9、長谷雄と青鬼<終>

 

 その後100日たって、あの鬼が人の姿でやってきた。


 長谷雄は、正直に事の顛末てんまつを話した。


 今となっては、雫のことを知っているのは自分とこの鬼だけだった。

 話を聞き終わると、鬼はため息混じりにつぶやいた。


「あれの幸せを思いあなたに預けたものを……うらめしいものだ」


 怒っている様子はなかった。

 鬼はこうなることを、こうなってしまったことを知っていたかのようだった。


「すまない……取り返しのつかないことをした」


「あれが誰だかわかったのか?」


「ああ、私の愛したたった一人の姫」


 きらめくしずくとなって消えた雫姫。


「雫は笑って逝ったか?」


「ああ、何度も救われたあの笑みで去っていった」


 見つめる先には、よく磨かれた琴が置いてあった。


「ならいい……お前に一言伝えるためだけにこの世に留まった稀有けうな女だ」


 鬼もまた、その琴を見つめた。



「彼女の音に、鬼すら心動かされたか……」


 長谷雄の落ち着きはらった言葉に、鬼は驚いた。


「私が鬼であることを知っていたのか?」


 それでよく今まで平気で話をしているものだと鬼は呆れた。

 人は鬼を恐れ、毛嫌いするものだからだ。


「雫のことを知っているのは、私と貴殿だけだ。たまには、双六すごろくでも打ちに来てくださらぬか? 賭けは抜きですがな」


 長谷雄は、自分が無茶な申し出をしているとは分かっていたが、時折り誰かと雫のことを語りたいと切に願っていたのだ。


「鬼だぞ? よいのか?」


 鬼は、長谷雄の申し出を喜んだ。


「なに、鬼でも構わぬ。一時でも雫を私に引き合わせてくれたお人だ」


 長谷雄は、雫が去って以来はじめて笑った。


 雫の残してくれた想いは今もここにある。

 自分にも鬼にも……。



 それにつられ、鬼も微笑んだ。


「暗い門の中であの女の魂だけが私に温もりを教えてくれた。

 雫は、いずれお前の黄泉路よみじも暖かく照らしてくれよう。

 だか、まだそれにはまだ早い」


「ああ、そうだな……まだ、早い」


 長谷雄は、傍らに雫の暖かな気配を感じた。


 辛くなったら、何度でもあの琴の音を思い出せばいい。

 そうすれば、また生きて行ける。


 雫の望んだことは、そう言うことなのだ。



「雫……、いつの日にか、胸をはって会おうぞ」




 その日まで、私は生きよう……。








 残された琴を風がでる。



 奏でられるのは、恋の歌。



 ―――  愛しい愛しい長谷雄様。


    泣かないで、悲しまないで。


    私は、いつもお傍におります。





    雨のしずくに、


    朝のきりに、


    葉のつゆに、




    天へかえり、


    地へ還る。




    天へ還り、


    地へ還る。




 繰り返すの中、ずっと見守っております。







     ◆ 終 わ り ◆


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* * * 

原案:古典 長谷雄草紙


参考文献:「鬼のいる光景―『長谷雄草紙』に見る中世」楊 暁捷 (著) 角川叢書

     「長谷雄草紙」「後撰和歌集」「古今和歌集」

作中短歌:

ふしてぬる 夢路にだにも逢はぬ身は なほあさましき うつつとぞ思ふ

後撰和歌集より 紀長谷雄


よるべなみ 身をこそ遠くへだてつれ 心は君が 影となりにき

古今和歌集よりよみびとしらず




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しずく姫~長谷雄草紙より~ 天城らん @amagi_ran

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