　　　　　七

　うさぎの朝（あさ）は早（はや）い方だろう。

　ペットの猫（ねこ）が、帳（とばり）の明（あ）けはじめに、行動（こうどう）を活発化（かっぱつか）させるからである。

　人間（にんげん）が寝（ね）ている間（あいだ）は、自粛（じしゅく）しているのだろう。窓（まど）を開（あ）けたことで躰（からだ）の上に飛（と）び乗（の）り、起（お）こされる。窓（まど）を開（あ）けて直（す）ぐに二度（にど）寝（ね）するが、唸（うな）るように発（はっ）する鳴（な）き声（こえ）を、聴（き）き流（なが）せないでいた。

　その日は何時（いつも）と違（ちが）う装（よそお）いで、凶日（やくび）を教（おしえ）えていた。虫（むし）の知（し）らせ等（など）と同じ類（たぐい）だが、第（だい）六感（ろっかん）を備（そな）えているのが人（ひと）である。

　不穏（ふおん）は眼（め）に映（うつ）らないが、身体（からだ）に纏（まと）わり付（つ）く電磁波（でんじは）が、それを教（おし）えていた。

　うさぎは明（あ）けの明星（みょうじょう）を探（さが）した。―が、この時期（じき）に見える明星（みょうじょう）は、宵（よい）であった。

　猫（ねこ）に促（うなが）されて、宇宙（そら）に眼（め）をやった。薄曇（うすくも）が張（は）り出された宇宙（そら）は、電磁波（でんじは）により形（かたち）を変（か）えて、意思表示（いしひょうじ）を示（しめ）していた。

　電磁波（でんじは）が教（おし）えていたのは『躓（つまず）きに注意（ちゅうい）』である。人（ひと）は躓（つまず）いて身（み）に染（し）みる生（い）きもの。失敗することで、身に積（つ）まされる。経験（けいけん）として刻（きざ）まれることで、防衛（ぼうえい）機能（きのう）が働（はたら）き、糧（かて）となるのだ。

　半信半疑（はんしんはんぎ）で午前中（ごぜんちゅう）のシャトル業務（ぎょうむ）を終（お）えて、当（あ）たり前（まえ）の日常（にちじょう）に戻（もど）っていた。

　迎（むか）えは、乗（の）せ忘（わす）れに注意（ちゅうい）が要（い）る。時間を忘（わす）れて遊びに熱中（ねっちゅう）する子供（こども）たちを探（さが）して、バスに気付かせるからである。違（ちが）う考え方の運転手たちは、取（と）り零（とりこぼ）さないために、遅（おく）らせて走（はし）る者（もの）もいるが、レッスンに遅（おく）れることはご法度（はっと）だった。

　気持（きも）ちは解（わか）っても、仲良（なかよ）くなれば、得（え）てして甘（あま）くなるもの。社会（しゃかい）の荒波（あらなみ）を乗（の）り越（こ）えるために、ルールを躰（み）に附（つ）けることを教（おし）えたかった。うさぎ自身（じしん）も知（し）らぬ間（ま）に、鞭（むち）が施行（しこう）されていた。妄想（もうそう）に駆（か）られている瞬間（しゅんかん）に、女の子がけつま付（づ）いて、出入口の扉（とびら）に頭（あたま）をぶつけていた。

　うさぎは運転席から手を伸（の）ばした。女の子は自責（じせき）の念（ねん）で顔（かお）を歪（ゆが）めている。周（まわ）りに人は居（い）なく、自力（じりき）で起（お）き上がった。

「大丈夫？、あやちゃん」

　仲良（なかよ）しの女の子が訊（き）いていた。

「ありがとう。ぶつけたとこ、ちょっといたいけれど大丈夫（だいじょうぶ）」

　うさぎは、その会話を盗（ぬす）み聴（き）き、取（と）り敢（あ）えず安堵（あんど）した。

　だが

『ぶつけたんだから痛（いた）いに決（き）まっているでしょっ』という思念（しねん）を傍受（ぼうじゅ）した。

　もしや、っと想（おも）ったのは、次妹の娘（むすめ）である、理性（りせい）に気付いたからである。

　ギリシャ神話（しんわ）ではデメテルの娘（むすめ）が、ハデスに拐（さら）われて、地獄（じごく）と繋（つな）がる洞窟（どうくつ）の話（はな）しがある。

　日本（にほん）神話（しんわ）では、天岩戸（あまのいわと）に立（た）て籠（こも）り、人々（ひとびと）の騒（さわ）ぎで出（で）てくる話（はな）しがある。祭（まつ）りの発祥といわれる風習（ふうしゅう）は祈願（きがん）ではなくて、神々（かみがみ）と人との交流（こうりゅう）をさしていた。

　確（たし）かに奉（まつ）りと祭（まつ）りの違（ちが）いはあるにせよ、神と人との交（まじ）わりが受（う）け継（つ）がれていることに変（か）わりはない。

　理性（りせい）について説明（せつめい）しておこう。

　次妹の分身（ぶんしん）の理性（りせい）は、神の見習（みな）いの天使（てんし）である。感性（かんせい）が身（み）を削（けづ）り神々を誕生（たんじょう）させたように、次妹から分割（ぶんかつ）された理性は、神の子だ。但（ただ）し、神の子でも、必（かなら）ず神に成（な）れるとは限（かぎ）らない。汎用（ぼんよう）な資質（ししつ）と判定（はんてい）されれば、原点回帰（げんてんかいき）されて終（しま）う。

　人は、産（う）まれ成長（せいちょう）して物心（ものごころ）をつけるが、神は生まれたその瞬間（しゅんかん）から記憶（きおく）ができる。人は成人（せいじん）して大人（おとな）となるが、神の子は規程（きてい）に達（たっ）しない限（かぎ）り、神に成れないのだ。潜在（せんざい）能力（のうりょく）を持（も）ち合（あ）わせておらず、自（みずか）らの成長（せいちょう）分（ぶん）だけが、評価（ひょうか）されてステップアップするのである。そこにあるのは、蛙（かえる）の子は蛙ではない、ということだ。

　ただ、側（そば）に居（い）る神々を視（み）ているだけに、その品行（ひんこう）は自（おの）ずと似（に）てくるものだから、善悪（ぜんあく）の二極（にきょく）性（せい）を持（も）ってしまう。言葉（ことば）遣（づか）いが悪（わる）い、というのが一般的（いっぱんてき）だった。それを勘違（かんちが）いした人間が、傲慢（ごうまん）を生業（なりわい）にしたことは、必然的（ひつぜんてき）だった｡

『今回の試練（しれん）はなんなんですか、理性さん』

『・・・、どうして、あたしと判（わか）ったのかしら』

『ひと言（こと）多（おお）いのが、理性さんの特質（とくしつ）でしょう。人に限（かぎ）らず、なくて七（なな）癖（くせ）あって四十八（しじゅうはち）癖（くせ）、というのが、生命体（せいめいたい）の生態系（せいたいけい）ですからね』

『そうだとして、あたしと限定（げんてい）する根拠（こんきょ）はなに』

『思（おも）い込（こ）みに左右（さゆう）される理性は、保（たもつ）つのが容易（ようい）(妖異（ようい）)ではないですからね』

『そんなもんかしら？』

『己（おのれ）を知（し）りなさい、って、次妹さんによく、謂（い）われませんか』

『謂われるけれど、だからどうしろと謂うのよ』

『知るからこそ、最悪（さいあく）を回避（かいひ）できるんです。至（た）りない経験（けいけん）は、知性（そうぞう）でカバーするんです。だから次妹さんから分離（きりはな）されたんです』

『あたしが、次妹（はは）様（さま）を補（おぎな）うなんて無理（おかどちがい）よ』

『今は、というだけです。だから見習（みなら）いなんです。五弟（おじ）さんが気（き）に掛（か）けるのは、良心（りょうしん）であって、バカにしている訳（わけ）ではないんです』

『そういう赤瞳こそ、あたしを蔑（みくだ）して要（い）るんじゃないの』

『私がですか？　私はただ、円滑（せいじょう）な成長（のびしろ）を見定（みさだ）めているんです』

『物（もの）は言（い）いようね』

『？　結果（けっか）は必（かなら）ず付（つ）いて回（まわ）ります。生い立ちに限（かぎ）らず、正否（よしあし）は、本人の糧（かて）に生（な）りますからね』

『経験（じかく）したような言い回しはやめなさい。高々（たかだか）人の身分（なり）のくせに』

『それでも、千里眼（せんりがん）を持（も）ち、神々との遜色（そんしょく）はないですし、宇宙（てん）の意志（いし）を代弁（こうひょう）できます』

『だから？なに』

『ならば、原点回帰（げんてんかいき）されると良（い）いです。神々にしても、天使（てんし）にしても、人間にしても、掃（は）いて捨（す）てるほど居（い）ますからね』

『それは、感性様が決めること。赤瞳にはできないでしょう』

　うさぎは少し呆れてしまい、言葉（つづき）を無くしていた。

『能書（のうが）きはそれくらいにしておきなさい、理性、感性様の心（いし）は受（う）け継（つ）ぐものよ。赤瞳は、己（せいたい）を知（し）るが故（ゆえ）に、主素（しゅそ）を取り込まないの。生命（いのち）を尊重（だいじに）する理由（わけ）は、規格（じようげん）以上（いじょう）の動力源（エネルギー）を知（し）るからよ』