国(後半)

産まれたての我が子を抱きながら、ハインリヒの表情は暗くなってしまった。そしてルイーズはその表情の変化を見逃さなかった。


「心配なの?カルマのこと」

「……ああ、心配だよ、とても。この子は立派な音楽士にならなければならない。それなのに僕はこの子にそのことを伝えきれるだろうかとね」


ルイーズはにこりと笑った。


「大丈夫よ、だってね、この子。もう音楽が大好きなのよ。私が歌うとね、いつも泣き止んでしまうの」


ハインリヒははっとした。そうだ、彼女は元々アイズ王国一の歌姫だったではないか。


彼女の声を初めて聴いたのは、2年前の建国記念日だった。自身が作曲した王家を称える曲のソプラノを彼女が担当した。彼は度肝を抜いた。彼はいつも通り、依頼された通りの曲を作った。それ以上でもそれ以下でもない凡庸な曲だった。しかし、彼女が歌うとそこに凡庸さはなかった。


愛と気品に満ちたカンタービレ。その歌声は素晴らしかった。ハインリヒ自身もこの曲がこんなにも美しいことを知らなかった。


その歌声の主は式典のあと彼に話しかけた。


「とても素敵な曲を作ってくださりありがとうございます」


彼は驚愕した。彼は彼自身の曲を素敵だなんて評されたことはないし、彼自身もまた曲に素敵なんて言葉を使ったことはなかった。


「ええと、はあ。まあ、素敵だなんて言ってもらえて。大仰な曲でもありませんよ、あれは」

「そんなことありませんわ。私あの歌詞の部分が最高に好きなんです、ほら、”祖国よ、おお祖国”って、音程が上がっていくところ。祖国への愛で気持ちが高ぶっていきそうじゃありませんこと?」

「はあ、そうですかねえ。それよりむしろ、私はあなたの歌声の方に余程感動しましたよ。あんな風に歌う人を僕は初めて見ました」

「だって大好きな曲ですもの、ちゃんと歌わなきゃ、失礼じゃありませんか」

「失礼って何が」

「もちろん曲とその作者にです!」


彼女は変わっていると思う。曲に、作家にリスペクトする。そんな風に考えたこともなかった。音楽は背景だ。私の音楽によって故郷が、王家が愛されるように考えて曲を作ってきた。または金稼ぎのために依頼された曲を顧客の満足のいくように作るだけ。このように自分が褒められるなんて考えもしなかった。


それをきっかけに彼女との親交は深まっていった。そして結婚に至った。(幸いなことに彼女の家柄は学者で私の家の地位とそう変わらなかった)


結婚し処女を喪失した彼女は聖歌隊を辞め、私の妻として家を守ってくれている。

そして、愛する我が子も産んでくれた。カルマという名前をつけたのも彼女だ。先進的すぎると言ったが、


「でもすごくいい意味なのよ。昔東洋に行ってたときに知ったんだけどね。行為や行動が、未来に役割を持ち、影響を与えるって意味を持つのよ。それに、カルマ―ト(静か)と音が似ているし」


確かにこの国では静寂になぞらえて名づけを行うことはよくある。騒がしさは魔を呼び寄せるという言い伝えがあるからだ。カルマも珍しい響きではあるが、発音しづらいこともなく、他国の言語から名付けをするのは昨今の流行りでもあったので、そのまま赤子の名前はカルマになった。


彼女らしい名づけだ。彼女がそばにいるなら、きっとカルマは音楽を愛してくれるだろう。作曲のノウハウは私が教えればいい。私は安心して出張へと出かけた。



今日その赤子と一年ぶりに会えるのである。バイオリンを教えるには早すぎるだろうか、あるいはピアノなら。ルイーズは相変わらず美しいままだろうか。我が家に近づくごとに足取りは加速していく。そして勢いよく扉を開け放ち、家中に響き渡る声で叫んだ。


「ただいまあーーーーー!ルイーズ!ルイーズはいないかあ!」


その声は、すやすやと眠っていた1歳児の子どもの眠りを妨害するに十分であった。

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