3月5日(土)ー別視点ー①

 数週間前のある日、北部にある寂れた農村に一人で暮らしていた私、セシリアの日常は突如として終わりを告げた。

 王命を持って現れた御貴族様の使者に、聖女であると指を差された時には驚きすぎて気絶して、村人の間でも騒ぎになり、唯一冷静だった村長が本当かどうかを確かめた後、改めて村全体がお祭り騒ぎに入ったほどだ。

 そうして家族に見送られ、王都へと旅立った後も驚きの連続で、見たこともない食べ物や豪勢な衣服を与えられたり、教会の大司教様や国王様と顔を合わせるとなった時は息ができないくらいには緊張していた。

 極めつけには、第二王子と婚約するから王城で暮らせと言われ、国王様からも息子をよろしく頼むと笑顔で告げられて、まさか国全体で私を騙しているのではないかと突拍子もないことを想像してしまっていた。

 それを何とか乗り越えたと思えば、次の日からはさらなる地獄が始まった。

 基本となる立ち姿の指導から始まり、挨拶や集会で必要になる礼儀作法の稽古、最低これだけは覚えろと詰め込まれた歴史や算術の勉強、自分の得意な魔術の調査と訓練。適正に合わせた魔術理論の勉強、勉強、猛勉強。その他、言葉遣いを直そうとして諦められたり、洗濯物の如く隅から隅まで身体を洗われたりと、経験したことのない出来事の連続で何度家に帰りたいと思ったかわからない。

 そんな日々を過ごして数週間、聖女としての実感も納得もないままに、何度も叱られながら何とか身につけたと思えば、息つく間もなく学園に向かわなければならないという。

 そうして言われるがままに馬車に揺られ、学園の大きさと人の多さにまた驚いて、もう底の底まで精魂が尽きてしまっていた私は、その場でふらつき隣にいた男性に倒れこんでしまった。

「ご、ごめんなさい!怪我はないですか!」

「あ、ああ、いや。君の方こそ、足を捻ってなどいないか?随分と緊張しているようだが」

 ああ、貴族様にぶつかってしまうなんて!いやいやええと、助けてもらった時はなんていえばいいんだったか。

 ……お、思い出せない。とにかく返事をして、謝って、何とか見逃してもらおうと、必死に体と口を動かす。

「いえ大丈夫です!むしろご貴族の方にこのような真似を!」

「ふむ?ご貴族にということは、君が今年の特待生である平民か」

 私のことを知られている事実に驚きを隠せない。更に驚きなのが、この方は貴族であるにもかかわらず、平民である私に優しくしてくれたことだ。私が唯一知る貴族様だと、失礼なことをしたら罰を受けるのが普通だったのだが……。

 不審に思い相手の男性の瞳を覗いたのだが、この碧眼にはどこかで見覚えがある。追加して、その美貌に見とれ、少しの間呆けてしまった。

 相手の男性は黙っていることに対し、不審そうにこちらの方を覗き込んできたので、舌を嚙みながらなんとか言葉を返す。

「は、はい、そうです! ご迷惑をお掛けすると思いますが、どうかよろしくお願いいたしましゅ!」

「そう硬くなるな。君の才能が本物なのであれば、それは歓迎されるべきものなのだからな」

 そう言いながら浮かべられた笑顔に彼の正体を理解する。そうだ、この方は第二王子で勇者になった、私のけ、結婚相手だっていうサミュエル殿下その人だ。

 ど、どうしよう。なんというか、訳の分からない状況が続きすぎてどんな感情でいればいいのか全く分からない。

 どうすることもできずに無感情で佇んでいると、お供らしき女性が王子様の腕を引いて、会場の方へ行こうと提案していた。

 それを惜しいと思いながら、冷静になれたことに感謝する。

 そうして改めて王子様を観察すると、理解していたにも関わらず、私との違いにショックを受けた。その髪は黄金の如く光を放ち、その笑顔は太陽の如くきらめき、まるでスポットライトでも当たっているかのように彼だけが輝いて見える。

 それは、幼い頃母に読み聞かせてもらったおとぎ話の王子様そのものだった。

 それを理解した瞬間、心に浮かんだ感嘆を私は止めることはできなかった。

「……あれが、勇者様なのですね」

 思わず出たその言葉に自分でも驚いて、素早く口を押さえ周りの様子を伺う。

 そうだった、勇者と聖女の話は秘密なんだった。

 周りから訝し気に見られつつも、幸いなことに気を止めた人物はいなかったようだが、これからはもっと気を付けないとならないだろう。

 それに、あんなおとぎ話の王子様の助けになれるのならば、より一層頑張らなければ!

 そう改めて決意を固め、まずは試験という、目の前の問題へと立ち向かっていくのだった。

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