吸血少女と月下の乙女、二人きりでダンスを。

上埜さがり

吸血少女と月下の乙女、二人きりでダンスを。


 独占欲、というものがであるボク——ノッテステラにも備わっているのだという事を、最近になって気付かされる事になった。

 『独占』だなんて、いかにも短命で脆弱で矮小なの価値観だ。彼らはボクのような吸血種ほどに永い時間を生きることが出来ないから、その儚き生の中で手にしたものを、世界中の何より大事なものだと勘違いしてるに過ぎないんだろう。

 そんな風に、思って、いたんだけれど……うん。これはボクも思い違いをしていたと、癪ではあるけれど認めるしかない。偉大で高貴な吸血種というものは、自らの過ちを認め改善する事もまた辞さない事で、眷属へその素晴らしい精神性を見せつけてやるのだ。

 何故、ボクがそんな事を思ってしまうのか。

 それは今、ボクの手を取り腰をとり、を教えてくれている、艶やかな金の髪と海のように深く青い瞳をもつボクの眷属の乙女——ルナディアと出逢ってしまったから。

 今ボクは、このルナディアを独り占めしたいと願ってしまって、この気持ちが正しいものなのかという、生まれてから二百余年目の命題に悩まされている。




「——ノッテ、集中しなさい。折角貴女の調子が出やすいようにと、伯爵様に結構な無理を言って夜の練習部屋をお借りしたのだから」


「してるよ! もう完璧なんじゃないかな!」


「テンポが遅れてるし、時折足運びステップを忘れてるでしょう」


「うぐっ。そんな事は」


「あるわよ。出来るようになるまでやるんだから、覚悟することね」





 誰もが見惚れるような見た目に反して、なんていう指導の鬼だ。自分が勉強熱心だからって、それを他者に要求するのはどうかと思うね、ボクは。

 今居るのは、ボクらが住まうこの都市の、統治の一環を担う伯爵様のお屋敷、さらにその中の舞踏練習室。

 甘い香りが漂い、魔術による灯りが照らすこの空間で、ボクはこの鬼にダンスの特訓をさせられている。

 なんでこんな事になったのか、それは……っと! ……まずい、足運び、間違えた。

 ちらり、と見上げると、ルナディアのあの青い瞳が、ボクの眼を射抜かんばかりに降り注いでいる。こわい。




「……ノッテ?」


「ひっ」


「私、集中しなさいって言ったばっかりよね。……お仕置きが必要なのかしら」


「お、おしおき?! ボクは至って真面目にやってるつもりだけど! 大体、このが動きにくいんだよ!」




 本番では、今この国で最も愛好されている、裾がふわりと広がるドレスを着る事になるからと、同じデザインでボクは青、ルナディアは赤の物を着用している。だけど、これがどうにも動きにくい。

 ルナディアもボクも、その実は貴族令嬢という括りではあるんだけど、彼女がこういった装いに親しんでいる一方で、ボクはもっと楽な格好を好んでいた。

 それを当然の抗議だとそれを伝えると、ルナディアはわざとらしーいため息をひとつ、眉を寄せた困り顔と共にボクの目の前に晒す。ふ、不敬だぁ……。




「なんだよ、その目は」


「……ノッテは一体、何処までノッテなのかしらって、思っただけよ」


「はぁ?! ボクはいつだって偉大な吸血種のノッテステラ=ローゼンだけど?!」


「そういう意味じゃないわ、お馬鹿。……私のお父様に会いに行けば、にお呼ばれするかもしれない。それで練習したいって言ってくれたのは、貴女なのよ?」


「そうだけどぉ……」




 そう、これが、ボクが着たくもないドレスを着て、ダンスの練習をする理由。




 ——ルナディアの実家であるリンドバール公爵家に紆余曲折あって呼ばれる事になったある日、ルナディアからこう尋ねられた。




『ねぇノッテ、ダンスの経験はあるわよね?』




 貴族令嬢なら当然の嗜みよね。そういう機会があるかもしれないから。などと言外に含ませたその一言は、その言葉を投げかけられたボクを酷く憔悴させた。

 実際、王国の貴族令嬢であるなら、教育の一環として学んでいるのかもしれない。

 でもボクは、同じ吸血種であるお姉ちゃんに二百年も屋敷に閉じ込められ、与えられたものは三食昼寝に好きな本を山ほど、それだけ。という、特殊な環境で育ってきたわけで、令嬢ならどうのという一般論からは大きくかけ離れた存在なんだ。

 ただまぁダンスなんて、その気になればどうとでもなるだろうと、気安い返事を返した。ところがルナディアから社交の場で粗末なそれを披露した者がいかに悲惨な目に遭わされたのかを滔々と語られることとなり、ボクは慌てて……いや、眷属である彼女にダンスをボクに教える栄叡えいよを与えてやる事にしたんだ。




 ——それで、今に至る。思えばあの時のルナディアの話には些か、いや多分に誇張が含まれていたと思う。

 だから、また抗議の意を込めてじっと睨んでやると、ルナディアは何を言うでもなく足を止めて、ボクの腰に回す手に込める力を強めた。

 ただでさえ近かった二人の距離がもうなくなってしまって、ボクはそれに、どうしてか胸を苦しくさせられる。




「な、なに。何がしたいんだよ」


「似合ってるのになーって、思ったのよ」


「似合ってる、とは?」


「ノッテの黒髪や赤い瞳が、この青いドレスに」


「……急に褒めるね」


「本心だもの。……いつもの二つ結びツインテールも悪くないけれど、髪を下ろしているのがまた、雰囲気が違っていいわ?」




 ……あぁ、食べられてしまいそう。

 ボクら二人の関係は、吸血種とその眷属。

 ボクが捕食者で、彼女はなす術なく蹂躙される筈の立場であるというのに。いま、ボクはルナディアの舌の上で転がされている。彼女がその気になるだけで、きっとボクはあの白い歯でこの身を砕かれ、凛とした声を放つ喉へと嚥下され、どうしようもなく蕩かされてしまう。

 窓の向こうに見える大きな月を背景に、ルナディアの青い眼差しが、ただただボクへと降り注ぐ。

 



「……ルナディア」


「本当に……綺麗ね」




 胸が苦しい。顔が熱い。手が震える。喉も乾くし、呼吸も浅い。

 離れたいのに……でも、離れたくない。

 ただ、この柔らかくも確かな彼女の腕の中に揺蕩っていたい。

 ……そう、惚けてしまっていたら、




「よし、休憩にしましょう」




 なんて、ルナディアはあっけらかんと吐かしてみせた。

 腰が砕けそうになってボクがへろへろと床に座り込んだのに対し、ルナディアは平然と水差しを置くテーブルへ足を運び、くくっと冷たい水をあおっている。

 ……なんだか本当、飼い主にあしらわれる猫みたいな気分で、腹が立つやら恥ずかしいやら。




「……前も言ったけどさ、キミみたいな綺麗な人がそういう事を言うのは、本当にやめた方がいいよ」


「本心は隠さないって決めたの。ノッテが悪役令嬢だった私を救って、この街に来てから」


「ボクが原因だってのかよぅ。だからって何してもいいと思うなよぉ……」




 水の入ったカップを渡されて、くぴりと飲んではみたものの、まだボクの小さな胸にある心臓はどきどきとうるさい鼓動をおさめてくれない。

 ……ルナディアは、ああいう事をして平気なんだろうか。

 見た目には、少しだけ頬に朱がさしている気はするけれど、それが割合体力を用いるダンスの練習のせいなのかはわからない。ボクみたいにへたり込んでいるわけでもないし、なんだかズルいと思う。

 ボクがそうやってジロジロ見ていると、その視線に気付いたルナディアが悪戯っぽい笑顔を浮かべる。




「なに、ノッテ。私のドレス姿に見惚れちゃった? 久々だものね、こういうの」


「調子に乗るなよ……!」


「あら怖い。ふふ、あぁでもノッテに褒めてもらえたら、私も困ってしまうかもね?」




 ……なに? ボクが褒めるだけで、ルナディアが困るだとう? それはまさか、この今のボクと同じような状態になるんじゃないだろうか。

 だとするなら、これはチャンスだ。今日だけじゃなく、日頃から彼女はボクのことを揶揄い尽くしてくるんだから、そのお礼をしてやらねば気が済まない。

 震える小動物みたいになった脚を気合いで立ち上がらせて、ルナディアの元へ歩みを寄せる。そうして、相変わらずにやにやと笑みを浮かべるルナディアの手をとって、囁いてやるんだ。




「……鮮やかな赤いドレスに、ルナディアの金色の髪が似合っていてすごく綺麗だと思うよ」


「……ええ」


「青い瞳も映えて見えるし、まるで宝石みたいだ」


「宝石、悪くない表現ね?」


「それから……その、ちょっと露出が多い気がするけど、やっぱりルナディアの大人びた身体つきは、こういうドレスでその魅力が引き立つよね」


「身体のことは、すこしはしたないんじゃ?」


「うるさいっ!」




 しかしこれで、散々に褒めそやしてやった。ルナディアもきっと、照れて照れて、もうどうしようもなくなるに違いない。

 自分の言葉が恥ずかしくって下ろしていた視線を、彼女が狼狽する姿を見る為に彼女の顔へ向けてやれば、




「ありがと、ノッテ。嬉しいわ?」




なんて、やっぱり楽しそうに笑うルナディアと目があった。

 こ、こいつ、こいつぅ!




「嘘ついたな! 全然困ってないじゃないか!」


「あら、嘘はついてないわよ。そんなに褒められてしまったら、嬉しくって笑顔が溢れて困ってしまうわ? この後も真面目に練習するというのに」


「は、はぁあ?!」


「あーあ。ノッテのせいだわー? これはもう、気合を入れて練習するしかないわねー」


「この……おろかなルナディアめ! 主人であるボクを騙すとは何事だよ!」




 わぁわぁと非難してやると、ルナディアはやっぱり平然と、はいはい、なんて言いながらボクの手を取った。ゆ、許せない。




「話、終わってないけど!」


「話してたら日付が変わってしまうわ。さぁ、練習、練習」


「く、ぅぅう」




 手を引かれて、部屋の中央へ。再び彼女の手がボクの身体へと添わされて、ゆっくりとリズムをとる。

 こうやって体を近づけられてしまうと、彼女の持つ甘美な血の香りにボクはやられてしまって、反抗する気がみるみる大人しいものになってしまう。色んな意味で、ルナディアはずるい女の子なんだ。

 しょうがないから、ダンスに集中する。

 いち、に……まずはゆっくり、足運びを確認する練習。ボクはどうにも決まりごとに縛られるという事が苦手だから、この時はここに右足を、この瞬間に左足をここに。そんな風に動きを決められるのが得意ではない。

 だからルナディアもそれをわかって、確かめる事に専念できるように優しく導いてくれる。……べつに、こういう優しさに絆されているとか、そういうわけじゃない。

 とにかく、そうやって足元に集中していると、不意にルナディアが口を開いた。




「……ドレスを着ておく事には慣れておいて欲しいけれど……よく考えれば、相手がドレスを着ているかどうかはわからないわよねー」


「……どういうこと?」


「断ることもできるけど、基本的にお相手は殿方になるものだから」




 それは、いやだ。

 瞬間的にそう思って、ボクの脚が止まる。

 あれ程までに怒り心頭であった筈の思考が、ぐわんぐわんと何かに頭を打ち付けられたように歪んで、気分が悪い。

 ルナディアが驚いた後、心配そうに見つめる。

 



「……いやだ」


「まぁお断りする事も出来るし、ノッテが嫌なら」


「違う! ……違うんだよ」




 ボクは、そういう事を言いたいんじゃない。

 ……けど、ルナディアにそれを伝えるべきなのかは、すごく迷わされてしまう。ただでさえ、今この瞬間はボクの不慣れなダンスに付き合わせてしまっているというのに。

 ここは……そう、ボクは吸血種なんだ。偉大である為には一先ず、気持ちは飲み込んでしまえ。




「ごめん。続きをやろう」


「……大丈夫?」


「大丈夫。……練習、付き合ってくれてありがとう」


「それは、まぁ。……じゃあ、続けるわね」




 そして黙々と、時間を重ねていく。

 ……ボクは、ボクの相手がどうとか言いたかったんじゃないんだ。

 目の前のうららかな金の髪を有する人。

 美しい青い瞳に優しげな光を宿す人。

 ボクを魅了してやまない、ボクだけがその味を知る甘やかな血を持つ人。

 ルナディアという人が、誰かの相手をするかもしれないと、そう思ってしまっただけで、ボクの足は止まってしまったんだ。

 彼女の魅力は、ボクだけが知っていればいいはずなのに。




「……いい調子、ね」




 ふと、ルナディアが声をかけてきてくれる。伏せていた眼を上げればやっぱり、いつも通りの優しく細められた彼女の目が見える。

 ルナディアは、嫌じゃないんだろうか。

 ボクが誰かに手を引かれる姿が。

 ボクが誰かと踊っている姿が。

 ボクが誰かの隣に居る姿が。

 例えばそう考えたりして、嫌になってくれたりはしないんだろうか。

 ボクは少しでもそれを考えただけで、こんなにも胸が苦しくなって、こんなにも御し難い感情が頭の中で暴れ狂うようだというのに。

 ……そう考えてしまっては、ボクはもう堪えることができそうにない。

 ルナディアの手を少し乱暴に引いて体勢を崩し、倒れそうになった彼女の腰を支える。




「……ルナディア、血をもらうよ」




 わかってほしい。ボクがどういう存在で、ルナディアは誰のものなのかを。その為の鋭い牙は、ボクの赤い口腔に宿されている。

 だからその一言を伝えると、ルナディアは少しだけ驚いたように目を見開いて、それからすぐにそれを逸らした。




「……ここで?」




 ここで。そう答えると、ルナディアは諦めたようにボクの首元へ腕を回して、ドレスは汚さないでと短く告げる。

 それから迷うことなく牙を彼女の首元へ突き立てれば、口の中いっぱいにあの芳醇な香りが広がって、ボクの舌を蹂躙する。

 甘い。なんて甘くて、まろやかで、心満たす、艶美な味なんだろう。彼女が見に纏うドレスのように赤いそれは、いつまでもボクの心を捕らえてしまって離してくれやしない。

 そしてこれがきっと、独占したいということ。

 この血を持つ、美しいルナディアという乙女をボクは誰にも渡したくない。

 出来ることなら、誰の手にも触れさせたくない。誰の目にも触れさせたくはない。そんな、子供じみた願望を湧き立てさせるものこそが、独占欲というものなんだろう。

 あぁ、あぁ! ボクだけのルナディア。月の光がよく似合うキミを、ボクはこの世界で独り占めしていたいのに!




 ——ボクが乱してしまった服を整えて、ルナディアは冷静な雰囲気を纏ったまま立ち上がる。

 本当に、幼子のような癇癪で彼女の血を啜るなんて、ボクの目指す吸血種の在り方には程遠い。

 そうやって少しだけ後悔をしていると、ルナディアが少し呆れたように口を開く。




「乱暴ね。ノッテらしくもない」


「……ごめん。痛くしちゃったかな」


「痛いのはいつものことよ。でも……ふふっ、どきっとしちゃったわ?」


「なんだよ、それ」


「嫌いじゃないの。前にも言わなかったかしら」




 そう言われても、なんというか、申し訳なさが優ってしまって、まともに顔を合わせるのが少しだけ怖い。

 けど、話をするときは互いの顔を見るというのが、ボクらの間の不文律である。おずおずと彼女を見遣れば、その表情は何処か愉しそうに、可笑そうに、柔らかなものを浮かべて、ボクへと青い眼差しを向けていた。

 何度見ても、その度に思う。

 月の光を纏うルナディアは本当に綺麗で、まるで女神様のようだ。

 ……こんな風に思わされるのは、こんなふうに心乱されるのは、ボクだけ、何だろうか。ルナディアはこの、独占欲というものに駆られてはくれないんだろうか。

 そう思うと少し悔しいような、寂しいような気持ちにさせられてしまう。

 やっぱり、この気持ちは間違っているんだろうか。




「ね、ノッテ」




 名前を呼ばれて、改めて意識を彼女に向ける。




「なに、ルナディア」


「……やっぱり、もしそういう機会に恵まれても。髪型は別のものにしましょうね。私が整えてあげるから」


「髪型? ……どうして?」




 髪型なんて、どうでもいいんじゃないか。そう思ったんだけれど、その話を語るルナディアは何故だか罰が悪そうに、それでいて頬を柔らかく染め上げて言葉を続ける。




「言わなきゃわからないのかしら」


「……うん」


「……ノッテが髪を下ろした姿。他の人に見られたくないの」




 ばかなノッテ、なんて続けるルナディアは眼を逸らして、すごく恥ずかしそう。けれど、けれど。

 その言葉を聞くだけで、ボクの心は温かなものに満たされていくようだ。なんだか頬が緩んでしまって、困ってしまう。これは、えっと……言葉はもう選べない。嬉しいんだ。

 ボクがほっぺを何処かに落としてしまわないよう、両手を添えて支えていると、ルナディアは、もう、と呟いて、それからボクの傍へ来て手を差し出した。




「ほら、練習するわよ。……もう少しだけ、二人きりのダンスを楽しみましょう?」




 そう言われたなら、ボクはその手を取るしかない。

 ボクは偉大で高貴な吸血種。綺麗なルナディアのご主人様。

 今この時、彼女を独り占めに出来る世界でただ一人の存在。そして、彼女もまた、……ここから先は、言わなくてもいいか。優しく微笑むルナディアに、手をとり腰を抱かれているのであれば、それ以上の言葉はいらないと思うんだ。

 彼女もきっとこの気持ちを持っていてくれたなら。この独占欲というものが、少なくとも在って良いものなのだと、そう思えたから。

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吸血少女と月下の乙女、二人きりでダンスを。 上埜さがり @uenosagari

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