私の選択


 ――最後の最後に見つけた金色の卵。


 ゴールドは私のラッキーカラーだ。昔から『ここぞ』という場面では、ゴールドのアクセサリーを好んでつけてきた。私の肌とも相性の良い色だ。


 アドルファス王太子殿下のイメージカラーも、ブルーというよりはゴールドだろう。彼の髪色と同じだし、神秘的で神々しく輝かしい――そんな本質とマッチしている。


 私は金色の卵を手に取り、慎重な手つきで割った。メモを留めているヒモを解き、そして――。


 メモを広げた私の手が震え出す。紙片が力なく落ちた。


 アレックスが勝ち誇ったように笑った。私から視線を切り、キッチンメイドのデボラを意地の悪い目つきで眺める。


「デボラ、残っている最後の卵を割るんだ」


「え……」


 デボラは恐怖に顔を引きつらせている。


 本来ならば私が回収するはずだった、薄緑色の卵。しかし迷路内でデボラが無理を言って譲り受けた。


「わ、私……」


「君は卵を割り、中を確認する義務がある――そうだろう? だってディーナはそれを取ろうとしていた。だけど君は弱々しく悲鳴を上げて、ディーナをおびき出してさ――彼女の良心につけ込んで、その卵を奪ったじゃない?」


「私、そんなつもりは……そんな、だって……」


「ずっるい女! 気持ち悪っ! 虫唾が走るね、自分さえ良けりゃいい。どうせこんなことを考えていたんだろう? ――私、心細いわ、一緒に回ってお願い、ディーナ様――でも断られちゃったぁ――いいえ、まだチャンスはある――迷路の途中で悲鳴を上げて、弱々しい私を演出するの――ほら、単純なディーナは罪悪感を覚えているみたい――あとひと押し――『薄緑の卵に、ハンスの名前が入っているんです! ディーナ様、どうか譲ってください!』 はぁ? なーに言ってんだか! 図々しい! さぁほら、駄々をこねて手に入れたんだろ? とっととその卵を割れよ、このクソ女が」


 ひどい言われように、デボラが泣き出した。


 私は怒りを覚えた。アレックスを厳しい目で見据える。


「やめなさい」


「おやおや、聖女ディーナ――お優しいことで! 私は君のそういうところも虫唾が走るね。偽善者が!」


「私を罵りたいなら、どうぞご自由に――だけどデボラさんを責めても意味がないでしょう。私が自分の判断で譲ったんです」


「だけど君にはそう判断すべき根拠があった。君は絶対的に正しかったんだよ――つまりこうなったのは、すべてデボラの責任なんだ。この身勝手な女の責任さ。ほら、割るんだ、デボラ」


 アレックスにすごまれ、デボラはビクリと身を縮こませて、おそるおそる円卓のほうに手を伸ばした。ブルブル震える手で薄緑色の卵を割る。


 金色のラインで文様が刻まれたそれは、高貴で特別な卵に見えた――明らかにほかとは違う。


 デボラの手が震えて、上手くヒモがほどけない。


 アレックスが嫌味な態度で身を乗り出し、親切にヒモを解いてやった。


「ほら、メモを広げて?」


 猫なで声で囁く。


「わ、私……読みたくないです」


 デボラがしゃくりあげた。


「だめだ、広げろ――読め、さっさと!」


 叱られ、デボラは言うとおりにした。そして紙面を見おろし、真っ青になった。


 アレックスの笑みが深くなった。


「なんて書いてある? 名前を読み上げるんだ」


「あ――アドルファス王太子殿下、と書いてあります」


 沈黙が落ちる。


 事態を静観していたルードヴィヒ王弟殿下は「なぜだ」と疑問を発した。


 四葉のクローバーのアミュレット――あれが効かなかったのか? ディーナはアミュレットを持っていたはずなのに! ルードヴィヒ王弟殿下の視線が問うように私に向く。


 アレックスが笑いをこらえながら横目でルードヴィヒ王弟殿下を見遣る。からかうように瞬きし、顔を愉悦で歪ませた。


「アミュレットねぇ……実はこちらのキッチンメイドさんが持っていたりしてー」


 彼がデボラの簡素なドレスに手を伸ばした。彼女のポケットに許可なく手を入れ、四葉のクローバーのアミュレットを引っ張り出す。


 ルードヴィヒ王弟殿下が驚愕した――どういうことだ? 彼は混乱していた。


 私は背筋を伸ばし、静かに語り始めた。


「――私がデボラさんに渡しました。スタート地点で。皆さんが身体検査を受けていた時です」


 顔から血の気は失せていたが、気持ちは落ち着いていた。それはまだ『負けた』という現実味が湧いていなかったせいかもしれないが……。


「ごめんなさい、ごめんなさい」デボラが泣きじゃくる。「私が病気の母の話をしたせいですよね! 母の余命がわずかで、亡くなる前にハンスと結婚して安心させたいって、私がディーナ様に言ったから……」


 皆が身体検査を受けていた時、私はデボラからその話を聞いた。


 デボラはとても不安がっていて、『私はひとつも見つけられないかもしれません。方向音痴なので、迷路から一生出られないかも』と泣きごとを口にしてきた。


 私は考えた――自分は方向感覚に自信がある。デボラに幸運のアミュレットを渡した場合、彼女は『正しい三個』を選んでくれるのでは? 善良な子であると思うし、自分が勝ち抜けするだけではなく、ともに参加する私のことも案じてくれるだろう。


 彼女が正しい選択をしたなら、アドルファス王太子殿下の名前が入った卵は、絶対に『選ばない』――『選ぶはずがない』。デボラは幸運のアミュレットの効果で、開始後すぐにハンスの卵を探し出すはずだ。だからこちらは地道に卵を探し、気になったものは回収していこう。あとは時の運になるけれど、互いに直感に従って動けば、良い結果を引き寄せられる――……。


 見通しが甘かったのだろうか。けれどあの時の私は、その思いつきが筋の通った考えであると信じ込んでしまった。


 そしてデボラに伝えた――「幸運のアミュレットをあなたにお貸しするわ。大切な預かりものなので、あとでルードヴィヒ王弟殿下にお返しする必要があるから、一旦貸すだけになるけれど」――それを聞き、デボラはとても感謝していた。


 何が悪かったのだろう……私はぼんやりと考える。


 分からない。私は悪いことをしたとは思っていない。とはいえデボラが悪いとも思わないから、やはり私が悪かったのだろう。考えが甘かった……これに尽きる。


 直感に働きかけるアミュレットを持ったデボラが、『薄緑色の卵にハンスの名前が入っている』と強く主張したので、私はこれを信じた。


 でも……なぜデボラは直感を外したのだろう? 強力なアミュレットを持ちながら……不可解だ。


 するとアレックスがこちらに身を乗り出して来た。獰猛な獣じみた動きだった。


「欲だよ、ディーナ――デボラの欲が、彼女自身の勘を狂わせた」


「アレックス……」


 私の胸に痛みが走る。とても悲しかった。


「あの女は欲をかいたんだ。誰を蹴落としてでも、自分だけは勝ち抜けするのだと。だからディーナの幸運まで食い尽くした。君はデボラの善良性を信じたんだね? だけどね、人っていうのは身勝手で醜いものなんだよ。ひとつ大きな学びがあったね、ディーナ」


 アレックスは私を舐めるように見つめながら、乱暴な手つきで円卓の上にあるメモを拾い上げた。――それは最後のひとつ、金色の卵に入っていたもの。


「最後のひとりの名前は、皆さんご存知の彼――ペイトンくんだ! ペイトンくん! どこまでもどこまでも彼が追って来るよ、ディーナ! これこそが愛だね! さぁディーナ、選びたまえ。縁もゆかりもないニコラスか、先日電撃的な出会いを果たしたゲオルクか、歪んだ愛をぶつけてくるペイトンか――さぁどうする? 神々の契約のもとで行われたゲームだ、絶対に逃げられないよ?」


 私は置物のように動かない。動けなかった。


 そんな中。


 アドルファス王太子殿下が動いた。静かだが決然としている。そして美しい佇まいだった。この場において彼だけが超然としていた。


 アドルファス王太子殿下は私の前まで来て足を止める。


「ごめんなさい、アドルファス王太子殿下……」


 私が震えながら謝ると、彼は穏やかに微笑み、そっと抱きしめてくれた。


 怒るでも悲しむでもない。ただ思い遣りに満ちている。泣きたくなるほどに優しい手つきだった。


「大丈夫だよ、ディーナ。自分を責めないで」


「でも」


「対策はあとで考えよう。今は三人の中から誰か選ぶんだ」


「……それはできないわ」


 私の頬を涙が伝う。胸が張り裂けそう。


「あのね、ディーナ」


 彼がハグを解き、こちらを覗き込んだ。視線が絡む。


 優しい瞳――まるで晴れた日の空のよう。


「君はあまり乗り気じゃなかったのに、無理矢理僕の都合で婚約者になってもらった。ごめんね、隣国まで来てもらって、結局怖いことに巻き込んでしまって。……あとで僕たちふたりが結婚できる方法を探ってみるけれど、だめならだめで、君は僕のことは気にしなくていいんだ」


「アドルファス王太子殿下」


「ほかの誰かと君が結婚して……君が幸せになれるなら、僕も幸せだ。大好きだよ、ディーナ――君に会えただけで僕は幸せだし、君がこの先ずっと笑って生きてくれることが、僕の望みだよ。君から光を奪いたくない。どうか賢い選択をしてほしい」


 アドルファス王太子殿下は『このゲーム自体をなかったことにしてみせる』と明言しなかった。おそらく事前に交わしたあの神々の契約が、破りようもなく強固な縛りであることを理解しているのだろう。


 あとで方法を探ってみると言ってくれた――それはもちろん本心だろう。彼は必死で打開策を探してくれるはずだ――けれど想いとは別の部分で、冷静に状況を見てみれば、無理かもしれないと分かっている。


 だから私の幸せを願っている――そう彼は言った。


 ここで三人の中から相手を選ばなければ、私はペナルティを課される。光を奪われ、昼間はものが見えなくなってしまう。病気や事故でそうなるなら、それは避けようがない事態だけれど、アドルファス王太子殿下は自分のせいで私がそうなるべきではないと考えている。


 あなたは優しい人だから、いつも他人のことばかり考えている。


 あなたは私が好きでしょう? 私を失ったら、悲しくて耐えられないでしょう?


 私は深呼吸をして、笑みを浮かべた。ああ……綺麗に笑えているといいけれど。


「答えは決まっているわ」


「ディーナ」


「私はあなた以外の人と添い遂げるつもりはない――その場しのぎであっても、嘘はつけない」


「だめだ」


「――あなたが好き」


 私は彼の首裏に手を回し、背伸びをして口づけをした。


 アドルファス王太子殿下は愛する人を突き放そうとして――静かに絶望する。


 だめだ、もう遅い。


 ふたりはキスをしてしまった。だからもう……


 初めてのキスは涙の味がした。甘くて切ない。


 私はそっと身を離し……もう一度微笑んだ。


 その途端、膝から力が抜ける。呪いの力に呑み込まれ、意識を保っていられない。


 昏倒する私をアドルファス王太子殿下が支えた。


「ディーナ……!」


 闇に沈む私にその声は届かない。


 アドルファス王太子殿下は私の体をその腕に抱きしめた。


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