あの花火をもう一度

椿油

あの花火をもう一度

「好き……。」

 花火の音に混じって呟く。聴こえているかどうかもわからない告白の言葉。しかし、どうやら届いてしまったらしい。

 「……っ。」

 顔を見れば分かる。彼はきっと返答に困っているのだろう。空が明滅する。最後の花火が打ちあがったようだ。

 「皆の所に戻ろうか。」

 彼が言う。引き止めたかった、でも臆病な私は彼を止めることは出来なかった。



       ✿



 あれから一年、高校生活三度目の夏を迎えていた。うだるような日差しは今日も背中を照り付け、蝉時雨は暑さに一層拍車を掛けている。退屈な授業を聞き流しながら窓の外を眺めていると、隣の席の蘭に声をかけられる。

 「ねぇ、牡丹も花火大会行くよね。」

 受験生だというのに呑気なものだなぁと思う。そもそも行く前提で話が進んでるのも訳わからないし。無視する訳にもいかないから、授業中だし後にしてよ、とだけぶっきらぼうに返す。

 「も~連れないんだから。」

 授業中にそんな話をしてくるのが悪い。彼女は当然のように先生からのお叱りを受けていた。因果応報だと思う。


 「も~牡丹のせいで怒られたじゃん。」

 昼休みが始まるや否や、開口一番彼女はそう言って恨めしそうな視線を向けてきた。私のせいじゃないでしょうと呆れ顔で返す。

 「それでさ、さっきの話の続きだけど、行くよね。」

 彼女が先ほどの話を蒸し返してくる。行きたくないわけではないけど、受験を控えた夏に遊んでていいものかと渋い顔をしてしまう。彼女は受験についてはどう考えているんだろうか。少し気になった私は彼女に尋ねてみた。

 「受験生だから遊んでばっかじゃいけないって。高校三年生の夏は今年しかないんだよ。女子高生最後の夏に思い出の一つもないなんて悲しすぎるじゃん。だから受験は受験、夏休みは夏休み。」

 いつもはおちゃらけてる癖にこういう時だけはスラスラと理由が言えるんだもんなと感心する。あきれ混じりに彼女を見つめると彼女はこう続けた。

 「それに……、もう一度彼を誘うチャンスじゃない。」

 彼女の目線の先には一人の男子生徒がいた。彼の名前は藤井君。明るい性格で男女分け隔てなく接する彼は、いつもたくさんの友達に囲まれている。活発な彼だけど将棋が趣味という知的なギャップが一部の女子に受けているらしい。私はよくわからないけど。そんな彼だから、きっと先約がいるでしょと私は返す。

 「またそんなこと言って。もう一年も経つんだからそろそろハッキリさせなよ。」

 彼女に痛いところを突かれる。ふと一年前を思い出す。臆病な私のほんのちっぽけな勇気。花火にかき消されるはずだった音はどうやら彼の耳にしっかりと響いてしまったらしい。あの時の彼の困ったような顔、あれはどういう感情だったのだろうか。あれ以来彼とはあまり会話も交わしていない。時折視線がぶつかることもあるが、どちらからともなく逸らしてしまう。そんな微妙な関係が一年も続いている。そのモヤモヤは一度たりとも晴れることなく、今も心にわだかまりを残している。

 「それにさ、そんな気持ちのまま受験シーズンなんて嫌じゃない。」

 彼女の言い分も一理あるなと思った。こんなモヤモヤしたままでは受験に集中出来ないだろうなと自分でも思う。それでも臆病者の私は、彼を誘うことを考えるだけで胸が締め付けられるようだった。

 「はいこれ、花火大会のチラシね。来週末だから早く彼のこと誘っておきなよ。ちなみに二人で行くこと、私たちは他の男子誘って連れてくから、上手くやるんだよ。」

 彼女は何を言っているんだろうか。唐突に彼女から告げられた言葉の意味を飲み込めずに目を白黒とさせる。ようやく決心を固めたばかりなのに、いきなり二人きりは私にはハードルが高すぎる。抗議する間もなく他の女の子とプランを立てると言って私の元から離れた彼女を見つめながら私は茫然としていた。



       ✿



 あれから一週間が経った。私の手の中にはくしゃくしゃになった花火大会のチラシが握られている。結局私は未だに彼を誘うことが出来ていなかった。今は金曜日の放課後、今日を逃せばもうチャンスがない。今日こそはと毎日意気込んではいざチャンスが来ると尻込みをしてしまった。やっぱり臆病者の私には無理なのかもしれない。もう諦めようかとくしゃくしゃのチラシを片手に机に突っ伏す。

 「まーだウジウジしてんの。」

 蘭が声をかけてくる。誰のせいでこの一週間やきもきさせられてると思ってるんだろう。人の気も知らない風に彼女は呑気に声をかけてくる。

 「どうせ牡丹のことだから一週間チャンスを逃してばっかだったんでしょ。」

 図星を突かれたことに少し腹が立つ。私だってこの臆病な性格にはとうの昔にうんざりしているというのに。

 「藤井君だったら今帰るとこみたいよ。他に誰もいなかったし、もう今しかチャンスないよ。」

 どうしてそこまで私たちの関係を気にかけてくれるんだろう。それでもその気持ちは素直に嬉しかった。私は席を立ち校門へ向かう。後ろではにやけ顔の蘭が手をひらひらさせている。他人事だと思って。少しずつ校門に近づく。一歩また一歩と進むたびに臆病な私が足にまとわりつく。でも今日こそはそんな自分とはさよならするんだ。今まさに校門から外に出ようとする彼を見つける。藤井君。その呼びかけは音になる前に喉元で消えてしまった。

 「あの、藤井君。花火大会二人で行きませんか。」

 あれは隣のクラスの。名前は思い出せない。どうしてこのタイミングなんだろう。一年越しの臆病にさよならをするために勇気を出したのに、また臆病が私を包み込む。一度止まってしまった足は歩き方を忘れてしまったかのようにピクリとも動かない。彼はどう答えるのだろうか。その答えが知りたい、でも聴きたくない。私の足は今来た道を引き返していた。前に進むことは出来なかったのに、逃げ出すことは容易に出来てしまった。やっぱり私は臆病者のままだった。人もまばらになった校舎を帰り道とは反対に進む。誰もいないはずの教室には蘭がいた。

 「あんた、その顔どうしたの。」

 言われて自分の頬に手を触れる。ひんやりとした感触、そこで自分が泣いていたことに気づいた。その涙が彼に声を掛けられなかったからなのか、はたまた他の子が声をかけているだけで怖気づいてしまった自分の情けなさからなのかは分からなかった。傍にいる彼女から心配の言葉が投げかけられる。私は返事もせずただ下唇を噛みしめていた。



       ✿



 花火大会の当日私は何故か浴衣を着ていた。帯がお腹を圧迫して少し息苦しい。せっかくこういう服を着れるチャンスなんだから着ておかないと損でしょ、という母に流されるままに着物を着せられていた。鮮やかな藍色に色とりどりの花火が散りばめられている。私には少し派手すぎる気がする。結局藤井君を誘うことが出来なかった私は蘭やそのほかの友達と行くことになった。誰もこんなおめかしをしてくるはずもないだろうに、いろんな意味で足取りは重かった。待ち合わせ場所に着くと他の子は既に集まっていた。当然のように私が最後だ。

 「おやおや、牡丹ちゃんは気合が入ってますなぁ。」

 蘭の言葉を皮切りに各々から冷やかしの言葉が飛んでくる。別に私は着たいなんて一言も言ってないのに、という弁解の言葉も虚しくみんなの声に搔き消された。これ以上何を言っても火に油を注ぐことになるので大人しく受け入れることにした。

 「お、ようやく来たね、こっちこっち。」

 彼女の呼びかけに合わせて複数の人影がこちらに向かってくる。クラスの男子たちだ。今日は女子だけのはずなのに、これも聴いてない。彼女といると予定外の事ばかりで時々面食らってしまう。しかも彼、藤井君までいる。あの子の誘いは断ったんだ。そのことに胸を撫でおろしている自分に少し嫌気がさす。そんな自分から目を背けるように事情を教えなさいとばかりに蘭を睨みつける。

 「せっかくなんだから男子もいたほうが盛り上がるでしょ。それに、牡丹がそれだけ可愛くしてるんだからウチも男子どもに見せびらかさないとね。」

 ストレートに褒められて顔を背ける。彼女の裏表のない性格は素直に羨ましい。私は口下手だし臆病だから自分の気持ちを言葉にするのが苦手だ。少し火照った顔を冷やすために女子の輪から抜けると、男子たちの会話が聴こえてきた。

 「藤井が来るとは思わなかったわ、隣のクラスの奴に誘われてたんじゃねえの。」

 「顔は知ってるけどあまり話したことがなかったから断ったよ。それに……。」

 そこで視線がぶつかる。彼はそこで口を噤んでしまった。彼は何を言おうとしていたんだろうか。いつもはすぐ逸らされるはずの視線が今日に限って外れない。顔の火照りが加速する。薄闇の中でも顔が赤くなっていることがばれてしまいそうだ。

 「おーい、そろそろ行こうよー。」

 彼女の声でようやくお互い視線を逸らすことが出来た。時が止まったような感覚、ずっとそうしていたように錯覚する。彼のことが気になってもう一度彼を見る。また目が合う。そしてまた目を逸らす。何をやっているんだろう。それでも彼が気になってしまい三度彼を見る。三度目はなかった。安堵かはたまた落胆か、彼の背中は教えてはくれなかった。



       ✿



 花火の時間までは出店を回ることになった。地元の小さなお祭りとはいえ花火が上がるとあってそれなりの賑わいを見せていた。屋台の並ぶ通りに出てしまえば浴衣を着た人もちらほらいるのでさっきまでの恥ずかしさはなくなった。金魚すくいの屋台の前ではしゃぐ子供を見て幼いころの自分もあんな感じだったかなと目を細める。

 「なんだかあの子たちを見ていると去年の牡丹を思い出すね、すごくはしゃいで私たちを引っ張っていってさ。」

 そんなに昔の事ではなかったらしい。また別の恥ずかしさがこみ上げる。友達とお祭りに行くのなんて初めてだったから去年はすごくはしゃいでしまった。そしてしっかりお祭りの後数日間は自己嫌悪に陥っていた。そっけない態度にしびれを切らした蘭に理由を問い詰められて、正直に話したら大笑いされたことを思い出す。あの時以来彼女との距離がぐっと縮まったから今ではいい思い出になっている。ふとかき氷の屋台が目に入る。去年もみんなと分け合って食べたことを思い出し、私は屋台のおじさんに声をかけた。

 「おっちゃん、ブルーハワイ一つ。」

 同時に声が重なる。また彼だ、今日はなんとも間が悪い。奇しくもお互いが頼んだのは同じ味。屋台のおじさんは私たちの顔を見比べた後、なんだいあんたらひょっとしてコレかい、と小指を立てて見せた。今時その表現をする人も少ないだろうに、なんて頭の隅で考えながら咄嗟に否定しようとすると、彼の言葉が私を遮った。

 「おっちゃん、やっぱりブルーハワイ二つで。」

 彼の言葉におじさんは満面の笑みで答えると手際よくかき氷を作り彼に二つ手渡した。去年も同じところでやっていたし毎年やってるんだろうなとどうでもいいことを考えていると、彼はかき氷を片方私に押し付けてきた。

 「俺の奢り、別に見返りとか求めてないから、気にしないで。」

 そう言いながら渡されたかき氷と彼を交互に見る。彼は少しバツの悪そうな様子でそっぽを向いている。正直なぜ彼が私に奢ってくれたかは分からないが素直に嬉しかった。照れ隠しに小さくお礼を言って私はみんなの所へ戻る。

 「いつの間にかき氷なんて買ったの。去年も皆で食べたよね、懐かしいなぁ。」

 蘭を始めみんなが思い思いに声をかけてくる。りんご飴のように赤くなった頬は祭りの提灯に照らされ誰にも見られることはなかった。

「そろそろ花火の時間だし観覧スペースの方行こうか。」

 彼女の一声でぞろぞろと移動を始める。花火が始まる前にお手洗いだけ済ましておこうか。蘭に一声かけると私は輪の中から抜けた。彼女から去年みたいに迷子にならないでねとからかわれる。さすがに二回目だから大丈夫と軽くあしらい、万が一遅れたら気にしないでと一言付け加えた。



       ✿



 結論から言うと私は今年も一人で花火を見る羽目になった。観覧スペースはトラブル防止の為に花火があがる少し前に封鎖されてしまう。私は見事に時間に間に合わなかった。道に迷うことはなかった。ただ一つ問題を見落としていた。今日私は浴衣を着ていたのだった。浴衣姿でのお手洗いがあんなに手間取るとは思わなかった。急いで観覧スペースに向かったけれど今年も手遅れだった。去年も同じパターンだったような気がして、学ばないなと自虐する。蘭に入れなかったから気にせずみんなで見てとだけ連絡した。そうなると向かう先は一つだった。去年一人になってふらふらしていた時に偶然見つけた特等席。神社の裏手の木が生い茂る一帯に、一か所だけ空が見えるスポットがある。去年も誰も来ないはずだったんだけど。けど彼はここに来た。去年の記憶が蘇る。一人花火を見ていたところに唐突に現れた彼。去年と同じような状況、今年も彼は来るだろうか、ふと自分がそんな期待をしていることに気づく。花火は臆病者のちっぽけな勇気を隠してはくれなかった。星の輝く空を眺める。その時だった。空が光に覆い尽くされる。花火があがった。星の輝きはもう見えない。色とりどりの光で空が彩られている。私はこの特等席から見る花火が大好きだった。木々の隙間からただ一点この場所だけを目指して光が夜空を駆け巡る。光は私の瞼に焼き付いて目を閉じてもその輝きは褪せない。区切りのようにひときわ大きな花火があがったその時だった。いるはずのない彼がやっぱりここにいた。期待していなかったと言えば嘘になる。胸の鼓動がやけにうるさく聴こえた気がした。

 「やっぱりここにいた。」

 彼が言う。その言葉から私がここにいるのを確信したうえで彼がここに来たことを知る。鼓動が早くなる。さっきまで自分を満たしていた花火の喧騒は、既にどこか遠い所へいってしまったみたいだ。

 「一人で花火見ても面白くないかと思ってさ、ここにいると思って探しに来たんだ。」

 一人で見る花火は別に寂しくはなかった。むしろ特等席だと思っていた。でも彼にそう言われた瞬間にさっきまで見ていた花火の輝きは色あせてしまった。今は花火なんて見ていないくせに、視界の端で煌めく光がやけに眩く感じる。彼と視線がぶつかる。今度はどちらも逸らさない。二人しかいないこの空間で目を逸らしてしまえばもう二度と彼の目をみれない気がした。二人の間に沈黙が落ちる。花火の音だけがやけに遠くで鳴り響いていた。ふと光が途切れる。沈黙に耐え切れず私は目を逸らし光の途切れた空を見る。その時最後の一番大きな花火が上がる。

 「牡丹、好きだ――。」

 花火の音は聴こえなかった。音はおろか光さえ見えなかったような気がする。私の目や耳、すべての神経が彼に向いていた。はっきりと音は私の耳に届き鼓膜を反芻する。ただその意味を理解できずに私はたじろいでいた。

 「去年さ、同じ場所で言ってくれただろ。聴こえてたのに俺は答えられなくてさ。牡丹は自分の事臆病者だって言うけど、本当の臆病者は俺だったんだ。」

 はっきりと届いた音の意味が真実であると理解する。様々な感情が体の隅々で暴れまわり零れ落ちそうになる。臆病者同士見つめあう。花火はもう終わってしまった。臆病者を隠してくれるものは今ここには何もない。丸裸にされたような気分に足がすくむ。それでも彼がしてくれた二つの告白が私の背を押し手を引っ張ってくれた。

 「私も、藤井君が好き……。」

 言葉にした途端今までため込んできた感情があふれ出す。堰を切って流れ出した感情はとどまることを知らない。今までの臆病者な私にさよならを言えた気がした。感情は雫となって瞳から一筋流れ落ちた。

 「泣かれると困る、好きな人には笑っていてほしい。」

 彼に言われて袖が汚れるのも気にせずゴシゴシと眼を擦る。今私はきっととんでもなく情けない顔をしている気がする。目は真っ赤で腫れぼったいだろう。それでも私は私に出来る一番の笑顔で彼に抱き着いた――。



       ✿



 その後私たちは何を話すでもなくしばらく二人で星空を眺めていた。さっきとは違う穏やかな沈黙が二人を優しく包んでくれていた。私だけの特等席だったこの場所は、一人では寂しい場所になった。

 「去年ここで見た花火の色って覚えてるかな。」

 おもむろに彼が言う。どうしてと聴くと、いいからと答えを急かされる。もちろん覚えているわけがなかった。皆と合流できず一人寂しく花火を見ることになったかと思えば、いないはずの彼がここに来て花火を楽しんでいる余裕なんてなかったから。覚えてないと私は答える。

 「あの花火をもう一度見れたら、勇気を出して俺から牡丹に告白しようって思ってたんだ。今日牡丹が着ている浴衣の花火の色があの時の花火にそっくりでさ。だから、牡丹が俺に勇気をくれたからこうやって伝えることが出来たんだ。」

 自分の浴衣に目を落とす。思い出せはしなかったけれど、そう言われると何だかとても温かみを感じる。嫌々着せられたけれど、感謝しないといけないと思った。ふと去年なぜ彼がここに来たのかが気になった。でも聴かなかった。去年息を切らしてここに彼は現れた、その理由はきっと私の思っている通りだから。

 「皆の所に戻ろうか。」

 去年も聞いた言葉。でも今年は彼はこちらに背を向けてはいなかった。手を差し伸べてくれた彼に少しだけ待っていてほしいと告げ神社の一角に向かう。そこには絵馬を飾るスペースがある。一枚三百円と書かれた箱に小銭を入れ絵馬を手に取る。

 『あの花火をもう一度二人で見られますように』

 備え付けのペンで絵馬に書いて、そっと隅っこに吊るした。

 「何を書いたの。」

 「ひみつ。」

 私は彼の手を取り、二人並んで歩き出した。

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あの花火をもう一度 椿油 @chinposoiya0

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