朝六時に登山口に近い駅で待ち合わせた。足立さんは遅刻しない人だから、なんとなく喫煙所に向かった。見慣れた人がいた。やっぱり、と思った。ザックを背負ったまま社交ダンス待ちみたいな姿勢で煙草をふかしてる。やたらと背筋が伸びて見えるのは、ザックの背面に組み込まれたフレームのせいだ。なんでわかるかって、あれと同じ物を私は使ってるから。なんなら今も背負ってるし。


「おはようございます」


「ちょっと。それおかしくない」


「え、なにがですか」


「おそろじゃん」


「あ、そっすね」


「そっすねじゃなくて」


「いや、違うんすよ。私がかわいいなって思うやつを勧めてたら、たまたま全部上から下までお揃いになったっていうハプニングで、だから品質にはまったく問題ないですし、それに色違いです。バレないですよ」


 そう言うと、足立さんはため息をつくみたいにして煙草の煙を吐き出した。それからハプニング、と呟いて小さく笑った。お金はちゃんと返してくれた。やっぱり足立さんを誘って正解だった。


「けっこういる」


「あー、もう終わりかけっすけど、紅葉シーズンですからね。もっと早い電車があればよかったんすけど」


 登山口に向かって並んで歩き出した。みんな同じ方向に歩いてるけど、いざ山に登り始めると混雑は気にならない。ほとんどの山では登山道はひとつじゃないし、目的地だって歩くペースだって人それぞれで違うから自然とばらけるんだ。この山には何度も登ってことがある。注意する点がないわけじゃないけど迷い道もしないし、鎖やロープが取り付けてあるような難所もない。だからって楽勝っすよ、とは伝えてないからか、足立さんはさっきからちょっと落ち着きがない。


「ねー、川、川があるよコマちゃん。お魚いるかなー」


「お魚」


「ちょっと、そういうの強調しないで、単なるミスだから」

 

「あ、はい」

 

 落ち着きがないのは緊張からくるものではないらしかった。

 足立さんは街ですれ違えばただのヤンキーなんだろうけど、職場で会うときは作業服姿だし今も全身山装備だし金髪は束ねてるから目立つこともないし、なんなら橋の欄干から身を乗り出して川魚のことをおさかなって呼んじゃって照れちゃうとかヤンキーのくせにかわいいが剥き出しになっててちょっと迷惑なくらいだった。

 登山道の入り口あたりの邪魔にならないところで準備体操をした。私は屈伸運動をしたり足首をぐるぐるさせる程に留めておいたけど、足立さんはやたら入念に身体をほぐすもんだから見てるこっちが疲れてきた。まだ山には入ってないけど土だか枯葉なんだかが発酵するような匂いがする。不思議と穏やかな気持ちになる。だからってこの空気を閉じ込めて部屋の芳香剤にしたいとは思わないんだけど。


「どのくらいなの」

 

「休憩いれて二時間くらいすかね」


 錆びついたブリキ人形みたくぎこちなく頷く足立さんに対して、さも深刻そうな、やたら含みを持たせた重い頷きを返しておいた。

 でも二時間なんてほんとあっという間で、実際にあっという間に山頂に着いたし、道中すれ違う人はほとんど山装備なんてしてなくて、なんならカジュアル丸出しで余裕みたいな顔をしてた。足立さんもそれには気づいていたみたいだけど、あえてなのか、私たちの大げさな装備についてひとつも言及することはなかった。人はたくさんいるのに、まるで私たちだけが登山をしてるような気分になれて楽しかった。


「記念写真とかします?」

 

「それよかお腹すいたかなぁ」

 

「そっすね。じゃあ、あっちに東屋があるんで、そこで」

 

「マウンテンヌードルー」

 

 思わず苦笑いしてしまったけど、ここまで来て真相を明かすのもちょっと無粋な気がしたのでやめておいた。

 雑にザックを下ろしてお湯を沸かす準備に取りかかる。足立さんはおむすびの入ったレトロな花柄のタッパーを取り出して微笑んだ。工場からパクってきたらしい。タコさんウインナーやら玉子焼きなんかも入ってる。

 

「これ作るのも飽きたなぁって思ってたんだよね」

 

「そうなんですか」

 

「そう。っていうかあれ飽きない人とかいるの」

 

 まぁたしかに。時給はいい方だし、そこで割り切れない人には向かないかもしれない。

 

「でもコマちゃんが入ったから、なんとなく、もうちょっと居ようかなって思ってる。嬉しい?」

 

「え、あー、まぁまぁっすかね」

 

 まぁまぁかよ、って言い終える前におむすびを頬張った。お湯が沸いた。

 二人してカップ麺のフタをペリペリめくる。私はカレー味で足立さんは普通のやつ。普通のやつにしか入ってないエビを一つだけ分けてくれた。世界中のエビのなかでいちばん美味しいらしい。

 

「飽きちゃうとさ、よその国の戦争みたくそれまでのことを綺麗に忘れちゃうんだよね」

 

「あー、全体的にぼんやりするやつですね。思い出話とかいっこも出てこないっす」

 

 足立さんは、それは病気なんじゃない、と言った。自分自身じゃよくわからなかったから否定もできなかった。医師の意見を求めたいところだった。

 それから、まだ体感では一分ほどしか経ってないにも関わらず蓋をめくって視線を投げかけてきた。食べないの? とでも言いたげたな感じで。

 

「ちょっと早くないですか」

 

「猫舌だから食べてるうちに麺が伸びちゃうんだよ」

 

 フォークで持ち上げた麺は、見るからにまだ硬そうだったけど、それでも足立さんはふぅふぅして啜った。たいそう御満悦な様子だった。私も足立さんに習って食べてみた。じゃがいもはまだ乾いててスナック菓子みたいで美味しかった。

 

「マウンテンヌードル、美味しい」

 

「気に入ってもらえたらよかったです。今度は別の山に行きましょう。山ごとに味がすこし変化するらしいんです」

 

「そうやって適当なこと言って、私を引きずり込むつもりなんでしょ」

 

「そんなことないっすけど、そうっすね」

 

「どっちだよ。まぁいいけど」

 

 足立さんは視線を落としてカップ麺に集中した。

 もしかしたら、私が登山に飽きるかもしれないし、足立さんがカップ麺に飽きるかもしれない。そうなったらお互いに今日のことなんて忘れちゃいそうだけど、それならまた別の楽しそうなことを見つられたらいいな、と思った。


「サーフィンヌードルって知ってますか」


「え、サーフィンもすんの?」

 

「波乗りしながら食べるカップ麺は美味いっすよ」


「いや、無理あんでしょそれ」


「それがですね、サーフィンにも三種の神器ってやつがあってですね」


「まずボードなんでしょ」


「よくわかりましたね」


 大袈裟に目を見開くと足立さんは呆れたように笑った。思い出とかいらない。とりあえずの今と、ぼんやりとしたこれからがあればそれでよかった。

 おにぎりを頬張った。けっこう美味しくできててちょっとだけ嬉しかった。

(了)

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マウンテン・ヌードル げえる @gale-chan

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