第9話

 僕が大学一年のとき、つまりKが浪人生のとき僕らの連絡はまったくなかった。それも至極当たり前のことで、僕は彼が大学に落ちて予備校に通っていることを知っていたからこちらから電話やメッセージを送ることは嫌味じみて憚られた。いやそうでなくとも僕は彼との関係をどことなく高校きりだと思っていた。

 浪人のころはKにとってそれなりにきつい時期だったらしい。彼の通った予備校のクラスに彼とおなじ高校の出身者はいなかった。つまり彼の周りには初対面ばかりで、しかも県の一、二の進学校出身ばかりだったから劣等感が積もっていった。

「ゴールデンウィークがピークで辛かったね。一人きりで勉強漬けの日々の終わる予感もなくて、挙句の果てに愉快な雰囲気が街中を漂っていた。話題の新作映画はむろん観れなかったし、毎日の行動が昨日の繰り返しだった。あんなところ半年もいたら死んでしまうと思ったよ。いや死ねたほうがまだマシかもしれない。予備校のある教師がこんなことを言ったんだ。高校生より大学生より浪人生が死んだとき貰えるお金が少ないんだとさ。だから馬鹿なこと考えるなよって、お前らが死んでも話題性も金も少ないんだとさ」

 しかし六月を過ぎると彼の浪人生活も悪いことではなかったらしい。何でもそうだ、ひとつの時期がほんとうに最悪ばかりなんてあり得ないことじゃないか。良いことも悪いことも毎日あるし、そのなかで悪いことのみ見つめることに何の得があるのだろう。

 彼は六月以降、クラスの席替えがあってから(僕は予備校にも席替えなんてシステムがあるのを知っておどろいた)、三人の友人ができた。それまでの彼といえば別のクラスの同高校出身の男子(Gと呼ぼう、Gはもともと彼が高校のとき親しくした人間のうちの一人だった)と自習の時間過ごしていた。しかしGは別のクラスで友人ができ、また彼はあの疎外感に苛まれ、そういう要求もあっておなじクラスに友人をつくることになったらしい。

 僕はGを責めようとは思わない。もちろん僕に直接の被害がないからその権利もないのだが、その実僕は後年Gと親しくなって(もともと僕もGの友人だった)いまでも関係はつづき、ひょっとするとKよりも親密さがあるからだ。

 後々、KはよくGのことを話題にした。しかしGのほうはというとKのことを口にすると嫌な顔をした。Kは大学のときGを傷つける事件を起こしたからだ。ここでは僕はその具体的なところを述べない。ただGは嘘が死ぬほど嫌いだった。そう言えば何となくの想像はつくだろう。

 さて浪人生になったKは三人の友人と友情を育みそのうちの一人の女性のことを好きになった。しかしその予備校では携帯の持ち込みは禁止だったし、まあつくろうと思えば連絡先を交換するチャンスもできたと思うし、実際何度かチャンスはあったわけだが、結果として彼の恋は成就しなかった。

 Kはそのときの女性をある種の理想化していた。Kは彼女を賢く、ユーモアがあり、適度に捻くれていて、規範に縛られすぎず、そして縁なしの眼鏡がめちゃくちゃにチャーミングと評していた。僕には捻くれていることも規範に縛られすぎないところも縁なし眼鏡も大した美点にならないのだが、Kにはとくにそれらの点がお気に入りだったらしい。

 しかし再三言うようだけどKはその子と付き合えなかった。もしかしたらそれがKにとってもっとも致命的なことかもしれなかった。彼とそれほど相性の良い女性と長く関係を持つことができなかったのだから。

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