第3話 久方ぶりの我が祖国(前半)

「ただいまあーーーーー!ルイーズ!ルイーズはいないかあ!」


角笛を思わせる野太い声を持つこの豪快な男は愛する我が家へと帰ってきた。この男の名は、ハインリヒ。元歌姫ルイーズの夫であり、宮廷音楽士である。


宮廷音楽士の仕事は決して楽な仕事ではない。演奏旅行という名の出張旅行を繰り返し、貴族のパトロンを得なければならない。そうでないと、生計すら立てられないのだ。


ハインリヒは天才的な芸術家ではなかった。しかし堅実な職人だった。アイズ国王の命またはパトロン貴族の依頼とあらば、どんな曲でも必ず作り上げ、完成させた。彼の曲は聴く者全てを魅了する……ようなものではなかった。彼の大作である、アイズ国王、第16代当主の成人の誕生日の宴会で披露された曲ですら、有象無象のその一つにしか過ぎない、取るに足らない音楽でしかないのである。


しかし宮廷音楽士の仕事というのはそういうものなのである。音楽というのはそうでなければならない。観客の意識を集めすぎてはならない。いわば、BGMなのだ。宴会の主役は王家の人間でなければならないし、結婚式や葬式のような聖なる儀式の主役は神でなければならない。


だからハインリヒは自分の仕事ぶりに満足していた。この出張の多さを除いて。


ハインリヒはちょうど一年前子どもが産まれた。出産に立ち会えるように仕事を調節しようとしたが、結局間に合わず、彼は精魂尽き果てた妻にただ感謝を述べることしかできなかった。


産まれてから2週間が経った愛する我が子を抱きかかえると、非常に満たされた気持ちになったのだが、次の日にはまた出張にいかなければならなかった。彼はそのことを心底悔しがった。


彼には野望があった。我が子を必ずや我が王国に仕える立派な宮廷音楽士にすることだ。宮廷音楽士は世襲制だ。王家に仕える血筋なのである。給料は確かに高くないが、その日暮らしに困るほど貧乏というわけでもない。この仕事に就けることは最大の栄誉だと考えていた。


そのために我が子には幼い内から音楽教育を万全に施したかった。しかしこの出張の多さ、私はこの赤子をちゃんと導けるだろうか。ハインリヒの表情はくぐもった。




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