詩の場合2


 臨月になった。

 重たいお腹を支えながら、圧迫されて痛む股関節を堪え、片道一時間もかけて東京都文京区の大病院へと妊婦健診に出掛けた詩。


 ――2123年の現在、全国に産科は二十か所ほどしかない。

 大概が人工子宮機マザーから生まれるのだからである。小児科は希望の園の中にあるのだが「分娩」となると、かなり場所が限られていた。


 空気の澱んだ地下鉄から、やっとこさ外の空気を吸う。朝晩は冷えたとはいえ、まだまだ日中は真夏日になる九月初旬。

 素早い行動が出来なくなっていた詩を、通りすがる通行人達は物珍しそうに一瞥して追い越していく。正確に言えば詩のお腹を、だろう。

 お腹が目立つようになってから、詩はちょっとした有名人になっていた。

 好奇に満ちた、時々軽蔑に感じる視線を受けながら、詩はそんな視線に負ける事なく、強い信念を持って堂々と胸を張って歩く。

 股関節は痛いから、実際は少し猫背だが。


 もうすぐ病院だという交差点。

 赤信号に立ち止まり、一息吐く詩。

 ふと視線を上げた先で、思わず心臓が止まるかと思った。


  ――『蓮人』を見たのだ。

 

 詩の母親と同じ、50代くらいの女性だろうか。

 仲よさそうに蓮人と腕を組んで、街並みを歩いていた。


 『蓮人』

 それは20年前に日本の芸能業界を席巻した超美形俳優。

 日本人離れした西洋的で中性的な顔立ち、天然で優しいのに、演技になると男らしい立ち振る舞いのギャップ萌えが女性を中心に受けた。


 母親と同世代の女性は『蓮人』のアンドロイドを生涯の伴侶にと所望し、ある年の年間カスタマイズアンドロイド生産ランキングで一位が『蓮人』になったほどだった。


 詩は立ち止まり、幸せそうな蓮人と女性を見つめる。偽りを本物と信じて微笑む女と、偽りだけで作られた傀儡かいらい


 母親と、母親の蓮人を彷彿とさせて吐き気がした。眩暈もしてきて思わずその場にしゃがみ込むと「お姉さーん、だいじょぶー?」と背後から声を掛けられた。

 眩しい日差しに目を細めながら見上げれば、そこには大きなお腹があった。


 詩よりも若い女性。大学生くらいだろうか。

 髪の毛は脱色していて金色。付け根はかなり黒い。それを一つに束ねていた。

 童顔で太い眉毛にまんまるの目をしていて可愛いが、肌は吹き出物だらけ。

 手足が細いのにお腹だけ異様にせりでている。

 詩と同じ妊婦だ。


 ニコッと微笑むと、詩に若者らしい、張りのあるつややかな手を差し伸べた。




 今の世の中、妊婦は物凄く少なくなった。

 だから産科の医者はもっともっと少ない。

 この病院でも予約時間通りに行っても、いつも混んでいるし、突発的な分娩などで待つのが半日なんてのはザラだった。


 詩もいつもはミステリー小説を読んで気長に待っている。しかし今日は先ほど、手を差し伸べてくれた若い妊婦の若葉わかばと話していた。

 若葉は見知らぬ詩に声を掛けて来ただけある。

 気さくで人懐っこく、反面、少し無遠慮な感じがした。


「あの~、詩さんは普通に男と結婚したんですか?」


 不躾に、詩の事を聞いてくる若葉。


「え、ええ。そうよ」

「へえー! 何が良かったんですか? 男よりもアンド(ロイド)の方が超カッコいいし、臭くないし、威張らないし、殴らないし、優しいし、浮気もしないんですよ??」


 きっと、本人としては悪気は無いのだろう。

 ただただ、不思議でしょうがないのだろう。

 これ以上、自分の行いに対しての非難を聞きたくないために「そういう、若葉さんは?」と話題を若葉に向ける。


「あたしはアルバイトで夜のお店にいたんですけど~。マニアックなお客が、本物の女の子とエッチしたいって言ってきて。したら30万くれるっていうから、したんですよ~。そしたら妊娠しちゃって」

「えっ?」

「ほら~、周りに妊娠している子なんて中々いないでしょ? あたし、自分が妊娠したのに気が付いたの、先月なんすよ~! なあんか、お腹ん中、ボコボコする~って思って、病院行ったら、妊娠していたんです。赤ちゃん、お腹にいたんです!」


 チラと若葉のお腹を見る詩。詩とほぼ変わらない大きさ。

 今日生まれてもおかしくない。


「……育てるの?」

「あー、ムリです。一人じゃ育てられないです。大学も行っているし、生んだら希望の園にお願いする予定です」

「……そう」

「ここで出会った子、私みたいな子も結構いるんですよ。興味本位で妊娠しちゃった子。みんな知識がないから、気が付いたら結構お腹大きくなっているみたい。……まあ、あたしぐらい大きくなってから気が付くのは先生も珍しいって!」


 ケラケラと自分の無知さを嘲笑う少女。

 しかし、この少女だけが無知である、という訳ではない。

 現実は今の世の中でも小学校高学年の頃から、学校で性教育は行われている。

 しかし、それはただ教科書に書かれている文字と図を読む時間であり、それ以上の意味はないのだ。  

 妊娠をするつもりのない女の子達にとって、現実味のないお話。

 だから、詩は今でも覚えている。

 妊娠の授業の間、大半の女の子達は遠い国の物語でも聞いている様な、遠い目をしていた。


 それから待合室の診療案内掲示板が、若葉の番号を表示する。

 若葉はスタスタと診察室へと続く廊下を歩いて行った。素早く歩けるのは、若さだろうか。


 その時、詩のお腹の中で赤ん坊が動いた。

 ぐいぐいと詩の腹部の左上を蹴る赤ん坊。

 お腹にぽこっと足の形が出来る。


 詩はその部分を、優しく撫でた。


(そうよね、これからよ。これから分かるのよ。私の選択が間違っていなかったって)



 それから、五日後。

 詩は小さな女の子を生んだ。

 前駆陣痛から丸二日。

 難産だった。

 最後の数時間は悲鳴も上げられなかった。

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