巫女と皇女と百合咲く旅路

藍条森也

第1話 巫女と皇女と百合の花

 「ブルー、どこだ、ブルー!」

 奥深い森のなか、人の訪れることのない澄みきった泉のほとり。そこに、一六,七の少女の必死の声が響いていた。

 少女らしい引き締まった肢体を騎士装束に包み、一振りの長剣をいている。人里離れた森のなかを歩むにはあまりにも身軽すぎる服装。まるで、都市のなかを行く剣士のよう。

 グレゴリアナ――通称アナは必死にあたりを探す。姉妹であり、親友であり、そして、彼女でさえある少女の姿を求めて。

 妖魔・妖怪・妖精、異界よりの使者たる魔物たち、そして、大陸の覇者たる巨大な恐竜類。無数の脅威に満ちたラ・ド・バーンの大地。そんなところでただひとり、行方知れずになったりしたら……。

 ふいに、水音がした。驚いて振り返ったアナの目の前、そこに泉の水を割ってひとりの美しい妖精が現れた。その腕にはアナと同世代の少女を抱いている。泉に落ちて溺れたのだろうか。妖精に劣らず美しい顔立ちをしたその少女は気を失った様子でぐったりとしている。

 「ブルー!」

 アナは叫んだ。

 妖精の腕に抱かれ、ぐったりしているのはまぎれもなく、かのの姉妹であり、親友であり、彼女でもある少女、ウィッチタブルーだった。

 「あなたが落としたのはこの見た目も美しく、心根は素直であり、清楚で可憐な完璧美少女ですか?」

 「えっ? いやいや、ちがうちがう。ブルーは見た目はたしかにきれいだけど性格は高ピーだし、根性曲がってるし、頑固で、強情で、清純さの欠片もない困ったやつだから」

 「あなたはとても正直な人ですね。正直のご褒美にこの完璧美少女のウィッチタブルーをあげましょう」

 「浮気しない⁉」

 「もちろんです」

 「やったね、理想のブルーだ!」

 「……って、さっきからなにやってるの、あなたたち」

 盛りあがるアナと妖精の後ろから――。

 本物のウィッチタブルーが姿を現わして冷ややかにそう声をかけた。


 「まったく。妙な声がすると思っていたらなにを遊んでいたのか」

 巫女装束に身を包んだウィッチタブルーは小枝をへし折り、焚き火にくべた。新しい餌を与えられた焚き火が一瞬、大きく燃えあがる。

 「いいじゃないか、別に。この子が『誰も来てくれなくて退屈だ』って言うから相手してあげてたんだよ」

 そう言うアナの視線の先、そこには一二、三歳の女の子の姿をした妖魔がちょこんと座り、アナたちと一緒に焚き火に当たっていた。

 「わしはもう何百年もの間、この泉に住み着いておる。最初の頃は他の妖魔や妖怪、魔物たちなどが来てくれて賑やかだったのだかな。ここ最近はとんと見かけなくなってしまった。おぬしたちが来てくれて久しぶりに定番の芸が出来た。感謝するぞ」

 妖魔の女の子は嬉しそうにそう言った。妖魔に妖怪、妖精、魔物、その他、無数の種族が住むラ・ド・バーン大陸。こういうイタズラ好きの妖魔もけっこう多い。

 ウィッチタブルーは妖魔の女の子をじっと見つめた。そのなめらかな頬にそっとふれた。

 「な、なんじゃ……」

 なめらかな頬をスッと赤く染め、戸惑ったように言う妖魔の女の子の目を、ウィッチタブルーはじっとのぞき込む。人と言うより〝森の麗人エルフ〟と言った方がピッタリくるその美貌。そんな美貌でまっすぐに見つめられたらたいていの相手はこうなる。

 「そう言うことなら……今度はわたしが遊んであげましょうか?」

 そう言って妖魔の女の子の頬に唇を近づけ、ふっ、と、息など吹きかけてみる。それだけで、妖魔の女の子は痺れたように全身をわななかせた。

 「まてまてまてっー!」

 それを見たアナがあわてて叫んだ。文字通り、割って入った。

 「あたしというものがありながら、なにを堂々と他の女の子を口説いてるんだ、お前は⁉」

 「いいじゃない。あなただってこの子と遊んでいたんだし。今度はわたしの番でしょう」

 「『遊ぶ』の意味がちがうだろう、お前は! この浮気ものぉっ!」


 ウィッチタブルーとアナは妖魔の女の子と別れて森のなかを並んで歩いていた。アナはいまだにぶちぶちと文句を言っている。

 「……まったく、お前って言うやつは。昔っからそうだ。ちょっとかわいい女の子と見ると見境なしに手を出すんだから」

 「見境はつけてるわよ。ちゃんと、好みにあったかわいい子だけにしているもの」

 「そういうところが浮気ものだって言うんだ! 散々、女の子たちを泣かせたって噂は、騎士学校にいたあたしのところまで届いていたぞ。そのたびに、あたしがどれだけやきもきしたと思うんだ」

 「しつこいわね。そんなにグチグチ言うならどうしてついてきたの? あなたまで来る必要はなかったでしょう」

 「そうはいかない」

 ふん! と、ばかりに騎士装束に包まれた胸を反らし、アナは言った。

 「ニディフォルミス殿下は次期皇帝として政務をつかさどり、アクロ兄さまは次期総将軍として軍事を担当する。となれば、ふたりの妹であるあたしのやるべきことは外交だろう。立派な外交官になるためにも諸国を巡って見聞を積んでおかないと」

 胸を張ってそう語るアナの表情には限りない真剣さと誇りに満ちていた。

 鳳凰大陸ラ・ド・バーン。

 その形が四枚の翼を広げた鳳凰に見えることからそう呼ばれる。巨大な恐竜たちが闊歩することから『恐竜大陸』とも呼ばれる。

 そのラ・ド・バーン大陸に君臨する七つの覇権国。

 そのひとつ、せいエキニフォルミス神導しんどう帝国ていこくギルガメッシュ。

 通称・帝国。

 それが、アナの生まれた国。

 そして、ギルガメッシュ皇帝オーレンドルフィーこそがアナの父親。

 つまり、アナはれっきとした大帝国の皇女さま。

 そして、ウィッチタブルーはおよそ一〇〇年前、その帝国に滅ぼされたイシュタルの巫女の末裔。

 イシュタルは聖なる森に作られた静かなる祭祀さいしこくだった。

 聖なる森は聖なるイシュタルシーダーに覆われ、ラ・ド・バーンにおいては奇跡とも言えるほどに穏やかで、豊かな実りをもたらしてくれる森だった。

 その聖なる森に住むイシュタ人は、森と共に生き、森の恵みに感謝し、森の神を祭る人たちだった。王をもたず、代々、巫女によって治められてきた。争いを好まず、文化と芸術を愛し、日々を楽しく暮らすことを望み、お互いに愛しあうことをなによりも喜びとする、まるでニンフのような人々だった。

 その人々を突如として襲い、征服したのが帝国――正確にはその前身たるギルガメッシュ神導しんどう教会きょうかい。教会はイシュタ人を追い払い、過酷なる北方の地へと閉じ込めた。そして、聖なる森を征服し、その地に自分たちの首都を建て、せいエキニフォルミス神導しんどう帝国ていこくギルガメッシュを名乗った。『エキニフォルミス』とは、ギルガメッシュ神導しんどう教会きょうかいを打ち立てた神官の名前である。

 豊かで広大な森を手に入れた帝国はまたたく間に巨大化し、七つの覇権国のうちのひとつに成りあがった。

 北方の居住区に押し込められたイシュタ人たちはときに反乱を起こしながらも一応は、帝国と共存してきた。だが、一〇年前、史上最大規模の反乱が起こった。

 〝一斉蜂起〟。

 そう呼ばれる反乱によってひとつの都市が焼き払われた。そして――。

 ウィッチタブルーの母であるイシュタルの巫女ブルーヘブンもまた、この反乱劇によって生命を落とした。それを知った当時七歳のウィッチタブルーは即座に家を出て、帝国に向かった。帝国の宮殿にやってきたわずか七歳の女の子は門を守る衛兵に向かって、はっきりと言った。

 「皇帝に会わせて。殺すから」

 当時、弱冠じゃっかん一四歳ながらすでに皇太子として立てられていた長子ニディフォルミスのはからいにより、皇帝オーレンドルフィーと面会したウィッチタブルーはその日一晩中、大帝国の皇帝相手に盛大な口喧嘩をやらかした。

 オーレンドルフィーに気に入られたのかなんなのか、ウィッチタブルーはそのままギルガメッシュの宮廷で暮らすことになった。そして、気がついてみればオーレンドルフィーの養女とされ、長子ニディフォルミス、二子アクロコナ、三子グレゴリアナの義理の妹となっていた。

 ニディフォルミスもアクロコナも屈託くったくなくウィッチタブルーを妹として受け入れた。とくに、アナとは同い年と言うこともあって仲が良く、いまでは毎日のように風呂とベッドを共にする関係となっている。

 そして、一七歳となったいま、諸国を巡り、見聞を広めるために旅に出たのだ。

 ――なぜ、母は戦争なんかで死ななければならなかったのか。

 その答えを知るために。

 普通に考えれば相当に深刻で壮絶な展開。帝国皇女であるアナとの関係もかなり微妙なものとなるはずなのだが――。

 ウィッチタブルーとグレゴリアナ、ふたりの性格によるものかなんなのか、端から見ているとどうにも『珍道中』というしかない道のりになっているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る