【エピローグ】 湊と詩と一花とケンタの物語



 ――思い出はアナログに閉じてある。



 湊は家族の思い出が詰まったアルバムをパタンと閉じた。

 人気なく静まり返っているリビング。

 カチコチとアナログ時計の秒針だけが深夜1時を示していた。


 もう今日になっていたのか。

 湊は小さくため息をついて、汗をかいたグラスに注がれたウイスキーをちびっと飲む。

 と、突然、リビングの扉がキイと開いた。

 そこには若かりし頃の詩そっくりに成長した一花が顔を出した。


「――お父さん」


「なんだ一花、まだ起きていたのか」

「お父さんこそ」

「寝ないと駄目じゃないか。……明日は結婚式なのに」


「うん、そうなんだけど。眠れなくて」


「花嫁が寝不足なんて、式の間が辛いぞ。眠れなくても、横になって体を休めなさい」


 しかし、一花は部屋に戻るどころか、湊が座るソファーに近づいて来て隣に座った。綺麗なストレートの髪をくるくると弄び、何か言いたげだ。


「……お父さん」

「ん?」

「お父さん、大変だったでしょう?」

「何がだい?」

「お母さんと、結婚したこと。私は小さい頃から二人を見ているから、結婚するのは当然の事だと思っていた。でもさ、そのことを話すといつも友達には驚かれたもん。よくそんなメンドクサイ事が出来るねって。お父さんもお母さんもそういう風に考える人が多い希望の園で生まれたのに、結婚しようって思えたの、ホントすごい」


「……確かに詩と二人での子育ては大変だった。しょっちゅう喧嘩もしていたし一時期は夫婦のピンチの時もあったね。けれど、ケンタがやって来てからは物理的にも、精神的に楽になったよ」


 リビングの隅に作られたケンタのベットの中で大の字になり、大いびきをかきながら鼻ちょうちんを作るケンタを見て、二人はクスリと笑った。


「ケンタってホント、面白い犬だよねー!」

「そうだな。でも、あの子の個性に僕らは救われたんだ。あの子のおかげで、僕たちは笑って、こうして一花が大人になるまで一緒に居られた」


「……私も、こんな家族を作りたい。だから、発信していく。きっと否定されてばっかりだろうけれど、一人でも私たちの事、知って貰いたいから!」


 一花は今、女性経済紙のルポライターとして働いていた。そのコラムに、自分の恋愛・結婚話や湊達の話を入れたいとずっと言っていた。

 まだ、その夢は叶った訳じゃないが、一花の結婚話を聞いた同僚たちが興味津々なのを見て、上司が検討してくれるらしい。


「ふふ、困った時はいつでもお父さん達やケンタを頼りなさい。楽しい事は分かち合って、辛い事はみんなで背負えばいいのだから」


「……ありがと」


 一花はすっくと立ち上がる。


「じゃあ、寝るね。……明日もよろしね」

「うん、おやすみ」


 一花はケンタの元へも行きしゃがむと、彼の頭を撫でて、リビングから出て行った。









 明日、一花は結婚をする。


 一度は廃れた結婚式。再び再燃ブームが数年前から起きていた。

 主流として、人間とアンドロイドと結婚式らしいが、もちろん、人間同士でも式場は快く受け入れてくれる。

 

 一花は小学校時代の同級生の青年と数年前に再会し、結婚を決めた。

 偶然にも詩と、相手の青年の母親が産院で知り合ったことがあったらしく、二人は数十年ぶりの再会に喜び合っていた。

 母親同士、友情も芽生えた様だ。



 そして湊は明日一花と共にバージンロードを歩く。

 バージンロードは人生の道。

 花嫁と誰よりも長く過ごした男性が共に歩く道。


 思い返すのは、一花がこの世に生まれ落ちた時。


 育休中の孤独の中、一緒に歩いた黄昏の多摩川。

 残業の後、眠る一花と共に歩いた月明かりの住宅街。

 一緒に入ったお風呂で歌った童謡。

 入園式の日、三人で歩いた桜並木。

 海水浴、キャンプ、遊園地、登山旅行。色々と出かけた。

 初めて父の日にくれたプレゼント。青色のネクタイ。

 反抗期のつれない態度。

 一花が全く相手にしてくれなくなって、ケンタが慰めてくれた。

 詩が乳がんになり、心身共に参ってしまった。

 一花の存在が夫婦を支えてくれた。

 詩が入院している間、一花が湊に初めてお弁当を作って励ましてくれた。

 もうこんな事が出来るんだな、あんなに小さかったのに……と湊は感動した覚えがある。



 ――先週、久しぶりに家族で一緒に歩いた多摩川。


 一花の歩くペースが一番速かった。

 その若さで、これからの広い海のような人生を切り開く様に。


 遥か遠く、鉄橋を走る電車を眺めた。

 けれどもう、湊は孤独じゃなかった。


 詩と一花とケンタが居たから。


 たくさんの思い出が詰まった家族。

 明日、一花が家族から離れていく。


 明日はこれから先、一花と共に人生を歩く男へと託す日。

 


 明日はきっと泣くんだろうな。



 静かに胸を痛ませながら、僅かに残ったウイスキーを一気に飲み干した。

 




 ◆





 案の定、湊は式の途中から涙が止まらなかった。

 一花が親への手紙を読んで、号泣する湊にハンカチを貸してくれた詩。

 式も円滑に終わり、式場の出口で来客を見送りながら、隣に立つ詩に言った。


「詩、僕は君と結婚して良かったよ」

「なによ、突然!」

「いや、本当に。結婚してくれて、ありがとう」


 詩はそう真顔で言う湊に、少し呆れた顔をしたが、


「私も……。私もよ。お礼を言うのは私の方だわ。ありがとう。明日からも……よろしくね」


 そう詩が言ったとき、湊は改めて気が付いたのだった。

 結婚はゴールじゃない。

 始まりだって。


「そうだね。これからも末永くよろしくね」

「わん!!」


 二人の会話を聞いていた赤い蝶ネクタイを付けたケンタが、任せろとばかりに胸を叩いて鳴いた。


 湊と詩が笑うから、純白の花嫁姿の一花が「みんなで何やってんのよぉー?」と寄り添ってきた。



 ケンタはそんな風にじゃれ合う大切な家族を見上げ、嬉しそうに声高らかに鳴いた。




 ー完ー

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ハッピー・アンハッピー・ウエディング ー湊と詩の場合ー さくらみお @Yukimidaihuku

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