探索
次こそは絶対に自由に好き勝手生きてやる。そう決意を固めた俺だったが、そんな俺を不安にさせる懸念材料が二つあった。それはまずこの世界に住む住人と言葉が通じるのかということだ。先程から自分がしゃべっているのは完璧な日本語である。自分が今いるのは恐らく実家。つまり俺が宿る肉体を産んだ両親が居る訳で、まだ家の中を把握できていないため何とも言えないが、もし家に誰も居なかった場合はこの家の住人たちと出会うまでになにかしら対策と考えておかなければならない。
そして二つ目はこの肉体が"以前"もっていたであろう記憶がないことだ。俺はこの肉体の名前どころか、両親、そして住んでいる場所や地域、食べ物、友人知人に至るまでの全てを知らない。ここが異世界だとして、自分の人種からヨーロッパのような世界だと仮定する。時代によって多少違いはあるだろうが、今俺の持つ不安材料が周囲に露呈した場合に最悪考えられるのは魔女裁判だろう。これだけはいくらなんでも避けなくてはならない。魔女裁判とは簡単に言えば人権剥奪裁判だ。この時代にどれだけ人権の意識があるのか分からないが、人間の最低限度の良識さえ魔女には適応されない。そして今自分が着ている服や家具、道具の見た目からして、この時代は少なくとも地球の基準でいう近代以降の文明だとは思えない。窓もガラスではなく木の板だ。となるともし裁判にでもかけられたら科学的に無実を証明することはほぼ不可能になる。そうなれば有罪か無罪を左右するのは周囲の人間の証言だ。となると俺が魔女の疑いをかけられた場合にもっとも脅威となり、それと同時に味方にもなりうるのはこの家の住人になると思う。そしてそんな俺がまずすべきことはこの家の探索。そして今家の中に住人がいるかどうかの調査だ。
俺は音を立てない様にゆっくりと寝室のドアを少しだけ開けた。ドアの隙間から寝室の外の様子を伺う。だが薄暗くてあまり分からない。だがそんな時だった。開けたドアの隙間からどこか聞きなれた女性の声が聞こえたのは。
「どうしたの…パトリック?」
記憶にないにもかかわらず、直観的にそれが自身の母親であることを俺は理解できた。そして聞こえたはっきりと。彼女がしゃべる日本語を。少しずつ近づいて来る足音。そしてドアを開けようと、細いドアの隙間から伸びた彼女の手――俺はとっさにうずくまり頭を抱え込んだ。
「パトリック⁉どうしたの?大丈夫⁉」
「うっ……ぁ…」
呻き声を上げながらうずくまる俺を、母親は優しく膝の上に寄せると頭に手を置いた。
「やだすごい熱…頭が痛いの?」
そもそもおでこの熱を調べているような人はいないだろう。俺が頭を抱えてうずくまっている姿を見た先入観からか、母親はどうやら俺に熱があると勘違いしたらしい。とっさの判断だったが成功したようだ。
「あたまが…痛い………」
安心して気の抜けた俺の声は、母親にとってみれば病で衰弱した子供の最後の言葉に聞こえたのかもしれない。母親は俺の抱きかかえ固いベットの上に寝させると、急いで寝室を後にした。
ほっと溜息をついたのも束の間、母親がまたドタドタと音を立て乍ら寝室の中に入ってきた。眉間にしわを寄せながら目を瞑っていた俺は、まるで母親が来てくれから安心したような表情を浮かべながらゆっくりと目を開けて、母親の方を見つめた。床に膝を下した母親はどうやら水の入った桶と布を持ってきたようだ。チェストの上に置かれた桶の水に布を浸し、絞るとすぐにその布を俺のおでこの上にかぶせた。
「冷たい…」
俺が母親の方を微笑みを浮かべながら見つめる。母親もどうやら少しだけ安心した様子で小さく息を吐いた。だがその母親の顏はすぐさま眉間にしわを寄せていく。
「取りあえずこのお守りを舐めてなさい」
そして母親に手渡されたのは金属製の小さな十字架であった。
「ぇ……舐める?」
「貴方が洗礼を受けた時、司祭様から頂いた大切なお守りなの。子供がけがや病気をしたときはこれを舐めて唾を飲み込めば治るからって…」
「本当に?治るの?」
「ええ司祭様がそうおっしゃってたわ」
母親はいたって真面目にそう答えた。俺は母親に悟られぬようにゆっくりと十字架を受け取る。口に入れれば想像通り金属の味がした。
「お母さん夕食の準備しないといけないから一人で寝れる?」
頭をなでながら心配そうな顔を浮かべる母親に、俺は神妙な顔を浮かべながら小さくうなずいた。
「うん、大丈夫」
「そう、じゃあご飯出来たら持ってくるからちょっと待っててね」
そう言い残し寝室を後にしていく母親を遠目で見つめながら、ドアが絞められたと同時に俺は小さく息を吐いた。まさかドアを開けたとたんに鉢合わせるとは思わなかったが取りあえずはうまく切り抜ける事が出来た。不安材料であった意思疎通も問題ない。あとは不要な事は喋らず、耳を澄ませながら周囲から情報を集めていこう。
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