5月16日(風) 午前

 時は進み、野外訓練当日。私たちは動きやすい生地で縫われた野外活動用の制服に身を包み、用意した荷物と共に馬車に乗ってオーステンの森に向かっていた。

 この制服は男女ともにズボンになっていて、動きやすいのはいいのだが、普段スカートに隠れている足のラインが出るのは少々恥ずかしかった。

 またクラスの中で、特待生が私と同じ班でいいのかという意見もあった。予想通り殿下がその事に怒り始めてしまったので、矛先を自分に向けるためにも、嫌だが仕方のないことだと、クラス全体に宣言しておいた。もちろん、殿下は怒ったままだ。

 さらに、その後もセシリアに対して様々な陰口が囁かれていて、私は何もやっていないにもかかわらず、とても悪役令嬢らしい場面であった。

 そんなことよりも、あの夕暮れの話だ。

 あの後、セシリアは医療棟に運ばれ、治癒士からは特に問題はないと診断され、翌日には教室で元気な姿を見せていた。

 しかし、どれだけ問いただしてもあの時呟いたことカーミラルとフェルトについては何も話してくれず、ただ「問題ない」と答えるのみであった。

 父と協力して彼らの周囲を調査しても、カーミラルとフェルトが同じ孤児院出身であることくらいしかわからず、これ以上有益な情報は望めなかった。

 どうするべきかと頭の中に意識を飛ばしているうちに、いつのまにやら馬車はオーステンの森に到着していた。

「さあ皆、降りて準備を。食料や水はこっちから必要な分を持っていって。早い者勝ちですよー」

 フェルト先生の言葉を合図に、皆慌てて馬車から降りて、食料を積んだ荷車に駆け寄っていく。

 普段は学生らしく楽しげなクラスの雰囲気も、今日ばかりは緊迫したものに変わっていた。

「私たちも行きましょうか。忘れ物はないですね?」

「はい!あ……コホン。ミーレスと二人で確認を行い、問題ないことを確かめてありますわ」

 セシリアがズボンにもかかわらず、何かを摘まむような動きで礼をする。思わず笑みがこぼれそうになるが、その報告には不満そうな表情で返した。

「……よろしい。ではサミュエル様、重たいものはお願いいたしますね」

「もちろんだ!むしろこの程度、訓練になるのか疑問だな!」

 殿下だけは変わらず腕を組み、服のせいか、いつもよりはっきり形が分かる筋肉を周囲に見せつけていた。

 とにもかくにも、チームの雰囲気に悪いところはないし、トラブルにも対処できるよう準備してきた。

 しかし、以前からトラブルに備えていたからなのか、聖女の予感カーミラルの件が当たったのか、この森でのトラブルはすでに確定しているようなものだった。


 話は、昨日の夜に遡る。突然、我が父ブランデンから、夕飯ディナーでもどうだと、王都の屋敷に呼び出されたのだ。

 魔道具や手紙を使った報告は毎日しているにもかかわらず、直接呼び出されたということは、追加で任務があるか、何か憂慮すべき事態が起きた時なので、随分足が重たかったのを覚えている。

「来たか。まあ座れ。まずは食事だ」

 館の食堂に顔を出すと、すぐに父から椅子を指差される。これも何か大事な連絡がある時の特徴であった。食事中、もちろん会話はあるのだが、重要なことは必ず話さない。これは単純に、料理の味を楽しめないからという、実に人間らしい理由であった。

 自分としては早く本題を話してほしいと思いながら、我が家の料理人が腕を振るって用意した珠玉の品々を、無感情で口に入れながら父が切り出すのをひたすらに待った。

 そして甘さ控えめのレモンアイスが目の前に置かれたとき、ついにその時が訪れた。

「シャル。明日は野外訓練だそうだね。場所は……オーステンだったか」

「はい、その通りです。何か問題でもありましたか?」

問題にはなっていない。……あの森の地下に、怪しい魔力が検知されたそうだ。お前から報告があった件もあるから、何かあると思って行け」

 その言葉に内心肩を落とす。思った通り、何かしらトラブルがあったことによる連絡だったようだ。

 ただまあ、何かある時にこうやって顔を合わせて言ってくれるのは、父なりの心配と、優しさからくるものであると捉えていた。

 表面上は父親としての注意だと受け取り、笑顔でお礼を告げた。

「わかりました。気を付けて行ってきますね」

「ああ。近くには騎士団も待機しているから、何かあればすぐに報告するんだぞ」

 何かある、という曖昧な言葉ではあったが、先の言葉はつまり、異常があるのはつかんでるから、詳しく調査してこい、という内容になる。

 やらねばならないことの多さに嫌気がさすが、危険を放っておくだけの理由はない。

 ふと、カーミラルの言っていた都市伝説が頭によぎる。地から響く鬼の声。あれは、その怪しい魔力のことを言っていたのではないだろうか。

 都市伝説という怪しい情報源ではあるが、なにが糸口になるかわからない。そう考えて口を開く。

「関係があるかはわかりませんが、都市伝説の話を例の学生から聞きました」

 あの司書への怪しさがそのまま伝わるよう、声音に注意しながら口を開くと、父も怪しく思ったのか、執事と言葉を交わしてからまたこちらを向く。

「……ああ、鬼の声とかいうやつか。確かに現実味を帯びてきたな」

「ええ。どうにも不信感が拭えません」

「毎度のことだが、先走るなよ?メグはいつも戦いが第一だからな。本来我々は備え、防ぐことが仕事で、武器を持つのは最終手段であって……」

 ここから先は、リコリスネーロ家の教訓を絡めた指導が始まり、その時間はアイスがドロドロになるまで続いた。


 ただの飲み物と化したレモンアイスに思いを馳せ、悲しい気分を振り払うように、眼前に広がる洞窟の闇へ視線を向ける。

 調査地点はクラス全体で相談して決めるもの。我々の班は早くからここに目を付けていただけあって、誰の反論もなくこの地を手に入れることが出来た。

 父からの報せ、先輩の言っていた岩蜥蜴ロックリザード、この洞窟が先生たちの野営地に近く、万が一の時助けを求めやすいなど、とても好都合な条件が多く揃っていて、本当にこの地を選ぶことが出来てよかった。

 洞窟に入る前に、この場の全員へ振り返りそれぞれの顔色を確認する。セシリアなども、緊張はしているが力が入りすぎてもいない、ちょうどいい具合だと言えるだろう。

「では、最終確認です。殿下は前衛で警戒、セシリア……さんは後方で光源の確保と調査内容の書き取りを。我々三人は二人をフォローするように動くということで」

 その確認に殿下と護衛の二人は笑顔で了承してくれたが、セシリアだけがおずおずと手をあげた。

「あのやっぱり、マーガレット様が危険ではありませんか?戦えるというのは理解しておりますが、私と共に後方に控えていた方がいいのでは……」

 セシリアのその言葉に、護衛の二人が苦笑いを浮かべる。まあ、仕方のないことだ。セシリアは私の実力を知らないのだから。

「そのようなセリフは自分の身を守れるようになってから言いなさい」

 それとセシリアは、まだ貴族というものを理解していないのであろう。

 以前実戦的魔術の授業でマルクス先生が言っていたが、貴族だから戦うのではなく、戦うからこそ貴族なのだ。

 セシリアが偉いから貴族だと思っているなら、いずれしっかり教え込まなければいけないだろう。

「メグ!そうつんけんするな!優しさは素直に受け取らねば!」

 バカ王子から飛んでくる的外れな指摘は無視して、不服そうなセシリアを睨みつける。

 それに今回は戦うのではなく調査に来たのだ。故に危険は少ないのだと納得してもらおう。

「そもそも、調査が目的なのですから、危険があれば逃げますわ。さあ、行きますわよ」

 強引にGOサインを出し、セシリアから逃げるように洞窟へ歩き出す。他の4人は慌てて声をあげながら、私の後ろを追い走り出した。


 洞窟に入って一時間ほど経っただろうか。大きな縦穴や魔物の巣など、障害を協力しながら乗り越え、慎重に調査を進めていた。

 私はセシリアの書く調査内容にミスがないか確認しながら、削り取った壁面やコケを報告用に瓶に詰めていく。

 ここまでは去年の情報と変わったところはなく、話に聞いていた岩蜥蜴(ロックリザード)は痕跡すら見つからない。

 たまに生息している魔物が襲ってくるが、それもサミュエル一人で処理されていて、私の出番は全くないままだった。

 ちょうど背後から、どすんと何かを切り落としたような音がした。振り返ると、殿下が軍隊蜘蛛アーミースパイダーを蹴散らしたところであった。

 重厚な殿下専用の大剣を元気に振り回しているところを見ると、殿下はまだまだ余裕がありそうだ。

「セシリア。あれも書き取って置いてくれる?」

「分かりました!」

 セシリアが殿下へ駆けよっていくのを見ながら、私は採取した素材を整理し、リュックに詰めていく。

 セシリアも疲労はあるが、声にも書き取る指にも怯えは見えず、足取りに不安も見当たらない。まだ休まずとも調査を進められるだろう。

 とても順調な滑り出しに安心するとともに、例のトラブル地下の魔力に警戒していたためか、ずいぶんと肩が凝ってしまった。

 どこかで地下の調査にも向かわねばと思いながら、首を回して凝りを解していく。

 その時突然、地面が大きく揺れ始めた。王国では珍しいその現象にその場の全員が膝をつく。

 私は地震についての知識があるが、他の者、とくにセシリアなんて、初めてのことに悲鳴を上げても不思議ではなかった。

 だが予想外にもセシリアを含めた全員が、よろけてはいるが周囲への警戒は途切れさせずにいた。

「動かずに!落石に注意を!」

 簡潔に指示を出すと、護衛の二人は流石の反応を見せ、カーパータが殿下に、ミーレスがセシリアにそれぞれリュックから出した盾を掲げて覆いかぶさる。

 揺れは数秒で収まり、私はふらつきながら壁に手をついて体を起こした。

 セシリアたちに目を向けると、土に汚れてはいるが怪我もないようであった。

 と、ほっとした瞬間、私が支えにしていた壁が音を立てて崩れ始める。

 普段ならば反応できたはずなのだが、私も気持ちが緩んでいたのだろう。動こうとしたときには、すでに私の身体は宙に浮いていた。

「マーガレット様!」

 向こうからセシリアの悲痛な叫び声が聞こえる。だがセシリアまでこの穴に落ちてしまえば、無傷で守り切れるかわからない。

 そう判断し、私はとっさに叫びをあげた。

「セシリア!殿下から離れないように!任せましたわよ!」

 それだけを何とか喉からひねり出し、暗闇の中へ落ちていく。

 なあに、殿下も戦闘力だけで言えば申し分ないし、抜けているところは護衛の二人が埋めてくれるはず。

 ならば私は自分の事だけを考えて、ついでに地下の調査でも進めておけばよい。

 私は洞窟の調査よりも、脱出後にセシリアを宥める方が苦労しそうだなどと、場違いなことを考えながら、闇の中へと潜っていった。


 

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