3月5日(土)ー③

 先のようなトラブルはあったものの、学力試験は予定通りに行われるとのことで、私たちは実習区画エリアと対面にある、東側、教練区画エリアの数学棟の教室に集められた。他の棟に呼ばれた生徒もいるらしく、学力はほぼ全員が同時に行われるようであった。

 この教練区画エリアの特徴は、科目ごとに棟が存在することと、なにより普通であることだ。というか、普通でない他の区画エリアがおかしいだけではあるが、ここが学園の良心であることは、誰の目から見ても明白であった。

 ちなみに、生徒たちの寝泊まりする寮も、比較的安全なこの区画エリアに建てられていた。

 座るように指示された机には、不正防止のためか筆記用具が用意されていて、答案用紙は集まってから配るとの通達があった。他の受験生も続々と集まり、少しすると教室がいっぱいになった。

 それを確認したスタッフが手分けをして問題用紙を配りながら、試験についての説明を始めた。

「今配ったのが答案用紙になります。開始の合図は私が。この砂時計が落ち切ったら制限時間となります。時間前に解き終わったらそのまま待機していてください。我々が回収した後には自由に退出頂いて構いません。最後に、名前が無ければ無効となりますので書き忘れのないようご注意くださいね」

 そう言い切り、生徒側の様子を伺ったのちに合図と共に砂時計が裏返された。

 同時、教室の全員がペンを取り、答案用紙に向かい合う。答案用紙は全部で五枚。内容は歴史から算術までさまざまに、平民であろうと知っているようなものから、ば専門家になれるレベルの問題まであり、貴族でも何の対策もしていなければ半分程度しか点を取れないのではないだろうか。

 私も対策はしていたが、流れのままにすべてを解き切ることはできず、何度かペンを置いて頭の中を空にする必要があった。

 そうして何度も問題に向き合い、なんとか制限時間前に問題欄を埋める。見直しをして、ケアレスミスだけないよう確かめた後にペンを置き、終わったことが伝わるよう小さく手をあげ、スタッフに用紙の回収を促す。

 回収までの間、手持ち無沙汰になった私は、注意されない程度に周りの様子を伺ってみる。

 すでに解き終わったのか、はたまた諦めたのか、机に突っ伏している生徒や真面目に見直しをしている生徒がいる中、特に目立つ生徒がいた。

 聖女だった。

 その可愛らしい顔を歪めながら机にかじりついて、声だけでも苦戦が理解できるくらいには唸り声をあげていた。

 それでいて手助けをしたいと思う程度には可愛さを失っていないのは、流石聖女というべきなのだろうか。

 と、そこで私の答案用紙が回収されたので、席を立ち教室の外へと歩いていく。

 途中で聖女の手元を覗き見ると、どうやら簡単な問題にも苦労しているようで、彼女の暮らしていた村の状況が少し気になってしまった


 用紙を回収してくれたスタッフに礼を告げてから教室を出ると、少し萎びた様子の殿下がぼんやりと廊下に立っていた。

「サミュエル様。今から試験でしょうか?何やら騒ぎなどあったようですが」

「ああ、メグか。それなんだが……」

 紅茶を飲みながら話を聞くと、どうやら私の予想は当たっていたようで、先生に挑発されたので、後先も被害も考えず、今使える中で最強の魔術を、全身全霊で放ったとのこと。そうして魔力切れ寸前になった殿下は医務室に運ばれ、簡単な診察を受けるとともに、他の先生方からしっかりと叱られていたらしい。一から十まで当然の話だ。

 殿下は元々魔術が得意だったのに勇者にもなったのだから、その全力を受け止められる人間がいるわけがない。更には魔力切れを起こすのも、魔術師として未熟だと叱られて当然のことであった。

「それは、全面的に殿下がいけません。常々騎士団の方からも自重を身に着けろと言われていたでしょうに」

「いやしかし、あやつが全力でと……」

「ですから、時と場合を考えろというのです!勇者の件もありますし、このように学力試験に遅れたのは魔力切れを起こしたせいでしょう!」

「ああ、うむ。メグの言う通りだ……。これ以上人を傷つけるのも本意ではない。なるべく自重すると約束しよう」

 しゅんとする殿下を見ると反省しているように見えるが、過去それが守られているなら、私は彼をバカ王子などとは呼ばない。この内面を余人に知られてしまえば、もしかしたら聖女であるセシリアだろうと、許す気持ちは彼方へと消え去ってしまうかもしれない。

 ただ、これ以上指摘したところで何の意味がないことも、経験上理解している。そしてこういう状況になった時、殿下が絶対敵わない相手を引き出すのも、おなじみの流れであった。

「あまりに酷いようですと、王妃様にも報告いたしますからね!勇者という重大な役目を背負ったのですし、そろそろ大人になってくださいまし!」

「ああ、うむ、勇者な。肝に銘じよう……」

 勇者という単語に反応した殿下の顔は、萎れているのとは違う、暗い感情を覗かせていた。いつもであれば母に報告されることに拒否反応を起こすのに、それよりも勇者の方に反応した事実に疑問が浮かぶ。遂に自分の行動について思うところでも出てきたのだろうか?

そうであれば嬉しいなどと思いながら、指導もそこそこに雑談に興じていると、殿下の番が回ってきた。

「では行ってくる。ああ、試験の後、騎士らに混じって鍛錬をするが、お前はどうする」

 こういう時、普段は婚約者として同行していた。今回もそのように返事をしようと思ったが、ふとここで思い直す。婚約破棄を貰いに行くのであれば、こういう面倒な付き合いもすべて無視してよいのでは、と。

 うん、きっとその方がいい。そう判断し、少しの間黙り込み不自然ではない理由を考える。

「申し訳ありません。本日の試験で少し不安な部分がありましたから、今日のところは家に帰って復習させていただこうかと」

「ん、そうなのか?お前であればそう不安になることもないと思うが」

「そう言った油断が後の敗北につながるのですよ。では、殿下も頑張ってくださいね」

 そう言いながら立ち上がった私に、殿下が何かを言いたげにしていたが、それには気づいていないふりをして帰りの馬車へと乗り込む。

 殿下がどう思ったのかはわからないが、追いかけてくる様子もなく、後日追及されることもなかった。婚約破棄に向けてのジャブはひとまず成功したと言えるだろう。この調子で婚約破棄に向かっていこう。

 後日学園から特別に公開してもらった学力試験の結果を見ると、予想通り聖女は下から数えた方が早く、礼儀作法ではない部分の教育担当も苦労するだろうなと、顔も知らない誰かに同情の念を向けるのであった。




***


 試験の日、サミュエルはとある女性と出会い、そして己を呪った。

 決して離れはしないと誓った相手がいるのにも関わらず、揺れ動いてしまう自分の弱さを呪った。

 サミュエルは昔から弱かった。肉体や立場など、強みと言えるところは持っていたが、それも活用できなければ無いも同じ。淡々と台本通りに動き、名も残せずに第二王子としての責務を果たすだけの彼。子供にすり寄ってくる汚らしい大人たち。

 世界に見切りを付けようと思っていた時、マーガレットが手を引き、彼を闇から助けてくれた。揺るぎない自分だけの正義を見つけろと、サミュエルに道を示してくれた。

 彼女からすればそんなつもりはなかったかもしれないが、サミュエルはその言葉に心の底から感謝を言いたかった。

 しかし、口下手なのは変わらず、態度で示そうとしてもその方法が分からない。結局できたことは、言われた通りに正義を探すことだけであった。

 本で調べ、人に聞き、実践し、ある程度彼の中の正義像が固まってきたとき、突然サミュエルの道を邪魔するように勇者の印が現れ、父フォルセティから婚約破棄を告げられた。

 勇者として国を護ることに文句はなかった。だがマーガレットとの仲を引き裂くことだけは許せなかった。

 どうしても納得が出来ず、父から逃げ出してしまったのだが、優しい父は婚約破棄は保留としてくれたようであった。

 その時間を使って、まずは勇者について調べた。正義を行う存在に間違いはなかったが、その力の使い方は載っておらず、具体的な恩恵は何もわからなかった。

 次に、聖女について調べた。勇者と結婚する運命にあるという情報を見て、彼は慌てて父の元を訪れた。

 こんな与太話で婚約破棄をするというなら、そんなものに振り回される必要はない。

 怒りを込めてそう告げると、父はため息をついて与太話ではないなどと言う。

 周りの誰に聞いても運命であると祝福され、魔術の師である大叔父からも、すまないと謝罪を口にされてしまった。

 マーガレットにも意見を聞こうと彼女の家を訪れたが、あなたを会わせるわけにはいかないと門前払いを受け、ただ悩み続けるしかなかった。

 悶々と一人で悩み続け、いつの間にやら来た入学試験の日。それはサミュエルにとって、一文字違いの試練の日となった。

 その日は久しぶりにマーガレットに会うことが出来た。彼女も婚約破棄を受ける前と同じ雰囲気で話しかけてくれて、とても嬉しかったのを覚えている。

 だがその日、それを超える衝撃を受けた。

 セシリアと名乗った特待生は、マーガレットのように手を引いてくれる女性ではなく、サミュエルを肯定し、背中を押してくれる女性であった。

 王族の蜜を啜ろうと第二王子である彼にすり寄ってくる汚い大人とは違い、国民としてただ王族を仰ぎ見る彼女は、サミュエルから見てとてもきれいなものに思えた。

 それでいて、彼女はただひれ伏すのではなく、個人的な悩みにも理解を示してくれた。嬉しくなった彼はつい口が滑り、誰にも話したことのない、貴族という仕組みへの疑問までセシリアに投げかけてしまう。

 彼女は半分も理解できなかっただろうが、ただ優しく話を聞き、サミュエルの考えを肯定してくれた。もし話をしていたのがマーガレットら貴族であれば、𠮟られるどころでは済まなかっただろう。

 とにかく彼は、セシリアが女神のように感じてしまった。

 過去、サミュエルを救ってくれたのは間違いなくマーガレット。だが、今救ってくれたと感じているのは、セシリアで間違いなかった。

 貴族として妾は認められているが、婚約者が二人というのは認められない。さらにサミュエルには、聖女という運命などというもので縛られた婚約者もいるらしい。

 彼に、結論を出すことは出来なかった。

 そして彼は、結論を学園の卒業まで先延ばしすることに決めた。

 父にその旨を伝えると、ただ一言、そうかと呟き、そのことを認めてくれた。

 まるで彼女らの愛を試すようで気が引けたが、サミュエルも悩んだ末の決断であった。

 立場や役目、運命に振り回されることを嫌ってのこと。反省は有れど後悔はない。

 これまでもこれからも、私は我が心のみに従う。

 サミュエルは決意を胸に、激動の学園生活を迎える。

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